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第二幕:多層化する盤面
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「ただいま」と言いながら家に入ると、先に帰宅していたまどかが「おかえりー」と出迎えてくれた。
それは良いのだが――
「何それ?」
まどかの着ているTシャツに目が釘付けになり、戸惑いながら聞いた。
「いいでしょ?」
そう言って、まどかはその場でくるりと回ってみせた。まどかのTシャツには、まどかのキャラが大きくプリントされていた。
「作ったの?」若干呆れながら尋ねた。
「うん。PODっていうサービスを使ったの」
「POD?」知らない言葉だ。
「フォロワーからグッズにして欲しいってリクエストがあって、PODを使えば簡単だ、ってアドバイスもしてくれて」
「へー」よくわからない。
リビングに移動した。
「危険はないの?」よく知らないサービスだから心配になった。
「大丈夫だよ、一般的なサービスだから。売れたら収入にもなるし」
そう言ってまどかは笑顔を見せた。一応あとで自分でも調べてみようと思った。
「Tシャツだけじゃないんだよ。マグカップとか色々作れるの」
まどかは楽しそうだ。危険さえなければ問題ないだろう。買うのはまどかのフォロワーばかりだろうが。
――そう思っていたのに、まどかが俺に向けたノートパソコンの画面を見て俺は戸惑っていた。
ランキングの上位にまどかのキャラのグッズが並んでいた。世の中って不思議だな。
「す、すごいね」なぜかどもった。
「うん。私もびっくりだよ」まどかも戸惑っているようだった。
「でね、売上もすごいんだよ」そう言いながらまどかはパソコンを操作した。
「マジ?」表示された金額を見たら、そんな言葉しか出なかった。
まどかに危険はないかと考えてみた。
「金銭感覚が壊れないようには注意しなよ。まどかなら大丈夫だと思うけど」
それくらいしか思いつかなかった。
「うん、気をつける」まどかは神妙に頷いた。
「でも、せっかくだから一度試してみたかったものを買おうと思うんだ」まどかは何やら楽しそうだ。
「何?」
「憧れの女優さんが使ってるスキンケア用品」
そう言ってまどかは微笑んだ。まあ、それくらいなら問題ないだろう。
半月後。まどかが軽い足取りで俺のもとに来た。
「直君、触って。すべすべだよ」
そう言って俺の手を取り、自分の顔を触らせた。
「本当だ。こんなに変わるんだ」
びっくりした。今までだってまどかの肌はきれいだったのに、そこからさらに磨きがかかっていた。まどかの嬉しそうな顔を見た。
「“釣りバカ日誌”のハマちゃんとみち子さんについて議論しよう」ぜひとも議論したい。
「いいよー」まどかは笑顔で応じた。
俺たちは仲良く寝室に移動した。その夜は、まどかの肌と髪の感触に感動した。
* * *
「直君、大変だよ!」
帰宅すると、今日は有給を取って休みだったまどかが慌ててやってきた。
「どうした?」
変なトラブルに巻き込まれたのではと心配になった。
「私のキャラが、市に採用されるかもだよ」
「え? 市?」
意味がわからなかった。
まどかから話を聞いた。
今日、用事があって市役所に行ったのだそうだ。あのキャラTシャツを着て。――すごいな、俺の奥さん。俺には真似できない。
そこで市役所の広報課の人に話しかけられたそうだ。その人はまどかのフォロワーで、同好の人を見つけて嬉しくなり話しかけ、まどかは自分のファンにリアルで初めて会えたのが嬉しくて作者だと明かした。
そこから話が広がり、市の広報にPRキャラとして使わせてもらえないかという話が出た、という話の流れだった。
「もちろん、可能性の話だけどね」まどかは付け加えた。
俺はちょっと考えた。
「まどか――ちょっと迂闊じゃないか?」
「え?」俺の言葉にまどかは戸惑った。
「市役所の職員とはいえ、身バレしたわけだろ? その人がまどかのプライバシーをネットに拡散する可能性だってある」
「でも……悪い人には見えなかったよ。名刺ももらったし」
