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第六章 些細な気づき
第二十一話
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後日、弊社ビルまでやってきたのは、二人組の若い女性記者だった。
淡いピンクでまとめられたオフィスカジュアルが目に眩しい。私もああいうの買ってみようかな。いつもパンツスーツばっかりだし。
「お会いできて光栄です、椎名社長代理」
「こちらこそ。今日はよろしくお願いします」
さっきまで社長室で「いやだ」「めんどくせえ」「全部凛ちゃんのせいだ」「後で覚えてろよ」とさんざん繰り返していた玲一さんは、今や煌びやかな若き経営者の顔で彼女たちの握手に応じている。ほーら玲一さん、記者の方々がちょっと顔なんか赤らめてるじゃない。あんまりそうやって笑顔を振りまかれると、私は複雑な気分になるんですけど。
(まあ、仕事だから仕方ないんだけどさ)
今回のインタビューは弊社スポーツクラブの宣伝を兼ねるということで、記事に載せる写真については実際にクラブで撮影することになっている。今日はまずインタビューだけ済ませて、写真はまた別日に撮影の予定だ。スポーツクラブのマネージャーは内装の準備に大わらわになっているらしい。
「では、簡単なインタビューをさせていただきますね」
記者さんたちと向かい合わせに座って、玲一さんは笑顔で応じる。私も彼の隣に腰かけ、念のために備忘録用のノートを開く。
質問の内容に真新しいものはない。一華社長から会社を引き継いだことや、お仕事への向き合い方。雑誌のターゲットが女性だからか、姉との接し方や働く女性への印象、好きな女性のタイプなんかも根掘り葉掘り聞かれている。
「姉は僕にとって母親代わりのような存在です。頼れる人ですが、同時に頭が上がらない相手でもありますね」
「弊社は女性中心で成り立っており、様々な分野で多くの女性に活躍してもらっています。生き生きと働く女性の姿はとても綺麗で魅力に溢れ、見ているだけで僕も背中を押されているような心地になります」
「恥ずかしい話ですが、好きなタイプを聞かれてもあまり浮かばないんですよね。好きになった相手の丸ごとすべてが僕の好きなタイプ、ということでよろしいでしょうか」
笑顔ですらすらと回答を述べる、玲一さんの回転の速さ。
隣で聞いているだけでほれぼれしてしまうほどスムーズだ。もちろんいくつかの質問については事前にメールで教えてもらっていたけど、話の流れで違うことを訊かれても滞りなく答えている。
それにしても、玲一さんの好きなタイプって『好きになった人が好きなタイプ』だったんだね。……私が聞きたくても聞けなかったことをずけずけと掘り下げていくものだから、正直ちょっとありがたいような、なんだか少し複雑なような……。
「では、現在『恋』はしていますか?」
にっこりと微笑んだ記者がその質問を口にした瞬間だった。
ひゅっと喉の鳴る音が聞こえて、私は思わず顔を上げる。それまでずっと余所行きの穏やかな笑顔を浮かべていた玲一さんが、ほんのわずかに――たぶん目の前の彼女たちにはわからない程度に――表情をこわばらせている。
「……そう、ですね。『恋』と呼べるかはわかりませんが」
喉の詰まったような声。
一度軽く咳払いをして、玲一さんは改めて記者の方へ向き直る。その時にはもう、さっきの一瞬が嘘みたいに、彼は元の社長代理の表情へと戻っていた。
「今の僕の目標は、姉から預かった会社をよりよくしていくことです。そういう意味では、僕は会社に『恋』をしているのかもしれません」
椎名社長代理らしいですね、と記者が微笑んでいる。
私にはわかった。
今のは嘘だ。
玲一さんは嘘を吐いた。
でも、会社に恋をしているのが嘘なら、彼が隠そうとした真実は――……
「――以上になります。貴重なお話をありがとうございました」
席を立った記者たちに合わせて、玲一さんも笑顔で頭を下げる。
オフィスを出ていく彼女たちを見送る玲一さんの背中が、いつもより少しだけ小さく見えた。
*
――現在『恋』はしていますか?
