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5.皇女セーニア
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ワイシャール帝国の葬儀参列者は、宮殿内に宿泊することになっている。
帝国の栄華を象徴する宮殿は壮麗で豪奢。金や琥珀に碧玉、宝石が惜しみなく使われている。広大な庭園は計算しつくされた幾何学模様だ。
ちと眩しくすぎるの、オリガは目を瞬く。帝国の財力を見せつける意図があからさますぎるの、オリガは嘆息した。
テオドールには広々とした客室があてがわれている。宮殿の使用人に変装して潜入したオリガには、もちろん部屋はない。
だがなんの問題もない。オリガは宮殿でもテオドールの夜間警護だ。寝ぼけたテオドールに腕の中にとらわれていようが、オリガはコトが起これば即座に対応できる。
オリガはテオドールの腕の中で目を覚ました。次の瞬間ベッドからヒラリと跳ぶと、扉の前に降り立つ。
「静かに」
オリガは部屋に侵入してきた少女の口をふさぎ、首にかんざしを当てる。
「言うことを聞かないと後悔する。分かったか?」
少女はコクコクとうなずく。オリガより背の低い、折れそうなほど華奢な少女だ。小鳥のように小刻みに震える少女を長椅子に座らせ、オリガは隣に座った。殺意はないようだな、オリガは緊張を解く。
明かりがつき、ベッドの上からテオドールが起き上がる。テオドールはゆっくりと少女の前に歩み寄り、跪いた。
「ワイシャール帝国第八皇女、セーニア殿下とお見受けします。このような夜遅くにいかがなさいましたか」
なんじゃと。オリガは思わず声を出しそうになったが、飲み込んだ。セーニアはガタガタと震えたまま黙っている。肌の透ける薄いワンピースが、セーニアの震えに合わせて揺れる。
これは、肌着ではないのか、オリガは刮目する。こんな薄着では風邪をひくぞ。帝国は金がうなるほどあるのに、皇女の服がこの体たらくとは、オリガは憤った。何かかけるものは、オリガの目が室内をさまよう。
「ハリソン」
テオドールの呼びかけに応じて、テオドールの侍従兼護衛が中に入ってくる。ハリソンはわずかに目を見開いた。
寝巻きのテオドール、使用人服のオリガ、肌着のセーニア皇女。
修羅場である。いや、喜劇かもしれない。
ハリソンはすぐさま大判の布を持ってきて、オリガに渡す。オリガは大判の布でセーニアを念入りにくるみこむ。よし、これで寒くないな。オリガはホッとした。
よし、この隙に、さりげなく……部屋から出て隠れよう、オリガはそろりと立ち上がる。セーニアの前に跪くテオドールが、オリガの手をつかまえた。ぬかった。
テオドールは立ち上がるとオリガの手を引き、セーニアの対面の長椅子に並んで腰かける。手はつながったままだ。
エスコート以外で手をつなぐなど、子供のとき以来じゃ。オリガの胸はとどろき、顔は紅潮する。こっそりついてきたことがバレたことは、とりあえず後回しじゃ。オリガは腹をくくった。
「セーニア殿下、ことを荒立てたくありません。お話しいただけませんか」
テオドールが優しい声で聞いた。
「わ、わたくし、テオドール殿下に……よ、よ……」
よ? オリガは首をかしげた。
「夜這いをかけにきました」
「なんじゃとっ」
思わず叫んでしまったオリガは、慌てて手で口をおさえる。
「なるほど」
な、なに落ち着き払っておるのじゃ、テオドール。オリガは問い詰めたかったが、沈黙をつらぬいた。
「アレクサンドル新皇帝は、我が国との同盟強化をお望みか」
セーニアは下を向いたままうなずく。部屋に沈黙が落ちた。
ま、まずいぞ。オリガは焦った。
公爵家令嬢のオリガと、ワイシャール帝国皇女のセーニアでは、テオドールにもたらす価値が雲泥の差である。