俺はまどかから名刺を受け取り、読んだ。
広報課の係長だった。役職付きならおかしなことをする可能性は低いようにも思えるが、人が何をするかなんてわからない。
とはいえ、まどかのしたことを取り消す術もない。
「まどか、身バレは怖いよ。これからは慎重にね」
まどかが責められてると思わないように、意識して穏やかに言った。
「そうだね。うん、迂闊だった。嬉しくなっちゃって。ごめん」
まどかは少し落ち込んでいるようだった。
――変なことが起こらないといいのだけど。
そんな俺の考えは、取り越し苦労だったようだ。
まどかのキャラは市の広報のPRキャラとして、期間限定ではあるが正式に採用された。
「やったよ、直君。今まで私の作品を知らなかった人にも、見てもらえるチャンスだよ」
まどかは純粋に喜んでいた。市からの報酬よりも、まどかにとってはそちらのほうが重要らしい。
「そうだな。良かったじゃないか。変なことにならなくて安心したよ。でも、しつこいようだけど、これからは気をつけろよ」
「うん、気をつける」
まどかは表情を引き締めて頷いた。
しばらくして、市の広報にまどかのキャラが登場するようになった。
まどかは広報を宝物のように扱い、何度も見ていた。
朝、出勤するために外に出ると、隣の佐藤さんの奥さんに話しかけられた。
「朝倉さん、広報見ましたよ。あのキャラ、奥さんが描いたんですよね? すごいですね」
それだけ言って、佐藤さんの奥さんは去って行った。
「俺が仕事でこんな風に称賛されたことなんてないな」という考えが浮かんだ。
* * *
「直君、またまたニュースだよ!」
会社から帰宅すると、先に帰宅していたまどかが駆け寄ってきた。「またこのパターンか」という考えと、警戒心が同時に湧いた。
「今度はどうしたの?」
リビングに移動し、椅子に座ってからまどかに尋ねた。
「聞いたことのある会社から、私にマスコットキャラのデザインの依頼が来たんだよ」
「聞いたことのある会社? 何て会社?」
「この会社」
そう言って、まどかはスマホを俺に手渡した。メールが表示されていて、そこに会社名が書かれていた。ニュースで見たことのある、最近知名度を上げているIT企業だ。いろいろ考えが浮かんだが、まず一番気になったことをまどかに聞くことにした。
「まどか。このメール、どういう経路で来たの?」
「これはね、市役所の広報課の係長さんからだよ」
あの人か、と思った。依頼の経路はおかしくないようだ。
「この会社の社員さんがこの市に住んでて、広報で私のキャラを見て気に入ったんだって。それで会社で検討して、私に依頼しようってことになったんだって」まどかが付け足した。
依頼自体はおかしくないだろう。あと気になるのは、
「まどか。この仕事受けるの?」
「うん。せっかくだから、挑戦してみようと思うんだ。会社のホームページとかに載せてもらえれば、広報の時よりももっとたくさんの人に私の作品を知ってもらえるし」
そう言ってまどかは微笑んだ。
「わかった。あと気になるのは契約かな。急成長している会社だから、向こうばかりに有利な契約条件を出してくるかもしれない」
急成長している会社ということは、経営者は良く言えば「やり手」、悪く言えば「強引」ということだ。
「うん。私もそれを考えて、専門家に見てもらおうと思うんだ」
「え?」
思いがけないまどかの言葉に、俺は言葉に詰まった。
「市の広報の仕事をした時にね、税理士さんと知り合ったの。ベテランの女性の税理士さんで、かっこいいんだ」そう言ってまどかは笑った。
「確定申告や税金についても相談に乗ってもらってて、この件についても少し聞いたら、契約書を見てくれるって」
「そう――なんだ」
初耳だった。知らないところでまどかの世界が広がっていることに、驚いたというか、軽いショックを受けていた。
「そうか――うん、専門家が見てくれるなら、そのほうがいいな」
笑顔を作ろうと思ったのに、なぜかぎこちなくなった。
「うん」
頷くまどかの笑顔は俺とは違い、自然体だった。
変な空虚さを感じた。子供が成長して、手伝う必要が無くなったら、こんな気持ちになるのだろうか?
