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171 過去と今 変わったこと

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※前書き※
めちゃくちゃ今更感ですがサイカの敬称、王妃殿下→皇后陛下に変えます。調べても何が正解か分からない誰か教えて…。
過去話は少しずつ直していきます!
以下物語本編です。



「…うん、このまま行けば予定通りに竣工出来そうね。
皆頑張ってくれてるみたい。」

「はい。特に平民の職人たちは名のある職人たちから技術を学べるとあって喜んでいるそうです。」

「それは良かった。
何に対しても学ぶ事はある。技術もそう。
学び、覚え、その中から何か一つでもモノにする事が出来れば…それはきっと、彼らの助けや力になるはずだもの。短い期間かも知れないけど、彼らには一生懸命学んで欲しいな。」

「その通りで御座いますね。」

専属侍女のヒルダと護衛たちと訪れた昼間の平民街。
目の前では数十人の男たちが威勢のいい声を出しながら校舎になる予定の建物の工事をしている。
ヴァレとの屋敷での生活を数日前に一旦終え、現在私は帝都にあるお城へ生活を戻していた。
私にも自分がやらなくてはいけない仕事、立場や責任あって、それを疎かには出来ないからだ。
今建設中の校舎もその一つ。平民も勉学出来る環境をと提案したのは私で、私が主体となって事業を進めている。
貴族たちからの反対は予想通り多いけれど、賛同してくれる貴族たちもそれなりにいてくれるのと、リュカやお義父様、ウォルト家やディアストロ家の親族、私の専属侍女たちの家などレスト帝国内でも高い地位、権力を持っている貴族、そしてディアゴ村など私と面識のある地方の領主たちも味方をしてくれているのでちょっと強引ではあったもののこうして校舎の建設が出来るまでに進められている。
お城にいた方が仕事のやり易さはあるけれど、嫁ぎ先で過ごしていようと出来ない事はない。
分散出来る事は分散、私しか出来ない仕事に関してはヒルダたちが書面を持って嫁ぎ先の屋敷に来てくれたり、私が直接指示をしなくてはならないものは帝都に戻って担当者に会ったりとそんな日々。
特にリュカの屋敷にいる時は帝都から離れているのもあって、仕事をする上では少し不便を感じた事も多いけれど、協力してくれるヒルダや皆のお陰でお城を離れて生活出来ていると心から感謝している。
ありがとうねとヒルダたちに伝えれば“お礼を言われるような事ではありません”と言われてしまったけれど、実際皆が協力してくれなければ私はお城を離れてリュカやヴァレリアと、そして今後夫になるカイルと過ごす事は出来ないのだ。
だから私は彼女たちに必要ないと言われても感謝を伝えていきたい。

工事の視察を終えた私はヒルダと護衛を伴ってそのまま平民街を見回る事にした。
久しぶりに歩く平民街は相変わらず活気に溢れていて、あちこちから元気な声が聞こえてくる…のだけど、以前来た時よりも人が増えている気がした。

「何か、人が増えてない?気のせいかな?」

「いいえ、気のせいでは御座いません。
戦争を続けている国もありますからね。
少し前も、小国での小競り合いに勝敗が付いたそうですから…難民は増える一方でしょう。」

「…どちらにも主張する正義や色んな事情があるんだろうけど……やるせないね。」

「ええ。この国で生まれ育った私は戦争というものを経験した事はありませんが…故郷や家、家族、友人知人を失うのはきっととてつもなく苦しい事でしょう。
私は祖父母以外の家族に思い入れはありません。父や母たちがどうなろうと構いませんけど…。」


「……。」

「でも、祖父母が亡くなった時は悲しかったですし…今は、…今の、私の居場所を誰にも奪われたくないと思います。
皇后陛下の専属侍女である私の居場所、共に働く仲間たち。そして…一番は皇后陛下。
貴女様がいなくなれば…きっと、私は生きる意味を失うでしょう。
ですので大切なものを奪う戦争が起きて欲しくないと強く思っております。」

「ヒルダ…。
大切なものを奪う戦争……うん、本当にその通りだと思う。
私も、今ある当たり前がいつまでも続いて欲しいと思うよ。」

平民街を歩く人も様々で、よくよく見ると…汚れの目立つ格好で暗い表情をしながら歩いていたり、建物の前でぐったりしながら座っている人も多い。
以前来た時はこんなに多くなかったはずだから、あの人たちは難民なのかも知れない、とそう考えていると護衛の騎士が教えてくれた。

