初恋カレイドスコープ

雪静

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第六章 些細な気づき

第十九話

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 考えてみれば、こんなふうに湯船につかるのは久しぶりだ。一人暮らしで仕事も忙しく、家に帰ると疲れがひどくて、お風呂にお湯を溜めるという行為がひどく億劫になっていた。

 毎日適当にシャワーを浴びて、濡れた髪のまま死んだように眠って……そうして朝がまた来るたびに、会社へ向かって仕事をこなし、へとへとになりながら家へ帰って、シャワーだけ浴びてまた眠る。

 そういう毎日の繰り返しが、いつの間にか当然になっていた。社会人なんて皆こんなもんだと、自分で自分に言い聞かせていた。

「ほら。やっぱり肩がガチガチだ」

 玲一さんのてのひらが、私の肩を撫でるように揉む。

「痛むのは頭でしょ。首と肩の凝りが原因だよ」

「……どうして、それを」

「見てればわかる。今日一日、なんか無理してるなって思ってたんだ。凛ちゃんはデスクワークが多いし、たまにパソコンにのめり込み過ぎて姿勢も悪くなってたから」

 そうだったの? 全然自覚なかったな。でも確かに、家にいるときは自分のひどい猫背っぷりに軽く引いたこともある。

「たまにはちゃんと風呂入った方がいいよ。シャワーだけじゃ身体がきちんと温まらないからね」

「……はい」

「あと、寝る前のスマホは控えること。眼精疲労が取れなくなるし、睡眠の質も落ちるからね。目の下の隈が目立つからってめちゃくちゃに厚化粧するのもやめろよ、目に余計な負担がかかるから」

「……なんでそんなことまでわかるんですか。隠しカメラとか付けてます?」

「俺にそういう趣味はないね。見られたいなら付けてあげるけど?」

 ニッと意地悪そうに言われて、私は笑ってかぶりを振る。

 なんだか本当に心地よい。あったかくて気持ちよくて、ふかふかの雲に包まれているみたい。自然と全身の力が抜けて、私は玲一さんに寄りかかり彼の首筋へ頬を寄せる。

 頭の中で鳴り響いていた騒音にも似た激しい頭痛も、いつの間にか徐々に薄れて気にならない程度になってきた。

「ちょっと……楽になってきました」

 ほかほかした吐息とともに小さな声でそう言うと、玲一さんは少し笑って、

「よかった」

 と私の額に張り付いた前髪の一筋を指で除けた。




 さて。

 まったく健全にお風呂を終えて、ほどよく温まった身体をバスローブで覆う。頭はまだ少し痛むけど、さっきまでに比べればずいぶん楽だ。

(色々気を遣ってもらった分、どうにかしてお返ししないと)

 玲一さんだって男の人だし、やっぱりそういうお楽しみがないとガッカリされてしまうだろう。

 昨日赤面しながら調べたいかがわしいあれこれを思い出しつつ、髪をきれいに乾かした私は気合を入れて部屋へと戻る。

 玲一さんは布団に潜り込み、片手でスマホをいじっている。私の姿に気がつくと、彼は布団の端を持ち上げ、入っておいでと手招きした。

「せっかく温まった身体が冷えるよ」

 どきどき高鳴る鼓動を抑え、私は布団に入り込む。人肌に温められた布団の中は心地よく、つい眠ってしまいそうになるのを、目の奥に力を入れて我慢する。

「……あの」

「ん?」

「しないんですか……?」

 ふかふかの枕に頬を埋め、片手でスマホをいじったまま、

「今日はしない」

 と、玲一さんはなんてことないような顔で言い切った。

(え、しないの?)

 軽くシーツに爪を立て、私は目を白黒させる。どうしてしないの? ここまで来たのに? もしかして私、なにか失敗した?

 冷や汗をかく私の心情をそれとなく察したのか、玲一さんはスマホを伏せると少し困った顔で微笑む。

「体調悪いときにやったって楽しくないでしょ、お互い」

「私、別に、体調は平気で」

「だから無理するなって。まだ頭痛とれてないんでしょ? ちょっと顔が引き攣ってるよ」

 ……確かにまだ少し、頭は痛むけど。さっき自分で鏡を見たときは違和感なんて全然なかったのに、この人の瞳は私の脳の中まで見抜いてしまっているのだろうか。

「最初のときにも言ったけど、俺、セフレっていうのは『普通よりちょっと仲の良い友達』だと思ってるから。普通に飯食うだけでもいいし、何にもしないで寝るだけでもいい。セックスありきの仲ってつもりじゃないからね」

「……でも」

「それとも凛ちゃんはどうしてもしたいの? たぶんガンガン揺さぶられてる途中で頭痛くなってくると思うよ」

「そ、そういうわけじゃ……」

 改めて言葉にされるとなんだか恥ずかしくなってしまい、私は視線から逃げるように枕を抱いて顔をうずめた。そんな平然とした顔で人を淫乱みたいに言わないでほしい。だいたい私をこんな風にしたのは他でもない玲一さん自身じゃないか。

 恥ずかしいやら情けないやらで頭がまた少し痛み出す。はぁ、と顔を伏せたままため息を吐いたとき、

「ほら」

 と、子どもをあやすような声が視界の外から聞こえてきた。

 顔を上げた先に見えたのは、玲一さん――の、腕。

 口角をわずかに持ち上げ、誘うように微笑む瞳。顎で自分の腕を指して、どうぞと唇が私をいざなう。……ええと、これ、まさか。

「いらない? 腕枕」

 やっぱり!!

 途端、火を吹いたみたいに赤面する私に、玲一さんは余裕の表情で「いらないなら引っ込めちゃうよ」なんて笑っている。

 いらないなんて言うわけがない。私は慌てて彼の方へにじり寄り、その二の腕にそっと頭を載せた。うわあ、近い! ちょっと顔を上げたら、玲一さんの顔がすぐ傍にある。

 普段もっと激しいことをたくさんしてきたはずなのに、こんなピュアな触れ合い方の方がよっぽど胸を高鳴らせるのが不思議だ。彼の体温を直に感じる。なんだか本当の恋人になったみたい。

 身体の体温計が壊れたみたいに、どんどん熱が上がっていく。

「じゃあ、おやすみ」

 玲一さんが優しく言うから、私も急いで目を閉じる。

 興奮で冴えた私の脳みそが、あたたかな体温でとろけていって……気づけば私は彼の腕の中で、安らかな眠りに落ちていた。
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