11 / 27
<10>
しおりを挟む
ニーナが王宮で暮らすようになって、三ヶ月。
王弟として日々、忙しく執務に当たっているディーンの隙間時間に、ガルダの言葉を教わる日々が続いていた。
ニーナの身の回りの世話は、相変わらず、アンリエッタ、キャシー、バーサの三人の女官が交替で見ている。
ニーナは基本的に自分の事を自分で済ませてしまうので、人数が少なくとも困る事はなかった。
彼女達は元々、貴族出身の女性だ。
ガルダ王国では、女官は貴族出身か、侍女として優秀な者の中から選ばれるエリートだ。
女官のプライドは高く、例え、どのような無理難題を持ちかけられても対応する気構えでいるが、ニーナは何一つ我儘を言わない。
勿論、意思疎通が十分に図れないのが理由の一つではあるのだろうけれど、何事においても控えめなのは元々の性格だろう。
王宮を訪問する貴族令嬢達と同じように扱おうとすると遠慮されるので、却って何かをしたい、と言う気持ちが募っていく。
唯一、女官達がニーナに不満を持つとすれば、ガルダ人とは全く異なる容姿のニーナに最も似合うスタイルを見つけ出すべく、日頃から飾り立てたいのに、簡素と言う他ない衣服を好む事だろうか。
ニーナはガルダ語の学習にも意欲的で、日々、新たな単語を覚えては女官達とのコミュニケーションを積極的に図ろうとする姿がいじらしい。
だからこそ、彼女達は、王族の命だからではなく自身の意思として、ニーナを新たな後宮の住人として受け入れるようになっていた。
ガルダ人から見れば小柄で少女のようにしか見えないニーナが、王国のものとは異なるものの美しい所作で振る舞い、使用人である彼女達に事細かに心を配り、落ち着いた微笑みを常に浮かべているのだから、心酔しない筈もない。
小柄なニーナには随分と大きい椅子に、すっぽりと包まれるように腰を掛けている姿も庇護欲をそそる。
更に好感度を上げるのが、ヒースやディーンとの接触も多く、彼等の優秀な側近達――配偶者候補として王宮内で絶大な人気を誇る――と接していながらも、全く浮ついた様子を見せない点だ。
…それだけ、王宮を訪れる若いご令嬢達が、王族や高位貴族令息の目に留まろうと無謀な事をしていると言う事でもあるのだけれど。
今後、ニーナの扱いがどのようになるのか、女官の立場では知り得ない。
けれど、後宮にいる限りは全力で持って守る、と彼女達は思い定めていた。
守る、と決めたのには、理由がある。
ニーナが後宮の敷地から出たのは、初日に、会議場へ赴いた時のみ。
それ以来、ずっと後宮に籠っているし、王族との面会以外は限られた女官と決められた護衛としか接する機会はないにも関わらず、「後宮で女性が暮らしている」との噂が、すぐに流れる事となったからだ。
ニーナと身近に接している人間の口から洩れたわけではなく、後宮に婦人服専門の仕立て屋や靴屋が出入りしている様子や、若い女性の好む華やかな小物の購入回数が増えた事、普段は王太后の傍に控えている女官長アンリエッタが姿を見せない事から、
「陛下か王弟殿下のご寵愛なさる女性が、後宮に滞在しているようだ」
との噂が、王宮に出入りする者達の巷間に上る事となったのだ。
噂は貴族にとって最大の情報源。
事実を確かめにくい後宮内の事だけに、証拠を確認する事もなく、噂だけが独り歩きしていた。
それらの噂に対して、王宮側は沈黙を続け、否定も肯定もしていない。
いずれ、落ち人としてニーナを表舞台に立たせる日が来れば判る事なのだし、ヒースが王位に就き、ディーンが表舞台に戻った事で一層苛烈になった縁談攻勢に、少しでも水を差したい、との思いもあった。
何しろ、ヒースとディーンは、間近で結婚により引き起こされたトラブルを見て来たのだ。
相手の選定に慎重になるのは当然だろう。
しかし、令嬢方と一定の距離を置く一方で、ディーンはニーナとの距離を着実に詰めようとしている。
市街地に視察に行けば、先祖に落ち人がいる菓子店で名物タイヤァキを買って帰るし(初めてタイヤァキを見たニーナは、丸い形に首を傾げていたけれど、味は気に入ったようだ)、「王宮の庭で見頃だったから」と手ずから花を摘んで持って来る。
安価で気兼ねなく受け取れる土産が多いのは、当初、装飾品やドレスを贈ろうとしたディーンに、ニーナが断固拒否の姿勢を見せたからだ。
