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110 執事の仮面、剥がれる
しおりを挟む室内に顔を見せたのは、エドガーだった。
この青年は今まで、部屋の表に一人だけ残った見張りの男をあしらっていた。
──もちろん、いささか強引な手法で。
彼はそうして見張りを首尾よく気絶させると、男を担いでそばにあった扉の中へ放り込んだ。
そこは使用人たちの使う小部屋であったようで、同じ部屋の奥には、先にグステルが縛り上げた例の看護人がいた。
彼が男を引きずり入れると、彼女は怯えた目で彼を見ていた。きっちり猿ぐつわまでされた女を見て、生来女好きのエドガーの少々胸が痛んだが──同時に、愉快でもあった。
これは物語などではよく登場する状況だが……エドガーのように武道の心得がある人間でもない限り、誰かを制圧するということはそう簡単ではない。
それを、どう見ても武道などとは無縁のようなのに、大胆な手口で可能にした娘には、彼は賞賛を贈りたい気持ちである。
明らかに、彼女は自分がよく知る貴婦人たち──ラーラのような令嬢たちとは毛色も根性も違う。
まあそれはそうだ。貴婦人たちが、自分では何もせず、使用人を使うことをステータスとするところを、彼女は自分で世間を生き抜いてきた。違って当然。……当然だが……どうしても、その行動力を面白いと思ってしまう。
青年は、ラーラには悪いと思ったが、すでにグステルのことをあまり嫌いではなくなってきていた。
恋情を誘われているというわけではないが、彼女は気質がカラリとしていて付き合いやすく思えた。色々と秘密も多そうだが、不思議と秘密めいて見えず、正直者には見えないが、曲がりのない信念を感じた。若いはずなのに大きな母性を感じることもあって……なんだかとても、不思議なのである。
この妙味を知ってしまっては、この先彼女が次は何をやってのけるのか、興味がありすぎてついつい見入ってしまいそうだ。ヘルムートに嫌がられても、ずっとくっついて回りたいほどである。
さて、それはともかく。
部屋に滑り込んできた青年は、四柱式の寝台のところにいる父娘のもとへすぐさまやってくる。
彼の顔を見て、一瞬身をこわばらせていたグステルは肩から力を抜き、彼を初めて見た公爵は困惑を目に映していた。
「お話は終わりましたか? そろそろ出ましょう」
エドガーは公爵に手短に挨拶し、グステルに支えられた彼を背中に負ぶう。
やはり公爵はかなり体重が減っていたようで、青年は軽く立ち上がったが、一瞬痛ましそうな表情を覗かせた。その表情を目撃したグステルも胸が重たくなってぎゅっと奥歯を噛んだ。
「……行きましょう。じき、火災が見当たらないことに気がついた男たちが、倒れたメイドのところへ戻ってくるはずです」
父は、必ず邸の外へ連れ出し、安全な場所で、信頼のおける医師に診察をしてもらわなければならない。その想いを強くした。
手下を連れて公爵の部屋の前に駆けつけた男は、そこに見張りが一人もいないことを見て激怒した。
「どういうことだ!」
アルマンが怒鳴ると、引き連れてきた手下たちは慌てたように領主の寝室を断りもなく跳ね開けて。アルマンが当然のようにそこにずかずか踏み込むと、寝台のうえには公爵の姿がない。空の布団を見て、アルマンは愕然とした。
そんなバカなと叫んだ男は、あらんかぎりに目を見開いて広い寝室内を見回した。
「いったいどこに……歩けるはずがない! 探せ!」
咄嗟にアルマンは、そばにあったものから、人が身を隠せそうなあらゆる扉を開けて回る。
物置に続き、寝室の奥にある公爵の衣装部屋の扉、そして大箪笥の扉を開けようと取っ手に触れた時、入口のほうで手下たちが大きな声で彼を呼んだ。
「!」
すぐに振り返って走り、寝室を出て駆けつけると、使用人用の小部屋の中に拘束された男女が二人。
男は気を失って縛り上げられている。アルマンは険しい顔で、もう一人の囚われ人を睨んだ。
「いったいこれはどういうことだ! 公爵はどこへ⁉︎」
手下に猿ぐつわを外された女がほっと息つく間もなく、アルマンは彼女の襟首を乱暴につかんで揺すぶった。襟が引きちぎられそうに振り回された女は、当然ながら、さらに怯えたようだった。
ぶるぶる震えながら泳ぐ目は、『こんな失態は絶対に重罪に問われる』と恐怖しているようで、なかなか事情を話そうとしない。
イラついたアルマンが、女の頬を張ってやっと彼女は震え声で『見知らぬ男女が押し入ってきた』と口を割る。
「……侵入者……⁉︎」
それを聞いたアルマンの額にピキリと青筋が走る。
彼は舌打ちし、すぐに手下に怒鳴りつける。直ちにすべての門を封鎖し、衛兵に侵入者を捕らえさせろと命じた。
これは彼にとって由々しき事態であった。
もし公爵が外に出てこれまでのことを誰かに話したら、これまで彼が苦労して侵食した公爵家のすべてが失われてしまう。
「っ冗談じゃない!」
強欲なアルマンはゾッとして青ざめた。そして焦りと苛立ちのあまり、自分が表向き、この家の執事であるという慎ましい体面を整えておかなければという理性がすっかり失われてしまった。
アルマンはまるで、盗賊の頭目のような顔で手下たちに喚き散らした。自分が周りを恐怖させれば、どんな願いが叶うとでも思い込んでいるように振る舞う男の剣幕を見て。ギョッとした手下たちは慌てて部屋を出ていった。拘束を解かれた女も同様で、足をもつれさせながらあたふたと逃げ出していく。
あとに残ったのはアルマンと気を失った男だけ。その足を忌々しげに蹴り飛ばし、男は苛立たしげに指の爪を噛む。
「いったいどういうことだ……男と女……⁉︎ いったいどこのどいつがこんな……」
と、そこでアルマンの脳裏にハッと蘇るものがあった。
「……ロイヒリン……!」
──そうだ、きっとあやつが何か知っているに違いない。
怪しいそぶりを見せた商人の顔を思い出した男の目は、冷たく凶暴な光を帯びる。咄嗟にあいつをここに連れてこいと怒鳴ってから、男は周りに誰もいなくなっていることに気がついた。
アルマンは忌々しげに舌打ちを鳴らし、子供のように地団駄を踏んだ。
「っくそ!」
これでは仕方ない。アルマンは憤怒の足取りで公爵の寝室をあとにした。
怒り煮えたぎる胸の中では、ドス黒い焦りが凶暴性に変わり渦巻いていた。
(ロイヒリン……あの恩知らずで恥知らずのクズめ……! 拷問してでも公爵の行方と犯人とを白状させてやる……!)
そうしてアルマンが去っていくと、部屋の中はしんと静まり返った。
すっかり足音が消えた頃。公爵が消えた寝台の下から何やらゴソゴソと音がする。這い出してきたのは、白い腕。
「……やれやれ……」
──グステルである。
公爵の大きな寝台の下の隙間から煩わしそうに四つん這いで出てきた娘は、けほっとセキを一つ。
「この埃……いったいどれだけ掃除してないの……」
すっかり薄汚れてしまったメイド服を見下ろして、グステルはやや腹立たしげにつぶやく。
父がここでどれだけ長い間大切にされていなかったのかが、容易に想像のつく有様だった。
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