初恋カレイドスコープ

雪静

文字の大きさ
39 / 50
第十一章 黄昏のバス

第三十八話

しおりを挟む



 台車を押して倉庫から戻る途中、颯太くんの姿を見かけた。何やら嬉しそうに頬を緩ませ、細身の男性と話をしている。

「あっ、凛さ、……高階先輩!」

 ぱっと花開くように微笑む颯太くんの隣で、男性が私の方を振り返り怜悧な目元をかすかに緩めた。あれは、青木副社長。下っ端にも気さくに話しかけてくるとは聞いていたけど、実際にその姿を目の当たりにしたのははじめてだ。

「……ふふ、松岡君。今の反応はちょっと露骨ではないか?」

「えっ、何がです?」

「高階君をファーストネームで呼ぼうとしていたじゃないか。それに表情も、餌を前に大喜びする子犬のように見えるがね」

 指先で眼鏡を上げた青木副社長に、颯太くんは頬を染めてはにかんでいる。やめてくださいよ、と恥ずかしそうに笑う姿には、彼から青木副社長へ向けられた確かな信頼が垣間見える。

「実は今、好きになってもらおうと頑張っている途中なんです」

 強気に微笑む颯太くんに、私はなんだかいたたまれない気持ちになって深くうつむいてしまった。確かに私たち、今は一応『お付き合いのお試し期間』をしている最中だけど。

 食事をしたり、休日に出かけたり……一緒の時間を過ごす中で、明らかにその先へ進みたそうな熱っぽい彼の眼差しに、私は未だ、はっきりした答えを出せずにいる。

「眩しい若さだね」

 青木副社長は茶化すわけでもなく、本当に穏やかに目を細めている。いつも厳しく仕事をしているイメージが強かったから、その表情の柔らかさには良い意味で少し驚いた。

 私がまじまじと顔を見つめていることに気づいたのか、青木副社長は私の方へゆっくり身体ごと向き直る。少し身構えた私に、青木副社長はあくまでも落ち着いた声で、

「高階君」

 と語り聞かせるように口を開いた。

「松岡君は大変優秀で、営業課時代の君に勝るとも劣らない成果をあげている。我が社における新進気鋭の逸材と言ってもいいだろう」

「……はい」

「私も彼のことは前々から注目していてね。今度の私主導の企画でも、先頭に立って働いてもらおうかと考えているところなんだ」

 青木副社長主導の企画? そんな予定あっただろうか。

 訝しく思う私の方へ一歩、すり寄るように足を進め、

「見た目だけが取り柄の軽薄なボンボンより、私は彼をおすすめするよ」

 副社長は囁くような声で、私の耳元でそう笑った。

 背筋にひやりとしたものが走る。思わず睨むように見上げてしまった私の視線を、青木副社長は眉ひとつ動かさず静かな笑顔で受け流す。

「社長代理ってボンボンなんですか?」

「彼の父親は不動産会社の経営者、母親はどこぞの社長令嬢。そして姉は知っての通り、あのじゃじゃ馬の女社長だね。金ばかりは潤沢な家で育ったために、鼻持ちならない人格が形成されてしまったらしく、幼い頃から敵は多かったようだ。昨今、幼少期の写真が拡散されているのも、おそらくそのせいなのだろう」

「へえ、そうなんですか」

「長じてからは女性関係の噂がとにかくよく目立つ。今表に出ている告発以外にも、彼に物申したい女性がまだ数名控えているらしい。まったく、姉弟揃ってしもが緩くて困ったものだ」

 ……不安になる嫌な笑顔だ。温和なのに冷徹で、人の醜聞を愉しんでいるように見える。

 颯太くんのほうは平然としたもので「嫌な奴ですね」なんて素直に憤っている。彼の場合は私のせいで社長代理に変な反感を持っているから、そのせいかもしれないけれど。

「……そのお話、どこで聞かれたんです?」

 私が静かに訊ねると、

「知りたいかい?」

 と言って、青木副社長は口角を上げた。

 そのとき、副社長と颯太くんが揃ってぱっと顔を上げた。遅れて振り返った私は、秘書もつけずに一人で歩く社長代理の姿に息を呑む。

 社長代理はいつもの仕事中らしい冷めた瞳に、いくばくかの炎をたぎらせてこちらをじっと見据えている。その足先は寸分たがわず私たちの方へと向けられていて――足の竦んだ私の前へ、立ちふさがるように颯太くんが進む。

