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閑話 人間味

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「…そういう人間なんです、私。貴方が思っているような清い人間じゃないんです。
…振り回してごめんなさい、サーファス様。」


自分の事をとても良い人間だとか、特別な人間だなんて思わない。
日本にいた時も、この世界に来てからも。
だって私はよく読んでいた漫画や小説の、清く正しく、優しい特別な主人公じゃなく、至って普通の、そう。周りと同じ、一人の人間だから。


お義父様もマティアスも、ヴァレもカイルもリュカも。
皆私を優しいと言う。素晴らしい人間だと言う。
ありがとうと言うけれど、その言葉をそのまま納得はしていない。
自分の事は自分が一番よく分かっているから。
嬉しいけれど、私は皆が思っているように聖女のような…女神のような綺麗な存在じゃない。

良い人間も悪い人間も、人から思われているイメージとは違う一面を持っている。
あの人は悪い人と、そう周りから言われている人が、ちゃんとした良心を持っている事も。
またあの人はとても良い人と言われている人が、人には言えない悪い部分を隠し持っている事だってある。
私は等しく、一人の人間だった。
どこにでもいる沢山の愚かな人たちの、その一人だったのだから。


「…ごめんなさい、サーファス様。
がっかりしたと思います。失望も、したと思います。
サーファス様に口説かれて、舞い上がっていい気になって、サーファス様を振り回していたんです。
貴方の好意に優越感を感じて、楽しんでいた浅ましい人間なんです。そんな最低な人間なんです。
…ごめんなさい…。」


日本にいた頃。
友人たちと過ごす日々は異性がいなくても、恋をしなくても楽しかったし不自由もなかった。
友人たちが話す内容はダイエットやメイク、服、流行りの事、男子の事、家庭の事、家族の事。沢山あったけれど…多かったのは恋の話だった。
当時、まだ恋というものを知らなかった私には友人たちの言っている事がよく分からなかったけれど、だけど退屈はしなかった。
ある時、友人の一人に彼氏が出来た。突然付き合いが悪くなり、私たちより彼氏を優先するようになった友人を周りの友人たちはよく思わなかった様で…その子は友人たちから距離を置かれるようになった。

『夢中になるのは分かるけど、あれはないよね。』

『誘ってもいっつも“彼氏彼氏”。もう誘うの嫌になるんだけど。』

『誘わなくていいんじゃない?だって私らより彼氏と一緒にいる方が楽しいんでしょ?』

『いやー。ああいうの何か嫌。男に夢中になるのって一番嫌いなんだけど。』

分かる分かる!と友人の不満をぶつけ合う。
だけど、それは皆同じだった。
各々に彼氏が出来た。そうなった時、友人たちは彼氏を優先するようになった。
あれだけ色んな事を言っていたのに、実際に彼氏が出来るとまた仲直りして、皆で彼氏の話ばかりするようになっていた。
彼氏のいない私は輪の中に入る事が出来ず、多分、友人たちから見下されてた。
私へ話す言葉に棘もあったし何か変な空気だったのは感じたから、多分そうだったんだと思う。

色んな“人間の一部”を見た。
気に入らないからと特定の子を無視したり、嫌いな先生だからと授業をさせないように邪魔したり。
グループの中で同じ人を好きになって、一人が抜け駆けしただとかで土下座をさせたり。
社会人になっても同じ。誰かを踏み台にしている人。上手く誰かに自分の仕事を押し付けて評価を得る人。
色んな“人間の一部”を見た。
正しいと思ったから、友人の為に、格好いいと思ったから、自分は周りとは違って、特別な人間だと印象付けたくて。

平凡、至って普通。そんな人たちにも人間の浅ましい一部が当然にある。
誰にもある。あの人にもこの人にも。多くの人に、そして私にも。
人間特有の、愚かで浅ましい一部がある。


「…失望させてごめんなさい。でも、これが私なんです。
聖女でも女神でもない。欲深くて浅ましい、一人の人間なんです。…本当に、ごめんなさい。」

誰だって、出来ることなら好かれて生きていたい。
周りから良い人と、好きな人だと認識されて生きていたい。
出来る事なら。嫌われるのは嫌だ。誰だって、私だって。
私は特別じゃない。聖女のような清らかな存在ではない。
神様、女神様のように正しい存在じゃない。

