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20. 前向きなマリオ③
しおりを挟むタロンからもらった初めてのプレゼント。サイン入りの、腑抜けども本。母国を去り、もう徴税官ではないのだから、気にせず受け取っていいらしい。
「賄賂じゃなくて、おもてなしですよ」
タロンはそう言って、色んなものを買ってくれる。リヒトヘルレン王国までにある国の、様々な市場や店で、リオが気に入ったものを、めざとく察して買ってくれる。
「空色のスカーフですか。いいですね。似合いますよ。はい、どうぞ」
モタモタしていたら、フワッと首に巻いてくれた。
「麦わら帽子、旅行にピッタリです。いいじゃないですか。日差しが防げるし、昼寝するときに顔に置けば寝顔を隠せますよ」
タロンがリオの頭に麦わら帽子をかぶせてくれる。リオの短い髪の毛が、帽子ですっかり隠れた。
「お、指輪ですね。ああ、これはあれだ。指輪にもできるし、耳につけてもいい。お得ですよ。え、耳飾りをつけたことがない? ああ、大丈夫。これは耳に穴が開いてなくても、耳の軟骨辺りにはさめばいいんですよ」
タロンが固さを調整し、耳の上部にはめてくれた。
「痛くないですか? うん、いいですね。うん、すごくいい」
「ありがとうございます。なんだか、買ってもらってばっかりです」
「何をおっしゃいますやら。今まで何もプレゼントできてませんでしたからね。まだまだ、こんなもんじゃ、まったく足りていませんよ。この指輪、耳にも飾れますし、たくさん買っておきましょう」
リオの耳と指が、急に華やかになった。小さな青い石がついた、シンプルな指輪。いつまで見ていても飽きない。
「リヒトヘルレン王国に着いたら、いっぱい楽しいことをしましょうね。仕事はしばらくお預けです」
「楽しみだなあ」
リオはしみじみと言った。タロンが笑う。リオが楽しそうにしていると、タロンは嬉しそう。なんて、いい人なんだろう。
タロンが持っていた通行証や小売り許可証。徴税官の仕事上、色んな証明書を見てきたけれど。あれはかなり効力が強い。リヒトヘルレン王国の上層部、おそらく王族に限りなく近いところが出したものだ。タロンはきっと、ただの商人ではないんだろう。なんとなく、分かっていた。直観が確信に近づいたのは、怪しい商人たちの証明書の写しをこっそり見たときだ。彼らも似たような、ちゃんとしたものを持っていた。
「でも、タロンさんはちっとも怖くない」
リオは、タロンに聞こえないよう、空色のスカーフの中でつぶやく。
「だって、カナリアたちは、タロンさんにはびくつかない」
だから、きっと大丈夫。タロンさんは、いい人。いつか、本当のことを話してくれる。
「そもそも、私だって肝心なことは言ってない」
リオは男ではない。それを、タロンは知っているのだろうか。どうだろう。知らなかったとしたら、どうしよう。いつ、どのように伝えればいいかな。徴税のことなら、いくらでも高速に回転するリオの頭は、秘密をどうするかについてはうまく回らない。
そして、方針が定まらないまま、リヒトヘルレン王国の王都に着いた。
「人が多いですね。今日は特別な大市が開かれているのですか?」
「いえ、いつもこんな感じです。治安はいいですが、ひとり歩きはやめてください。俺がいれば、いつでも一緒に行きます。俺がいなければ、必ず誰かに声をかけてください」
「分かりました」
母国では放置気味にされていたリオ。タロンの心配そうな口調は、過保護に感じる。でも、それが心地よい。誰かに守られているのって、いいものだ。初めてくる異国の地なのに、リオは安心感に包まれる。タロンといるときは、子どもに戻った気分になる。十歳のときからなにかと世話してもらったからだろうか。一緒に住んでいた両親には感じなかったのに。
「ここがギデオン閣下のお屋敷だ」
「お城みたい」
こんなところに、これから住む? 本当に? 呆然としながら案内された客間には、とんでもない美人がいた。
「いらっしゃいませ。お待ちしていましたよ、マリオさん。私はジョーリーン。ギデオン様の妻と秘書を兼務しておりますの。ホホホ」
この人が、あのジョーリーン様。英雄ギデオンを手の平の上で転がしつつ、見事な伝記をまとめ上げ、腑抜けどもを世に出した女傑。こんな美しい人だったなんて。
