【完結】「ラヴェラルタ辺境伯令嬢は病弱」ってことにしておいてください

平田加津実

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第8章 舞踏会の対策会議

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 ヴィルジールは優雅な仕草で紅茶を口にすると、目を細める。

「君のそのネックレスは私の色だね」
「あの……、殿下の色って?」

 何のことか分からずにいると、ご丁寧にも説明してくれる。

「以前、恋人の瞳の色のドレスやアクセサリーを身につけることが社交界では流行っているという話をしたから、早速、私の瞳の色の宝石をつけてくれたんだね。それほど私のことを想っていてくれるなんて嬉しいよ」

「ち……ちがっ」

 マルティーヌは慌てて胸元を両手で押さえ、ネックレス隠した。

 そういえば以前、黄色っぽい緑色の魔獣素材のボタンを「私色わたしいろだ」といちゃもんつけてきた。
 その時の色と比べると、透明感のある深い緑のエメラルドは、彼の瞳そのものだ。

 もぉぉーっ! おーかーあーさまっ!
 絶対これ、分かっててやったんだ!

 ネックレスを引きちぎって投げ捨てたい衝動に駆られるが、さすがに彼の目の前でそれは不敬だろう。
 彼の瞳の色の宝石を両手で隠し、肩をすくめて羞恥に耐える。

 すると。

「ああ、私はなんと幸せな男なのだろう。君がその美しい手で、私の色をそんなに強く抱きしめてくれるなんて」
「ひゃあっ!」

 マルティーヌは奇妙な悲鳴をあげ、宝石からぱっと手を離して顔の両側に挙げた。
 胸元で大粒のエメラルドがぶらぶら揺れる。

 もう無理!
 本当にお手上げだ。
 彼の極甘攻撃を受け流すことも、反撃することもできない。

「ご、誤解です……わ。そ、そ、そんなつもりは……なくっ……て。あのっ」
「ふ……っ。くくくっ」

 両手を挙げたまま、しどろもどろになっていると、ヴィルジールは吹き出した。

 彼の背後に待機しているジョエルも、顔を背けて必死に笑いをこらえている。
 はっと侍女のコラリーに目を向けると、マルティーヌと同じく耐性のない彼女は顔を真っ赤にして震えながら、壁に貼り付いていた。

「からかうなんて、ひどい……です、わ!」

 こんな時、女には泣いてみせるという高度な技があるらしいが、実践できるはずがない。
 せめてもの抵抗に、上目遣いにせいいっぱい睨んでみた。

 金の前髪の隙間から、潤んだ青い瞳がきらりと光る。
 小さな唇は悔しげに引き結ばれているものの、白い肌は恥ずかしそうに赤く染まっている。

 すると彼は僅かに目を見開いた後、「そうくるか」と呟く。
 そしてテーブルの上に身を乗り出した。

「ねぇ、可愛いマティ。私は君と二人きりで秘密の話がしたいんだ。だから……ね」

 甘く囁いた後、彼は侍女のコラリーに視線を向け、「君には席を外してほしい」と追い払ってしまった。

 ああ、コラリー!
 わたしを置いていかないで。

 応接室の扉がぱたりと閉まった。
 ヴィルジールは「二人きりで」と言ったが、実際には側近のジョエルがいるから三人だ。
 それでも、自分の味方は一人もいないのだから、心細いことこの上ない。

 目の前に座るのは直視できないほど眩い王子様で、自分は彼に負けずと飾り立てられた、はりぼての令嬢。
 何を話せばいいか分からないし、緊張してフォークの持ち方にも迷うほどだ。
 大好物のアップルパイにも手をつけられずにいると、ヴィルジールがおもむろに上着のボタンを上から外しはじめた。

「え? なに……?」
「マルティーヌ嬢。本当に君は困った人だ」

 ため息交じりに言いながら上着のボタンを全部外すと、今度は下に着ていたシャツのボタンを二つ外し、美しく整えてあった髪を右手でぐしゃぐしゃと乱す。

 マルティーヌがあっけにとられていると、彼は「これでどうだ?」と向き直った。

 身がすくむほど完璧だった王子様が、これまで何度か会ったことのあるくだけた雰囲気のヴィルジール殿下に変わる。
 それでも騎士団の仲間のヴィルではなく、王子と辺境伯令嬢という関係は変わらないのだが、マルティーヌは少し気が楽になった。

