上 下
5 / 62

深夜の襲撃(3)

しおりを挟む
 離れの玄関先には、屋敷中の人々が集まっていた。
 がっくりと肩を落としている人。
 怒りをぶつけるように叫んでいる人。
 両手で顔を覆って泣き崩れている人。
 使用人仲間だけでなく、本館に住むオーシェルのセナンクール家の当主ロドルフや、その妻のエレイア、長男テランスの姿もあった。

「奥様! ……みんな!」

 叫びながら駆け寄って行くと、皆が一斉にこっちを向いた。
 驚きと安堵の声が上がる。

 レナエルは、涙にぬれた顔を上げたエレイアの胸に、まっすぐに飛び込んでいった。

「レナ……よかった。よく無事で……。怪我は、ない?」
「奥様、大丈夫です。心配かけて……」

 震える腕が背中にまわされて、強く抱きしめられた。
 いつも母親のように接してくれる、優しい人だ。
 普段強気なレナエルも、彼女の羽織ったカーディガンにすがりながら、つい涙声になった。

 たくさんの人々に取り囲まれ、声をかけられ、横から伸びた手で頭をなでられた。

 ついさっき、この温かな場所から無理やり連れ去られようとした。
 正直、別れを覚悟した。
 本当に、戻って来られて良かったと、人々の輪の中心でしみじみ思う。

「本当に良かった。よく、逃げてこられたな。さすがレナだ。悪い奴らをやっつけてきたんだろう?」

 後ろから、大きな手で肩を叩いたのは、この館の主ロドルフだ。
 ちゃかしたような言葉の端に、大きな安堵が見え隠れしている。

 大柄で恰幅が良い彼は、セナンクール家の貿易拠点を取り仕切る男らしい、堂々とした風貌だ。
 ベッドからそのまま出てきたこともあって、今は寝間着姿で、普段撫で付けているグレーの髪は乱れている。

「いいえ……まさか。馬車で連れ去られそうになったところを、知らない男の人が……」

 レナエルがことの顛末の説明を始めると、暗がりから、土を踏む足音が聞こえてきた。
 その場の全員がはっとして、警戒の視線を向ける。

「悪いが、男手を貸してもらえないか」

 聞き覚えのある、低く通る声がした。

 姿ははっきりとは見えなかったが、自分を助けてくれた人物に違いなかった。
 レナエルは思わず、人影を指差した。

「あっ、あの人! あの人が、あたしを助けてくれたんです」

 影は大きな歩幅で、足早に近づいてくる。
 建物の窓から漏れる灯りや、幾人かが手にしているランプの光に照らされて、ようやくその姿が分かるようになってきた。

 年齢は三十代ぐらいだろうか。
 長身で細身だが、肩幅はしっかりとある。
 鼻筋の通った精悍な顔立ち。
 長い前髪の間からのぞく、こちらを睨むような少し吊り気味の黒い瞳のせいか、近寄りがたい硬質な雰囲気をまとっている。
 暗がりの中では黒づくめだと思ったが、男の髪の色は、ほとんど黒に見えるダークブラウン。
 身につけている後ろの裾が長い上着やズボンは、おそらく濃紺だ。
 大きく開かれた立襟の縁と、袖の折り返しに三本の金色のラインがあり、斜めに並んだボタンも金。
 腰には、存在感のある、十字型の鍔の長剣が下げられていた。

 男の独特な姿から、ロドルフは彼が何者であるか悟ったのだろう。
 驚いた様子を見せて、数歩前に出た。

「貴方は、もしや王立騎士団の……?」
「ああ。俺は、白翼騎士団のジュール・クライトマン」

 男がぶっきらぼうな口調で名乗ると、ロドルフはさらに眼を見張った。

「……クライトマン? ではクライトマン男爵のご子息の? 確か三男様が、王太子殿下の筆頭騎士になられたとうかがったが」
「あぁ、そうだ」
「まぁまぁ、あのクライトマン様の? 貴方様のお小さいときに、何度かお目にかかったことがありますわ。ずいぶんご立派になられて」

 エレイアもジュールと名乗った男のことを、知っているようだ。
 親しげに声をかけると、幼い頃の面影を探すように目を細めた。

 クライトマン男爵といえば、オーシェルよりもう少し南にある、葡萄の産地として知られる地方の領主だ。
 大規模なワイナリーを経営する他、領地の近隣で収穫される様々な農作物の売買にも携わっており、貿易商であるセナンクール家とは、昔から良好な取引関係にある。

 レナエルは、クライトマン男爵や家業を手伝う二人の息子とは面識があったが、もう一人息子がいたとは知らなかった。
 言われてみれば、目の前の騎士は、確かに髪や瞳の色、顔立ちが彼らと似ている気がする。
 ぞくりとする、猛禽類を思わせる鋭い眼光を除けば……。

 あ、そうだ。

 ジュールを観察するように眺めていたレナエルは、まだ彼にお礼を言っていなかったことに気づき、前に進み出ると、ぺこりと頭を下げた。

「あの……ありがとうございます。助けてくださって」
「ああ」

 彼は無表情に一言だけ答えると、人の輪の外に座っている男に眼を向けた。

 男は両手を後ろ手に縛られ、片方の足首に血の滲んだ包帯を巻き付けていた。
 そのすぐ近くには、テランスが見張りのように立っていた。
 父親に似たオリーブの瞳と、母親譲りの金の髪をした彼は、人当たりの良い穏やかな性格なのだが、さすがに怒りのこもった眼を男に向けていた。

 ジュールは縛られた男をぎろりと睨んだ後、テランスに声をかけた。

「その男は?」
「はい。レナエルの部屋に……」
「あたしの部屋に潜んできた男の一人よ。ベッドの下に隠れて、足首を斬りつけてやったの!」

 テランスが説明しかけた声を、レナエルが横から得意げ遮った。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:13,901pt お気に入り:6,016

帝国が信用できないのでちょっと隊長辞めてきます

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:10

番から逃げる事にしました

恋愛 / 完結 24h.ポイント:28,996pt お気に入り:2,197

Dead end

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

SS級の冒険者の私は身分を隠してのんびり過ごします

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:1,932pt お気に入り:223

望んで離婚いたします

恋愛 / 完結 24h.ポイント:91,030pt お気に入り:854

今度こそ穏やかに暮らしたいのに!どうして執着してくるのですか?

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:25,342pt お気に入り:3,409

常闇紳士と月光夫人

恋愛 / 完結 24h.ポイント:405pt お気に入り:5

処理中です...