「帝都だけでも多くの住民がいます。
彼らの雇用だけでなく、戦争の度にやってきて増え続ける難民もとなると…現実には雇用が追い付いていないのです。」

「…大国に来てもすぐ職が見つかるわけではありません。住む所もそうです。
この国に辿り着くまでにも金はかかります。
日雇いでは働ける日が安定せず、食う飲むにまず使うので金が貯まらない。
宿に泊まるのも、一泊二泊であれば泊まれるでしょうが毎日は無理でしょう。まして家族で来たのなら尚金がかかる。
ですのでああして…道端で過ごすしかないのかと。」

「……そう…。」

大国と言っても全ての人が当たり前に普通の生活を送れるわけじゃない。
人が増えれば増える分問題は多くなって、そして終わりも見えない。
増え続ける難民が普通の生活を送るにはどうすればいいか。まず第一に職がなければ生活出来ない。
職にありつけるにはどうすればいいか。雇用を増やすしかない。
では雇用を増やすにはどうすればいいか。
それは新たな事を見つけ、生み出す事から始めなければならない。
商売するには始める前段階も必要だ。
品物を人に売るには安全であるとか、ちゃんと使えるものなのかとか、量産出来るか等々、色んな項目をクリアして初めて売り買い出来る。そこに辿り着くまでにもお金も時間もかかる。

「んーーー!この場ですぐには考えられない!もう頭がこんがらがってきた…!!」

ふふ、と小さなヒルダの笑い声と護衛騎士たちの笑い声が起こった所で平民街の見回りに戻った。
歩き続けながら帝都で生活する人たちの様子を見る。
男女で違いはあるけれど、相変わらず周りの人たちは皆ぽっちゃりさんばかりだ。
この世界に来たばかりの頃、月光館の最上階の部屋の窓から道行く人たちを見下ろしながら毎日不思議に思っていた。
痩せている人どころか普通体型もいないし男女で美醜の基準が違うってどういう事?変な世界、と。
男の人で“美形”と呼ばれる人は皆、ゲームに出てくる“オーク”みたい。
現代日本で生まれ育った私はそう思ったけれど、ここはゲームではなく現実の世界で、この国で過ごす内に自分の考えも変わっていった。
見下ろした先で歩いているひとは私にとってゲームのオークみたいな容姿だけど、色んな人と出会って話してそして知り合えばその人たちは“オーク”ではなくなった。
知り合った人だけじゃなく、周りにいる他人にもいつの間にか“オークみたい”とは思わなくなった。
私を襲った屑野郎みたいな人は別だけど。
“オークみたい”と、そんな失礼な認識が変わったのは私がこの世界に慣れたからだろうか。
違和感ばかりだった異世界。
生活も、美醜も何もかも違う変な世界。
おかしい、間違ってると思う事は未だ沢山あるけど、来たばかりの頃とは違って今ではこの国が好きだ。今、私が生きているこの世界が本当に大好きだ。
生活の不便はあるけれど、そんな些細な事より素晴らしいものがこの世界にはまだある。
人と人との繋がりだ。
手間を惜しまない分深まる絆。
助けられ、助け、支え合う事の喜び。
人が一人では生きていけないその意味を、この世界に来て教わった。
日本にいた頃の希薄だった人間関係がここでは違う分辛い事もしんどくなる事も沢山あるけれど、それに勝る大きな幸せがあるのだ。

「この世界に来れて良かった。」

「…申し訳ございません、皇后陛下。今何か仰いましたでしょうか?」

「ううん、何でもないの。
ヒルダ、皆、今日はもう戻ろうか。」

「畏まりました。」

お城に帰ると私の部屋にいたマティアスがお帰りと腕を広げてくれたのでただいまと飛び込んだ。
この世界が一番愛しく感じるのはマティアスたちがいるから。
この世界でしか出会えなかった私の愛する人たちがいるからだ。
ヒルダたちを下がらせたマティアスは私を軽々と抱え、そのままソファーに座る。
案の定私の席はマティアスの膝の上で、座った瞬間に熱烈なキスを顔中に受ける。