「ジョーリーン様、大ファンです。握手してください。ジョーリーン様とひとつ屋根の下で暮らせると聞き、リヒトヘルレン王国に来ることを即決しました。大好きです」
「ええー、あらまあ、かわいらしい人ね。フフフ」
「うわー、リオ坊ちゃんって、ジョーさんのファンだったんですか。てっきりギデオン閣下のファンだと思っていました」
タロンが少し大きな声を出した。
「もちろん、ギデオン閣下のファンです。でも、ジョーリーン様の名前が、共著者として本に載っているのを見て、本当に驚いたんです。女性でも、本を書けるんだって。母国では、作家は男性ばかりです」
「ホホホ。ギデオン様のあっちやこっちに寄り道して、迷子になって、五里霧中な自慢話を収拾するの、大変だったわあ。本に名前ぐらい載せてもらえないと、やってられませんわあ。そう言ったら、共著ということになりましたのよ。言ってみるものですわ。ホホホ」
「かっこいいです。憧れます」
「まあ、嬉しいわ。ありがとう」
「ああ、だから旅の間によくジョーさんのことを聞いてこられたんですね」
タロンが、小さな声で「さすがジョーさん。老若男女、手あたり次第」とつぶやく。そんなタロンをチラッとにらみ、ジョーリーンが人差し指を立てる。
「タロンはちゃんと私のことを褒めちぎっていたかしら?」
「はい、すご腕だ。色んな意味で歯が立たないって。タロンさんにそこまで言われる女性ってどんな方なのかなーって想像していました」
ジョーリーンが満足そうな笑みを浮かべる。
「想像通りだったかしら?」
「想像以上に素敵で驚きました。ジョーリーン様に弟子入りしたいです」
「よろしくてよ。なんでも教えてあげてよ。とはいえ、私がリオさんに教えられることなんてあるかしら? 私、機転は利きますけれど、数字とか税金のことならリオさんの足元には及ばないと思うわ」
「大丈夫です。問題ありません。弟子にしてください」
「分かりました。弟子として認めましょう。大船に乗った気持ちで、我が家にいらっしゃい」
「はい」
リオは天にも上る心地だ。足元がフワフワする。
「リオ坊ちゃんにこんな一面があるとは。ああ、驚いた」
タロンはしきりに言っている。
「では、今から屋敷の中を案内するわね。会わせたい人もいるのよ。ジョーリーン様は呼びにくいでしょうから、ジョーさんでよくってよ」
「はい、ジョーさん。私のことは、リオとお呼びください」
リオはジョーに案内され、広い屋敷を見て回った。私室には好きな部屋を選んでいいと言われたので、本がたくさん置いてある部屋にさせてもらった。図書室からいくらでも本を取ってきて、私室で読んでいいと言われ、足取りがどんどん軽くなる。
「さあ、ここがギデオン閣下の書斎よ。今は腑抜けどもの続巻を準備されているの」
書斎の中には、視線の鋭い白髪の老人と、若い男女。
「ギデオン様、リオさんがいらっしゃいました」
「おお、よく来た。そなたはワシの遠縁ということになっている。苦しゅうない。屋敷では自由奔放に過ごすがよいぞ」
「はい、ありがとうございます」
「こちらは、オーウェンとウェンディ。ふたりとも絵が上手なの。続編の挿絵を描いてもらっていたところよ」
机の上には、色んなギデオン閣下の絵が散らばっている。
「すごい。本物みたい」
まるで動き出しそうな、躍動感あふれるギデオン閣下がいっぱいだ。
「ありがとう。ギデオン様は骨格が美しく、動きが雄大。そして表情がおもしろいので、描きごたえがあるんですよ」
「フハハハハハ、そうであろう。ワシの豪胆さを惜しみなく描くがよい」
オーウェンとウェンディが紙に鉛筆を走らせる。一本の線から、あっという間に人物ができあがる。リオは、息をひそめるようにじっと観察する。
「魔法みたいですね。コツは何ですか?」
一枚書き終わったウェンディにリオが尋ねる。
「そうですね。描き始める前にじっくり見る。人物、動物、自然、家具。なんにでも、骨格や構造があるのです。その本質をまずは見極めようとします。骨格がつかめれば、姿勢や服装、髪型などが変わっても大丈夫です」
「骨格や本質ですか。なるほど」
まだ明確には理解できていなけれど、とてもいいことを聞いた気がする。しばらくふたりが絵を描くところを見た後、リオはジョーに連れられて街の本屋に行くことになった。
