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一つ目の代価
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「お母さん」
窓から差し込む暑い日差しに目が覚めた僕は、空気の流れのない静かな空間に呼びかけた。
今日も母は帰ってこない。
もう、夢の中の母の後ろ姿さえも、深い霧に包まれうっすらとしか見えなくなってしまった。
🔳▪️🔳▪️🔳▪️ 🔳▪️🔳▪️🔳▪️
西日が差し込む部屋の中、肌を刺すよう様な静寂、綿埃がわだかまった畳に腹這いになって、小さな手で絵本のページをめくりながら、友紀の注意は本の中身ではなく、部屋の隅の鏡台で化粧をしている母親の冷ややかな背中に向けられていた。
母親の不機嫌に拍車がかからない様に母親からは一番離れた部屋の隅で大人しくしていた。
それでも母親の虫の居所の悪い時には、口をきくことも食事の用意さえされずに無視をされる事も度々あった。
まだ幼い子供には身体に受ける暴力より辛く感じた。
母親の機嫌を取ろうと頑張っても、母を捨てた父にそっくりの蒼い瞳の僕を憎んでいる母にとっては、そんな友紀の行動は裏目に出ることが多かった。
「坊主、またお母さんに面倒かけてるのか」
母親に会いによく来る男がいつの間に来たのか玄関から顔を覗かせた。
台所で洗い物を手伝おうとした友紀を吊し上げ部屋に連れて行く。
「子供には口で言っても駄目さ。身体で覚えさせないと」
振り上げられた男の手は友紀の身体を何度も部屋の隅まで吹き飛ばす。
でも、嫌いな男からの肉体的な痛みは、愛されたいと思う母親からの精神的なダメージよりはるかにマシだ。
男が怪我をする程に殴ってくれれば、もしかしたら母親は自分への憤りを和らげて、少しは心配してくれるかもしれない。
そんな自虐的な望みを抱いてしまう時もある。
ある日、母が出かけて一人でいる時に、クレヨンを探していて引き出しの奥にくしゃくしゃになった一枚の写真を見つけた。
柔らかい栗色の髪、蒼い瞳、僕によく似た男性の写真。
でも、僕と違ってその男性は優しい笑顔でカメラに向かって微笑んでいた。
見ている僕までホッとする幸せそうな優しい微笑み。
きっと母に向けられたものだと思うのに、何故母を捨てたの?
写真を抱きしめた僕、何故ポロポロと涙が溢れるのか不思議だった。
母に見つからない様にそっと隠した。
初めて母に隠し事をした。
そのくしゃくしゃの一枚の写真は初めての僕の宝物になった。
🔳▪️🔳▪️🔳▪️ 🔳▪️🔳▪️🔳▪️
今日は少し体が怠く、窓の側に敷かれた布団に横になって絵本を見ていた。
奥の襖が開き、綺麗な服に身を包んだ母、手には大きな鞄を持っていた。
慌てて布団に正座する僕を見て、小さく舌打ちをした母は、
「冷蔵庫にお弁当とかおにぎりがあるから食べなさい。旅行に行くから外に出たらダメよ。解ったわね。」
厳しい口調で言い捨てた母は部屋を出て行った。
最近は、冷蔵庫に幾つかの弁当やらおにぎりを用意して家を空けることが多くなった。
食べる物が無くなる頃に母は帰ってくるというパターンが続き、その間隔が少しずつ伸びてはいた。
それでも、不機嫌ではあるけど必ず帰ってはきていた。
だから、帰ってきてくれると信じた。信じたかったのかもしれない。冷蔵庫が空になっても水だけで過ごす日が続いても母のいないままの日々、捨てられたんだと友紀に暗い影が囁いてくる。
寝返りすることも辛くなってきた。
手を伸ばした先の冷たい畳に爪を立てる。
微かな畳が削られ、それを無意識のまま口に運び力なく咀嚼する。変な味がして吐きそうになる。
でも、吐く力もなくヨダレが口の端から滴り落ちただけだった。
何日経ったんだろう。
『お母さん』
もう声も出ない。
🔳▪️🔳▪️🔳▪️ 🔳▪️🔳▪️🔳▪️
目の前をキラキラと星が降ってきた。
僕の願いが叶いますように。また、お母さんが僕の名前を呼んでくれます様に。
『お母さん、僕はここで大人しくしてたよ』
空気を僅かに揺らす程の友紀の声は、友紀を呼ぶ声に届かず、指先がほんの少し畳を引っ掻くのが精一杯。
それでも必死で動かそうとしたら、テーブルに不安定に置かれたペットボトルが畳に落ち転がっていく。
途切れ途切れで聞こえる声は、なんだかお母さんの声じゃない?
こんなに頑張ったのにお母さんじゃないの?
