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第一章
op.8『羨ましいです』
しおりを挟む楽譜が配られると同時に、その日の放課後、東京アルモニア国際音楽祭に参加する選抜メンバーの正式発表があった。
Aオーケストラの中でも少数精鋭となるので、数人はメンバーから落とされる。
今日は和沙がレッスンで午後から不在だったので、光と達哉と委員長の三人でAホールの前の掲示板を見に来たのだが、その掲示板の前に人だかりができていた。それを見て委員長が眉を寄せる。
「……なんかもめてる?」
「なにをもめることがあるかね。選抜メンバーなんて、内々に決まってるようなモンだったじゃん」
達哉がスタスタと歩いて、掲示板を覗き込んだ。
曲名の下に、自分の名前があった。指揮 坂口達哉―――
「読んで読んで」
クイクイと光から服をひっぱられて達哉が苦笑する。
「指揮、坂口達哉 ピアノ、藤宮和沙 コンサートマスター、日高康之、カバン持ち、藤宮光」
「かばんもち!!」
光がびっくりして声を上げる。達哉が吹き出した。
「あ、読み間違った。男声アルトだ」
「どう読み間違ったらそうなるんだよ」
達哉の言うとおり、ほぼほぼ前評判通りのメンバーなのだろう。委員長が首を傾げた。
「しかし、なんでこの騒ぎなんだ」
「ね……あら……倉田の代わりに、陽太がフルートにいる」
「え」
光が達哉を見上げる。倉田は、ずっとAオーケストラの主要メンバーだった。
「へー……それでか」
光が呟いた。見えないけれど、不穏な空気は感じる。
「あとはまぁ、いつものメンバーだなぁ」
「入れ替えがあるのは仕方ないことだけどな……けどなんでだろ」
委員長が小声で呟き、達哉が答えた。
「倉田この前のコンクール、とれなかったらしいから、それじゃない?」
「……あー……」
技能学校なので、競争があるのは仕方がない。光だって、いつBオケに落ちるか分からないのだ。
「おれもがんばろ。歌」
「ふ。おまえと交代できる奴はいないよ」
「わかんないよ」
光が襟を正したときに、背後のざわめきから倉田の声が聞こえた。
「なんでだよ。見えないやつがソリストできるのに。目ぇ見えないからって、可哀想だからって優遇されすぎだろ」
***********************************************
その声に、光の両サイドにいた達哉と委員長がゆっくりと振り向いた。
光は振り向かなかった。ただ一度だけ瞬きをして、達哉と委員長に数秒遅れてゆっくり俯いた。
「……」
自分のことだ……
おれは聞かないふりを、聞こえないふりをしなきゃいけない。そう思って気持ちを切り替える。
こういうときはいつも、そうしてきた。
達哉と委員長が悲しんでくれるから。
平気なフリをしなきゃいけない、いつものように。
俯いている場合じゃないのに―――
コツ、と革靴が動く音がした。委員長が動いたのを感じて、光が慌てて委員長の袖を掴む。
「委員長だめ」
だけど、反対側の達哉の動きを止めることは出来なかった。他人の痛みにはいつも反射的に飛び込む達哉だ。昼間の件も忘れてはいない。達哉はものも言わずに倉田に殴りかかっていた。
「達っちゃん!」
委員長の声と、周りの悲鳴と、なにかが倒れる音。光に分かるのはそれだけだ。
「達哉」
手を伸ばす光を後ろから捕まえて委員長が廊下の端にやる。
「大丈夫。光ちゃんここにいて。―――達っちゃんやめろ」
委員長が倉田と達哉を引き離した。
「……っざけんな」
低い達哉の声に、倉田が口元の血を拳で拭った。
「ほんとのことだろ。こいつが『可哀想』なのは。別にみんな言わないけど」
「光は可哀想なんかじゃない!」
達哉が強く言い切って、倉田を睨みあげ、嗤った。
「ちょうどよかったじゃねーか倉田。おまえ昼間、『Seele』の楽譜弾けないってギャーギャー言ってたもんな。選抜チーム選ばれなくてよかったな。大体、コンチェルトなのに入れないって、どんだけ下手だよ。何人選ばれると思ってんだ。それでもフルート主席か」
「!」
「倉田待て!」
気色ばんだ倉田を止める周囲の声と、ひときわ大きな音がする中に光が割って入った。
「達哉! 倉田!」
目が見えない光が近くにいることで、達哉も倉田も動きを封じられる。倉田がいまいましそうに光の肩を掴みあげた。
「いっ……」
襟元を掴みあげられる。
「やめ……触るな」
光が怯えて躯をひねった。
目が見えない光にとって、突然誰かに躯を触られるのは恐ろしかった。普段高凌でそんな行為はされなかったから、ひと際恐怖だった。
達哉が倉田の手を掴みあげる。
「触るな」
倉田が気まずく手を放す。障碍者に対してこれはよくなかったと、自分でも気づいてバツの悪い顔をし、そのせいでますます言葉はきつくなった。
「なにをされても見えないくせに、いちいちうざいんだよおまえ。だいたいそんな目で生まれるだなんて、前世でなにかしたんじゃねーの」