普段の衣食住は、落ち人保護の為に組んだ国家予算であると説明する事で納得したけれど、「贅沢品」「嗜好品」は決して受け取らない。
そして、そんな姿がまた、周囲の人々の好感度を上げている事に、本人だけが気づいていない。
「ニーナ、相談があるのだけれど」
「お疲れ、ディーン、お仕事、終わった?」
「うん」
三ヶ月経つと、ニーナのガルダ語も随分と上達した。
外国語を覚えるには、母語のない環境に放り込むのが一番だ、と言うけれど、日本語を解する者が誰もいない環境で必死に耳を澄ませた結果、片言ながらも日常会話程度ならば、何とか言葉のキャッチボールができるようになった。
お陰で、女官達との意思疎通も図れるようになって、普段は、体をしめつけず足にスカートのまとわりつかない日本で言うワンピースのようなドレスを用意して貰えるようになった。
「相談?」
「うん。ニーナは随分と、ガルダ語が上手になったからね。そろそろ、兄上がニーナのお披露目をしたいと考えてるんだ」
「オヒロメ…?」
「ガルダに落ち人が現れました、ニーナです、よろしく、って事だよ」
なるほど、お披露目と言う事か、と、ニーナは頷く。
判らない単語は、噛み砕いて説明してくれるから助かる。
「お披露目、何、話す?」
「多くを明かすつもりはない。名前と、いつ、こちらに来たのか、と言う事位かな」
「そう」
ディーンに言葉を教わっている、と言っても、二人きりになる事などない。
何しろ、ディーンは王弟だ。
若い女性と二人きりだと疑われる状況は好ましくない為、彼にはウルヴスかライオネルが、ニーナには女官の誰かが必ずついている。
その為、ニーナは王宮に来てからずっと、翻訳機能をオフにしていた。
だから、ニーナの年齢についてきちんと説明できたのは、数字を覚えたつい先日の事。
その際に、ディーンから年端のいかない子供扱いした事を謝罪されている。
ニーナの年齢にも驚いていたけれど、彼がもっと驚いたのは、日本人女性の平均寿命。
ガルダ人の平均寿命が六十前後である事から、日本人はガルダ人よりも成長速度が遅い種族なのだろう、と、納得されてしまった。
つまり、例え元の世界での年齢が三十歳であっても、ガルダ人の肉体年齢に直せば二十歳そこそこなのだろう、と。
否定するだけの語彙も根拠もないので、ニーナは反論していない。
「後は恐らく、成人している、と言う所までは話す事になると思う」
ガルダ人にとって、ニーナの外見は未成年者にしか見えない。
年齢に触れなければ、未成年の落ち人には養育が必要である、として、養親に名乗り出る者達が大勢いるだろうから、と、ディーンは続けて言った。
「お父さん、お母さん、いらない」
「そうだよね」
ニーナは、天涯孤独の身の上だ、とディーンに説明している。
両親についての話は、言葉が覚束ない事もあってほとんどなされていないが、ニーナが家族の話題を敢えて避けている事位、ディーンも気づいている。
「ニーナを煩わせる事はしないから、安心して。詳しい事が決まったら、また話すね」
ニーナのお披露目は、想定よりも早く決定した。
ヒースの即位記念の園遊会で、同時にニーナを紹介する事となったのだ。
園遊会は、王宮の中庭を広く開放し、ガルダ国内の全貴族当主夫妻を招いて行われる盛大なものだ。
招待状は夫妻宛に送られるものの、同伴者一名まで可である為、娘や姪等、ヒースやディーンの目に留まりたいと願う未婚女性が伴われる事が予想された。
ヒースは即位して間もないし、ディーンも塔から出て日が浅い。
まだ、自身の配偶者を腰を据えて探せる余裕はないのだが、幾ら、そう説明しようとも、
「そうでしょうとも」
と言いながら、若い女性が送り込まれるのは、火を見るよりも明らかだ。
その為、ニーナに目くらましの役割が与えられたのである。
二百五十年以上振りに訪れた落ち人と言う話題性があれば、配偶者探しから話題を逸らせる。
また、様々な思惑のもと、園遊会に出席する事となっても、端からヒースにもディーンにも興味のない娘もいる。
その中で、ニーナ自身に仕える意思のある娘がいれば、侍女として取り立てたい、との希望もあった。
王族に連なる女性ではないのだから、いつまでも、後宮の女官達をニーナの専属にしておくわけにはいかない。
勿論、最初から大々的に侍女を募集してしまえば、後宮に足を踏み入れる権利が欲しいとの下心のある者が集まってしまうので、飽くまでも、副次的なものだけれど。
