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<15/ルーカス>

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 王宮に戻って直ぐ、セディの執務室に向かった。
 リリエンヌに宣言した通り、ゴムタイヤを作れる技術者を、乳母車工房に派遣したい。
 後は、リリエンヌとクローディアスが使用する王子宮の馬車。
 震動を気にするのであれば、あれも、ゴムタイヤ仕様にするべきだろう。
「セディ」
 執務室の扉をノックすると、キースが対応に出た。
 室内にはセディとキースのみで、侍従がいない。
 珍しい事もある…と思った所で、もしかすると、人払いしていたのでは、と気が付く。
 キースの力が必要と言う事は、何かしら、人の耳に入れたくない情報を集めていると言う事だ。
「すまない、邪魔だったか」
「いや、大丈夫だよ。ただ、まだルークにも報告出来る段階ではないんだけど」
「それは構わない。セディが話す必要がある、と考えてからで」
「ん、そうさせて」
 セディの顔色が、悪い気がする。
 案じるように見つめると、にこ、と笑い返された。
「大丈夫だって。ちょーっと、嫌な予感が当たりそうな気がするだけでさ」
「…そうか」
「で?どうしたの、ルークが執務中にここに来るなんて。珍しいね」
「いや、ゴムタイヤの技術者はお前の管轄だっただろう?技術提供を受けたいと思ってな」
「へぇ?」
 執務机の前に据えられた応接セットに座るよう、促される。
 侍従がいないので、キースが茶器を持って来た。
 …この男、本当に何でも出来るな。
「ゴムタイヤは、半年後には一般の流通にも乗せられると思うけど…今がいい?」
「あぁ。出来るだけ早く」
「何に使うのか、聞いても?」
「乳母車だ」
「「…うばぐるま…?」」
 セディとキースの声が、重なった。
「そうだ。赤ん坊を寝かせたまま移動出来る手押し車なんだが、衝撃を吸収する仕組みがないらしくてな。震動が大きいのが、気になるんだそうだ」
「…誰、が、気にしてるの?」
「?リリエンヌだが」
 答えると、二人は目を丸くして、口をぽかんと大きく開けた。
 埃が入るぞ?
「リリーが…って事は、やっぱり、クローディアスの乳母車?」
「そうだ。クローディアスはまだ、首も据わっていないのに、あのような震動の大きい乳母車では体に悪くて、寝かせられない、散歩も出来ない、と嘆いていた。だから、ゴムタイヤを使えば、震動がましになるのでは、と」
「…うん…そうだね、多分、震動は大分軽減されるんじゃないかな……」
 珍しく、セディの歯切れが悪い。
 ゴムタイヤに変更する程度で、これ程に驚かれるのであれば、リリエンヌに頼まれている他の改良点は、黙っておいた方がいいかもしれない。
「何か、問題があったか?」
「ううん、何も。そっか…リリーがね…」
 何だか、眩しそうなものを見る目になったセディの肩を、ぽん、と、キースが叩く。
 二人だけで通じ合っている気がして、何となく面白くない。
「ルーク、変わったな」
 キースにしみじみと言われて、首を捻った。
 変わった…いや、指摘されるまでもなく、生活は大きく変化した。
 クローディアス誕生前後で、俺の行動が全く違うのは、誰が見ても一目瞭然だろう。
「子供って、そんなに可愛いもんか?」
 独身のキースに尋ねられて、思わず口を噤む。
「クローディアスが、どう、と言うよりも…リリエンヌが…」
「リリーが?」
 セディに促されて、考え考え、言葉にした。
「リリエンヌが…これまでに見た事がない位、楽しそうなんだ。クローディアスに関する事には、饒舌だし、積極的だし、新しいアイディアを形にしては、乳母達を喜ばせている。その姿を見るのが…多分、嬉しい、んだな。俺が、何をしたわけでもないのだが」
 ゴムタイヤの技術者を呼ぼう、と話した時の、リリエンヌの笑顔が目に焼き付いている。
 まさか、あんなに嬉しそうに笑うなんて。
「ふぅん?」
 セディの目が、眩しそうに細められる。
「良かったね、ルーク」
「だが、楽しそうなのはクローディアスに関する事だけだ」
 思わず、苦笑する。