それに……セーニアはオリガの目から見ても可憐であった。ほっそりとして、同じ人間とは思えないほどかよわい。花の蜜しか食べてないような乙女ではないか。柔らかでふわふわの銀の髪に、憂いを帯びた薄紫の瞳。物語の姫君そのものじゃ。
オリガも細いが、全身は筋肉で鍛え抜かれている。やわやわとしたところはほとんどない。しなやかで健康的だが、儚さとは無縁である。
オリガは目の前が真っ暗になった。
「しかしながら、私には婚約者がおります。まもなく結婚する予定ですので、その話はお受けできません」
オリガの絶望にテオドールが救いの手を差し伸べた。オリガは顔を上げて隣のテオドールを凝視する。いつにもまして輝いて見える。好きじゃ。
「父は、新皇帝は、わたくしを正妃に、婚約者の方を側妃にと申すでしょう」
「討つ」
「オリガ」
思わず立ち上がったオリガは、テオドールに手を引かれ、ストンと腰を下ろした。怒りでワナワナ震えるオリガを、セーニアは不思議そうに見つめる。
「オリガ様と言いますと、テオドール殿下の婚約者と同じ名前ですけれど……。もしやそちらは?」
「使用人です」
「婚約者です」
オリガとテオドールの声がかぶった。
目をむくオリガをよそに、テオドールは淡々と続ける。
「オリガと私は相思相愛。既に共寝をする関係です」
なぬっ。オリガは目が点になった。ソウシソウアイ? トモネ……は後回しじゃ。
「か、かもしれないではなく……?」
オリガは震える声でついに聞きたかったことをぶつける。
「ん?」
「好き、かもしれない、と言ったではないか」
「ああ……」
テオドールはつないだ手に力を込め、片方の手をオリガの頬に添えると、柔らかく口づけた。
「好きだ。オリガ」
オリガはヘナヘナと崩れ落ち、テオドールの腕の中に囲われた。ハリソンは目をつぶり、セーニアは顔をこわばらせて固まった。
「晩餐会と葬儀にはオリガも同伴します。各国の要人に、私の愛がどこにあるか見せつけましょう。それでも無理強いすると言うなら……」
テオドールはグラスの水をひと息で飲み干し、
「戦争だ」
空のグラスを床に叩きつけた。
部屋に静けさが満ちる。テオドールは冷ややかな声で命じた。
「ハリソン。殿下をお見送りしろ」
ハリソンとセーニアが部屋から出ていった。
オリガの耳には、テオドールの胸の鼓動だけが響いている。
「本気なのか、テオドール?」
オリガはテオドールの胸に顔を埋めたまま問いかける。
「まあ……戦争についてはハッタリだが。オリガを好きと言ったのは本気だ」
「かもしれない、ではなく?」
「かもしれない、ではない」
テオドールはため息をついて、オリガの髪を指にからませる。
「まだしばらく言うつもりではなかったのだが……」
タガがはずれるからな、そう小さくささやいてテオドールはオリガの髪に口づけた。
「そこまでにしてくださいっ」
薄桃色に染まりかけた空間に、ハリソンの声が響いた。オリガの服のボタンを外しにかかっていたテオドールの指が止まる。
「いたのか」
テオドールとオリガが同時につぶやいた。
「はい……割と前から……。殿下、さすがにこれ以上は見過ごせません。自制してください」
ハリソンが悲鳴のような声を出す。
「いったい何日、添い寝だけで耐えてきたと思っているのだ」
テオドールが地を這うような声で返した。
「え、気づいておったのか?」
オリガは仰天した。完璧な隠密であったはずだ。
「逆になぜ気づかれないと思えるかが不思議だ」
テオドールがため息まじりに言い、ハリソンが深くうなずく。
「これからは、執務も普通に手伝ってくれると助かる」
「え、それも気づいておったのか?」
「腹筋の限界が試されているのかと思いました」
ハリソンが朗らかに笑う。