「園遊会は昼の行事ですから、肌の露出は控えめがよろしいです。ニーナ様のお肌には、この水色がお似合いではないでしょうか」
アンリエッタを始めとする女官達に着せ替え人形にされ、仕立て屋にあちこち採寸されながら、ニーナはどこか遠くを見ている。
あれやこれやと布を体に当てられ、あぁでもない、こうでもないととっかえひっかえ装飾品を変えられるのにももう慣れたけれど、日本で普通の会社員をしていた人間からすると、結婚式でもないのに華やかに着飾るのは、どうにも落ち着かない。
なのに、女官達はニーナを飾り立てる事に並々ならぬ思いを抱いているようだ。
落ち人は、ガルダと言う国の枠組みの外に立つ存在。
そうは言いながらも、王族を後見人としている現在のニーナには、彼等の言う通りにするしか術はない。
何かしたい事があれば言って欲しい、と、ディーンが言ってくれようとも、落ち人として広く認知され、確固たる身分を得ない限り、ニーナは後宮から出る事すらできない。
ガルダの言葉も常識も、まだ、身に付いているとは言えない状態なので、手厚く保護して貰えるのは助かるのだけれど、三食昼寝付きどころか乳母日傘に慣れてしまうと、社会生活に戻る事が難しそうで怖い。
ニーナは、自分が勤勉な性質ではないと言う自覚がある。
幼い頃から祖母と二人暮らしだったし、学生の頃に祖母が他界した為、人よりも家事に割く時間は多かっただろう、と思ってはいるけれど、それは、好きでやっていたわけではない。
必要に駆られていただけだから、やらなくていい環境に慣れてしまうと、もう一度スタート地点に立つのを、億劫に感じる事が目に見えている。
明日できる事は、明日やりたいタイプなのだ。
故に、余り甘やかさないで欲しいのに、ニーナのガルダ語の語彙力では、上手く伝わらない。
生涯、王宮で暮らせばいいのだから何も問題はない、と言われてしまう。
図々しくその提案に乗れる性格ならば良かったのだろうけれど、現状では、一方的にニーナが与えられているだけだ。
ディーンもヒースも、親切心から申し出てくれたと思う反面で、彼等は結局王族であり、最終的には国の利益の為に動くのだろうな、と言う思いが強い。
ニーナの存在が国の不利益に成り得るとすれば、彼等はニーナを切り捨てざるを得ないし、何よりも、タダより高い物はない、と言うではないか。
今、彼等が見返りを求めていないにせよ、ニーナの心の負債は着実に溜まっている。
だからこそ、甘やかされる状況に慣れてしまうと、反動が怖い。
周囲の人々が、好意でニーナの為に動いてくれている事は判っている。
けれど、どれだけ信じていようと、何がきっかけで関係が崩れてしまうか判らないのだ。
元々、両親の事があって、人間不信の気はある方だ。その上で、ハヤトの一件もあって、今のニーナはすっかり、人との心の距離を取るようになってしまった。
中でも、ディーンとの接し方は、どうにも心の距離の取り方が判らなくて難しい。
彼の笑顔には、出会った当初から裏が見えない。
十三歳で自ら隠遁生活を送り始めた人だから、どうにも浮世離れしているのもあると思うけれど、年頃の男女として、それはどうなんだろう?と言うような台詞や行動を、簡単に取る。
庭の花や菓子など、手土産を欠かさない彼は、ニーナへの純粋な好意を隠そうとしなかった。
会話の勉強と称して後宮の中庭に連れ出され、エスコートの練習だと片手を預けて散策する。
ニーナからすれば、完全なる公園デートだ。
歩いている最中、ディーンはにこにこと嬉しそうな顔であれやこれやと気を遣い、ずっとニーナの顔を温かい目で見つめているのだから。
けれど、そんな風に思わせ振りな態度を取りながらも、彼は決して、自分の気持ちを押し付けては来ない。
だから、ディーンの気持ちは恋情ではないのだろう、とニーナは理解していた。
好意は持ってくれているけれど、それは、友愛に違いない。
ニーナの知る男性は、恋愛的な意味での好意を抱いたら、精神的な結びつきだけではなく、肉体的な結びつきも求めるものだから。
ディーンは精神的な結びつきすら求めて来ないのだから、彼がニーナに異性に対しての恋慕を抱いていると思うなど、思い上がりと言うものだ。
エスコートこそされるけれど、その手に性的な意味は全く感じられない。
精々、小動物を愛玩している、と言った所か。