「楽しそうな話だな」

 社長代理は薄く笑って、男性二人の顔を見ながら言った。

「カートランド社のファッション誌に俺の顔が載った時点で、いずれ誰かが昔の写真を面白半分に流す予想はしていた。事実無根の告発については相応の対応を進めている」

「…………」

「俺への個人攻撃について、社員が心配することは何もない。俺は誹謗中傷には屈しないし、そもそもこんな侮辱程度で落ち込むほど弱くもない。なにせ、慣れているからね」

 視線が横へスライドして、青木副社長の険しい顔を捉える。

「で? 話の出所について、教えてくれるんじゃなかったの?」

 青木副社長は眼鏡の奥の瞳に静かな敵意を滾らせていたけど、それを誤魔化すようにふぅと細く吐息を吐いた。

「……プライベートな話ですから。控えさせていただきます」

「そう? 遠慮しなくていいのに」

「……ふふ。そうですか。では、お言葉に甘えて、ひとつお訊ねしてもよろしいでしょうか」

 眉を上げた社長代理に、青木副社長は笑みを深める。

「社長代理は水が苦手で、泳げないというのは本当ですか?」

 社長代理の猫の瞳に、一瞬だけ動揺が映る。

 まるで勝利を確信したみたく、青木副社長がニィと笑った。そのとき、

「すみません、青木副社長。お客様から至急のお電話です」

 青木副社長担当の秘書が、慌てた様子で駆けてくる。副社長はすぐさま仕事中の顔へ戻ると「すぐに行く」と告げて、私たちに背を向け歩き出した。

 颯太くんは私を背中に庇ったまま、威嚇するように目を怒らせて社長代理を睨んでいる。社長代理は青木副社長の背中を、感情の読めない鋭い瞳でただ静かに見つめている。

「……すみません、社長代理」

 震える声で呟く私に、社長代理は笑いもしないまま、

「高階は何も悪くないよ」

 と、短く言って背を向けた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

苦手な冷徹専務が義兄になったかと思ったら極あま顔で迫ってくるんですが、なんででしょう?~偽家族恋愛~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「こちら、再婚相手の息子の仁さん」 母に紹介され、なにかの間違いだと思った。 だってそこにいたのは、私が敵視している専務だったから。 それだけでもかなりな不安案件なのに。 私の住んでいるマンションに下着泥が出た話題から、さらに。 「そうだ、仁のマンションに引っ越せばいい」 なーんて義父になる人が言い出して。 結局、反対できないまま専務と同居する羽目に。 前途多難な同居生活。 相変わらず専務はなに考えているかわからない。 ……かと思えば。 「兄妹ならするだろ、これくらい」 当たり前のように落とされる、額へのキス。 いったい、どうなってんのー!? 三ツ森涼夏  24歳 大手菓子メーカー『おろち製菓』営業戦略部勤務 背が低く、振り返ったら忘れられるくらい、特徴のない顔がコンプレックス。 小1の時に両親が離婚して以来、母親を支えてきた頑張り屋さん。 たまにその頑張りが空回りすることも? 恋愛、苦手というより、嫌い。 淋しい、をちゃんと言えずにきた人。 × 八雲仁 30歳 大手菓子メーカー『おろち製菓』専務 背が高く、眼鏡のイケメン。 ただし、いつも無表情。 集中すると周りが見えなくなる。 そのことで周囲には誤解を与えがちだが、弁明する気はない。 小さい頃に母親が他界し、それ以来、ひとりで淋しさを抱えてきた人。 ふたりはちゃんと義兄妹になれるのか、それとも……!? ***** 千里専務のその後→『絶対零度の、ハーフ御曹司の愛ブルーの瞳をゲーヲタの私に溶かせとか言っています?……』 ***** 表紙画像 湯弐様 pixiv ID3989101

橘若頭と怖がり姫

真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。 その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。 高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。