 彼は両ひじをテーブルについて指を組み、眉を寄せた。

「これも、舞踏会対策の訓練の一環だったのになぁ。さっきの様子じゃ、やはり君が社交界に出るのは心配で仕方がない」
「だ、だって、しょうがないじゃない! まだ、令嬢姿には慣れてないんだもん! 練習はこれからなんだから、ヴィルジール殿下のお相手には、まだ準備不足なの!」

 これまで全く実戦経験がなかったのに、初戦も次戦もその後もずっと、相手はこの国最強クラスである王子。
 しかも、身分や容姿、女性を口説く手練手管など、あらゆる武器を自在に使いこなす歴戦の猛者なのだ。
 女性の方もよほどの強者でない限り、彼には敵わない。

 どうせ、彼から見たら、わたしなんてひよっこ以下でしょうよ。
 緊張してうまく振る舞えなくても、仕方ないじゃない!

 マルティーヌはふてくされた気分で、アップルパイにフォークをぐさりと刺した。
 すると彼は、盛大にため息をつく。

「いや……、そういう意味じゃない。ま、君が無意識に周囲の男たちを落としまくっても、君の兄上二人が睨みをきかせて、誰一人、近づけやしないだろうけど」

「へ? どういうこと?」

「前にも言っただろう? 『ラヴェラルタの秘された花』と噂されるほど、マルティーヌ嬢は社交界で期待が高いんだ。着飾った君はその期待以上だし、極度の人見知りと社交に不慣れな様子は男たちの庇護欲をそそる。少しでも素を出せば、その意外性が男心を鷲掴みにする。どう転んだって、君は注目を集めることになる。舞踏会に出れば、口説いてくる男もダンスに誘いたい男も、熱烈な求婚者も山ほど湧いて出てくるだろう」

 マルティーヌは「まさかぁ」と話を半分に聞きながら、フォークに乗せたパイで白いクリームをすくって口に運んだ。

「んー! おいしいっ」

 頬を押さえて満面の笑みを見せるマルティーヌに、「そういうところだ」とヴィルジールは苦笑した。

 すっかり調子を取り戻し、二つ目のアップルパイを堪能しているマルティーヌをヴィルジールはじっと見つめる。
 その視線に気づいたマルティーヌが顔を上げた。

「なに? ヴィル……じゃなかった、ヴィルジール殿下も食べてみて。うちのニナが作ったアップルパイは絶品なんだから。王都の職人にだって、負けていないと思うわ」

 彼のパイが全く減っていなかったから勧めてあげただけなのに、彼は怒ったような表情でいきなり立ち上がった。

「一体なんの罠なんだ!」
「え? え?」
「こんなお約束しでかして……」

 彼が手を伸ばし、親指でマルティーヌの口元をぐいと拭った。
 そして、指先についた白いクリームを見せつけてから、「おしおきだ」とゆっくり舌で舐めとった。
 艶めかしく動く舌と、不機嫌そうに細められた緑の瞳が、凄まじい色気を放つ。

「な……なな……、なんで舐め……っ」
「ふん。直接舐めてやった方が良かったか」
「ち、ちょくせつぅー?」

 思わず声が裏返る。

 直接って、彼がわたしの口元のクリームをそのまま舐めるってこと?

 それがどんな状況なのか想像してしまい、一気に顔に熱が集まった。
 想像だけで恥ずかしくて、もう、顔があげられない。
 肩をすくめ、小さくなって俯く。

「ったく、どうして君はこう無防備なんだ。リーヴィとセレスがあれほど過保護になるのもよく分かる」

 ヴィルジールはどかりと椅子に腰を下ろし、腕を組んだ。
 ちらりと盗み見ると、ひどく不機嫌そうだ。

 わたしの何が悪かったのか、さっぱり分からない……けど。

「どこが無防備だったの? じ、じゃあ……わたしはさっき、殿下の手をはたき落として防御すれば良かった……の?」

 恐る恐る聞いてみると、彼は反射的にテーブルを強く叩いた。

「違うっ! そういう意味じゃない」
「じゃあ……」
「だから、そんな風に上目遣いに男を見るんじゃない!」
「一体なんなのよ! それじゃ、どうしたらいいか全然分かんないじゃない!」

 言い合いになっていると、ヴィルジールの背後の窓際から吹き出すような声がした。
 二人が視線を向けると、ジョエルが膝から床に崩れ落ちるところだった。
 彼は「し、失礼……を」と謝罪しながらも、笑いを堪えられず腹を抱えている。

「どうしたの? 彼」
「……分からないならいい。もう……本当に、勘弁してくれ」

 ヴィルジールは疲れた様子でお茶を口にした。
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