不死殺しのイドラ

彗星無視

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第3章エピローグ 別れと再会の物語

第55話 眼帯と枷

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 中に入れば少しは暖かくなる。そう思っていたイドラだったが、むしろ門を抜けた建物の内部はより一層の冷えだった。
 暖気を拒む石造りの城。窓は乏しく、通路は狭い。そこに漂う冷気は、外気以上に建物全体に満ちる陰鬱さが影響しているような気がした。

「こっちだ」

 いくつかの角を曲がり、面会室へ案内される。
 その途中、別の方向から小さく悲鳴のようなものが届いてくる。続いて、殴打の音。

「ひ……っ」

 それは短い距離を隔てて行われる、生々しい罰の声。
 旅をしてきたイドラも、監獄に入るのは初めての経験だった。囚人になったこともなければ刑務官になったこともない。わざわざ見学会を開いてくれもしない。そして監獄などというものは総じて、町や人里からは遠い場所に建てられる。
 不幸にも囚人同然の扱いを受けてきた経験のあるソニアも、イドラと同様に本当の監獄など縁遠い場でしかない。聞き慣れない叱咤と悲鳴に恐々としていた。

「単なる折檻だ。規則もろくろく守れん罪人どもには、痛みを伴うしつけが必要不可欠。いちいち気にしないことだ」
「そう簡単に割り切れるわけがないだろ、子どもに聞かせるには残酷すぎる。日頃からあんな大声で叫ぶような罰を与えているのか?」
「その子どもを監獄くんだりまで連れてきたのは貴様だろうが。罰を受ける者が泣き叫ぶからこそ、ほかの囚人が罰を恐れる。一罰百戒——効率的な見せしめだ。異論があるかね?」

 エメラルドグリーンの眼が、ちらりとイドラを見る。ひどく濁った瞳だった。
 怒りに燃えるのとも、狂気に蝕まれるのとも違う。長い時間をかけて摩耗した心が、目つきと瞳に表れていた。
 人間が人間を檻に入れ、人間が人間を罰する。
 それは異常な行為だ。必ずしも公平でないとは限らないが、必ず平等ではない。
 イドラにはわからない苦悩や葛藤がある。イドラはそれを、濁った眼と峻険な目つきからまざまざと読み取った。

「……いいや。ここのやり方に異議を唱える権利なんて、僕にはない」
「結構。その通りだ、もとより貴様の意見ひとつでエンツェンド監獄が変容することはなにもない」

 ケッテはそう言うと、通路の突き当たりにある扉の前で足を止めた。

「お前たちがすべきはただひとつ。この部屋にいる男をどういうわけか監獄から連れ出して、伝説だかなんだか知らないが男しか知らん場所へ案内させ——そして石の城へ再び連れ戻すことだ。下らん用事が済み次第、速やかにな」

 ケッテはレツェリを出すことに納得していないらしかった。無造作に伸ばされた腕の、手袋を着けた手が扉を開く。
 面会室は分厚い壁に分断された一部屋であり、真ん中の部分だけごくわずかな鉄格子になって向こう側が透けていた。

「……来たか。存外に早かった」

 果たしてそこに、因縁の男は佇んでいた。
 ひと月前、デーグラムの聖堂で戦った時とは、その姿は大きく異なっている。
 まずあの身にまとっていた真っ白いローブがない。司教の席を退き、獄中の身に堕ちたのだから当然と言えば当然だ。同様に面紗もなく、まだ若い顔を隠すものはなにもない。
 しかし、イドラたちは既に格子越しの男が齢百を超えた怪物であると知っている。

 不死。絶対の命に焦がれ、協会の司教でありながら、人体さえ用いてイモータルを研究してきた者。
 彼の天恵ギフト万物停滞アンチパンタレイには根源を同じくしながら、二つの効力を持つ能力が宿っている。
 ひとつが空間断裂。視界に映る光景を、頭の中で透明な立方体の箱で区切る。その内部で流れる時間を一秒にも満たないごくわずかな期間だけ遅延させるのだ。そうすると箱の境界面では内側と外側で時間のずれが生じ、そこにある動体はどれだけの硬度を以ってしても例外なく切断される。

 そしてもうひとつはその応用とも言うべきで、自分の体内の時間を遅らせて老化速度を著しく低下させる。これは範囲を把握するのに特別な意識さえ必要ない自身の肉体を対象にしているから可能な、あまりに例外的な技だ。
 実質的に二つの能力を得ているに等しい、超越的な天恵。
 空間に干渉できることも含め、百年に一度程度しか生まれないとされるレアリティ1の特権と言えた。

「ずいぶんな有り様じゃないか。レツェリ」
「フン。まあな」

——そんな最強のギフトが封じられていることは、一目でわかった。
 姿かたちでいえば、もっとも変わったのはそこだろう。レツェリのギフトは眼球であり、その眼窩に収まる赫赤かくせきの眼球が何物も見れぬよう、黒い眼帯がされていた。

 眼帯と言っても、単に怪我をして保護したりする時に使うような簡単なものではない。
 外から守るためではなく、内側の眼を封じるため。分厚い金属でできていて、バンドのような形をしており、後ろには決して外せないよう錠までついているらしかった。
 拘束具なのは明らか。
 また、その両手にも同様、重く分厚い金属の手枷がはめられていた。

「では引き渡しを行う。期限は三か月。それまでに、再びこのエンツェンド監獄へ連れ帰ること」
「はいはーい。わかってるよん」
「監視役のシスター、規則だ。緊急時用に、この男の拘束を解く鍵をそれぞれ渡しておくぞ。……なぜ上はこんなバカみたいな話を。人体実験を繰り返していた元司教を、一時釈放など」

 協会の——ミロウの手回しだ。

「シスター、もし貴様がその男に対する信仰を残していて、いたずらに枷を外そうとしているのなら——」
「要らない心配だよ。そんなつもりはまったくないし、だいいち信じ仰ぐべきは初めから司教じゃない。空の向こうにいる、神さまだから」

 ケッテの言葉を遮りながら、ベルチャーナは青果店の釣り銭でも受け取るかのごとき所作で二本の鍵が通されたリングを手に取る。鍵はどちらも小さく、二つが擦れてちゃり、と音が鳴った。

「それに付け加えるなら——シスターと言ってもエクソシストだからねぇ。信心深さとははじめっから無縁だよ、ベルちゃんは」

 悲鳴轟く冷たい監獄に似合わない明朗な笑顔を浮かべながら、彼女はリングを細い人差し指でくるりと回した。ちゃりりん、とさっきより激しく鍵同士が擦れた。



 レツェリの引き渡しが終わると、イドラたちはほとんど追い出されるように監獄の外へ出た。ケッテにはどうにも嫌われてしまったようだ。最後まで険しい態度で、見送りもなく外へ出るよう促された。

「まあ向こうはレツェリを出したくないみたいだったし、しょうがないか」

 監獄をやや離れた、針葉樹の高い木の下。四人はそこに自然と集まっていた。
 ソニアのそばに立つイドラ。
 ちらちらとレツェリの方を窺いながら、身を縮こませるソニア。
 なにを考えているのか、にこにこと笑みを浮かべているベルチャーナ。
 そして、左眼と両手を拘束されたまま、それでも久しぶりに見るのであろう夕暮れの空を見上げ、白い息を吐きだすレツェリ。

「改めましてー。お久しぶりですね、レツェリ司教! あっもう司教じゃないんだった! すみません言い直します、お久しぶりです元レツェリ司教!」
「……ベルチャーナ君。その態度に色々と言いたいことはあるが、元をつける場所はそこではない」
「いやー寒そうですねぇ元レツェリ司教。囚人服のままだから、この寒空の下では凍えるでしょう」
「話を聞く気がないのか? 司教呼びも要らん。レツェリでいい」
「そんな元レツェリさんに、じゃじゃーん。ベルちゃんはとっても気遣いのできる女性なので、上着の外套を持ってきちゃいました!」
「なんで元だけ残した?」
「あぁーっ、でもどうしよっかなぁ。やっぱり渡すのはやめておこうかなぁ。悪いことしたんだから、寒さに身を震わせるのも受けるべき罰のひとつなのかも?」
「そんなに私が憎いか? ベルチャーナ君」
「まー、わりと……なんかミロウちゃんのこと脅してたらしいし……」

 レツェリは苦虫を噛みつぶしたような顔をした。それはもうありありと。脅迫の件を突かれれば言い返すことはできないのだろう。
 そもそもほかのメンバー三人全員から恨みを買っている。全員に憎まれていて当然であり、そのことはレツェリとて重々承知だったが、それはそうとして気が重いことを隠そうともしないたっぷりのため息が出ていた。吐息は白く色づいて、夕焼けの空へと昇っていった。

「……なんか、ああなるとちょっぴりかわいそうかもですね」
「え、全然。むしろ囚人服も剥いでやろうかな。服着てるのムカつくし」
「イドラさん…………」

 オルファには好きと嫌いが入り混じる複雑な感情を持てあますイドラだったが、レツェリに関しては普通にかなり嫌いだった。オルファが廃人になったのもレツェリのせいだし、ソニアが不死憑きと罵られ過酷な日々を過ごし、母譲りの橙色の髪を失ったのもやはりレツェリのせいだ。
 もうイドラはたまに世の中の悪いこと全部レツェリのせいなんじゃないかと思っている。環境汚染とか。
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