そう、ディーンにとってニーナは、懐に飛び込んで来た小鳥のようなもの。
異性としてではなく、ただ、庇護すべき存在なのだろう。
きっと、そうだ。
幾つか気になる点はあるけれど、ニーナは気づかない振りをして目を塞ぐ。
恋愛は、もう、こりごりだった。
万が一にも、ディーンに告白されるような事がなければいい、と思う。
ニーナは今まで、自分から誰かに好意を告げた事はない。
いつも、相手の好意に絆され、そんなに望んでくれるなら、と受け入れて来ただけだ。
だが。
互いの価値観のすり合わせや、人生のタイミングが噛み合わなかったせいなのか。
ニーナが好きなのだと、彼女以外を愛せないと、あれだけ語っていた恋人達は皆、ニーナの元を去った。
どんなに燃え上がるような恋情も一時のもので、いつかは絶えるもの。
だからもう、自分以外の感情に振り回されたくはない。
これから先は何にも煩わされずに、自分の気持ちで、自分で選択して、生きていくのだ。
その選択を、後悔しない為に。
王弟として日々、忙しく執務に当たっているディーンの隙間時間に、ガルダの言葉を教わる日々が続いていた。
ニーナの身の回りの世話は、相変わらず、アンリエッタ、キャシー、バーサの三人の女官が交替で見ている。
ニーナは基本的に自分の事を自分で済ませてしまうので、人数が少なくとも困る事はなかった。
彼女達は元々、貴族出身の女性だ。
ガルダ王国では、女官は貴族出身か、侍女として優秀な者の中から選ばれるエリートだ。
女官のプライドは高く、例え、どのような無理難題を持ちかけられても対応する気構えでいるが、ニーナは何一つ我儘を言わない。
勿論、意思疎通が十分に図れないのが理由の一つではあるのだろうけれど、何事においても控えめなのは元々の性格だろう。
王宮を訪問する貴族令嬢達と同じように扱おうとすると遠慮されるので、却って何かをしたい、と言う気持ちが募っていく。
唯一、女官達がニーナに不満を持つとすれば、ガルダ人とは全く異なる容姿のニーナに最も似合うスタイルを見つけ出すべく、日頃から飾り立てたいのに、簡素と言う他ない衣服を好む事だろうか。
ニーナはガルダ語の学習にも意欲的で、日々、新たな単語を覚えては女官達とのコミュニケーションを積極的に図ろうとする姿がいじらしい。
だからこそ、彼女達は、王族の命だからではなく自身の意思として、ニーナを新たな後宮の住人として受け入れるようになっていた。
ガルダ人から見れば小柄で少女のようにしか見えないニーナが、王国のものとは異なるものの美しい所作で振る舞い、使用人である彼女達に事細かに心を配り、落ち着いた微笑みを常に浮かべているのだから、心酔しない筈もない。
小柄なニーナには随分と大きい椅子に、すっぽりと包まれるように腰を掛けている姿も庇護欲をそそる。
更に好感度を上げるのが、ヒースやディーンとの接触も多く、彼等の優秀な側近達――配偶者候補として王宮内で絶大な人気を誇る――と接していながらも、全く浮ついた様子を見せない点だ。
…それだけ、王宮を訪れる若いご令嬢達が、王族や高位貴族令息の目に留まろうと無謀な事をしていると言う事でもあるのだけれど。
今後、ニーナの扱いがどのようになるのか、女官の立場では知り得ない。
けれど、後宮にいる限りは全力で持って守る、と彼女達は思い定めていた。
守る、と決めたのには、理由がある。
ニーナが後宮の敷地から出たのは、初日に、会議場へ赴いた時のみ。
それ以来、ずっと後宮に籠っているし、王族との面会以外は限られた女官と決められた護衛としか接する機会はないにも関わらず、「後宮で女性が暮らしている」との噂が、すぐに流れる事となったからだ。
ニーナと身近に接している人間の口から洩れたわけではなく、後宮に婦人服専門の仕立て屋や靴屋が出入りしている様子や、若い女性の好む華やかな小物の購入回数が増えた事、普段は王太后の傍に控えている女官長アンリエッタが姿を見せない事から、
「陛下か王弟殿下のご寵愛なさる女性が、後宮に滞在しているようだ」
との噂が、王宮に出入りする者達の巷間に上る事となったのだ。
噂は貴族にとって最大の情報源。
事実を確かめにくい後宮内の事だけに、証拠を確認する事もなく、噂だけが独り歩きしていた。
それらの噂に対して、王宮側は沈黙を続け、否定も肯定もしていない。
