上 下
49 / 63

<48/ルーカス>

しおりを挟む

 ロザリンドは、顔を伏せ、黙り込んでいる。
 暴れる様子はないから、退室させる必要もないだろう。
 念の為、背後ではイアソンが目を光らせている。
 これまで、大人相手に見せていた『完璧な王子妃』としての姿しか知らない五公爵家夫妻は、ロザリンドの変化を愕然とした顔で見ていた。
 彼等には、ロザリンドの実態を知っておいて貰った方がいい。
 今回の襲撃については、調べれば調べる程、動機も主犯も判らなくなっていった。
 ロザリンドが婚前にタウンゼント一族であるアレン・マーティアスの子供を妊娠した件、花祭りでのリリエンヌ襲撃事件、王子宮襲撃事件、更に言えば、長年に渡り、もう一人の王子妃候補であるリリエンヌを虐待していた意図。
 それらは、同じ目的から起きた一連のものであり、タウンゼント家が王家の権力を掌握する為、ひいては、タウンゼント家が王家を乗っ取る為、と言う視点で調査を進めていたのだが、調べれば調べる程、小さな違和感が次々と湧き起こる。
 王家を乗っ取る、と企図したものにしては、どうにも杜撰さが否めないのだ。
 その一方で、五公爵家の他の家に女児が産まれないよう手を回した様子があったり、実際に生まれたリリエンヌの人生を非道なまでに支配したり、と、徹底して冷酷でもある。
 最終的にセディは、
「じゃあ、全部知ってる筈の人に吐いて貰おうよ」
と、あっさり言った。
 全部知ってる筈の人。
 タウンゼント公だ。
 あの狸が、簡単に口を開くものか、と思ったが、案外、これまでのセディの揺さぶりは効いているように思う。
 ここまで冷酷非道な真似をして来た割には、詰めが甘いのか、疑われる想定をしていなかったのか、言い逃れすらする気配がない。
 その様子に、奇妙なものを感じる。
「ロザリンドの子供が私の子供ではない事、父親がタウンゼント一族の者である事を、知ってたんでしょ?しらばっくれても無駄だよ」
 セディの問いに、タウンゼント公は、観念したように小さく頷いた。
 タウンゼント夫人が、驚いたような視線を夫に送っている。
 …まぁ、今更、誤魔化しようもない。
「相手の男から、ロザリンドの要望に応えるように、公に命じられたと聞いてるんだよね。何で、婚前に他の男と通じる事を認めたの?王子妃が、どんな立場なのか、五公爵家に生まれた公なら、よく判ってる筈だ」
「…愛する者と結ばれぬ辛さは、よく存じておりますので…」
「愛する者、ねぇ…その相手が、ロザリンドを完全拒否してたのも知った上で、言ってるんだよね?」
 セディが呆れた声で問うと、タウンゼント公は、不思議そうな顔を見せた。
「…拒否、ですと?」
「そうだよ。さっきの話、聞いてなかった?何年も拒み続けた結果、公に命じられた上に、薬を盛られて、無理矢理、襲われたんだよ。相手の男には、心から慕っている別の女性がいるのにさ」
 だが、タウンゼント公の顔には、理解出来ない、と書いてある。
「…ですが、想いを寄せているのはロザリンドですよ?例え、他の女を憎からず思っていたとしても、ロザリンドに想いを寄せられたら、心変わりするのが当然でしょう。私は、身分違い故に愛を貫く勇気のない若者の背を、押したまで」
 場の空気が、静まり返った。
 あぁ…これは、話が通じない手合いだ。
「…何でそんなに自信があるのかは判らないけど。まぁ、いるんじゃない?ロザリンドによろめく男も。でも、ロザリンドに声を掛けられた男が全員そうだ、と言い切れるなんて…どれだけ、バカにしてるの?」
「判りませんな。ロザリンドは美しく、賢く、この国でも比類なき地位にあるのです。比べるべくもありません」
「タウンゼント公爵。そんな女性がこの国に一人ではない、と知っているからこそ、ラダナ夫人を買収してまで、リリエンヌの王子妃教育を不当なものにしたんでしょ?」
 ラダナ夫人の名を聞いて、タウンゼント公が固まった。
 …まさか、リリエンヌの王子妃教育に、タウンゼント家が干渉していた事を、気づかれていないと思っていたのか?
 どう言う事だ?
 嘗て、周囲の大人達にリリエンヌの境遇を訴えた時、皆がタウンゼント公を恐れて沈黙を選んだのに、彼だけは、周囲に己の思惑を気づかれていないと思っていたとでも言うのか?
「リリエンヌの時間を拘束して、人間関係を築く邪魔をした。リリエンヌに事実ではない評価を吹き込んで、彼女の自己肯定感を著しく低下させ、自己認識を歪めた。それが判っていても、アーケンクロウ家はリリエンヌを庇えなかった。タウンゼント家の思惑が読めない上に、リリエンヌの首元に刃を突き付けて、いつでもその命を奪える、と脅されていたようなものだからね」
 会議開始前、昨日のリリエンヌとのやり取りをセディに報告すると、セディは憤りの余り、ペンを折った。
 俺達は二人とも、リリエンヌの境遇が正常な状態ではないと気づいていながらも、ここまで酷い状況だと、気づく事が出来なかった。
 セディの冷ややかな声に、タウンゼント公が、唇を噛む。
「…ねぇ、だから、本当に不思議なんだよ。何が目的なんだ?」
 セディの問いに、タウンゼント公は答えない。
 その時だった。
「セドリック殿下」
 ずっと沈黙を貫いていたアーケンクロウ公が、口を開いた。
 今日の会合で最年長のリリエンヌの父親は、七十になる所だが、姿勢も良く、厳しい顔立ちは長年勤めた宰相と言うよりも武人に見える。
「これまでの流れを拝見するに、本日の会合は、口外無用且つ無礼講と思ってよろしいですかな?」
「アーケンクロウ公爵。まぁ、そんな感じだね。表に出す時には、それっぽい理由をつけるよ」
「…では、この場限りとして、発言をお許し頂けますかな?」
「いいよ。何か知ってるんだね?」
「恐らくは、これが動機の一端なのではないか、と…」
 そう言うと、アーケンクロウ公は背筋を伸ばして、タウンゼント公を真っ直ぐに、鋭い視線で見遣った。

