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149 ずれていく世界
しおりを挟むグステルは、次第にずれゆく物語の変化に、ひしひしと危機感を覚えていた。
自分という一石が物語世界に与えた波紋は、彼女が考えていたよりもずっとずっと大きくなってしまったのかもしれない。
その変化は、彼女の家族に対しては、おおむね平穏な道を示していたから、それは彼女も喜んでいたのだが……。
ヘルムートから王都の様子を聞くと。その喜びが、やはり束の間のものなのだと彼女は大いに思い知らされたのだった。
自分に成り代わった娘の横暴、ヒロインであるラーラの窮地。
ただ、ひとつ余談だが。
ラーラを裏切った友人カトリナは、物語の正道でも彼女を裏切る。
彼女はずっとラーラの親友ではあったが、カトリナの中には、そばにいるからこそ感じる劣等感や引け目があったのだ。
そりゃあ、天下のヒロイン様である。その圧倒的な主役オーラは、間近にいるほどまぶしかったに違いない。
そのまぶしさは、異性には魅力となって輝くが、同性にとっては危うさがある。
ラーラの文句のつけようのない愛らしさ、ゆえに男たちから優遇される姿を見たカトリナは、凡庸な自分と彼女を比べてひそかに心を苛んでいたのだろう。
きっと、“悪役令嬢グステル”が物語でやったように、新しく“グステル”となった娘もまた、そこを見抜いた。
利用されたのである。
「…………」
グステルは、途方もなく、うんざりした。
嫉妬だとか、妬みだとか、逆恨みとか。
人間には、どうしてそんなどろどろした感情があるのだろう。考え始めると、本当に気が重い。
それが──自分とも無縁ではないことがわかっているからこそ、嫌になる。
どんなに冷静でいようと努めても、その感情へ陥る穴は、グステルの心の中にも其処此処に開いている。
いつ、うっかり足を踏み外して闇に落ちても不思議ではないのである。──誰しもが。
グステルは怖かった。
自分の中のその穴に、あの、“グステル”が──……正当なる“悪役令嬢グステル”が待ち受けていそうで。
闇の中、じっと自分となり替わる瞬間を待っている彼女を想像してしまったグステルは。ぞっとして、大きく息を吐き、改めて自分を戒める。
もし、その穴に落ちぬ方法があるとしたら。それはきっと、彼女が信念や、掲げた目的という星を見上げて真っすぐに進んでいくことだけだろう。
(……しっかり、しなきゃ……)
だが、自分はともかくだ。
そういった感情に負けたカトリナに陥れられたとはいえ。ヒロインたるラーラはきっと大丈夫だと思うのだ。
なんといっても、彼女はヒロイン。
そこはまわりの力も借りつつ、道を切り開いていってくれるはず。
問題は、悪役令嬢に成り代わったお嬢様。
グステルの母が領地で行った調査によると、彼女たちの遠い親戚内で、娘がひとりその消息を絶っている。
いや、農村で暮らす娘の両親たちは頑なに『娘は死んだ』と言い張ったらしいが、村民たちに話を聞くと、葬儀などは記憶にないという。
彼らの話には、そのほかにもつじつまの合わぬことが多く……タイミングの合致も鑑みて、グステルたちは、そのいなくなった娘が、現在グリゼルダのもとにいる娘だと確信している。
村民たちの記憶によれば、その娘の髪の色はワインレッドで、瞳の色もグステルに非常ににていた。
(……エルシャ……)
グステルは、母が調べてくれたその名をぽつりとつぶやく。
(わかっているの? あなた……危険に向かって突き進んでいるのよ……?)
きっと今、彼女は頂へ登り詰めようとしているつもりなのだろうが……その行く末は、かぎりなく悲惨である可能性が大。
彼女がどんな気持ちでその悪事に手を出したのかは知らないが、相手が悪すぎる。
物語の正当なるヒロインに手を出し、いずれ国民の父となる王太子をだまそうだなんて。
グステルは、どうしても胸が痛い。
年齢を重ねたグステルからすると、若い娘が若気の至りで欲に負けて、道を踏み外したように思えてならないのである。
おまけに彼女の今後の行動いかんでは、グステルたちメントライン家も盛大に巻き添えを食う可能性が。
なにしろ、その若い娘を悪の道にそそのかしているのは、まぎれもないメントライン家の血筋の叔母。
「さて……どうしたものか……」
グステルは独り言ちる。
王都に来るまでの道中、かまい倒してくる兄をあの手この手で下し、(兄の背中で)ずっと対策を考えていたが……。
王都にたどり着いて早々に、避け続けていたヒーロー王太子に出会ってしまい、思いがけず自分の中に正悪役令嬢を見つけてしまったグステルは。ここにきて、出端をくじかれた思い。
あの出来事のせいで、事態はより複雑になってしまった。
この展開には、できるだけ穏便にことをおさめたかったグステルは、まだ、答えを出せずにいる。
──もしかしたら。
守りたいもののために、捨てねばならぬ何かがあるかもしれなかった。
「…………優先順位を……決めなければならないわね……」
グステルは、窓辺の空を睨む。
多分、そのなかで、彼女自身の平穏な暮らしは、もっとも順位が低い。
なぜって、そりゃあ大事な人々の生命や安全に比べれば。彼女が築き上げた暮らし、商い、作品は。ずっとずっと、軽いでは、ないか。
「……覚悟、しなくちゃ……」
つぶやくと、黙したグステルの頬に、ひそやかにしずくがすべり落ちていった。
ずっと夜闇を見つめていると思っていたが、いつの間にか空はしらじらと明るくなっていた。
「……そんなもの。隠密部隊を配して、さっさとやつらをひそかに捕えてしまえばいいではないか」
「……、……、……お兄様は、ちょっと、黙っていてくださる……?」
ケロリと軽く言った兄に、グステルの額には大筋が浮かぶ。
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