初恋カレイドスコープ

雪静

文字の大きさ
7 / 50
第二章 予想外の再会

第六話

しおりを挟む



「全員、ちょっと聞いて」

 社長代理の声に、秘書たちが一斉に立ち上がる。

「今週の金曜、HMCの社長と飲むことになったんだけど、一緒にいける人いる? 時間外手当は当然出すし、無茶な接触は一切させない」

 HMCは弊社のお得意先企業のひとつだ。私も営業で何度かお邪魔したことがあるけど、なかなか羽振りのいい大きな会社で、社員も闊達な人が多かった覚えがある。

 社長代理は皆の顔を見回しているけど、手を上げる秘書は誰もいない。仕方ないかな、仕事での飲み会が好きな人なんてそうそういないもの。取引先企業が相手なら、なおさらだ。

「いないならそれでいいよ。必須というわけではないから」

 さして落胆した様子もなく、社長代理はきびすを返して社長室へと戻ろうとする。そのとき、

「あの」

 肩のあたりまで小さく手を上げて、私はおずおずと口を開いた。

「私、行きます」

 振り返った社長代理が、少しだけ目を丸くする。ついでに他の秘書の方々にも見つめられ、私は緊張を誤魔化すように心の中でつばを飲み込む。

 私なら大丈夫。取引先との飲み会なんて、今まで何度もやってきた。HMCなら知らないところじゃないし、それに社長代理が必要としてくれるなら。

「社長代理。高階さんは営業課の頃から、お酒に強く相手方を楽しませるのが上手だったと聞いております。新人秘書の紹介も兼ねて、彼女をお連れしてはいかがでしょうか」

 一歩進み出た鮫島先輩を、社長代理はじろりと眺める。そのまま視線は横へスライドして、私の方へ。……にこりともしない冷たい瞳が、値踏みするように私を見つめる。

「後で時間と場所を送るから」

 結局社長代理は突き放したようにそれだけ言うと、足早に社長室へと戻っていった。緊張の糸が切れたみたいにいつもの空気に戻った秘書室で、先輩方が私の肩を叩き「助かった」「偉いね」なんて口々にほめそやしてくれる。

 なんだかちょっとこそばゆい。営業の頃はこんなの全然珍しいことじゃなかったし、感謝されると逆に恥ずかしくなってしまう。よくよく聞けば、皆さんはどうやら子どものお迎えや彼氏とのデートやらで金曜日は忙しかったみたいで、独り身の私が行ってくれれば都合が良かったとのことらしい。

「本当に大丈夫?」

 別の用事で社長室へ入ったとき、社長代理は急にぽつりと、世間話のようなトーンで言った。

 シンガポールの時のような声音に私は内心ドキリとしながら、それでもいつものように気丈な微笑みで見つめ返す。

「飲み会なら慣れているので、お力になれるかと思います。私は先輩方と違って帰る家庭もありませんし」

 社長代理の猫の瞳が、何か言いたげに私を見上げる。

 しばらく無言の攻防を経て、たぶん勝ったのは私だった。社長代理は結局それきり口を開くことはなく、ふいと目を逸らして部屋を出るよう私を顎で促した。



「いやあ玲一くん、大きくなったね! 初めて会ったときはこーんなちいちゃくて可愛かったのに!」

「恥ずかしいなぁ、いつの話をされているんですか? 僕ももう二十七ですよ」

「そうかそうか、驚いたなあ。まったく、年を取ると時間が経つのがあっという間になって困る。……ほら、飲みなさい! そちらの君も」

 なみなみと注がれるこちらの日本酒、いったい一本おいくらなのだろう。

 都内の高級料亭の一室で私も日本酒をご馳走になる。ぐい、と一口であおる社長代理の隣に座り、私は仕草だけは上品に、でも勢いよくお猪口を空にする。

「おっ、いいね! 見ていて気持ちいい飲みっぷりだ」

 お腹にずんと来る日本酒の熱に少しめまいを覚えながら、私は満面の営業スマイルで「ありがとうございます」と微笑んだ。ああ、重い。日本酒はきつい。でもまだまだ宴席は序の口だ。

