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第四章 溢れる想いと最低の提案
第十二話
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夜、静まり返った秘書室の片隅で、私はひとり書類の山と格闘していた。
手際の悪い私と違い、先輩方は大量の仕事をさくっと片づけてお帰りになった。手伝おうかと声をかけてくださる方も何人かいたけど、プライベートが忙しい皆さんに遅くまで頼るのも気が引ける。
どうせ残った仕事は雑務ばかり。お腹が空いて栄養不足の脳みそでも、やれないことはない程度のものだ。
(これが終わったら美味しいラーメン食べに行こう……)
こってりとした豚骨の香りを思い浮かべながら、私は黙々と手を動かす。そのとき、ふいに廊下の薄暗い中をさっと人影が横切った。
思わず顔を上げた私は、秘書室の扉を押し開いて入ってきたその姿に目を丸くする。――社長代理が、どうして?
「まだいたんだ」
帰社されたときのスーツ姿のまま現れた社長代理は、なんてことないような顔で私の前を通り過ぎる。唖然とする私に「忘れ物を取りに来ただけだよ」とばつが悪そうに微笑むと、彼はそのまま社長室へ入り、荷物を取ってすぐ戻ってきた。
もうお帰りになるのだろうと「お疲れ様です」と会釈する私を、社長代理は頷きもせずじいっと見つめてくる。それから彼は私の隣に唐突に腰を下ろすと、ずっと置きっぱなしにされていた例の週刊誌を手に取った。
(な、なんで座った? 帰らないの……?)
大混乱の私をよそに、社長代理は週刊誌をぱらぱらとめくりながら小難しい顔で首をかしげている。どうしよう。なにか声をかけた方がいいのかな。
社長代理はそのまま雑誌を冷めた眼差しで眺めていたけど、やがてゆっくりと顔を上げると、
「高階さぁ」
と、仕事中とはまったく違うどこか間延びした声で言った。
「な、なんでしょうか」
「これさ、どう思う? なんで俺が七位なのかなぁ」
社長代理が指さすページを覗き込んでみる。そういえばこの記事、イケメン高収入ハイスペ男子の人気ランキングなんだっけ。
ずらりと並んだ顔写真の中で、社長代理は確かに七位。日本中の男性の中で七位というのはすごいことだけど、この記事の中だけで見れば確かに半分より下位ではある。
「もうちょっと上でもいいと思うんだよなぁ。俺、この中なら一番若いし、顔だって負けてないと思うんだけど。……やっぱ身長? 男はどうしてもでかいほうが有利だもんな」
……意外だ。社長代理って、結構こういうの気にする方なんだ。
またひとつ素の姿を見せてもらえた気がして、私はつい顔をほころばせてしまう。社長代理みたいに何もかもを兼ね揃えているような人でも、こんな雑誌の適当な記事のランキングが気になるだなんて。
「私、社長代理を背が低い方だと思ったことはありませんよ」
「そう?」
「はい。私はヒールを履いても、いつも社長代理を見上げる形になりますし」
「まあ、高階は小柄だからね」
私と社長代理の身長差は、だいたい16、7cmくらいかな? 少し背伸びをしても重ならない程度の目線の違いが好きだから、最近はあまり高いヒールを履かないようにしているのは内緒だ。
「私がこの記事の記者だったら、絶対に社長代理を一位にします」
並んで記事を覗き込みながら、私はくすくす笑う。
そのとき、隣の社長代理がわずかに唇を開いてこちらを見つめていることに気がついた。ほんの少し目線を横へずらすだけで、間近で合ってしまう瞳と瞳。心臓が跳ねたのを悟られないように、私はぎゅっと唇を丸め込む。
社長代理は私を見つめたまま、ふっとわずかに目を細めると、
「……なあに? 俺のこと口説こうとしてる?」
と、いたずらっぽく微笑んだ。
どくん。心臓が派手に高鳴って、体温が一気に上がっていく。口説くって。口説くって! 確かに今の私の言葉は直球のアプローチに聞こえたかもしれないけど、そういうつもりは……ええと、ない、とは、言い切れない。
だって今のは私の本音だ。あのランキングには起業家とか御曹司とか、色々なイケメンが並べられていたけど、私は本当に社長代理が一番素敵だと思ったんだ。どこに出しても恥ずかしくない。あちこちに自慢して回りたい。それがうちの会社の社長代理で――私の好きな人だから。
「いや、それは、そのっ」
「あっははは、冗談だよ! そんな真っ赤になるなって、ガチっぽいじゃん」
いったい何がおかしいのか、社長代理は子どもみたいに無邪気な声で笑っている。仕事中とはまったく違う、ラフで明るい軽やかな笑顔。秘書課の先輩方が見たらきっと驚くに違いない。
ガチっぽいも何もガチなんです、なんて当然言えるはずもなくて、私は顔を真っ赤にしたままもじもじと黙り込む。ああでもこんなリアクション、それこそガチっぽくて引かれるかな。気の利いた冗談のひとつも言いたいけど、全然頭が回らない……!