「…エドムント・タウンゼント。君は未だに、アナスターシャの事を諦めていないのかね?」

 アナスターシャ。
 それは、アーケンクロウ公が妹のように可愛がっていた年下の叔母であり、ハークリウス王国王妃であり、俺の母の名だ。
 母上の顔を見ると、母上は唖然とすると同時に、瞳に剣呑な光を浮かべた。
「…諦める?」
 タウンゼント公は、謂れのない指摘を受けた、と言う表情を見せる。
「一度目は…あぁ、そうだ。アナスターシャが十六になった年。君は、アナスターシャに求婚をしたな。だが、その時点で既にアナスターシャは、レジナルド殿下と婚約を交わしていた。だから、諦めるように告げ、君は引き下がった。だが、二度目。今度は、アナスターシャが学園を卒業する日。君は水色の花束を携えて、アナスターシャに求婚した。卒業の一週間後には、レジナルド殿下と結婚する事が決定していたのに。当然、アナスターシャは花束を受け取らなかった」
 水色の花束、と聞いて、タウンゼント夫人以外の夫人達が、ざわめいた。
 タウンゼント公は、ロザリンドと同じく水色の瞳をしている。
 学園の卒業式で、想いを寄せる異性に、自分の髪や瞳から取った色の花を花束にして求婚するのが、学園での伝統となっているのは、俺も知っていた。
 まさか、タウンゼント公が、母上に…。
「君は素直に引き下がって、無事にアナスターシャは結婚した。だが、不運な事に、夫であるレジナルド殿下が流行り病を患い、結婚して一年を目前に亡くなられた。…その時も、君は、夫君を失ったアナスターシャは実家に戻されるだろうから、と、求婚に来たな」
 …知らなかった。
 母上が、父上の亡くなった長兄の婚約者だった事は知っていたが、実際に結婚していたとは。
「君が我が家を訪れた時点で、寡婦となったアナスターシャがどうなるか、まだ何も決まっていなかった。何よりも、アナスターシャはレジナルド殿下を亡くした失意で、心身共に弱っていた。だが、父は君の執着を見て、埃を被った古い法を持ち出してまで、レジナルド殿下とアナスターシャの結婚を無効にし、そのまま、王子妃候補として王宮に残れるように手配した。流石に、婚姻歴のある娘では、王族の結婚相手として相応しくないと言う…君のような者が出る事を危惧してな」
 そう言ってから、アーケンクロウ公は、ちら、と、母上を見た。
 母上は、茫然としているように見える。
 …もしかして、これが、母上が俺達に隠していた事か?
 過去の経験から、タウンゼント公を警戒していたものの、理由が「振った事を逆恨みされているのでは」では、はっきりと言えないのも判る。
「レジナルド殿下の葬儀を終え、クリスト殿下を立太子すべく動いている最中、今度は、クリスト殿下が落馬事故で亡くなられた。王宮は、立て続いた不幸に大騒ぎだった。あの頃の王宮内部を知る者は…ここにはいないな」
 アーケンクロウ公が、五公爵家の当主夫妻を順繰りに眺めた。
 約四十五年前の出来事だ。
 確かに、話には聞いていても、それがどれだけ大きな出来事だったのか、想像しか出来ない。
「王宮を出るお心積もりだったフィリップ殿下に、何とか思いとどまって頂くようお願いしたのは、父だ。殿下のお優しさが、国政と言う世界に向いていない事を、宰相だった父は十分に承知していた。だが…父もまた、年の離れた妹を愛する一人の兄でしかなかった。アナスターシャ可愛さに、フィリップ殿下に無理を願い出たのだ」
 …そうか。
 これは、セオドアが話していた『アーケンクロウの呪い』か。