記者の声が頭の中で反響する。動きを止めた玲一さんの、ほんのわずかに引きつった顔。彼は明らかにあの質問に動揺し、言うべき言葉を見失っていた。
私の全力の告白を、勘違いだと笑顔で切り捨てた彼。そこから始まる爛れた関係――本当の恋の予行練習。
お付き合いというのはやっぱりできない、と言われた夜を思い出す。あのとき私はその理由について真剣に考えなかったけれど、それが誰かに『恋』をしているからだとしたら?
心の中にある特別な席を、彼は今でも誰かのためにずっと空けているのだとしたら?
(私の恋が結ばれることはない。……彼にとっての私はセフレで、特別な席に座らせられるような相手ではないんだから)
面と向かって振られたときより胸が苦しい。身体が重い。ああそうか、それなら納得だと、なんだかすっきりしてしまう自分と、それじゃあセフレでいても無意味じゃんと真剣に怒っている自分がいる。
「先輩?」
誰かに片想いしている相手に片想いする不毛な私。
「……先輩?」
しかも私にはその相手がどこの誰なのかもわからない。
「せんぱーい」
勝つ見込みなんて欠片も見当たらない、あまりにも無謀な恋模様。
「せ、先輩……?」
このままセフレを続けたところで、私は幸せになれるのか……?
「先輩!!」
「うわあっ!」
耳元で聞こえた大声に思い切り肩が跳ね上がる。
そしてその拍子、何か固いものにごつんとおでこをぶつけ、私はあまりの激痛にその場で小さくうずくまった。
「わあああ! 先輩! すみません!!」
大慌ての松岡くんが私の周りをバタバタと駆けまわる。蹴飛ばされそうで却って危ない。どうやら私は彼の顎か何かに額をぶつけてしまったらしい。
「ど、どうしたの、松岡くん……」
「どうしたのじゃないですよ! 自販機の前で固まったまま呼んでも全然動かないから、先輩とうとう充電切れでフリーズしたんじゃないかと思って」
「松岡くん私のことロボットか何かだと思ってるの?」
「俺にとっての先輩はいつでも美少女アンドロイドですよ!」
別に少女って年でもないし、そもそもふたつも年下の松岡くんに少女呼ばわりされるのは複雑だ。
私は押した覚えのない缶コーヒーを取り出し「驚かせてごめんね」と松岡くんに押しつける。何を飲もうとしていたのかはいつの間にか忘れてしまった。しいていうなら……お酒が飲みたい。あるいは豚骨ラーメンのスープ。
「え、いいんですか? ごちそうさまです」
「うん、苦手だったら他の人にあげて」
「いや、絶対に自分で飲みます。……それで先輩、俺からのメッセ見てくれました?」
言われて少しひやりとして、スマホのメッセージアプリを確認する。昨日の夜、松岡くんからメッセージが一件来ていたようだ。
昨夜は……ああ、玲一さんと一緒にいたんだ。玲一さんはインタビューの件を本気で根に持っていたみたいで、ベッドの上で結構な落とし前をつけさせられた結果、へとへとのへろへろになりながら帰ってすぐ寝てしまったんだっけ。
「ごめん、気づかなかった」
「いや、いいんですよ。ええと、返事だけ今聞いちゃってもいいですか?」
――明日の夜、よければ一緒に夕飯食べに行きませんか?
昨夜に『明日の夜』ってことは、つまり今夜ってことだよね? 例の如く予定なんてないし、それに丸一日メッセージ無視してしまっていた手前、ここで断るのも気が引ける。
「わかった、いいよ」
お詫びもかねて、ここは先輩として付き合わせてもらおうじゃないか。
私が言うと、松岡くんはぱあっと表情を明るくして、
「本当ですか!? 嬉しいです!」
と、そのまま抱きつきかねない勢いで喜んでくれた。
「じゃあ、帰らないで待っててくださいね。俺、秘書室まで迎えに行くんで」
「いいよ。適当に仕事して待ってるから」
「約束ですよ。絶対に帰らないでくださいね」
見えない尻尾をぶんぶん振って軽い足取りで去っていく。なんで私が約束を忘れて帰ると思っているんだろう?