「でもまあ、高階はいつも頑張ってるし、今夜は口説かれてやろうかな」
混乱の合間を縫って聞こえた耳を疑うその言葉に、私は驚きを隠すこともできずハッと瞠目して顔を上げる。
社長代理はあっさりとした、良い上司の顔で微笑むと、
「この後ヒマ? 用事がないなら、どこか良い店奢ってあげるよ」
と言って、車のキーを指にかけて見せた。
夜、静まり返った秘書室の片隅で、私はひとり書類の山と格闘していた。
手際の悪い私と違い、先輩方は大量の仕事をさくっと片づけてお帰りになった。手伝おうかと声をかけてくださる方も何人かいたけど、プライベートが忙しい皆さんに遅くまで頼るのも気が引ける。
どうせ残った仕事は雑務ばかり。お腹が空いて栄養不足の脳みそでも、やれないことはない程度のものだ。
(これが終わったら美味しいラーメン食べに行こう……)
こってりとした豚骨の香りを思い浮かべながら、私は黙々と手を動かす。そのとき、ふいに廊下の薄暗い中をさっと人影が横切った。
思わず顔を上げた私は、秘書室の扉を押し開いて入ってきたその姿に目を丸くする。――社長代理が、どうして?
「まだいたんだ」
帰社されたときのスーツ姿のまま現れた社長代理は、なんてことないような顔で私の前を通り過ぎる。唖然とする私に「忘れ物を取りに来ただけだよ」とばつが悪そうに微笑むと、彼はそのまま社長室へ入り、荷物を取ってすぐ戻ってきた。
もうお帰りになるのだろうと「お疲れ様です」と会釈する私を、社長代理は頷きもせずじいっと見つめてくる。それから彼は私の隣に唐突に腰を下ろすと、ずっと置きっぱなしにされていた例の週刊誌を手に取った。
(な、なんで座った? 帰らないの……?)
大混乱の私をよそに、社長代理は週刊誌をぱらぱらとめくりながら小難しい顔で首をかしげている。どうしよう。なにか声をかけた方がいいのかな。
社長代理はそのまま雑誌を冷めた眼差しで眺めていたけど、やがてゆっくりと顔を上げると、
「高階さぁ」
と、仕事中とはまったく違うどこか間延びした声で言った。
「な、なんでしょうか」
「これさ、どう思う? なんで俺が七位なのかなぁ」
社長代理が指さすページを覗き込んでみる。そういえばこの記事、イケメン高収入ハイスペ男子の人気ランキングなんだっけ。
ずらりと並んだ顔写真の中で、社長代理は確かに七位。日本中の男性の中で七位というのはすごいことだけど、この記事の中だけで見れば確かに半分より下位ではある。
「もうちょっと上でもいいと思うんだよなぁ。俺、この中なら一番若いし、顔だって負けてないと思うんだけど。……やっぱ身長? 男はどうしてもでかいほうが有利だもんな」
……意外だ。社長代理って、結構こういうの気にする方なんだ。
またひとつ素の姿を見せてもらえた気がして、私はつい顔をほころばせてしまう。社長代理みたいに何もかもを兼ね揃えているような人でも、こんな雑誌の適当な記事のランキングが気になるだなんて。
「私、社長代理を背が低い方だと思ったことはありませんよ」
「そう?」
「はい。私はヒールを履いても、いつも社長代理を見上げる形になりますし」
「まあ、高階は小柄だからね」
私と社長代理の身長差は、だいたい16、7cmくらいかな? 少し背伸びをしても重ならない程度の目線の違いが好きだから、最近はあまり高いヒールを履かないようにしているのは内緒だ。
「私がこの記事の記者だったら、絶対に社長代理を一位にします」
並んで記事を覗き込みながら、私はくすくす笑う。
そのとき、隣の社長代理がわずかに唇を開いてこちらを見つめていることに気がついた。ほんの少し目線を横へずらすだけで、間近で合ってしまう瞳と瞳。心臓が跳ねたのを悟られないように、私はぎゅっと唇を丸め込む。
社長代理は私を見つめたまま、ふっとわずかに目を細めると、
「……なあに? 俺のこと口説こうとしてる?」
と、いたずらっぽく微笑んだ。
どくん。心臓が派手に高鳴って、体温が一気に上がっていく。口説くって。口説くって! 確かに今の私の言葉は直球のアプローチに聞こえたかもしれないけど、そういうつもりは……ええと、ない、とは、言い切れない。
だって今のは私の本音だ。あのランキングには起業家とか御曹司とか、色々なイケメンが並べられていたけど、私は本当に社長代理が一番素敵だと思ったんだ。どこに出しても恥ずかしくない。あちこちに自慢して回りたい。それがうちの会社の社長代理で――私の好きな人だから。
「いや、それは、そのっ」
「あっははは、冗談だよ! そんな真っ赤になるなって、ガチっぽいじゃん」
いったい何がおかしいのか、社長代理は子どもみたいに無邪気な声で笑っている。仕事中とはまったく違う、ラフで明るい軽やかな笑顔。秘書課の先輩方が見たらきっと驚くに違いない。
ガチっぽいも何もガチなんです、なんて当然言えるはずもなくて、私は顔を真っ赤にしたままもじもじと黙り込む。ああでもこんなリアクション、それこそガチっぽくて引かれるかな。気の利いた冗談のひとつも言いたいけど、全然頭が回らない……!
「でもまあ、高階はいつも頑張ってるし、今夜は口説かれてやろうかな」
混乱の合間を縫って聞こえた耳を疑うその言葉に、私は驚きを隠すこともできずハッと瞠目して顔を上げる。
社長代理はあっさりとした、良い上司の顔で微笑むと、
「この後ヒマ? 用事がないなら、どこか良い店奢ってあげるよ」
と言って、車のキーを指にかけて見せた。
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