「疲れていないか?」

「ううん、大丈夫!
校舎も今の所は順調に工事が進んでるみたい。」

「そうか。
久しぶりに平民街を歩いてみてどうだった?」

「うんとね、」

マティアスの膝の上で甘やかされながら、私は平民街であった事を話す。
私の事はどんな小さな事であろうと、些細な出来事だろうと知っておきたい、そういつかの時に言ったマティアスは私の話を一つだって聞き逃すまいと熱心に聞いて質問してくる。
私の行動だけじゃなく、私の考え、気持ちまで全て知りたい、知っておきたいという強い独占欲は私にとっては全く重たくなく、寧ろ嬉しいものだ。

「やはりサイカが俺のテリトリーにいるのはいい。そなたが城にいるのといないのとでは全く違う。
会いたいと思ってもすぐには会えん辛さといったらないぞ。
お陰で政務も手につかん日がある。」

「そんな事言ってもやるべき事はちゃんとやるのがマティアスだよね。」

「まあな。
だが実際にそなたがいるといないでは進みが違うぞ?
…このままずっと俺の傍にいればいい。
カイルと結婚しても、ずっと。リュカやヴァレリアの元へも行かずこの城で過ごせばいい。」

「もう…」

「分かっている。決まりは決まりだ。今更覆すような真似はせんよ。」

座っていた体制からごろりとソファーに仰向けになるマティアス。
その上に私も寝転がって、いつかの時みたいにいちゃいちゃとしながら過ごす。
逞しい胸板に耳を当てればとくんとくんと心音が聞こえ、じんと胸が温かくなった。
ここが今の私の現実。何て幸せな現実なんだろうか。
大きな手のひらに頭を撫でられる内、私は心地良さに抗えず重くなってきた瞼を閉じた。


本城ほんじょうさん、まだ資料出来てない?いつ出来る?』

『すみません、三時までには出来ます。』

『本城さん、こっちの資料も明日までに仕上げて!明日先方に伺うから!』

『分かりました。』

ああ、あれもして…これもして…次はあの書類を片付けなくちゃ。
あの人に頼まれてた資料は…いつまでだっけ。

『なあ、なんで○○さんのやつ先にやってんの?俺が頼んだのが先だったよね?』

『すみません。ですが○○さんは資料がすぐに必要でして、優先させて頂きました。
こちらが終わったらすぐ取りかかります。』

『それならさ、先に一言俺に伝えておくのが常識じゃない?
○○さんのが優先度高いから先にやりますって。なら俺だって暇じゃないし、こんな事言わないっての。』

『すみません。必要だと仰った期日にまだ余裕があったので…勝手にお伝えせずとも大丈夫だと判断してしまいました。次からは気を付けます。本当にすみませんでした。』

八つ当たりみたいな事しないで欲しい。
今の時間でもう少し仕事を進められたのに。
ああ、しんどいな。まだまだやる事は沢山ある…誰か手伝ってくれないかな。
これ以上の仕事は抱えられない。でも頑張らなくちゃ。

『お休みを頂いてご迷惑をお掛けしました。
申し訳ありませんでした。』

『まだ顔色悪いみたいだけど…大丈夫なの?』

『はい。病院にも行きましたし一日休みましたのでもう大丈夫です。』

『そう。次から気を付けてね。うちは誰か一人が休むとその分誰かに負担がいくんだから。
体調管理は社会人の常識だよ?しっかりね。』

『はい。十分に気を付けます。』

情けない。迷惑かけちゃった。
周りの人の目が責めているみたい。
申し訳ない。今日は残業して、迷惑を掛けた分を取り戻さなくちゃ。

『お疲れ様でした~。
…あれ、本城さんもしかして今日も残業するの?』

『はい。明日中に必要な書類が三件ありまして。もう少しやってから帰ります。』

『え~!?今日も!?残業嫌じゃないの?私は嫌だな~。でも本城さん頼りにされてるんだね~、頑張ってね。』

『あはは、お疲れ様でした。』

頼りにされてる?違う。余り断らないから頼みやすいだけだ。
休みはあるしまだ世間で言われているような真っ黒黒な職場ではないけれど…それでもああ、疲れた。楽しい事もないし、目標もない。
本当に生きる為だけに仕事をしているみたい。

『それで、仕事がちょっと大変で…もう少し皆が協力出来ればいいと思うんだけど、』

『そうなんだ。それより聞いてよ!うちの旦那ってば本当ムカつくの!
育児に協力的じゃないし、休日だってごろごろしてるだけなんだよ!?結婚するんじゃなかった!
あー、サイカは独身でいいなあ。家事に育児って本当大変なんだよ!うちなんて旦那も子供みたいで…もう離婚したいわー。』