あまりの言葉に、達哉も委員長も、光自身も反応できなかった。
三秒もおいてから、達哉と委員長が、声を揃えた。
「ふざけんな!!」
「達哉! 委員長!」
悲鳴のような声を上げて、光が二人の腕を掴む。
見えない目で、光が倉田を睨みあげた。
「……可哀想じゃない、おれは。みんながいてくれるから」
「じゃ、目見える奴のこと羨ましくないわけ?」
委員長と達哉の顔から、血の気が引いた。
喧嘩どころではなくなった。唇が震え、声が出なくなる。
なんて残酷なことを言わせるのだろう。光が、視覚障碍者が、見える人間を羨ましいと思うことなど、当たり前すぎて、そんなこと―――
光は光で、びっくりした顔だったが、やがて小さく笑った。
初めて『羨ましいか』と訊かれた。
「……うらやましいよ。うらやましいです」
初めて『羨ましい』と言わされた。
ずっと、決してそんなふうには思わせないようにと守られてきた。
和沙が、
達哉が、
委員長が、
高凌学院のみんなが封印してきた思いだ。
「ほ……ほらみろ、おまえだって、見えるようになりたいって思ってるんだろ!? 可哀想じゃん! 見えるようになりたいだろ?」
「……」
光は、見えるようになりたいですとは一度も言わなかった。
「……ちゃんと、ひとりで出来るように、なりたいです……」
光がそこまで言ったとき、達哉が我に返った。
気絶しそうなくらい沸騰した頭で、やっと、今自分がすべきことに気付く。光の腕を引いて、その場を離れようとした。
が、光が動かなかった。光は達哉の腕を掴んで、笑った。
「達哉、ありがとう、大丈夫。……倉田、おれも頑張るよ。贔屓されてるって思われないように立派に歌えるように練習する。だからそういうことは、言わないで。おれの音楽で、なにか不満あったら直接言っていいから」
「……」
倉田はもうなにも言わず、背を向けてしまった。友人たちが慌ててその背を追いかける。全員いなくなってから、委員長が光の顔を覗き込んだ。
「光ちゃん大丈夫か?」
あんなことを、言われて。そう思ったが、光は達哉の腕を掴んだままで答えた。
「達哉が大丈夫じゃない」
その答えがあまりにも光らしくて、達哉がふにゃりと情けない顔を見せた。
「……大丈夫だよ」
光の髪をぐしゃぐしゃにする。光は達哉の顔をぺたぺた触って、表情を探した。
「にこってして」
達哉のへの字口を不安がって、そう言うから、達哉が
「にー!」
大げさに頬の筋肉を動かして笑顔を見せる。けれど、そこに大粒の涙が転がった。
「……達哉……」
悔しかった。守れなかった。
目が見えない光にとって、大きな音がどれだけ怖いか考えたことがあるのだろうか。
勝手に躯に触られて押さえられるのがどれだけ怖いか、考えつかないのだろうか。
『うらやましいです。ちゃんと、ひとりで出来るように、なりたいです』
なんてこと、なんてことを言わせるんだ……!
ポロポロポロポロ落ちる涙を、光が一生懸命拭くけれど。
「……達哉……」
目が見えない自分では、なにもできない。ただ、両手を伸ばした。
「……ごめんね達哉……ありがとう」
「違う」
「ごめん……」
「違う!」
達哉が本気で怒った。
「教えただろ!? 悲しいときは悲しいって言うこと! 絶対だ!!」
光は一瞬黙り込み―――それでも悲しいとは言わなかった。
「悲しくないよ。おれが自分のことを可哀想だと思わなくて済んだのは、達哉がいたからだ。おれにもできることを、たくさんみつけてくれるから。おれのことちゃんと、一人前に見てくれるから」
「……」
「おれは可哀想な子にはならない。絶対に」
達哉がいるから。
怒り狂った達哉の顔を遠慮会釈なく触って静かにそう言う光と、歯を食いしばって涙をこぼす達哉を交互に見て、委員長が肩を落とす。
「ごめんね光ちゃん。嫌な思いさせて」
光を引きずってでもさっさとこの場を離れていればよかった。後悔で死にそうな委員長のその声に、達哉が我に返る。
「……ごめん、大声―――怖かったな」
見えない光の前で、あんな大声を。それを聞いて光がにっこり笑った。
「ぜんぜんよー」
言うけれど、笑顔は、消えてしまった。
「……歌の練習、頑張る。絶対誰にも文句言わせない」
光が強く言う。
達哉と委員長は、見えない光の前で死ぬほど情けない顔をして涙をこらえた。
「―――うん。うん。倉田なんか、音楽で黙らせてやれ」
「ふふ。帰ろ、もう和沙も東京駅着くから」
「たまには出迎えに行くか」
歩き出す。
光が、ほんの少し目線を落とした。
「……もし目が見えるようになったら、おれ、達哉と委員長と和沙の顔が見たい」
伏せた睫毛が、頬に影を落とす。達哉が唇をかんだ。
「……イケメンでびっくりするぞ」
「和沙が?」
「! どこまでポジティブなんだおまえは!」
あははと光が声をあげて笑い、達哉と委員長が顔を見合わせて、やっと笑った。
光は最後まで、自分の目のことで不平不満を言わなかった。
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