いずれ、落ち人としてニーナを表舞台に立たせる日が来れば判る事なのだし、ヒースが王位に就き、ディーンが表舞台に戻った事で一層苛烈になった縁談攻勢に、少しでも水を差したい、との思いもあった。
何しろ、ヒースとディーンは、間近で結婚により引き起こされたトラブルを見て来たのだ。
相手の選定に慎重になるのは当然だろう。
しかし、令嬢方と一定の距離を置く一方で、ディーンはニーナとの距離を着実に詰めようとしている。
市街地に視察に行けば、先祖に落ち人がいる菓子店で名物タイヤァキを買って帰るし(初めてタイヤァキを見たニーナは、丸い形に首を傾げていたけれど、味は気に入ったようだ)、「王宮の庭で見頃だったから」と手ずから花を摘んで持って来る。
安価で気兼ねなく受け取れる土産が多いのは、当初、装飾品やドレスを贈ろうとしたディーンに、ニーナが断固拒否の姿勢を見せたからだ。
普段の衣食住は、落ち人保護の為に組んだ国家予算であると説明する事で納得したけれど、「贅沢品」「嗜好品」は決して受け取らない。
そして、そんな姿がまた、周囲の人々の好感度を上げている事に、本人だけが気づいていない。
「ニーナ、相談があるのだけれど」
「お疲れ、ディーン、お仕事、終わった?」
「うん」
三ヶ月経つと、ニーナのガルダ語も随分と上達した。
外国語を覚えるには、母語のない環境に放り込むのが一番だ、と言うけれど、日本語を解する者が誰もいない環境で必死に耳を澄ませた結果、片言ながらも日常会話程度ならば、何とか言葉のキャッチボールができるようになった。
お陰で、女官達との意思疎通も図れるようになって、普段は、体をしめつけず足にスカートのまとわりつかない日本で言うワンピースのようなドレスを用意して貰えるようになった。
「相談?」
「うん。ニーナは随分と、ガルダ語が上手になったからね。そろそろ、兄上がニーナのお披露目をしたいと考えてるんだ」
「オヒロメ…?」
「ガルダに落ち人が現れました、ニーナです、よろしく、って事だよ」
なるほど、お披露目と言う事か、と、ニーナは頷く。
判らない単語は、噛み砕いて説明してくれるから助かる。
「お披露目、何、話す?」
「多くを明かすつもりはない。名前と、いつ、こちらに来たのか、と言う事位かな」
「そう」
ディーンに言葉を教わっている、と言っても、二人きりになる事などない。
何しろ、ディーンは王弟だ。
若い女性と二人きりだと疑われる状況は好ましくない為、彼にはウルヴスかライオネルが、ニーナには女官の誰かが必ずついている。
その為、ニーナは王宮に来てからずっと、翻訳機能をオフにしていた。
だから、ニーナの年齢についてきちんと説明できたのは、数字を覚えたつい先日の事。
その際に、ディーンから年端のいかない子供扱いした事を謝罪されている。
ニーナの年齢にも驚いていたけれど、彼がもっと驚いたのは、日本人女性の平均寿命。
ガルダ人の平均寿命が六十前後である事から、日本人はガルダ人よりも成長速度が遅い種族なのだろう、と、納得されてしまった。
つまり、例え元の世界での年齢が三十歳であっても、ガルダ人の肉体年齢に直せば二十歳そこそこなのだろう、と。
否定するだけの語彙も根拠もないので、ニーナは反論していない。
「後は恐らく、成人している、と言う所までは話す事になると思う」
ガルダ人にとって、ニーナの外見は未成年者にしか見えない。
年齢に触れなければ、未成年の落ち人には養育が必要である、として、養親に名乗り出る者達が大勢いるだろうから、と、ディーンは続けて言った。
「お父さん、お母さん、いらない」
「そうだよね」
ニーナは、天涯孤独の身の上だ、とディーンに説明している。
両親についての話は、言葉が覚束ない事もあってほとんどなされていないが、ニーナが家族の話題を敢えて避けている事位、ディーンも気づいている。
「ニーナを煩わせる事はしないから、安心して。詳しい事が決まったら、また話すね」
ニーナのお披露目は、想定よりも早く決定した。
ヒースの即位記念の園遊会で、同時にニーナを紹介する事となったのだ。
園遊会は、王宮の中庭を広く開放し、ガルダ国内の全貴族当主夫妻を招いて行われる盛大なものだ。
招待状は夫妻宛に送られるものの、同伴者一名まで可である為、娘や姪等、ヒースやディーンの目に留まりたいと願う未婚女性が伴われる事が予想された。
ヒースは即位して間もないし、ディーンも塔から出て日が浅い。