 それ以外の話題で、微笑と言う名の無表情になるのは、変わらない。
「ま、いいんじゃない、追々で。いきなり全部は、変わらないよ」
「…そうだな」
 まずは、リリエンヌが自分の希望を口に出来るようになった事が、喜ばしいのだろう。
 いきなり、多くを望むべきではない。
 この変化だって、想定外にもたらされたものなのだから。
「あぁ、そうだ、セディ」
「ん?」
「リリエンヌとロザリンドの公務再開は、花祭りからだろう?妊娠中は、体調の事もあるだろうから、と、どちらが公務に出席するかは、話し合いで決めるようにロザリンドに一任していたが、今後は、公務の内容で割り振った方がいい」
「いいと思うけど…どうしてそう考えたのか、聞いても?」
 セディの目が、こちらを探るように見ていた。
「妊娠中の公務は、殆ど、ロザリンドが請け負っていたな。俺が聞いた彼女の説明によると、リリエンヌの気が進まない、リリエンヌには荷が重いと言った理由だった。だが、王子妃である以上、そのような理由で公務を引き受けないわけにもいかないからな。リリエンヌ本人も、与えられた公務は全うすると話している。表舞台から早々に引退させようと考えていたが…本人にやる気があるのであれば、もう少し、頑張らせてもいいのではと思っている」
「なるほどね…」
 セディが口の中で、「ローズがそんな事を…」と呟いているのが聞こえる。
「うん、いいんじゃないかな。公務再開の前に、父上達との面会もあるし、そこで二人も顔を合わせるから、話せるでしょ」
「子と孫は違うと聞く。父上達の反応が楽しみだ」
 俺の言葉を聞いたセディが、大袈裟に肩を竦めた。
「ルークが着々と父親への道を歩んでいるのに、私は未だに、アルバートをじっくり見た事もない!」
「そうなのか?」
 驚いてキースを見ると、彼も小さく肩を竦める。
「何でも、乳母達が鉄壁のディフェンスで守ってるらしいぜ?『若君はまだお小さいのですから、ご訪問はご負担になります』『若君は現在、沐浴中でございますので、ご面会頂けません』『殿下はお忙しいのですから、若君に帝王学が必要となってから関わって頂ければ十分でございます』」
「…何だ、それは」
 特に最後のは、リリエンヌが話していた『赤ちゃんが育つのに必要な心の栄養』と、全く違わないか?
 タウンゼント家が寄越したと言う事は、育児のプロなのだろうが、彼女達の言葉は、素人である俺が聞いても、違和感がある。
「…問題は、どうして、乳母達が私をそんなにもアルバートに会わせたくないのか、なんだよ」
「確かにな…」
「私は育児を知らない。彼女達のやり方に口を挟める程、知識がない。だから、ただ、アルバートの顔を見る事が出来れば、それでいい。そう話しても、見るだけでアルバートが減る、とでも言いたげでね」
「…減るわけがないだろう…」
 寧ろ、積極的に触れ合う事が子供の成長に繋がる、と、毎回、リリエンヌはクローディアスを抱っこさせる。
「これが王族の育児なのだ、と言われると、ね…自分が赤ん坊だった頃の記憶などないし、反論も出来ない」
「だが、幾ら庶民の育児のように、親の傍らで過ごすわけではなくとも、親であるセディが会いたいと願うのを拒否するのは、問題ではないか?」
「やっぱり、そう思う?」
 セディが、溜息を吐く。
「ロザリンドはどうしてるんだ?」
「産後一ヶ月が経ったから、と、少しずつ、日常に戻しているよ。アルバートに会ってるのかは…知らないなぁ。話題に出ないんだ」
 セディは、自分に与えられた王子宮で、ロザリンドとアルバートと生活しているから、殆ど毎日、ロザリンドと顔を合わせている筈だ。
 一緒に暮らしているのに、アルバートに会えないと言うのは、やはり、異常に見える。
「だから、私にとっても、父上達との面会は楽しみなんだ。邪魔されずに、アルバートを見れる筈だからね」
「そうか」
 執務がある以上、常に子供の傍にいられるわけではない。
 だが、傍にいられる時位、共に過ごしたっていいじゃないか。
 そう考える俺は、恐らく、大分、リリエンヌの考えに染まっている。


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