 先代アーケンクロウ公は、母上の身の安全の為に、他を犠牲にしたのか。
「~~~!やっぱり、先代アーケンクロウ公爵か!そこまで、アナスターシャを王妃にしたかったのか!」
 黙って話を聞いていたタウンゼント公が、突如、吠える。
 その顔を、眉を顰めて見遣ると、アーケンクロウ公は首を横に振った。
「違う。別に、王妃の座を望んだわけではない。アナスターシャが望むなら、実家で暮らすでも、他の男に嫁ぐでも、良かった。だが、エドムント。君がいる以上は、そのどちらも叶えられないと考えたから、父は無茶をしたのだ」
「何、」
「黙って聞き給え。フィリップ殿下とアナスターシャが結婚した数年後、君がアリッサと結婚した時には安心した。漸く、諦めてくれたのだと思ってね。しかし…四度目が起きた。アナスターシャが子供を授からず、王家の後継者問題で王宮が揺れている頃だ。三十年弱前か。代理母出産と言う手法を取る事を五公爵家会議で報告した後、君は直ぐに、アリッサを離縁し、幼い息子共々、家から追い出したな。そして、またしても、我が家を訪れた。『フィリップ陛下のご寵愛は、後継者を産んだ娘に向かう筈。王族は離縁出来ないが、それは書面上の話。傷心で王宮を離れるアナスターシャの傍にいさせて欲しい』と」
「?!」
 ざわ、と、室内の空気が震えた。
 この話の流れで、どうしてその結論に至るのかが判らない。
 だが、ただ一つだけ、判る事がある。
 この男…エドムント・タウンゼントは、母アナスターシャに異常に執着している。
 アーケンクロウ公の話を信じる限り、母上が彼と恋仲だった事実はないと言うのに。
「勿論、フィリップ陛下とアナスターシャが、代理母出産の件で不仲になるような事はなかった。それを理解した君は、次にグリゼラと結婚し、ロザリンドを授かったな。今度こそ、アナスターシャは君の執着心から解放されると思ったが…」
 アーケンクロウ公が、言葉を切る。
「それは、残念ながら思い違いだったようだ」
 ふぅ、と溜息を吐くと、「少し話過ぎた」と言って、アーケンクロウ公は喉を潤した。
「…アーケンクロウ公爵。つまり…タウンゼント公爵は…」
「お生まれになるフィリップ陛下のお子が男児だった場合、五公爵家の娘を娶せて王家の血統を正統なものに回帰すべき。そう強硬に主張したのは、エドムントです。他の四家は、そこまでする必要はない、との考えでした。ですが、タウンゼント一族の数の利に負けました」
 セディの問いに、アーケンクロウ公は眉を顰めたまま、言う。
「女児の誕生を阻み、リリエンヌを苛んだのは…」
「権力を掌握する為、と考えておりましたが…もっと単純に、ロザリンド以外の娘が、アナスターシャに近づくのを阻止したかったのでしょうな。ロザリンドが唯一人の五公爵家の娘であれば、その親である自分もまた、アナスターシャに目通りする機会が増えると、考えたのでしょう。また、リリエンヌは、アナスターシャにとって姪孫てっそん。親しみを覚え、より可愛がられるのは自然の道理。遠ざけておきたかった筈だ」
 アーケンクロウ公の言葉を、頭の中で反芻する。
 だが、全く理解出来なかった。
 ロザリンドの為でも、タウンゼント一族の為でもない。
 タウンゼント公は、ただ…己の執着の為だけに、動いていたと言うのか。
「そんな…!そんな事の為に、あの子は…!」
 悲鳴を上げたのは、ハルクシュール夫人だった。
 隣で、キッスリング夫人もハンカチを握りしめている。