まだ、自身の配偶者を腰を据えて探せる余裕はないのだが、幾ら、そう説明しようとも、
「そうでしょうとも」
と言いながら、若い女性が送り込まれるのは、火を見るよりも明らかだ。
その為、ニーナに目くらましの役割が与えられたのである。
二百五十年以上振りに訪れた落ち人と言う話題性があれば、配偶者探しから話題を逸らせる。
また、様々な思惑のもと、園遊会に出席する事となっても、端からヒースにもディーンにも興味のない娘もいる。
その中で、ニーナ自身に仕える意思のある娘がいれば、侍女として取り立てたい、との希望もあった。
王族に連なる女性ではないのだから、いつまでも、後宮の女官達をニーナの専属にしておくわけにはいかない。
勿論、最初から大々的に侍女を募集してしまえば、後宮に足を踏み入れる権利が欲しいとの下心のある者が集まってしまうので、飽くまでも、副次的なものだけれど。
「園遊会は昼の行事ですから、肌の露出は控えめがよろしいです。ニーナ様のお肌には、この水色がお似合いではないでしょうか」
アンリエッタを始めとする女官達に着せ替え人形にされ、仕立て屋にあちこち採寸されながら、ニーナはどこか遠くを見ている。
あれやこれやと布を体に当てられ、あぁでもない、こうでもないととっかえひっかえ装飾品を変えられるのにももう慣れたけれど、日本で普通の会社員をしていた人間からすると、結婚式でもないのに華やかに着飾るのは、どうにも落ち着かない。
なのに、女官達はニーナを飾り立てる事に並々ならぬ思いを抱いているようだ。
落ち人は、ガルダと言う国の枠組みの外に立つ存在。
そうは言いながらも、王族を後見人としている現在のニーナには、彼等の言う通りにするしか術はない。
何かしたい事があれば言って欲しい、と、ディーンが言ってくれようとも、落ち人として広く認知され、確固たる身分を得ない限り、ニーナは後宮から出る事すらできない。
ガルダの言葉も常識も、まだ、身に付いているとは言えない状態なので、手厚く保護して貰えるのは助かるのだけれど、三食昼寝付きどころか乳母日傘に慣れてしまうと、社会生活に戻る事が難しそうで怖い。
ニーナは、自分が勤勉な性質ではないと言う自覚がある。
幼い頃から祖母と二人暮らしだったし、学生の頃に祖母が他界した為、人よりも家事に割く時間は多かっただろう、と思ってはいるけれど、それは、好きでやっていたわけではない。
必要に駆られていただけだから、やらなくていい環境に慣れてしまうと、もう一度スタート地点に立つのを、億劫に感じる事が目に見えている。
明日できる事は、明日やりたいタイプなのだ。
故に、余り甘やかさないで欲しいのに、ニーナのガルダ語の語彙力では、上手く伝わらない。
生涯、王宮で暮らせばいいのだから何も問題はない、と言われてしまう。
図々しくその提案に乗れる性格ならば良かったのだろうけれど、現状では、一方的にニーナが与えられているだけだ。
ディーンもヒースも、親切心から申し出てくれたと思う反面で、彼等は結局王族であり、最終的には国の利益の為に動くのだろうな、と言う思いが強い。
ニーナの存在が国の不利益に成り得るとすれば、彼等はニーナを切り捨てざるを得ないし、何よりも、タダより高い物はない、と言うではないか。
今、彼等が見返りを求めていないにせよ、ニーナの心の負債は着実に溜まっている。
だからこそ、甘やかされる状況に慣れてしまうと、反動が怖い。
周囲の人々が、好意でニーナの為に動いてくれている事は判っている。
けれど、どれだけ信じていようと、何がきっかけで関係が崩れてしまうか判らないのだ。
元々、両親の事があって、人間不信の気はある方だ。その上で、ハヤトの一件もあって、今のニーナはすっかり、人との心の距離を取るようになってしまった。
中でも、ディーンとの接し方は、どうにも心の距離の取り方が判らなくて難しい。
彼の笑顔には、出会った当初から裏が見えない。
十三歳で自ら隠遁生活を送り始めた人だから、どうにも浮世離れしているのもあると思うけれど、年頃の男女として、それはどうなんだろう?と言うような台詞や行動を、簡単に取る。
庭の花や菓子など、手土産を欠かさない彼は、ニーナへの純粋な好意を隠そうとしなかった。
会話の勉強と称して後宮の中庭に連れ出され、エスコートの練習だと片手を預けて散策する。
ニーナからすれば、完全なる公園デートだ。