「本屋さんがお好きなんですって? ギデオン様からたくさんお小遣いをいただいていますから。好きな本をお買いなさいな」
「本当ですか? でも、こんなに良くしていただく理由がないと思うのですが。心苦しいです」
「あら、タロンはまだリオさんに伝えていないのかしら? リオさんが見つけてくれた怪しい商人たち。我が国にも入り込んで来ましたのよ。リオさんの情報のおかげで、すぐに発見できて、常に追跡できています。ですから、遠慮なく受け取ってくださいな。おもてなしをするよう、偉い人たちから言われていますからね」
「そうなんですか? 知りませんでした。私の情報が役に立って、よかったです」
街中の大きな書店に入ると、店主がものすごい速さで近づいてきた。
「ジョー様。ようこそいらっしゃいました。もしかして、腑抜けどもの続編のことでしょうか? 次は出るのか、出るならいつだと、色んなお客様からお問い合わせをいただいております」
「よかったですわ。本編はほぼ書き終わったのよ。今はどこの場面に挿絵をつけるか考えているところなの」
「なんと、挿絵つきなんですね。それは、小さな読者さんたちが大喜びするでしょうね」
「でしょう。それでね、今日は相談がありますの。こちらを見てくださる?」
ジョーがカバンの中から紙の束を取り出す。
「おお、これはもしや。若い頃のギデオン閣下でしょうか?」
双頭のワシに乗って長い髪をたなびかせている若者が描かれている。
「そうなの。若い頃のかっこいい俺をみんなに見せびらかしたい。ギデオン様がそうおっしゃってましてね。でもね、絵本ではないですから、挿絵をそれほどたくさんは入れられないでしょう。本が分厚くなりすぎますもの」
「そうですね。あまり分厚すぎると値段が高くなります。輸送費もバカになりません」
「そういうことなの。でも、せっかくたくさんの絵があるので、これをうまく活用できないかしらと。そうね、例えばこちらの書店で予約してくれたお客様には、双頭のワシに乗ったギデオン様の挿絵をプレゼントする。どうかしら?」
「お願いします。ぜひ、お願いします。とてもいい考えだと思います。」
店主の目がギラギラ輝いている。リオの目の前で、あっという間に詳細が決まっていく。
すごい、ジョーさん。なんてかっこいいんだろう。貴族女性だからと身分をちらつかせて店主を言いなりにさせているわけではない。どうすればもっと本を売れるか、対等に意見を交換している。
母国では見られなかった光景だ。女性は誰の妻であるか、母であるか。それが大事。それしかない国だった。夫や息子を陰で支える女性が模範とされた。
「私は、ジョーさんみたいな人になりたいな」
うっかり漏らしてしまった心の声を、ジョーは聞き逃したりはしない。
「あら、フフフ。私は千の仮面を持つ女よ。今の私はただの一面でしかないわ。いいところしか見せていないのよ。私にはいっぱい秘密があるの」
いたずらっぽく笑うと、とても色っぽい。
「秘密って、あってもいいんですね」
「誰にだって、秘密のひとつやふたつはあるわよ。みんな、見せたい部分を表に出しているだけ。本質が、核のところが分かっていれば、それでいいの。私も、タロンも、リオさんのことは分かっているわ」
胸がドクドクと音を立てる。
「真面目で努力家で前向き。それがリオさんでしょう。他のことは、些末なことよ」
「はい」
リオはジョーの言葉を噛みしめた。知っているよ。リオが本当は女性だって知っているよ。そんなこと気にしないよ。そう言ってくれているんだと思った。
「私、ジョーさんみたいなかっこいい人間になります」
「あらー、ありがとう。私の色んな秘密、少しずつ教えてあげるわね」
「はい」
今はまだ言わないけど。いずれ、ふたりにちゃんと話そう。本当は女で、男として生きてきたのも決して嫌いではなくって、これからどうするかはまだ決まってないって。ふたりなら、ふーんそうなんだって明るく聞いてくれるだろう。
「とりあえず髪は伸ばします」
「いいんじゃない。カツラっていう手もあるわよ。たくさん持っているから、いくらでも貸してあげる」
「はい、楽しみです」
本当に、楽しみだ。新しいリオの始まりだ。リオは、頭を撫でた。ショリショリといい音がする。この音とも、もうすぐお別れ。
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