 HMCの社長さんは、社長代理のお父様のお友達なのだという。今回の酒席は社長代理の就任をお祝いするという名目で、お酒大好きな社長さんの方から誘ってきたものらしい。

 賑やかにお酒を飲むのが好きな人だから一人で行くのは気が引けたんだと、ぼやく社長代理の横顔は年相応の困り顔で。それを見たとき私の胸には奇妙な嬉しさが込み上げてきて「私が盛り上げて見せます」なんて啖呵を切ってしまったんだ。

「でも、一華くんが長期休業とはね。珍しいこともあるものだ。理由は……教えてくれないんだろう?」

「すみません、僕も姉から固く口止めされていまして。うっかりバラしたらもう、どんなお仕置きが待っているか」

「ははは! それじゃあ聞き出すわけにもいかないね。一華くんを怒らせたら……ああほら、空になっているよ。注いであげよう。そっちの君は甘いカクテルがいいかな?」

 空になった私のグラスを見て、相手の社長さんがメニューを渡してくれる。

 腕を伸ばしてそれを受け取った社長代理は、開いたメニューを私に見せるふりをして、

「ノンアルでもいいよ」

 と小さな声で囁いた。

 耳元で聞く社長代理の声に、いつぞやの思い出が蘇って急に身体が熱くなる。いけない、酔いが回ってきたかな。いつもなら数杯飲まされたくらいでこんなにくらくらしないのだけど。

「そうそう、私のおすすめはこの梅酒だよ! 奄美大島の酒造が手掛けたものでね、どんな女性に勧めても絶対に美味しいと言ってくれるんだ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

苦手な冷徹専務が義兄になったかと思ったら極あま顔で迫ってくるんですが、なんででしょう?~偽家族恋愛~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「こちら、再婚相手の息子の仁さん」 母に紹介され、なにかの間違いだと思った。 だってそこにいたのは、私が敵視している専務だったから。 それだけでもかなりな不安案件なのに。 私の住んでいるマンションに下着泥が出た話題から、さらに。 「そうだ、仁のマンションに引っ越せばいい」 なーんて義父になる人が言い出して。 結局、反対できないまま専務と同居する羽目に。 前途多難な同居生活。 相変わらず専務はなに考えているかわからない。 ……かと思えば。 「兄妹ならするだろ、これくらい」 当たり前のように落とされる、額へのキス。 いったい、どうなってんのー!? 三ツ森涼夏  24歳 大手菓子メーカー『おろち製菓』営業戦略部勤務 背が低く、振り返ったら忘れられるくらい、特徴のない顔がコンプレックス。 小1の時に両親が離婚して以来、母親を支えてきた頑張り屋さん。 たまにその頑張りが空回りすることも? 恋愛、苦手というより、嫌い。 淋しい、をちゃんと言えずにきた人。 × 八雲仁 30歳 大手菓子メーカー『おろち製菓』専務 背が高く、眼鏡のイケメン。 ただし、いつも無表情。 集中すると周りが見えなくなる。 そのことで周囲には誤解を与えがちだが、弁明する気はない。 小さい頃に母親が他界し、それ以来、ひとりで淋しさを抱えてきた人。 ふたりはちゃんと義兄妹になれるのか、それとも……!? ***** 千里専務のその後→『絶対零度の、ハーフ御曹司の愛ブルーの瞳をゲーヲタの私に溶かせとか言っています?……』 ***** 表紙画像 湯弐様 pixiv ID3989101

橘若頭と怖がり姫

真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。 その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。 高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。