『それ分かる~!本当、いない方がマシよね!』

『…育児より仕事の方がまだ楽っていうもんね。お母さんになるって大変なんだね。』

『本当大変よ!まあ、サイカにはまだ分かんないと思うけどさ。
サイカはお給料を自分の為に使えるでしょ?
こっちは欲しいものも我慢の日々だよ。まず子供!化粧水もやっすいのに変えた。』

『私も~。独身の時は化粧品も洋服も靴もバッグも自分の欲しい物買えたけど結婚して子供出来るとね。サイカが羨ましい。』

『二人とも子供がもう少し大きくなったらパートとかするの?』

『んー…、まだ暫くはいいかな。
家事も育児もしてその上働くとか、無理。しんどすぎだって。』

『働く元気ないわよ。サイカもさ、子供生むなら早い方がいいよ?子供生んだらお金かかるしさ。
年とってから生んだらその分肌もぼろぼろになちゃうわよ~?』

『あはは。そっか。じゃあ早く結婚相手見付けないとだね。』

私、何してるんだろう。
楽しくもないのに何で笑ってるんだろう。
昔はもっと楽しかったな。馬鹿みたいな事を言って笑って過ごせていたのに。
友人たちと久しぶりに会ったのにすごく遠く感じる。
子供の頃はもっともっと楽しかったな。
お父さんとお母さんに守られて、毎日沢山笑って、明日が待ち遠しかったのに。
どうしてこうなっちゃったんだろう。
何だか無性に両親に会いたい。駄目だ。心配かけちゃう。
寂しいな。苦しいな。何だか、一人ぼっちになった気分。
寂しくて寂しくて、苦しくて辛い。
大人になったらもっと楽しいと思っていたのに。全然想像と違う。全然楽しくない。
恋人がいたら違うのかな。
結婚したら違うのかな。
子供がいたら違うのかな。
何だか凄く虚しい気持ちだ。


「……カ、サイカ。」

「………んう…?」

「ああ、良かった。起きたな。」

懐かしい夢だった。
この世界に来る少し前までの私の日常。
楽しくもなくて、目標という目標もなくて、したい事もなくて、ただ何となく毎日を生きていた虚しくて寂しい日常。
大きな不満は無かった。あの日常はあの日常で退屈ではあったけれど平穏そのもので、それが当たり前でそれなりに幸せだと思っていたから。
今と全然違うなと思ってふふ、と一人で笑っているとマティアスの深い青の瞳が戸惑ったように揺らいだ後、安心したものへ変わった。

「気持ち良さそうに寝ていると思ったら魘されて…涙を拭っても流れてくる。
恐い夢でも見たか?」

恐い夢。確かに恐い夢だったのかも。
今の幸せが無かったかも知れないと思うとそれは恐ろしい。
事故に合わなかったらこんなにも早く両親と別れる事はなかっただろう。
何事もなく過ごせていたならば当たり前に老いる両親を見送る事が出来ただろう。
それに、日本での生活を変わらずに続けている私はもしかしたら結婚して子供を生んでいたかも知れない。直接孫の顔を見せてあげられたかも知れない。
そういう風に幸せになっているかも知れないけれど、それでもきっと、マティアスたちと一緒にいる幸せには程遠い。
今の幸せを知ってしまえば、日本で過ごしていた少し前の過去には戻りたくないと、そう思う。

「恐い夢も悪くないよ。
だってね、今がとっても幸せだって強く思う事が出来るから。」

「…ニホンの夢を見たのだな?」

「うん。…今回の夢は両親の夢じゃなくて…日常の夢だった。」

「俺に聞かせてくれ。」

「うん、勿論。」

お城にいる時は普段使わない自室のベッドの上。
向かい合うように寝転んで、マティアスが私の目元に残っている涙を優しく拭う。
日本でどう過ごしていたか。もう何度か話した事があるというのに、マティアスは初めて聞く話のように丁寧に聞いてくれる。

「日本にいた頃とこっちに来てからだと感じ方や考え方も随分変わって…この世界に来てからの方がずっとずっと、何倍も生きてるって感じがする。
生きてる感じがすると言うか…生きている事に意味を感じられる。」