なんだかよくわからないけど、喜んでくれるならまあいいか。私は彼の背中を見送り、自分の秘書室へと引き返した。
淡いピンクでまとめられたオフィスカジュアルが目に眩しい。私もああいうの買ってみようかな。いつもパンツスーツばっかりだし。
「お会いできて光栄です、椎名社長代理」
「こちらこそ。今日はよろしくお願いします」
さっきまで社長室で「いやだ」「めんどくせえ」「全部凛ちゃんのせいだ」「後で覚えてろよ」とさんざん繰り返していた玲一さんは、今や煌びやかな若き経営者の顔で彼女たちの握手に応じている。ほーら玲一さん、記者の方々がちょっと顔なんか赤らめてるじゃない。あんまりそうやって笑顔を振りまかれると、私は複雑な気分になるんですけど。
(まあ、仕事だから仕方ないんだけどさ)
今回のインタビューは弊社スポーツクラブの宣伝を兼ねるということで、記事に載せる写真については実際にクラブで撮影することになっている。今日はまずインタビューだけ済ませて、写真はまた別日に撮影の予定だ。スポーツクラブのマネージャーは内装の準備に大わらわになっているらしい。
「では、簡単なインタビューをさせていただきますね」
記者さんたちと向かい合わせに座って、玲一さんは笑顔で応じる。私も彼の隣に腰かけ、念のために備忘録用のノートを開く。
質問の内容に真新しいものはない。一華社長から会社を引き継いだことや、お仕事への向き合い方。雑誌のターゲットが女性だからか、姉との接し方や働く女性への印象、好きな女性のタイプなんかも根掘り葉掘り聞かれている。
「姉は僕にとって母親代わりのような存在です。頼れる人ですが、同時に頭が上がらない相手でもありますね」
「弊社は女性中心で成り立っており、様々な分野で多くの女性に活躍してもらっています。生き生きと働く女性の姿はとても綺麗で魅力に溢れ、見ているだけで僕も背中を押されているような心地になります」
「恥ずかしい話ですが、好きなタイプを聞かれてもあまり浮かばないんですよね。好きになった相手の丸ごとすべてが僕の好きなタイプ、ということでよろしいでしょうか」
笑顔ですらすらと回答を述べる、玲一さんの回転の速さ。
隣で聞いているだけでほれぼれしてしまうほどスムーズだ。もちろんいくつかの質問については事前にメールで教えてもらっていたけど、話の流れで違うことを訊かれても滞りなく答えている。
それにしても、玲一さんの好きなタイプって『好きになった人が好きなタイプ』だったんだね。……私が聞きたくても聞けなかったことをずけずけと掘り下げていくものだから、正直ちょっとありがたいような、なんだか少し複雑なような……。
「では、現在『恋』はしていますか?」
にっこりと微笑んだ記者がその質問を口にした瞬間だった。
ひゅっと喉の鳴る音が聞こえて、私は思わず顔を上げる。それまでずっと余所行きの穏やかな笑顔を浮かべていた玲一さんが、ほんのわずかに――たぶん目の前の彼女たちにはわからない程度に――表情をこわばらせている。
「……そう、ですね。『恋』と呼べるかはわかりませんが」
喉の詰まったような声。
一度軽く咳払いをして、玲一さんは改めて記者の方へ向き直る。その時にはもう、さっきの一瞬が嘘みたいに、彼は元の社長代理の表情へと戻っていた。
「今の僕の目標は、姉から預かった会社をよりよくしていくことです。そういう意味では、僕は会社に『恋』をしているのかもしれません」
椎名社長代理らしいですね、と記者が微笑んでいる。
私にはわかった。
今のは嘘だ。
玲一さんは嘘を吐いた。
でも、会社に恋をしているのが嘘なら、彼が隠そうとした真実は――……
「――以上になります。貴重なお話をありがとうございました」
席を立った記者たちに合わせて、玲一さんも笑顔で頭を下げる。
オフィスを出ていく彼女たちを見送る玲一さんの背中が、いつもより少しだけ小さく見えた。
*
――現在『恋』はしていますか?