きっと私は、慣れてしまっていたのだ。
マティアスから、ヴァレから、カイルから、リュカから、お義父様や皆から愛される事に。
当然のように愛を貰って、それを当たり前のように感じてしまっていたのだ。
何をしても愛してくれると、そんな馬鹿な事を。

「誰かに好かれるって、とても嬉しい事。
愛されるのは、とても嬉しい事。
そんな純粋な気持ちだったのが、自分の欲を満たすものになってたんです。
一番、嫌だと思っている事を私自身がしてたんです。」

いつだったか、カイルに言った事がある。
“慣れるのが恐い”と。
高価な物に囲まれ、当たり前になってしまうのが恐いとカイルに言った事がある。
“慣れ”は恐ろしいものだ。慣れは、人を変える。
愛される事に慣れた私は、少しずつ嫌な人間になっていた。
誰かの好意を純粋に嬉しいと思う気持ちが、自分の欲を満たすものに変わっていた。
好かれるのは気持ちがいい。嬉しい、楽しい。沢山の人から好意的に思われるのは嬉しい、楽しい。
可愛い、美しい、綺麗、優しい、好き、大好き、愛してる。
言われた事のない好意的な言葉は私を喜ばせた。純粋な喜びでなく、卑しい喜びが。大いに勘違いさせ、喜ばせた。
そういう私が、“慣れ”の先にいた。言えば天狗になっていたのだ。

そういった私が、マティアスを失望させた。
マティアスを傷付け、サーファス様も傷付けた。
ヴァレも、カイルもリュカも、お義父様も傷付ける。
今、そういう自分に気付けてとてもよかったと思う。
気付かないままでいたならきっと、私はいつかの未来で大切な皆を失ってしまうだろうから。


「あはは。」

「…サーファス様…?」

「ふふ、……馬鹿だなぁ。」

浅ましさ、醜さ、私の中にある汚れた部分。
それをサーファス様に伝え終わった後、想像したのはサーファス様の失望した表情だった。
けれど私の目の前にいるサーファス様の表情は失望でもなく、怒りでもなく。
…とても、嬉しそうな顔だった。

「ねえサイカ。君は自分の悪い所を話したつもりだろうけど。俺には誠実さしか伝わってこなかったよ。」

「…え?いや、……え?」

「そんなサイカだから、皆手放したくないんだよ。
君は俺に、君の中にある汚い部分を伝えた。俺を友人と重ねている事、誰かの好意に優越を感じている自分の、醜い部分を。
人はねサイカ。そういう自分の汚い部分に一生気付かない人もいるし、気付いて気付かない振りをする人だっているんだ。」

「…はい。」

「君の美徳は心根が豊かで素直な事だよ。
自分の醜い部分に気付いた時に自分を見つめ直す、省みる…それが出来る事が君の最大の美徳なんだと俺は思う。それが出来る人の方が少ないんだから。
だってそれって、君が黙っていればいい話じゃないか。ねぇ。」

「………。」

「でもサイカ。君はそうしなかった。
君は心の奥にある自分の嫌な部分に気付いた時、きっと真っ先に誰かの事を考えたはずなんだ。
俺や…大切な誰かを思い出して、誠実じゃないって思ったんだ。
だから今、俺とこうして話してる。」

「…ただ、楽になりたいからかも知れないですよ…?」

「うん。勿論懺悔の意味もあるだろうけど。でも、一番大きかったのは誠実であろうと思った気持ち。
今の君の目は正直だ。真っ直ぐで、誠実だ。だから伝わる事もある。
自分を守る為だとか、許して欲しいからだとか。言い訳を正当化させる為だとか。そういう人はねサイカ、そんな真っ直ぐには見ないよ。」

「………。」

「君は認めたんだ。自分の中にある醜い部分を。認めて、受け入れて、見つめて、省みて。そして決意して、誠実さを選んだ。俺や誰かに、自分に誠実であれと決意した。
それは純粋に凄い事だよ。そんな君だから俺も周りも、君が好きなんだ。愛しいと思わずにいられない。
サイカ、失望する時は誰にでも必ずある。生きていれば当たり前のように。肉親に、友人に、恋人に、自分自身に。俺もサイカも…誰かに失望する。人間だからね。」