穏やかな心持ちでそう伝えると、マティアスは私をぎゅっと抱き締めながら労るように、甘やかすように頭や背中を撫でた。

「大人になるまでは毎日が楽しくて、キラキラとして、明日が来るのが楽しみだった。
大人になったらきっと自分はこうなってるんだ、素敵な大人になっていて、仕事も私生活も充実して…そんな想像をしてたけど実際は全然そんな事はなかった。」

「……。」

「仲の良かった友達と少しずつ疎遠になって、ここに来る前には遠い存在になってた。
職場でも同じ。皆自分の事で精一杯。
誰かを気遣える余裕なんてない。
しんどくても嫌だなって思っても、日々は待ってはくれない。
楽しい事もなくて、やりたい事もなくて、ずっと一人で、一人だけの退屈な生活が毎日続くからどんどん疲れちゃって、その内何の為に生きてるんだろうって、変な事考えてたりね。」

「…サイカ…」

「丁度、そんな頃の夢だったよ。見たのは。
でもねマティアス。目が覚めても別に悲しい気持ちにはならなかった。だって今は違うもの。
それだけじゃない。この世界に来て、私…日本にいた頃とだいぶ変わった。」

親しい人たち、家族、個人間で自分に出来る範囲なら何かをしてあげたいと思った事はあるけれど、それがちょっとした知り合いだとか、他人だった時は何かをしたいという気持ちになった事はなかった。
日本の何処かで大規模な災害が起きた時も、寄った先のコンビニやお店で募金をする事はあっても物資を送るだとかボランティアに参加するだとかそんな事はしなかったししようとも思わず自分には関係がないと他人事だった。
人の悪口は好まないけれど、友人たちの話に相槌を打つ事はあった。
直接だとか、あからさまな差別はしないけれど、蔑む気持ちはあった。
日本で生きていた頃の私は、他人はどこまでも他人で、自分には一切関係ないと思いながら過ごしていた。
この世界に来たばかりの頃もそうだ。
おかしな美醜の定義を持つ異世界。
月光館で与えられた最上階の部屋から見下ろす人々は私の美醜の基準から言えば“不細工”な人たちばかり。
直接、あからさまな態度や言葉を誰かにぶつけた事はないけれど、心の中ではそんな風に思っていた醜い人間。
言わないだけで、心の中では大勢を差別していたのだと、私は懺悔するようにマティアスに話した。

「マティアスたちの境遇を知って悲しくなった。
オーナー、月光館の皆、マティアスやリュカ、ヴァレ、カイル、お義父様、サーファス様の周りにいる人たち…沢山の人と出会って知り合って、話して、そして知っていく内に…いつの間にか、周りの知らない人たちに対しても気持ちが変わってた。」

いつの間にか、ゲームに出てくるオーク化け物のような、とは思わなくなった。
誰かは誰か、同じ人間。
私と同じ、人間。

「他人の為に何かしたいとも、他人が困っている、傷付いているから何かを変えたい、そんな大層な事も考えた事なかった。
この世界に来たばかりの頃の私だったらきっとマティアスたちの事があったって大きな事をしようと思わなかったと思う。
心苦しく思っても、何とかしたいなって気持ちになっても、きっと実際には行動しなかった。」

「それは誰もがそうだ。皆、他人事に思っている。そなただけではない。
変えるという事は大変だ。とてつもない労力と手間、金、そして時間もかかる。面倒で、気力もいる。
恨まれたり責められたり、疎まれたりもする。
新たな事も変化も、望まない者は多くいる。」

「うん。」

「だが、そなたはその面倒で気力も勇気もいる事、労力や手間のかかる事をやろうとしてくれている。
そなたの変化はこの世界で過ごした環境や俺の妻となったその立場もあるだろう。
だが、一番のきっかけは俺やみな。そなたが何かを決意する時、覚悟を決める時に必ず俺たちがいる。…それは、何より嬉しい事だ。」

「ふふ。確かにマティアスの奥さんになってから色々と考える事が多くなったよ。」

「だろう?
それから…そなたはこの世界で生きる大勢を差別していたと懺悔するように俺に伝えたが…俺からすればサイカはやはり優しい娘だという以外の気持ちはないな。」

「ええ…?」

「以前にも伝えたが多くの者は差別を当然としているし悪いとも思わない。
まして自らの考えを省みる事もなければ反省する事もない。余程の事が無ければ。
人の気持ちを考えられる優しい娘だからこそ、そなたは自らの考えを反省し、変わる事が出来た。それだけのこと。」