歩いている最中、ディーンはにこにこと嬉しそうな顔であれやこれやと気を遣い、ずっとニーナの顔を温かい目で見つめているのだから。
けれど、そんな風に思わせ振りな態度を取りながらも、彼は決して、自分の気持ちを押し付けては来ない。
だから、ディーンの気持ちは恋情ではないのだろう、とニーナは理解していた。
好意は持ってくれているけれど、それは、友愛に違いない。
ニーナの知る男性は、恋愛的な意味での好意を抱いたら、精神的な結びつきだけではなく、肉体的な結びつきも求めるものだから。
ディーンは精神的な結びつきすら求めて来ないのだから、彼がニーナに異性に対しての恋慕を抱いていると思うなど、思い上がりと言うものだ。
エスコートこそされるけれど、その手に性的な意味は全く感じられない。
精々、小動物を愛玩している、と言った所か。
そう、ディーンにとってニーナは、懐に飛び込んで来た小鳥のようなもの。
異性としてではなく、ただ、庇護すべき存在なのだろう。
きっと、そうだ。
幾つか気になる点はあるけれど、ニーナは気づかない振りをして目を塞ぐ。
恋愛は、もう、こりごりだった。
万が一にも、ディーンに告白されるような事がなければいい、と思う。
ニーナは今まで、自分から誰かに好意を告げた事はない。
いつも、相手の好意に絆され、そんなに望んでくれるなら、と受け入れて来ただけだ。
だが。
互いの価値観のすり合わせや、人生のタイミングが噛み合わなかったせいなのか。
ニーナが好きなのだと、彼女以外を愛せないと、あれだけ語っていた恋人達は皆、ニーナの元を去った。
どんなに燃え上がるような恋情も一時のもので、いつかは絶えるもの。
だからもう、自分以外の感情に振り回されたくはない。
これから先は何にも煩わされずに、自分の気持ちで、自分で選択して、生きていくのだ。
その選択を、後悔しない為に。
338
あなたにおすすめの小説
期限付きの聖女
蝋梅
恋愛
今日は、双子の妹六花の手術の為、私は病院の服に着替えていた。妹は長く病気で辛い思いをしてきた。周囲が姉の協力をえれば可能性があると言ってもなかなか縦にふらない、人を傷つけてまでとそんな優しい妹。そんな妹の容態は悪化していき、もう今を逃せば間に合わないという段階でやっと、手術を受ける気になってくれた。
本人も承知の上でのリスクの高い手術。私は、病院の服に着替えて荷物を持ちカーテンを開けた。その時、声がした。
『全て かける 片割れ 助かる』
それが本当なら、あげる。
私は、姿なきその声にすがった。
異世界から来た娘が、たまらなく可愛いのだが(同感)〜こっちにきてから何故かイケメンに囲まれています〜
京
恋愛
普通の女子高生、朱璃はいつのまにか異世界に迷い込んでいた。
右も左もわからない状態で偶然出会った青年にしがみついた結果、なんとかお世話になることになる。一宿一飯の恩義を返そうと懸命に生きているうちに、国の一大事に巻き込まれたり巻き込んだり。気付くと個性豊かなイケメンたちに大切に大切にされていた。
そんな乙女ゲームのようなお話。
【完結】すり替わられた小間使い令嬢は、元婚約者に恋をする
白雨 音
恋愛
公爵令嬢オーロラの罪は、雇われのエバが罰を受ける、
12歳の時からの日常だった。
恨みを持つエバは、オーロラの14歳の誕生日、魔力を使い入れ換わりを果たす。
それ以来、オーロラはエバ、エバはオーロラとして暮らす事に…。
ガッカリな婚約者と思っていたオーロラの婚約者は、《エバ》には何故か優しい。
『自分を許してくれれば、元の姿に戻してくれる』と信じて待つが、
魔法学校に上がっても、入れ換わったままで___
(※転生ものではありません) ※完結しました
面倒くさがりやの異世界人〜微妙な美醜逆転世界で〜
蝋梅
恋愛
仕事帰り電車で寝ていた雅は、目が覚めたら満天の夜空が広がる場所にいた。目の前には、やたら美形な青年が騒いでいる。どうしたもんか。面倒くさいが口癖の主人公の異世界生活。
短編ではありませんが短めです。
別視点あり
召喚聖女に嫌われた召喚娘
ざっく
恋愛
闇に引きずり込まれてやってきた異世界。しかし、一緒に来た見覚えのない女の子が聖女だと言われ、亜優は放置される。それに文句を言えば、聖女に悲しげにされて、その場の全員に嫌われてしまう。