サーファス様の言う通りだ。
生きて、側にいるなら良いことも悪い事もある。
家族、友人、自分自身の嫌な所を知る機会は沢山ある。
がっかりしたり、嫌だなと思う事が何度もあった。
両親に、友人に、私自身にも。


「誰だってそうだ。
誰だって、嫌な部分はある。そういう所が見えて、嫌だと思う事は沢山ある。
でも、その嫌な部分があってもそれ以上に良い所が上回る、好きだという感情が上回るから許せるし一緒にいたいと思う。そういうものじゃないかい?」

「……はい。私も…そうだと思います。」

「誰かは誰かを傷付ける。無意識に、意図的に。
自分の為に、何かの為に。
サイカ。…一番駄目な事は何だと思う?もしも、君が誰かを傷付けたとして。それに気付いたとして。傷付けてしまったのだと知って。」

「…何もしない事です。
生きていれば何度だってある。誰かを傷付ける事、失望させる事、罪を犯す事。
許されるのも、信頼や信用を回復させるのもとても大変だけど…何もしないのであれば変わらない…ううん、余計に駄目になるから。」

「その考えを、俺は尊いと思うんだ。
サイカがそういう考えを持っている子だから、悪い所なんて霞んで見える。
些細な事だと思える。
俺にとってはサイカの悪い所なんて、本当に小さなものだよ。
だから俺は、君を許す。俺にも打算があったから。
俺だって醜い。人間らしい、浅ましくて醜い心を持ってる。
おんなじだよ。皆同じ、汚い部分を持ってるんだから。」

「サーファス様…。」

「サイカだけじゃない。俺やクライス侯爵、サイカの恋人たち、サイカの周りにいる沢山の誰かも、等しく同じ“一人の人間”だから。嘘だって吐くし隠し事だってある。
いつでも正しく、清いままで生きてはいけない。
だからこれ以上俺に謝る必要もない。
サイカも只の一人の人間だって、ちゃんと分かってるから。」


“サイカも只の一人の人間だ”
そう言われて、何処かほっとした私がいた。
嫌われなかった事に安堵しているのか、こんな話をしても変わらないサーファス様に安堵しているのかは分からない。
何故かは分からないけれど、安堵している私がいる。


「自分の事は自分が一番よく分かっているってよく言うけど、そんな事もない。
他人の方が分かっている事もあるし、分かる事もある。
…俺が気付いてなかった事をサイカが気付いたように、サイカが気付いていない事に俺は気付いてる。」

「……。」

「君は、周りの過剰な評価に戸惑ってるんだ。
嬉しいと思っているけれど、それと同時に恐いとも思ってる。
サイカの優しさはこの世界で特別なものだけど、サイカは特別だとは思ってないね?
サイカの中では当たり前なんだ。これまでしてきた、誰かを気遣ったり、優しくするのも。君にとっては当たり前で、些細で特別な事じゃない。だけど周りはそうじゃないから嬉しいけど戸惑って、心の中では恐れてるんだ。」


お義父様が言う。マティアスが言う。ヴァレリアが言う。カイルが言う。リュカが言う。皆が言う。
“サイカは優しい”“サイカは素晴らしい人間だ”
嬉しい。とても嬉しい。そんな事を言われたのは初めて。
些細な事なのに、そんな風に言ってもらえるのは何だかこそばゆい、でも嬉しい、でも…恐ろしい。
違う。そんな大層な人間じゃない。私は素晴らしい人間なんかじゃない。どこにでもいる普通の女で、この容姿だって、日本ではどこにでもいる容姿で、特別美しい、可愛い、綺麗な容姿じゃない。
もっと可愛い人はいる。もっと綺麗な人はいる。もっと優しくて、もっと性格のいい人は沢山いる。
本城 彩歌という人間は、至って普通の、平凡な人間だったのに。

変わっていく。変えられていく。
少しずつ少しずつ、本城 彩歌という一人の人間が変わっていく。
美しい、可愛い、綺麗、優しい、素晴らしい。
そう言われる自分に変わっていく。