オリガは真っ赤な顔をテオドールの胸に埋め、帰ったら特訓じゃ、と心に誓った。
今なら王国まで泳いで帰れるかもしれぬ、オリガは思った。
帝国の栄華を象徴する宮殿は壮麗で豪奢。金や琥珀に碧玉、宝石が惜しみなく使われている。広大な庭園は計算しつくされた幾何学模様だ。
ちと眩しくすぎるの、オリガは目を瞬く。帝国の財力を見せつける意図があからさますぎるの、オリガは嘆息した。
テオドールには広々とした客室があてがわれている。宮殿の使用人に変装して潜入したオリガには、もちろん部屋はない。
だがなんの問題もない。オリガは宮殿でもテオドールの夜間警護だ。寝ぼけたテオドールに腕の中にとらわれていようが、オリガはコトが起これば即座に対応できる。
オリガはテオドールの腕の中で目を覚ました。次の瞬間ベッドからヒラリと跳ぶと、扉の前に降り立つ。
「静かに」
オリガは部屋に侵入してきた少女の口をふさぎ、首にかんざしを当てる。
「言うことを聞かないと後悔する。分かったか?」
少女はコクコクとうなずく。オリガより背の低い、折れそうなほど華奢な少女だ。小鳥のように小刻みに震える少女を長椅子に座らせ、オリガは隣に座った。殺意はないようだな、オリガは緊張を解く。
明かりがつき、ベッドの上からテオドールが起き上がる。テオドールはゆっくりと少女の前に歩み寄り、跪いた。
「ワイシャール帝国第八皇女、セーニア殿下とお見受けします。このような夜遅くにいかがなさいましたか」
なんじゃと。オリガは思わず声を出しそうになったが、飲み込んだ。セーニアはガタガタと震えたまま黙っている。肌の透ける薄いワンピースが、セーニアの震えに合わせて揺れる。
これは、肌着ではないのか、オリガは刮目する。こんな薄着では風邪をひくぞ。帝国は金がうなるほどあるのに、皇女の服がこの体たらくとは、オリガは憤った。何かかけるものは、オリガの目が室内をさまよう。
「ハリソン」
テオドールの呼びかけに応じて、テオドールの侍従兼護衛が中に入ってくる。ハリソンはわずかに目を見開いた。
寝巻きのテオドール、使用人服のオリガ、肌着のセーニア皇女。
修羅場である。いや、喜劇かもしれない。
ハリソンはすぐさま大判の布を持ってきて、オリガに渡す。オリガは大判の布でセーニアを念入りにくるみこむ。よし、これで寒くないな。オリガはホッとした。
よし、この隙に、さりげなく……部屋から出て隠れよう、オリガはそろりと立ち上がる。セーニアの前に跪くテオドールが、オリガの手をつかまえた。ぬかった。
テオドールは立ち上がるとオリガの手を引き、セーニアの対面の長椅子に並んで腰かける。手はつながったままだ。
エスコート以外で手をつなぐなど、子供のとき以来じゃ。オリガの胸はとどろき、顔は紅潮する。こっそりついてきたことがバレたことは、とりあえず後回しじゃ。オリガは腹をくくった。
「セーニア殿下、ことを荒立てたくありません。お話しいただけませんか」
テオドールが優しい声で聞いた。
「わ、わたくし、テオドール殿下に……よ、よ……」
よ? オリガは首をかしげた。
「夜這いをかけにきました」
「なんじゃとっ」
思わず叫んでしまったオリガは、慌てて手で口をおさえる。
「なるほど」
な、なに落ち着き払っておるのじゃ、テオドール。オリガは問い詰めたかったが、沈黙をつらぬいた。
「アレクサンドル新皇帝は、我が国との同盟強化をお望みか」
セーニアは下を向いたままうなずく。部屋に沈黙が落ちた。
ま、まずいぞ。オリガは焦った。
公爵家令嬢のオリガと、ワイシャール帝国皇女のセーニアでは、テオドールにもたらす価値が雲泥の差である。
それに……セーニアはオリガの目から見ても可憐であった。ほっそりとして、同じ人間とは思えないほどかよわい。花の蜜しか食べてないような乙女ではないか。柔らかでふわふわの銀の髪に、憂いを帯びた薄紫の瞳。物語の姫君そのものじゃ。