耳鳴りのような水を通して聞いた時みたいな、ぐわんぐわんと僕の思考にまとわりついてくる。
微かに開く事の出来た僕の瞼、光の束を背に受けて佇む闇の色を持つ大きな翼を広げた天使だった。
良い子じゃなかったから闇が迎えに来たんだきっと…。でも、お母さんは喜ぶかな?僕が消えたら………どんどん闇に吸い込まれ溶けていきそうだ。このまま息をするのも忘れてしまうのかもしれない。
闇の色を持つ天使、少し怖いようなでも、とても綺麗だった。もう一度会いたいなぁ。
闇の中にほんのり明かりが見えたけど、手を伸ばせばすぐに闇に飲み込まれてしまう。誰かこの闇から連れ出してほしいと思いながらも、僕は良い子じゃないからここがふさわしいとも思う。
もっと早くあの綺麗な天使に出会えていたら。
あの大きな翼で僕を隠してくれていたら。
お母さんも心穏やかに過ごせただろうに。
存在自体を否定するような母の冷たい視線を向けられることもなくなるのに。
母親の視界から僕を隠して、お願い。
窓から差し込む暑い日差しに目が覚めた僕は、空気の流れのない静かな空間に呼びかけた。
今日も母は帰ってこない。
もう、夢の中の母の後ろ姿さえも、深い霧に包まれうっすらとしか見えなくなってしまった。
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西日が差し込む部屋の中、肌を刺すよう様な静寂、綿埃がわだかまった畳に腹這いになって、小さな手で絵本のページをめくりながら、友紀の注意は本の中身ではなく、部屋の隅の鏡台で化粧をしている母親の冷ややかな背中に向けられていた。
母親の不機嫌に拍車がかからない様に母親からは一番離れた部屋の隅で大人しくしていた。
それでも母親の虫の居所の悪い時には、口をきくことも食事の用意さえされずに無視をされる事も度々あった。
まだ幼い子供には身体に受ける暴力より辛く感じた。
母親の機嫌を取ろうと頑張っても、母を捨てた父にそっくりの蒼い瞳の僕を憎んでいる母にとっては、そんな友紀の行動は裏目に出ることが多かった。
「坊主、またお母さんに面倒かけてるのか」
母親に会いによく来る男がいつの間に来たのか玄関から顔を覗かせた。
台所で洗い物を手伝おうとした友紀を吊し上げ部屋に連れて行く。
「子供には口で言っても駄目さ。身体で覚えさせないと」
振り上げられた男の手は友紀の身体を何度も部屋の隅まで吹き飛ばす。
でも、嫌いな男からの肉体的な痛みは、愛されたいと思う母親からの精神的なダメージよりはるかにマシだ。
男が怪我をする程に殴ってくれれば、もしかしたら母親は自分への憤りを和らげて、少しは心配してくれるかもしれない。
そんな自虐的な望みを抱いてしまう時もある。
ある日、母が出かけて一人でいる時に、クレヨンを探していて引き出しの奥にくしゃくしゃになった一枚の写真を見つけた。
柔らかい栗色の髪、蒼い瞳、僕によく似た男性の写真。
でも、僕と違ってその男性は優しい笑顔でカメラに向かって微笑んでいた。
見ている僕までホッとする幸せそうな優しい微笑み。
きっと母に向けられたものだと思うのに、何故母を捨てたの?
写真を抱きしめた僕、何故ポロポロと涙が溢れるのか不思議だった。
母に見つからない様にそっと隠した。
初めて母に隠し事をした。
そのくしゃくしゃの一枚の写真は初めての僕の宝物になった。
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今日は少し体が怠く、窓の側に敷かれた布団に横になって絵本を見ていた。
奥の襖が開き、綺麗な服に身を包んだ母、手には大きな鞄を持っていた。
慌てて布団に正座する僕を見て、小さく舌打ちをした母は、
「冷蔵庫にお弁当とかおにぎりがあるから食べなさい。旅行に行くから外に出たらダメよ。解ったわね。」
厳しい口調で言い捨てた母は部屋を出て行った。
最近は、冷蔵庫に幾つかの弁当やらおにぎりを用意して家を空けることが多くなった。
食べる物が無くなる頃に母は帰ってくるというパターンが続き、その間隔が少しずつ伸びてはいた。
それでも、不機嫌ではあるけど必ず帰ってはきていた。
だから、帰ってきてくれると信じた。信じたかったのかもしれない。冷蔵庫が空になっても水だけで過ごす日が続いても母のいないままの日々、捨てられたんだと友紀に暗い影が囁いてくる。
寝返りすることも辛くなってきた。
手を伸ばした先の冷たい畳に爪を立てる。
微かな畳が削られ、それを無意識のまま口に運び力なく咀嚼する。変な味がして吐きそうになる。
でも、吐く力もなくヨダレが口の端から滴り落ちただけだった。
何日経ったんだろう。
『お母さん』
もう声も出ない。
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目の前をキラキラと星が降ってきた。
僕の願いが叶いますように。また、お母さんが僕の名前を呼んでくれます様に。
『お母さん、僕はここで大人しくしてたよ』
空気を僅かに揺らす程の友紀の声は、友紀を呼ぶ声に届かず、指先がほんの少し畳を引っ掻くのが精一杯。
それでも必死で動かそうとしたら、テーブルに不安定に置かれたペットボトルが畳に落ち転がっていく。
途切れ途切れで聞こえる声は、なんだかお母さんの声じゃない?
こんなに頑張ったのにお母さんじゃないの?
耳鳴りのような水を通して聞いた時みたいな、ぐわんぐわんと僕の思考にまとわりついてくる。
微かに開く事の出来た僕の瞼、光の束を背に受けて佇む闇の色を持つ大きな翼を広げた天使だった。
良い子じゃなかったから闇が迎えに来たんだきっと…。でも、お母さんは喜ぶかな?僕が消えたら………どんどん闇に吸い込まれ溶けていきそうだ。このまま息をするのも忘れてしまうのかもしれない。
闇の色を持つ天使、少し怖いようなでも、とても綺麗だった。もう一度会いたいなぁ。
闇の中にほんのり明かりが見えたけど、手を伸ばせばすぐに闇に飲み込まれてしまう。誰かこの闇から連れ出してほしいと思いながらも、僕は良い子じゃないからここがふさわしいとも思う。
もっと早くあの綺麗な天使に出会えていたら。
あの大きな翼で僕を隠してくれていたら。
お母さんも心穏やかに過ごせただろうに。
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母親の視界から僕を隠して、お願い。
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