恋をして、愛されて、沢山、愛されて。
知らなかった欲望が、それまで知らなかった女の醜い部分が芽生えていく。
違う。誰かのせいじゃない。自分で、変わったんだ。


「全部を分かるわけじゃないけど……君が、自分でも気付かない内に負担を抱えてしまったのは分かるよ。
嬉しいけれど、本当の自分はそんなんじゃない。誰かにもの凄く誉められるような、出来た人間じゃないと思ってる。
特別に憧れてはいるけど、一人の醜い人間だって、分かってるから。違和感がある。納得はしてない。でも、周りがサイカの事を特別に見る。だから君は、“そうあろう”と自分を変えていく。無意識に。求められるものへ。」

「………。」


頬に触れる。
サーファス様の労るような手が、壊れ物を扱うように優しく頬に触れる。
親指に水滴がついて、それが自分の涙だと分かるのに時間が掛かった。
悲しくもないのに、私の目から涙が流れている。
サーファス様はそっと、何度も添えた親指で拭ってくれた。


「ごめんね。俺や周りが、君に押し付けてたんだ。
優しいとか、素晴らしいとか、女神みたいだとか。
それは俺や…周りが本当にそう思った事だとしても、君にとってはそうじゃなかったのに。
サイカ、君はどんな子なのかな。よければ…俺に教えてくれるかい?」

「………私は、誰かを羨ましいと思う事も、嫌いになる事も、許せないと思う事もある、普通の、どこにでもいる、女で、」

「うん。」

「誰かを憎んだり、八つ当たりしたり、鬱陶しく感じたり、気分で、左右したり、差別だって、しないわけじゃなくて。
馬鹿で、大切な友人の事すら、気付けない馬鹿で、特別じゃない、どこにでもいる、浅ましくて、そういう、人間で…。」

「そっか、じゃあ俺と一緒だ。
俺が一人の、只の男と同じように。サイカは一人の人間で、只の女の子だったんだね。
ごめんねサイカ。俺の勝手な、押し付けたイメージはとても負担だったろう?」

「…違う、……自分を、良く思われるのは、嫌な事じゃなかったもの。嬉しい事で、もっと、出来る事をしたいって、思ったのも本当で、」

「そうだね。誰かに頼られる、求められるのは嬉しくて幸せな事だから。
君が嬉しい、幸せと思った気持ちも本物だ。
でも期待とか、そういうものが大きくなればなる程…負担にもなる。嬉しいけど、疲れてくる。求められているものを崩したくなくて、喜んで欲しくて。君は自分でも気付かない内に無理をしてたんだ。」

「………ふふ、…そう言われたら、…そうかも。」


マティアスに話をしようと思った時、覚悟したものがある。
それはマティアスを失望させる事。
マティアスに嫌われる事。嫌だと思われる事。
こういう人間だったんだと知られる事。
マティアスだけじゃない。皆に同じ話をするつもりだった私は、マティアスだけでなく皆に失望される覚悟をした。

サーファス様から手紙を貰って、私への思いを知るたびに少しずつもやもやとしたものが積もっていき、そしてある時ふと気付く。
それは自分の浅ましさ。
サーファス様とどうなりたいかも考えていないのに、与えられる好意に喜ぶ私は嫌な女だった。
サーファス様の好意に甘え、皆からの愛情に甘え、その上で胡座を掻いている私は、本当に嫌な女だった。
省みて、反省して。後悔して、恥ずかしいと思った。

日本にいた時の自分、娼婦だった頃の自分、今の自分。
許される事、許されない事、私だけじゃなく周りの事も含めて。
色んな事を考えて、マティアスにちゃんと伝えようと思った。
多分、何処かで一度、崩さなくてはならないと無意識に分かっていたのかも知れない。
だから、自分の嫌な、醜くて浅ましい部分を伝えようと決意出来たのかも知れない。

自分でも気付いていなかった事をサーファス様に言われて、そうじゃないかなと思った。

「…ごめんね、無理をさせて。
もっと早く、気付いてあげられたらよかったのに。」

「…いいえ。ありがとう、サーファス様。
何だかとても…すっきりしました。サーファス様のお陰です。」

「俺もサイカに救われた事が沢山あるからね。
役に立てたのなら良かった。サイカの役に立てた事が、すごく嬉しいよ。」


君が無理をしていると気付いたら、俺が怒ってあげるからね。
にこにことそう言うサーファス様に、救われた私がいた。


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