オリガも細いが、全身は筋肉で鍛え抜かれている。やわやわとしたところはほとんどない。しなやかで健康的だが、儚さとは無縁である。
オリガは目の前が真っ暗になった。
「しかしながら、私には婚約者がおります。まもなく結婚する予定ですので、その話はお受けできません」
オリガの絶望にテオドールが救いの手を差し伸べた。オリガは顔を上げて隣のテオドールを凝視する。いつにもまして輝いて見える。好きじゃ。
「父は、新皇帝は、わたくしを正妃に、婚約者の方を側妃にと申すでしょう」
「討つ」
「オリガ」
思わず立ち上がったオリガは、テオドールに手を引かれ、ストンと腰を下ろした。怒りでワナワナ震えるオリガを、セーニアは不思議そうに見つめる。
「オリガ様と言いますと、テオドール殿下の婚約者と同じ名前ですけれど……。もしやそちらは?」
「使用人です」
「婚約者です」
オリガとテオドールの声がかぶった。
目をむくオリガをよそに、テオドールは淡々と続ける。
「オリガと私は相思相愛。既に共寝をする関係です」
なぬっ。オリガは目が点になった。ソウシソウアイ? トモネ……は後回しじゃ。
「か、かもしれないではなく……?」
オリガは震える声でついに聞きたかったことをぶつける。
「ん?」
「好き、かもしれない、と言ったではないか」
「ああ……」
テオドールはつないだ手に力を込め、片方の手をオリガの頬に添えると、柔らかく口づけた。
「好きだ。オリガ」
オリガはヘナヘナと崩れ落ち、テオドールの腕の中に囲われた。ハリソンは目をつぶり、セーニアは顔をこわばらせて固まった。
「晩餐会と葬儀にはオリガも同伴します。各国の要人に、私の愛がどこにあるか見せつけましょう。それでも無理強いすると言うなら……」
テオドールはグラスの水をひと息で飲み干し、
「戦争だ」
空のグラスを床に叩きつけた。
部屋に静けさが満ちる。テオドールは冷ややかな声で命じた。
「ハリソン。殿下をお見送りしろ」
ハリソンとセーニアが部屋から出ていった。
オリガの耳には、テオドールの胸の鼓動だけが響いている。
「本気なのか、テオドール?」
オリガはテオドールの胸に顔を埋めたまま問いかける。
「まあ……戦争についてはハッタリだが。オリガを好きと言ったのは本気だ」
「かもしれない、ではなく?」
「かもしれない、ではない」
テオドールはため息をついて、オリガの髪を指にからませる。
「まだしばらく言うつもりではなかったのだが……」
タガがはずれるからな、そう小さくささやいてテオドールはオリガの髪に口づけた。
「そこまでにしてくださいっ」
薄桃色に染まりかけた空間に、ハリソンの声が響いた。オリガの服のボタンを外しにかかっていたテオドールの指が止まる。
「いたのか」
テオドールとオリガが同時につぶやいた。
「はい……割と前から……。殿下、さすがにこれ以上は見過ごせません。自制してください」
ハリソンが悲鳴のような声を出す。
「いったい何日、添い寝だけで耐えてきたと思っているのだ」
テオドールが地を這うような声で返した。
「え、気づいておったのか?」
オリガは仰天した。完璧な隠密であったはずだ。
「逆になぜ気づかれないと思えるかが不思議だ」
テオドールがため息まじりに言い、ハリソンが深くうなずく。
「これからは、執務も普通に手伝ってくれると助かる」
「え、それも気づいておったのか?」
「腹筋の限界が試されているのかと思いました」
ハリソンが朗らかに笑う。
オリガは真っ赤な顔をテオドールの胸に埋め、帰ったら特訓じゃ、と心に誓った。
今なら王国まで泳いで帰れるかもしれぬ、オリガは思った。
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