記者の声が頭の中で反響する。動きを止めた玲一さんの、ほんのわずかに引きつった顔。彼は明らかにあの質問に動揺し、言うべき言葉を見失っていた。
私の全力の告白を、勘違いだと笑顔で切り捨てた彼。そこから始まる爛れた関係――本当の恋の予行練習。
お付き合いというのはやっぱりできない、と言われた夜を思い出す。あのとき私はその理由について真剣に考えなかったけれど、それが誰かに『恋』をしているからだとしたら?
心の中にある特別な席を、彼は今でも誰かのためにずっと空けているのだとしたら?
(私の恋が結ばれることはない。……彼にとっての私はセフレで、特別な席に座らせられるような相手ではないんだから)
面と向かって振られたときより胸が苦しい。身体が重い。ああそうか、それなら納得だと、なんだかすっきりしてしまう自分と、それじゃあセフレでいても無意味じゃんと真剣に怒っている自分がいる。
「先輩?」
誰かに片想いしている相手に片想いする不毛な私。
「……先輩?」
しかも私にはその相手がどこの誰なのかもわからない。
「せんぱーい」
勝つ見込みなんて欠片も見当たらない、あまりにも無謀な恋模様。
「せ、先輩……?」
このままセフレを続けたところで、私は幸せになれるのか……?
「先輩!!」
「うわあっ!」
耳元で聞こえた大声に思い切り肩が跳ね上がる。
そしてその拍子、何か固いものにごつんとおでこをぶつけ、私はあまりの激痛にその場で小さくうずくまった。
「わあああ! 先輩! すみません!!」
大慌ての松岡くんが私の周りをバタバタと駆けまわる。蹴飛ばされそうで却って危ない。どうやら私は彼の顎か何かに額をぶつけてしまったらしい。
「ど、どうしたの、松岡くん……」
「どうしたのじゃないですよ! 自販機の前で固まったまま呼んでも全然動かないから、先輩とうとう充電切れでフリーズしたんじゃないかと思って」
「松岡くん私のことロボットか何かだと思ってるの?」
「俺にとっての先輩はいつでも美少女アンドロイドですよ!」
別に少女って年でもないし、そもそもふたつも年下の松岡くんに少女呼ばわりされるのは複雑だ。
私は押した覚えのない缶コーヒーを取り出し「驚かせてごめんね」と松岡くんに押しつける。何を飲もうとしていたのかはいつの間にか忘れてしまった。しいていうなら……お酒が飲みたい。あるいは豚骨ラーメンのスープ。
「え、いいんですか? ごちそうさまです」
「うん、苦手だったら他の人にあげて」
「いや、絶対に自分で飲みます。……それで先輩、俺からのメッセ見てくれました?」
言われて少しひやりとして、スマホのメッセージアプリを確認する。昨日の夜、松岡くんからメッセージが一件来ていたようだ。
昨夜は……ああ、玲一さんと一緒にいたんだ。玲一さんはインタビューの件を本気で根に持っていたみたいで、ベッドの上で結構な落とし前をつけさせられた結果、へとへとのへろへろになりながら帰ってすぐ寝てしまったんだっけ。
「ごめん、気づかなかった」
「いや、いいんですよ。ええと、返事だけ今聞いちゃってもいいですか?」
――明日の夜、よければ一緒に夕飯食べに行きませんか?
昨夜に『明日の夜』ってことは、つまり今夜ってことだよね? 例の如く予定なんてないし、それに丸一日メッセージ無視してしまっていた手前、ここで断るのも気が引ける。
「わかった、いいよ」
お詫びもかねて、ここは先輩として付き合わせてもらおうじゃないか。
私が言うと、松岡くんはぱあっと表情を明るくして、
「本当ですか!? 嬉しいです!」
と、そのまま抱きつきかねない勢いで喜んでくれた。
「じゃあ、帰らないで待っててくださいね。俺、秘書室まで迎えに行くんで」
「いいよ。適当に仕事して待ってるから」
「約束ですよ。絶対に帰らないでくださいね」
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