「…うーん…」

「それにだ。冷たいと思うかも知れんが俺は多くの者などどうでもいい。
多くの者が俺の容姿を蔑んだ。だがそなたは俺を醜いと言葉にしたり態度に現す事はなかった。
サイカがどんな人間か。多くの者を心の中で差別していた醜い人間とそなたは言うが、俺にとっては俺を蔑む事をせず当たり前に一人の人間として接してくれた娘。それが全てよ。」

マティアスにとっての私はこれまでマティアスに接してきた私が全て。
出会ってから過ごした私が、マティアスにとっての私。

「幾つになっても人は成長出来る。変わる事も出来る。良い変化、悪い変化、そのどちらにも。
そなたはこの国で過ごし多くの者と接する内に色んなものを見て、何かを感じた。
皇帝である俺の妃となり、身分、その立場を考えた。」

「…うん。」

「子を成す事だけが役目と考えず、俺の隣で共に国を守っていこうと思ってくれた。
そしてその守るものの中に、そなたはそなたの愛する者たちを真っ先に浮かべ、連なるように多くの者へも心砕くようになった。
そうやって、そなたは変わっただけのこと。
良い変化として、自らを成長させているだけのこと。今もな。」

「…ふふ、うん。そっか…そうだね。」

生きる為に仕事をする。
両親と暮らした実家を出てからは一人、働いて、食べて、寝て、また働いて、休んで、その繰り返しの毎日。
意味や目標を持って生きている訳ではなく、ただ何となく過ごして、そうやって一日を終える。
自分の事で精一杯。いや、自分の事もどうでも良くなっていたと思う。
繰り返す毎日を同じようにただ繰り返すだけ。
誰かの為になんて気持ちは全くなかったのが、この世界に来てから変わった。
異世界での新しい人生。これまでの私ではなく、新しい私になろう、本当の私でいよう。
自分を幸せにしてあげたい。後悔しないように生きて、幸せになろう。
そして、月光館で初めてのお客さんになったマティアスと出会い、皆と出会った。
私自身が楽しく生きて、幸せになって、マティアスたちも幸せにする。心から幸せにしてあげたい。
皆とのお付き合いが始まって、婚約者になって、それでもまだ自分の身分や立場に対しての自覚は余り無かったと思う。
自覚を持ち始めたのは恐らく、マティアスと一緒に災害の起きたディアゴ村へ行った時だろうか。
生まれて初めて見た、死と隣合わせのあの光景。
画面や紙で見るのとでは生々しさが違った。
酷い有り様の村。
手でがむしゃらに土砂を掘っている人。
怪我を負っている人。
呆け、呼び声にも応えられない人。
俯き、沈んだ表情の人。
誰かの無事を祈り続けている人。
死ぬなと泣き叫んでいる人。
生きる気力を失った人。
大好きな両親を亡くしても、泣けずに幼い弟を守っている子供。
胸が締め付けられた。痛くて仕方なかった。
悲しくて苦しくて、言い様のない気持ちになった。
なんて無力なのだろう。何が出来るかなんて分からないけれど、体を動かした。
怪我人を運び、村の人たちの側に、村を見回って、土砂の片付けを手伝って。
少しずつ、各々が自分に出来る事を探し、行動していく。
皆一丸となってディアゴ村で過ごしている事に感動した。
村の人たちに僅かでも笑顔が戻った時はとても嬉しかった。
ありがとうとお礼を言われて、泣きたくなった。
数日過ごしただけなのに、他人事とは思わなかった。

何かのきっかけがあって、人は変わっていく。
私の場合はいつの間にか、少しずつ、自分の経験や体験を通して。
出会った誰かがきっかけとなって。
差別が無くなればいい。無くしたい。そう思ったのはマティアスたちがきっかけ。
マティアスに嫁いで、随分偉い身分になって、大好きなたちが生きている場所を守りたいと思った。
守りたいのは大好きな人たちがこの国で生きているから、それがきっかけで、大勢は大好きな人たちの“ついで”、その程度だった。
だけどそれも、レスト帝国皇后となって過ごす内、少しずつ変わってきている。
この国にいる人たちが、当たり前の暮らしが出来るようになればいいのに。
帰る家があって、大切な誰かと過ごせる当たり前な日々を送れるようになればいいのに。
そういう風に、私は少しずつ変わっていっている。
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