【完結】悪役令嬢はおせっかい「その婚約破棄、ちょっとお待ちなさい」

みねバイヤーン

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6.アレクサンドル新皇帝

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「む、これもか」

 香ばしい鹿肉だが、小さく切って口に含むと毒が入っているのが分かる。オリガはそっと布に吐き出した。

 ふむ、残念だ。スープにも魚にも毒が混入されておったな。まあ、パンには入っていないようだから、パンを食べるか。オリガは上品にパンを小さくちぎって口に運ぶ。


 ワイシャール帝国の晩餐会は絢爛豪華な大広間で執り行われている。百人ほどの参列者のうち、外国の要人は三割ほど、残りは帝国の王侯貴族である。

 皆、すっきりとした黒の礼服を身に着けている。オリガも体にぴたりと合った礼服だ。ベルタからハリソンにこっそり渡されていたらしい。いつもすまぬ、ベルタ。オリガは心の中でそっと詫びた。


 セーニアとのゴタゴタのあと、急遽オリガの出席が決まった。帝国側に迷惑をかけたのは否めない。だが……オリガは隣に座る小国の大使をチラリと見て思った。わらわの地位はこの者よりは高いはずであるが。


 オリガは末席に座っている。いくら突然出席が決まったとはいえ、大国の公爵家令嬢、ましてや王子の婚約者が座る席ではない。

 いやがらせであろうの、まあ、構わぬが。ここで騒ぐほどオリガは子供ではない。

 オリガは上座のアレクサンドル新皇帝を横目で見た。新たに帝国の全権を掌握した皇帝は、猛禽類のような目をしている。

 さすがに、覇気があるのう。血濡れの歴史をもつ国の頂点に似合いだの。これからまた、粛清に次ぐ粛清、血まみれの大虐殺が始まるのであろう。オリガはこれから始まる惨劇を思って少し暗い気持ちになった。

 帝国には政治において懐柔策や根回しなどはそれほどない。政敵は皆殺しが基本の国である。武力と腕力がものを言う修羅の国だ。そして、国民の目を己からそらすため、為政者は他国に侵略する。帝国と自国の間に距離があってよかった、そう思うオリガであった。


 オリガはまたパンを口に入れた。

「お口に合いませんか?」

 隣の大使がオリガの皿を見て問いかける。食べているように見せかけるため、鹿肉は細かく切っているが、量は減っていない。

「毒が入っておりますので」

 オリガは小さな声でささやいた。オリガの声は大使と後ろに控える従僕にのみ届いた。従僕は顔をこわばらせるが、大使は鷹揚にうなずく。

「虎の尾をお踏みになられましたか?」

「そうかもしれませんわ」

 オリガはおっとりと答える。ふと視線を感じた。虎が獲物を品定めするような目だ。アレクサンドル新皇帝は、興味を失ったかのようにふいと目を隣の皇后にむける。


 ほう、タティヤーナ皇后は子供を八人も産んだとは思えぬの。少女のように愛くるしいではないか。オリガは皇后に瓜二つのセーニアに目をやった。セーニアとテオドールは、皇帝の近くの席に隣り合わせで座っている。和やかに会話するふたりは、似合いに見えるであろうの。

 ふむ、オリガは考える。テオドールを無傷で国に連れ帰らねばならぬが……。ちと骨が折れるかもしれぬのう。戦争は避けねばならぬ。だが、おめおめとテオドールを差し出しはせぬぞ。オリガはパンを噛みしめながら静かに思考の海に沈んだ。



 翌日、葬儀は厳かに行われた。見目麗しい軍人にかつがれた棺が、荘厳な大聖堂に静かに運ばれていく。数千人の民が大聖堂を取り囲み、亡きセルゲノフ皇帝をしのぶ。帝国の悲願である不凍港の獲得をめざし、セルゲノフ皇帝は侵略を繰り返した。他国からは恐れられたが、民からは畏敬の念を抱かれていた。

 大司教が棺の上から王冠をとり、新皇帝アレクサンドルにかぶせる。次に渡された剣を手にし、アレクサンドルは立ち上がるとあたりを睥睨する。名実ともに新皇帝アレクサンドルの誕生である。




 葬儀を終えた夜、テオドールとオリガは新皇帝アレクサンドルに呼ばれ、謁見の間に出向いた。そこは壁の両側に近衛兵がずらりと立ち並ぶ異様な雰囲気であった。

 首都には帝国の威信をかけた水も漏らさぬ警備がしかれている。ここはさらに上をいく。文字通り、皇帝のための人間の盾だ。

 
 オリガは武者震いした。見た目は楚々とした令嬢だが、オリガは体のあらゆる場所に暗器を仕込んでいる。

 下手に戦わず、うまく逃げられればそれが一番であるが……。オリガは皇帝の背後に立つ男をじっくりと眺めた。あの男には手間取りそうじゃ。オリガは注意深く皇帝を取り巻く男たちの力量を見定めていった。

 死ぬつもりはさらさらないが……。いざとなれば己の命にかえても、テオドールを国に帰す。オリガはとうに覚悟はできていた。


 新皇帝アレクサンドルはつまらなさそうな顔で、跪くふたりを見下ろした。

「テオドール殿下、セーニアを娶るつもりがないとは誠か。地位も美貌も申し分ない娘だ。なんの不満がおありか」

 起伏のない声でアレクサンドルが問いかける。

「恐れながら、陛下と同じ理由であると推察いたします。私にとってオリガは唯一無二。妻は生涯オリガひとりと決めております。私にとってのオリガは、陛下にとってのタティヤーナ皇后陛下と近しい存在なのではありませんか?」