どうにか、仕事を探し出したものの、聖女に嫌われた娘として、亜優は魔物が闊歩するという森に捨てられてしまった。そこで出会った人に助けられて、亜優は安全な場所に帰る。
治療係ですが、公爵令息様がものすごく懐いて困る~私、男装しているだけで、女性です!~
百門一新
恋愛
男装姿で旅をしていたエリザは、長期滞在してしまった異国の王都で【赤い魔法使い(男)】と呼ばれることに。職業は完全に誤解なのだが、そのせいで女性恐怖症の公爵令息の治療係に……!?「待って。私、女なんですけども」しかも公爵令息の騎士様、なぜかものすごい懐いてきて…!?
男装の魔法使い(職業誤解)×女性が大の苦手のはずなのに、ロックオンして攻めに転じたらぐいぐいいく騎士様!?
※小説家になろう様、ベリーズカフェ様、カクヨム様にも掲載しています。
家族から冷遇されていた過去を持つ家政ギルドの令嬢は、旦那様に人のぬくもりを教えたい~自分に自信のない旦那様は、とても素敵な男性でした~
チカフジ ユキ
恋愛
叔父から使用人のように扱われ、冷遇されていた子爵令嬢シルヴィアは、十五歳の頃家政ギルドのギルド長オリヴィアに助けられる。
そして家政ギルドで様々な事を教えてもらい、二年半で大きく成長した。
ある日、オリヴィアから破格の料金が提示してある依頼書を渡される。
なにやら裏がありそうな値段設定だったが、半年後の成人を迎えるまでにできるだけお金をためたかったシルヴィアは、その依頼を受けることに。
やってきた屋敷は気持ちが憂鬱になるような雰囲気の、古い建物。
シルヴィアが扉をノックすると、出てきたのは長い前髪で目が隠れた、横にも縦にも大きい貴族男性。
彼は肩や背を丸め全身で自分に自信が無いと語っている、引きこもり男性だった。
その姿をみて、自信がなくいつ叱られるかビクビクしていた過去を思い出したシルヴィアは、自分自身と重ねてしまった。
家政ギルドのギルド員として、余計なことは詮索しない、そう思っても気になってしまう。
そんなある日、ある人物から叱責され、酷く傷ついていた雇い主の旦那様に、シルヴィアは言った。
わたしはあなたの側にいます、と。
このお話はお互いの強さや弱さを知りながら、ちょっとずつ立ち直っていく旦那様と、シルヴィアの恋の話。
*** ***
※この話には第五章に少しだけ「ざまぁ」展開が入りますが、味付け程度です。
※設定などいろいろとご都合主義です。
※小説家になろう様にも掲載しています。
魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました
iru
恋愛
小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。
両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。
両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。
しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。
魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。
自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。
一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。
初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。
恋人になりたいが、年上で雇い主。
もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。
そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。
そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。
レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか?
両片思いのすれ違いのお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる