東京ナイトスパロウ

狗嵜ネムリ

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東京ナイトスパロウ・16

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 午後九時半。
 俺はこの間雀夜と二人で昼食をとったあのファミレスの奥の喫煙席で、一人座って雀夜を待っていた。
 こうなったら、俺をこんな体にした張本人の雀夜に聞いてもらうしかない。もう、今夜雀夜とセックスするとか、そんなことはどうでもいい。これは俺の仕事の問題だ。
「………」
 だけど、いくら待っても雀夜は来ない。九時過ぎには来てくれると言っていたのに、十時前になっても一向に雀夜は姿を現さなかった。携帯にかけても繋がらず、メールも返って来ない。灰皿に吸殻だけが増えてゆく。
 この時間まで撮影してるなんて考えられないし、雀夜が何の連絡もなく約束を破るなんてもっと考えられない。
(松岡さんが、撮影でのこと雀夜に言っちゃったのかな……)
 それで雀夜が呆れて俺を見捨ててしまった可能性……ちょっとだけ、あり得る。
 一時間経ち、時刻は十一時近くになった。雀夜はまだ現れない。誰が相手でも、俺が待ち合わせ場所にここまで長い時間いるなんて初めてのことだ。いつもの俺なら、二十分で帰る。その前に、待たされることなんて今まで一度もなかった。
 もう雀夜が来ないのは決定的だ。分かってるのに、帰れない。
 たぶん、これは雀夜の、俺の気持ちに対する答えなんだ。いくら待っても無駄。いくら好きでも、いくらつきまとっても。
 雀夜は微塵も俺のことなんて、好きじゃない……。
「お客様、コーヒーのおかわりはいかがですか」
 無愛想なウェイトレスに遠回しに帰れと言われた気がして、俺は伝票を摘まんで立ち上がった。
「もう平気です……」
 会計に向かった俺は、財布を取り出しながら深い溜息をついた。コーヒーだけでどれだけの時間いたんだろう。待ち合わせをすっぽかされた哀れな男──店員たちはそう思ってるに違いない。
「三八〇円です」
 ちょうど小銭が溜まってる。硬貨を数えていると、俺の後ろからスッと手が伸びて、レジ台の上にクレジットカードが置かれた。
「え……」
「カードでのお支払いで宜しいですか?」
「……ああ」
 涙が溢れそうになる。振り向くまでもなく分かる、低い声。今俺の後ろにいるのは……
「……雀夜」
「悪い、待たせたな」
 来てくれた……雀夜が、俺に会いに。
「待ってない。俺も今、来たとこっ……ていうか雀夜、遅い!」
 安堵の思いが込み上げてきて、ファミレスを出た俺は雀夜の腕にしがみついた。
「仕事、終わるの遅かったのか?」
「いや、七時過ぎには終わった」
「こんな時間まで何してたんだよ」
「ちょっとトラブルがあってな」
「えっ?」
 そこで初めて雀夜の顔を正面から見て、気が付いた。
「ど、どうしたの……。ほっぺた、すげえ赤い……」
 どう見てもそれは殴られた痕だった。狼狽する俺に向かって、雀夜が大したことなさそうな口調で言う。
「遊隆に嫌われちまった」
「……ゆ、遊隆に殴られたのっ?」
 心臓が早鐘を打つ。俺はいきり立ち、叫んだ。
「なんでっ? あいつ……!」
「落ち着けって。ちゃんと和解したからよ」
「……何があったの?」
 雀夜は問いかけを無視して、俺の肩に手を回した。
「んじゃ、行くか。ちっと遅れたけど約束通り、朝まで付き合ってやる」
「はぐらかすなよ。ちゃんと俺に教えてよ」
「大したことじゃねえ」
 雀夜が歩き出す──が、俺は雀夜の腕を掴んでその場で立ち止まった。
「……遊隆と、何があったの?」
「うるせえな」
「俺には言えない?」
「言えないっていうより、お前には関係ねえことだ」
 俺の手を軽く払い、雀夜が再び歩き出す。 俺は動かなかった。いや、動けなかった。
「………」
「どうした? 早く来いよ」
「雀夜の馬鹿っ!」
 思いきり叫ぶと、周りを歩いていた通行人達がぎょっとした顔で俺を振り返った。
「なに怒ってんだよ?」
「だって、……俺ばっかり、雀夜のこと気にしてんだもん」
「は?」
 こんなこと言ったってどうしようもない。だけどもう、止まらなかった。
「俺ばっかり雀夜のこと気にして、俺ばっかり雀夜が好きで、お前の一言でいちいち一喜一憂して、遊隆に嫉妬して……! 俺が……この俺が、なんでここまでお前のこと好きになんなきゃいけないのか意味が分かんねえんだよっ!」
 雀夜の顔は見られなかった。
 大好きな気持ちと、今まで気にしないようにしていた焦りや嫉妬や怒りが一緒くたになって爆発したような、形容しがたい感情が身体中を蠢いている。まるで無数の虫が体内でざわめいているみたいだ。裸になり、大声で叫んで暴れ出したい。そんなムズムズした不快感に頭の中が支配されている。
 俺は下を向いたままで続けた。
「雀夜は俺の売り専での実績もプライドも、一晩で全部持ってった! そうまでされてこの仕事を始めたのに、今度は俺の体に雀夜以外の男が入れなくなってた! 雀夜は俺の全部を奪ったくせに、俺には何も与えてくれない。こんなに心配してるのに、ずっと待ってたのに、遊隆に殴られた理由すら、教えてくれない!」
 雀夜がゆっくりと、体ごと俺の方を向いた。上目に盗み見たその顔は、眉間に皺が寄っている。
「てめぇ、何勘違いしてんだ? 何もかもお前の勝手な都合だろうが。自分の思い通りに行かないからって人のせいにすんなや。全部自分が望んで決めて行動した結果だろうが。違うか?」
「分かってるけど、でも……だって!」
「分かってねえよ」
 興奮している俺とは逆に、雀夜はどこまでも落ち着いている。その冷静な声が、次の瞬間、俺の心臓に深く突き刺さった。
「お前が俺を好きなのは勝手だ。だけどてめぇの価値観を俺に押し付けるってんなら、二度と俺に近寄るんじゃねえ」
「っ……!」
 行き交う人々が、物珍しそうな顔で俺達を見ている。誰も彼もが憎らしい。耳打ちし合うカップル。冷やかに笑う、幸せそうな「男女の恋人達」──。
「見てんじゃねえっ、ぶっ飛ばすぞ!」
「やめろ、桃陽」
 雀夜が真剣な顔をして、俺の腕を強く引いた。
「関係ねえ人間に八当たりすんな。育ちが知れるぞ」
 育ち、育ちって……。
「ど、どうせ俺はろくな家で育ってねえよ! 子どもの時から父親に虐待されて、強姦されて、何もかもの権利を奪われて、そのまま成長してこんな気色悪い人間になったんだ!」
 言いながら雀夜の手を振り払い、涙を隠そうとして両手で顔を覆った。雀夜が小さく溜息をつく音が聞こえる。
「……言いたいことはそれだけか?」
「っく……。うっく……」
 返事をすることもできず、俺はただ泣きじゃくった。ライターの音。雀夜が煙草に火を点けたのが分かる。続いて、靴音。
「……雀夜……」
 遠ざかっていく、靴音。
「雀夜ぁっ……!」
 俺は人目も憚らず大声で泣きながら、足を引きずるようにして歩き出した。
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