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五月 万の店の仕事
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襖を開いた先から漂ってくるのは煙たさであった。
何か香でも焚いているのか。煙草の煙たさにまじって複雑怪奇な味わいと変じた薄白煙がとろりと流れ出してくるではないか。
見るからに健康被害がありそうな部屋である。かつて上海や香港にあったとされる阿片窟を彷彿とさせる有様である。
もしや本当にそういった薬剤が投与されているのではないか? と疑ってしまうのはここが古びた建物だからであろう。
九龍城のような風情すら感じさせるこの建物の中でこの部屋、あからさますぎるではないか。
などとそんなことを想ってはいるが、やはり伊津野さんの知り合いである。まさかそのような非合法な場所ではあるまい。
彼女は良識ある常識的な人物である。反社会的勢力となどつながりはないであろう。
これはわたしの偏見であろうか。
もしこれで予想通りの展開になんぞなってしまえば、わたしは人間不信をこじらせ、筆をおいてしまうに違いない。
意を決し、一歩を踏みしめる。
不思議なことに中に入ってしまえば、煙たいという印象は消え失せたのである。
それはそこにいる御仁の不可思議な魔力か妖気のせいかもしれなかった。
そこにいたのは一人の古めかしい着物を着た男性である。
艶やかな黒髪を無造作に流し、骨董品に思える眼鏡の奥に存在するどこか憂いを帯びた紫紺の瞳がどことなく虚空へと向いていた。
それだけでもう神秘的に過ぎる。
まるで江戸時代などに描かれた水彩画から抜けだしてきたかのような美男子であった。
部屋に充満した煙というのは彼が吐き出す煙管の煙のようであった。
「まさか、キミが男を連れてくるだなんて、明日は槍でも降るかもしれないね」
「その時は危ないですね。盾を持ち歩かなければなりません」
「冗談さ、本気にするものじゃないよ」
立ち尽くすわたしをよそに伊津野さんは早々に中に入り、座布団を用意し長椅子に寝転ぶこの店の主人らしき男性の前に座っている。
用意されている座布団はもうひとつ。わたしの席であろう。
しかし、本当にその席に座ってよいのだろうか。座ることで何か逃げられないことに巻き込まれやしないか。
そう思索するものの、ここまで来てしまって引き返すという案はもうないのである。
「さあ、座るといい。伊津野のお客さんだ。悪いことはしないから」
「は、はあ……」
そう優し気に声をかけられてしまえば、わたしに断ることなど出来やしない。
言われるままに座布団に座る。
「おぉ……」
柔らかな座布団であった。今まで座ったことのない柔らかな座布団であった。
これが人を駄目にする座布団か。こんなものが部屋にあったのなら、わたしは一生座ったままであろう。
それくらいには極楽な心地であった。
「さて、伊津野が連れてきたということはボクに用があるのか、あるいは何か問題に巻き込まれたかだ。おそらくは後者だろうね」
流石の慧眼と言うべきか、わたしの惨状を言い当てたのは、伊津野さんが時折、こうしているからなのか判断がつかない。
どちらにせよ、わたしに出来ることは事の成り行きを見守ることである。
「はい。妖魔に襲われていたところをお助けしました」
「キミが人間を助けるなんて珍しい」
「私とて人間です。妖怪あやかしの領分の出来事に必要以上に手は出しませんが、知り合いを助けるくらいはします」
「ほう……」
伊津野さんの説明に、どこか感心したように店主がわたしに視線を移す。
値踏みしているような視線にわたしは肩身が狭くなる。
わたしの内面全てを見透かしているかのような深い紫紺の瞳は美しく妖しかった。
何か香でも焚いているのか。煙草の煙たさにまじって複雑怪奇な味わいと変じた薄白煙がとろりと流れ出してくるではないか。
見るからに健康被害がありそうな部屋である。かつて上海や香港にあったとされる阿片窟を彷彿とさせる有様である。
もしや本当にそういった薬剤が投与されているのではないか? と疑ってしまうのはここが古びた建物だからであろう。
九龍城のような風情すら感じさせるこの建物の中でこの部屋、あからさますぎるではないか。
などとそんなことを想ってはいるが、やはり伊津野さんの知り合いである。まさかそのような非合法な場所ではあるまい。
彼女は良識ある常識的な人物である。反社会的勢力となどつながりはないであろう。
これはわたしの偏見であろうか。
もしこれで予想通りの展開になんぞなってしまえば、わたしは人間不信をこじらせ、筆をおいてしまうに違いない。
意を決し、一歩を踏みしめる。
不思議なことに中に入ってしまえば、煙たいという印象は消え失せたのである。
それはそこにいる御仁の不可思議な魔力か妖気のせいかもしれなかった。
そこにいたのは一人の古めかしい着物を着た男性である。
艶やかな黒髪を無造作に流し、骨董品に思える眼鏡の奥に存在するどこか憂いを帯びた紫紺の瞳がどことなく虚空へと向いていた。
それだけでもう神秘的に過ぎる。
まるで江戸時代などに描かれた水彩画から抜けだしてきたかのような美男子であった。
部屋に充満した煙というのは彼が吐き出す煙管の煙のようであった。
「まさか、キミが男を連れてくるだなんて、明日は槍でも降るかもしれないね」
「その時は危ないですね。盾を持ち歩かなければなりません」
「冗談さ、本気にするものじゃないよ」
立ち尽くすわたしをよそに伊津野さんは早々に中に入り、座布団を用意し長椅子に寝転ぶこの店の主人らしき男性の前に座っている。
用意されている座布団はもうひとつ。わたしの席であろう。
しかし、本当にその席に座ってよいのだろうか。座ることで何か逃げられないことに巻き込まれやしないか。
そう思索するものの、ここまで来てしまって引き返すという案はもうないのである。
「さあ、座るといい。伊津野のお客さんだ。悪いことはしないから」
「は、はあ……」
そう優し気に声をかけられてしまえば、わたしに断ることなど出来やしない。
言われるままに座布団に座る。
「おぉ……」
柔らかな座布団であった。今まで座ったことのない柔らかな座布団であった。
これが人を駄目にする座布団か。こんなものが部屋にあったのなら、わたしは一生座ったままであろう。
それくらいには極楽な心地であった。
「さて、伊津野が連れてきたということはボクに用があるのか、あるいは何か問題に巻き込まれたかだ。おそらくは後者だろうね」
流石の慧眼と言うべきか、わたしの惨状を言い当てたのは、伊津野さんが時折、こうしているからなのか判断がつかない。
どちらにせよ、わたしに出来ることは事の成り行きを見守ることである。
「はい。妖魔に襲われていたところをお助けしました」
「キミが人間を助けるなんて珍しい」
「私とて人間です。妖怪あやかしの領分の出来事に必要以上に手は出しませんが、知り合いを助けるくらいはします」
「ほう……」
伊津野さんの説明に、どこか感心したように店主がわたしに視線を移す。
値踏みしているような視線にわたしは肩身が狭くなる。
わたしの内面全てを見透かしているかのような深い紫紺の瞳は美しく妖しかった。
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