結婚直後にとある理由で離婚を申し出ましたが、 別れてくれないどころか次期社長の同期に執着されて愛されています

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「結婚したらこっちのもんだ。 絶対に離婚届に判なんて押さないからな」 既婚マウントにキレて勢いで同期の紘希と結婚した純華。 まあ、悪い人ではないし、などと脳天気にかまえていたが。 紘希が我が社の御曹司だと知って、事態は一転! 純華の誰にも言えない事情で、紘希は絶対に結婚してはいけない相手だった。 離婚を申し出るが、紘希は取り合ってくれない。 それどころか紘希に溺愛され、惹かれていく。 このままでは紘希の弱点になる。 わかっているけれど……。 瑞木純華 みずきすみか 28 イベントデザイン部係長 姉御肌で面倒見がいいのが、長所であり弱点 おかげで、いつも多数の仕事を抱えがち 後輩女子からは慕われるが、男性とは縁がない 恋に関しては夢見がち × 矢崎紘希 やざきひろき 28 営業部課長 一般社員に擬態してるが、会長は母方の祖父で次期社長 サバサバした爽やかくん 実体は押しが強くて粘着質 秘密を抱えたまま、あなたを好きになっていいですか……?

ケダモノ、148円ナリ

菱沼あゆ
恋愛
 ケダモノを148円で買いました――。   「結婚するんだ」  大好きな従兄の顕人の結婚に衝撃を受けた明日実は、たまたま、そこに居たイケメンを捕まえ、 「私っ、この方と結婚するんですっ!」 と言ってしまう。  ところが、そのイケメン、貴継は、かつて道で出会ったケダモノだった。  貴継は、顕人にすべてをバラすと明日実を脅し、ちゃっかり、明日実の家に居座ってしまうのだが――。

腹黒上司が実は激甘だった件について。

あさの紅茶
恋愛
私の上司、坪内さん。 彼はヤバいです。 サラサラヘアに甘いマスクで笑った顔はまさに王子様。 まわりからキャーキャー言われてるけど、仕事中の彼は腹黒悪魔だよ。 本当に厳しいんだから。 ことごとく女子を振って泣かせてきたくせに、ここにきて何故か私のことを好きだと言う。 マジで? 意味不明なんだけど。 めっちゃ意地悪なのに、かいま見える優しさにいつしか胸がぎゅっとなってしまうようになった。 素直に甘えたいとさえ思った。 だけど、私はその想いに応えられないよ。 どうしたらいいかわからない…。 ********** この作品は、他のサイトにも掲載しています。

恋は襟を正してから-鬼上司の不器用な愛-

プリオネ
恋愛
 せっかくホワイト企業に転職したのに、配属先は「漆黒」と噂される第一営業所だった芦尾梨子。待ち受けていたのは、大勢の前で怒鳴りつけてくるような鬼上司、獄谷衿。だが梨子には、前職で培ったパワハラ耐性と、ある"処世術"があった。2つの武器を手に、梨子は彼の厳しい指導にもたくましく食らいついていった。  ある日、梨子は獄谷に叱責された直後に彼自身のミスに気付く。助け舟を出すも、まさかのダブルミスで恥の上塗りをさせてしまう。責任を感じる梨子だったが、獄谷は意外な反応を見せた。そしてそれを境に、彼の態度が柔らかくなり始める。その不器用すぎるアプローチに、梨子も次第に惹かれていくのであった──。  恋心を隠してるけど全部滲み出ちゃってる系鬼上司と、全部気付いてるけど部下として接する新入社員が織りなす、じれじれオフィスラブ。

エリート御曹司は傷心の彼女に溢れる深愛を甘く刻み込む

松本ユミ
恋愛
旧題:君に捧げる一途な愛~御曹司は傷ついた彼女を守りたい~ 木下志乃は付き合っていた彼氏を妹に奪われた過去があり、恋愛に消極的になっていた。 ある日、志乃と同じ会社で働いている無口で堅物と言われている経理部課長の小笠原政宗と知り合う。 いろんな偶然が重なり、一緒に過ごす機会が増えた志乃と政宗。 次第に政宗のことが気になり始めるけど、元カレの裏切り行為に心に傷を負った志乃はどうしても一歩踏み出せずにいた。 そんな志乃を「誰よりも大切にする」と言って政宗は一途な愛で包み込み、二人の距離は縮まっていく。 だけど、ひょんなことから政宗がとある会社の御曹司だと知った志乃。 政宗本人からそのことを聞かされていない志乃はショックを受けてーーー。

処理中です...