 テオドールはまっすぐアレクサンドルを見上げる。玉座のアレクサンドルは無反応だが、後ろに立つセーニアは青ざめ、オリガは赤くなる。


 「ほう。それではオリガ公爵令嬢、そなたはどうする。ワシの息子の嫁に来るか? 次期皇后の地位も望めるかもしれんぞ」

 アレクサンドルは淡々と言葉をかける。

「わたくしはテオドールのために生き、テオドールのために死ぬと決めております。テオドール以外には嫁ぎません」

 オリガはしとやかに笑みを浮かべた。


「そなた、女だてらに武芸をたしなむと聞いたが。勇者の剣と引き換えではどうだ。セーニアにそなたの場所を譲れば、勇者の剣をやってもよい」

 勇者の剣、話には聞いていたが。見たいな、オリガはそう思った。だがもちろん断る。

「想い合うふたりを帝国皇帝が引き裂こうとは、無粋ではございませんか?」

 オリガは艶然と笑った。

「それでは仕方がない。帝国の流儀に則り力づくで奪おう。なに、公式にはオリガ公爵令嬢は我が国におらぬことになっておる。王子は生捕り、女の生死は問わん」

 アレクサンドルがめんどくさそうな口調で命令する。



 オリガはテオドールの周りに瞬時に結界を張った。炎の魔法をふたつ放ち、両側の近衛兵との間に炎の壁を作る。オリガから玉座まで、炎に囲まれた通路ができた。

 オリガは両太ももに装備していた棒手裏剣を持つと、火をまとわせ次々に投擲する。風魔法で飛ばされた棒手裏剣は、アレクサンドル周囲の護衛の首に刺さった。

 オリガは腰のクナイを両手に持つと、前傾姿勢をとり玉座目がけて疾走する。近衛兵が炎の壁越しに投げる槍は、クナイで弾く。

 アレクサンドルの護衛がオリガの倍はありそうな大剣を振り降ろした。オリガは横っ飛びに大剣を避けると、壁を蹴り叫ぶ。

「モー」

 空間に現れたモーの背に降り立つと、モーの背中から跳躍する。

 クルリと一回転してアレクサンドルの後ろに着地。オリガは玉座を後ろに引き倒した。玉座に座ったまま仰向けに倒れたアレクサンドルを、礼服の裾に仕込んでいたムチで玉座にグルグルと縛りつける。


 オリガはアレクサンドルの胸を踏むと、叫んだ。

「静まれ、静まらぬと命をとる」

 何本かの槍と水魔法が放たれたが、モーによって打ち落とされた。

 オリガは結界の中で立っているテオドールを一瞬見つめると、アレクサンドルを見下ろす。

「我らから手をひけ。さもなくば戴冠式の日に皇帝が死ぬことになる。帝国の誇りは粉々に砕かれようぞ」



「ふ ふっ ふははははは」

 アレクサンドルはギラついた目でオリガを見ると、狂ったように笑い出した。

「おもしろい、小娘。帝国を帝国たらしめる力の一端を見せてやろう。出でよ、帝国の守り神」


 ポタリ オリガの頭に何か垂れた。


 見上げると、そこには巨大な口が開いている。オリガは玉座を蹴ると、後方に宙返りをして距離をとる。

 オリガをひと飲みにできるほど大きな白虎がそこにいた。

 オリガはすぐさまかんざしを投擲する。白虎は鼻息でかんざしを止めると、パクリと口にくわえ、バリバリと食べてしまった。



「オリガ」

 オリガの膝が震える。

「オリガここへ」

 オリガは唇を噛み締めると、一目散にテオドールの元へ駆けた。あれはわらわでは無理じゃ。オリガの背中に汗がつたった。

 テオドールはオリガを抱き止めるとささやく。

「さがっておれ。あれは私が倒す」


 テオドールはゆっくりと結界を抜けると、まるで散歩するように歩いていく。

「我がドヴァトリーニ王国が長い歴史において、一度たりとも帝国の侵入を許していない理由を見せてやろう」

 テオドールは袖をまくって右腕を持ち上げる。黒いモヤがかかった右腕を、テオドールは無造作に白虎に向かって振り下ろした。

 白虎は真っ二つに割れると、黒いチリになって消滅した。


「ドヴァトリーニ王家に受け継がれるヌルという技だ。記憶ごと存在を消す。白虎はもはや帝国には存在しない」

 テオドールは、腰を抜かしてへたりこんでいるセーニアに告げる。

「セーニア殿下には記憶を残しておく。うまく事態の収拾を図れ」


 テオドールはオリガの元に戻ると、オリガの腕の中に崩れおちた。

「テオドール、いつも通りわらわの記憶は消すなよ」

「ああ」
 
 テオドールはオリガに抱きしめられながら意識をうしなった。

 オリガはテオドールをモーの背中に乗せ、何も言わずに去っていく。

 セーニアは燃え盛る謁見の間で、ただふたりの後ろ姿をみつめ続けた。


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