 決して、人前で感情を溢れさせてはいけない、と教育されている夫人達の悲哀は、失われた子供へと向けたものだ。
 多くの母親は、子供への確かな深い愛情を持っている。
 それが、この世に生まれ出る前に、天へと帰った子供であっても。
「王家に近づこうとするのは、タウンゼント一族が王権を掌握する為だと考え、いざ行動に移そうとしたら制止出来るようにと警戒して来たが…どうにも、君の行動は、権力を求めているにしては、不可思議な事が多かった。何が目的なのか掴み切れずに悩んでいたが、まさか、ただ、恋心の為にこのような行動を繰り返していたなどと、思いもよらなんだ」
 アーケンクロウ公は、苦い溜息を吐いた。
 …そう、なのか。
 ただ一人の男の恋心の為に、多くの人間の人生が…リリエンヌの人生が、狂わされたのか。
「…何を問題になさっているのか、判りませんわ」
 その時、口を開いたのは、じっと黙って話を聞いていたタウンゼント夫人だった。
 彼女は目の前で、夫が他の女性を手に入れる為に行動してきた、と聞いても、何も感じていないように、表情を変えない。
 椅子に頽れたまま、外界を拒絶している娘にすら、目を向けない。
 だが、その瞳だけが爛々と輝いて見える。
「愛する方のお傍にいたいと思う事の、何が不可思議なのです?公爵家だからと政略結婚を強いられて、愛する方と添えない等、間違っておりますわ。わたくし達はただ、その歪みを是正しようとしただけの事。褒められこそすれ、咎められる謂れはございません」
「…歪み?」
 そう問うたのは、誰だったのか。
「えぇ、歪みです。エドムント様が初めてアナスターシャ様に愛を告げたのは、エドムント様が十三歳、アナスターシャ様が十四歳の頃。エドムント様が、愛を乞い、将来を共にして欲しいと願った時、アナスターシャ様はこう仰ったそうですわ。『貴方のお気持ちは嬉しいけれど、わたくしには今、縁談が持ち上がっておりますの』」
 歌うようなタウンゼント夫人の声に、知らず、聞き入ってしまう。
 だが、母上の返答は、誰がどう聞いても拒絶にしか聞こえない筈だ。
「エドムント様はね、そのお返事で判ったそうなのです。『アナスターシャも私と同じ気持ちで、求めてくれているのに、公爵家と言うしがらみから、政略結婚をせねばならないのだ。何としても、アナスターシャを助けよう』」

しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

真面目系眼鏡女子は、軽薄騎士の求愛から逃げ出したい。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:2,389pt お気に入り:245

殿下、それは私の妹です~間違えたと言われても困ります~

恋愛 / 完結 24h.ポイント:2,996pt お気に入り:5,282

片思いの相手に偽装彼女を頼まれまして

恋愛 / 完結 24h.ポイント:4,047pt お気に入り:19

夜の帝王の一途な愛

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,661pt お気に入り:85

ロリコンな俺の記憶

大衆娯楽 / 連載中 24h.ポイント:5,197pt お気に入り:16

<完結済>婚約破棄を叫ぶ馬鹿に用はない

恋愛 / 完結 24h.ポイント:106pt お気に入り:1,315

処理中です...