結婚直後にとある理由で離婚を申し出ましたが、 別れてくれないどころか次期社長の同期に執着されて愛されています

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「結婚したらこっちのもんだ。 絶対に離婚届に判なんて押さないからな」 既婚マウントにキレて勢いで同期の紘希と結婚した純華。 まあ、悪い人ではないし、などと脳天気にかまえていたが。 紘希が我が社の御曹司だと知って、事態は一転! 純華の誰にも言えない事情で、紘希は絶対に結婚してはいけない相手だった。 離婚を申し出るが、紘希は取り合ってくれない。 それどころか紘希に溺愛され、惹かれていく。 このままでは紘希の弱点になる。 わかっているけれど……。 瑞木純華 みずきすみか 28 イベントデザイン部係長 姉御肌で面倒見がいいのが、長所であり弱点 おかげで、いつも多数の仕事を抱えがち 後輩女子からは慕われるが、男性とは縁がない 恋に関しては夢見がち × 矢崎紘希 やざきひろき 28 営業部課長 一般社員に擬態してるが、会長は母方の祖父で次期社長 サバサバした爽やかくん 実体は押しが強くて粘着質 秘密を抱えたまま、あなたを好きになっていいですか……?

ケダモノ、148円ナリ

菱沼あゆ
恋愛
 ケダモノを148円で買いました――。   「結婚するんだ」  大好きな従兄の顕人の結婚に衝撃を受けた明日実は、たまたま、そこに居たイケメンを捕まえ、 「私っ、この方と結婚するんですっ!」 と言ってしまう。  ところが、そのイケメン、貴継は、かつて道で出会ったケダモノだった。  貴継は、顕人にすべてをバラすと明日実を脅し、ちゃっかり、明日実の家に居座ってしまうのだが――。

腹黒上司が実は激甘だった件について。

あさの紅茶
恋愛
私の上司、坪内さん。 彼はヤバいです。 サラサラヘアに甘いマスクで笑った顔はまさに王子様。 まわりからキャーキャー言われてるけど、仕事中の彼は腹黒悪魔だよ。 本当に厳しいんだから。 ことごとく女子を振って泣かせてきたくせに、ここにきて何故か私のことを好きだと言う。 マジで? 意味不明なんだけど。 めっちゃ意地悪なのに、かいま見える優しさにいつしか胸がぎゅっとなってしまうようになった。 素直に甘えたいとさえ思った。 だけど、私はその想いに応えられないよ。 どうしたらいいかわからない…。 ********** この作品は、他のサイトにも掲載しています。

恋は襟を正してから-鬼上司の不器用な愛-

プリオネ
恋愛
 せっかくホワイト企業に転職したのに、配属先は「漆黒」と噂される第一営業所だった芦尾梨子。待ち受けていたのは、大勢の前で怒鳴りつけてくるような鬼上司、獄谷衿。だが梨子には、前職で培ったパワハラ耐性と、ある"処世術"があった。2つの武器を手に、梨子は彼の厳しい指導にもたくましく食らいついていった。  ある日、梨子は獄谷に叱責された直後に彼自身のミスに気付く。助け舟を出すも、まさかのダブルミスで恥の上塗りをさせてしまう。責任を感じる梨子だったが、獄谷は意外な反応を見せた。そしてそれを境に、彼の態度が柔らかくなり始める。その不器用すぎるアプローチに、梨子も次第に惹かれていくのであった──。  恋心を隠してるけど全部滲み出ちゃってる系鬼上司と、全部気付いてるけど部下として接する新入社員が織りなす、じれじれオフィスラブ。

エリート御曹司は傷心の彼女に溢れる深愛を甘く刻み込む

松本ユミ
恋愛
旧題:君に捧げる一途な愛~御曹司は傷ついた彼女を守りたい~ 木下志乃は付き合っていた彼氏を妹に奪われた過去があり、恋愛に消極的になっていた。 ある日、志乃と同じ会社で働いている無口で堅物と言われている経理部課長の小笠原政宗と知り合う。 いろんな偶然が重なり、一緒に過ごす機会が増えた志乃と政宗。 次第に政宗のことが気になり始めるけど、元カレの裏切り行為に心に傷を負った志乃はどうしても一歩踏み出せずにいた。 そんな志乃を「誰よりも大切にする」と言って政宗は一途な愛で包み込み、二人の距離は縮まっていく。 だけど、ひょんなことから政宗がとある会社の御曹司だと知った志乃。 政宗本人からそのことを聞かされていない志乃はショックを受けてーーー。

処理中です...