いや――まどかは子供じゃないんだ。俺は何を考えているのだろう?
それは良いのだが――
「何それ?」
まどかの着ているTシャツに目が釘付けになり、戸惑いながら聞いた。
「いいでしょ?」
そう言って、まどかはその場でくるりと回ってみせた。まどかのTシャツには、まどかのキャラが大きくプリントされていた。
「作ったの?」若干呆れながら尋ねた。
「うん。PODっていうサービスを使ったの」
「POD?」知らない言葉だ。
「フォロワーからグッズにして欲しいってリクエストがあって、PODを使えば簡単だ、ってアドバイスもしてくれて」
「へー」よくわからない。
リビングに移動した。
「危険はないの?」よく知らないサービスだから心配になった。
「大丈夫だよ、一般的なサービスだから。売れたら収入にもなるし」
そう言ってまどかは笑顔を見せた。一応あとで自分でも調べてみようと思った。
「Tシャツだけじゃないんだよ。マグカップとか色々作れるの」
まどかは楽しそうだ。危険さえなければ問題ないだろう。買うのはまどかのフォロワーばかりだろうが。
――そう思っていたのに、まどかが俺に向けたノートパソコンの画面を見て俺は戸惑っていた。
ランキングの上位にまどかのキャラのグッズが並んでいた。世の中って不思議だな。
「す、すごいね」なぜかどもった。
「うん。私もびっくりだよ」まどかも戸惑っているようだった。
「でね、売上もすごいんだよ」そう言いながらまどかはパソコンを操作した。
「マジ?」表示された金額を見たら、そんな言葉しか出なかった。
まどかに危険はないかと考えてみた。
「金銭感覚が壊れないようには注意しなよ。まどかなら大丈夫だと思うけど」
それくらいしか思いつかなかった。
「うん、気をつける」まどかは神妙に頷いた。
「でも、せっかくだから一度試してみたかったものを買おうと思うんだ」まどかは何やら楽しそうだ。
「何?」
「憧れの女優さんが使ってるスキンケア用品」
そう言ってまどかは微笑んだ。まあ、それくらいなら問題ないだろう。
半月後。まどかが軽い足取りで俺のもとに来た。
「直君、触って。すべすべだよ」
そう言って俺の手を取り、自分の顔を触らせた。
「本当だ。こんなに変わるんだ」
びっくりした。今までだってまどかの肌はきれいだったのに、そこからさらに磨きがかかっていた。まどかの嬉しそうな顔を見た。
「“釣りバカ日誌”のハマちゃんとみち子さんについて議論しよう」ぜひとも議論したい。
「いいよー」まどかは笑顔で応じた。
俺たちは仲良く寝室に移動した。その夜は、まどかの肌と髪の感触に感動した。
* * *
「直君、大変だよ!」
帰宅すると、今日は有給を取って休みだったまどかが慌ててやってきた。
「どうした?」
変なトラブルに巻き込まれたのではと心配になった。
「私のキャラが、市に採用されるかもだよ」
「え? 市?」
意味がわからなかった。
まどかから話を聞いた。
今日、用事があって市役所に行ったのだそうだ。あのキャラTシャツを着て。――すごいな、俺の奥さん。俺には真似できない。
そこで市役所の広報課の人に話しかけられたそうだ。その人はまどかのフォロワーで、同好の人を見つけて嬉しくなり話しかけ、まどかは自分のファンにリアルで初めて会えたのが嬉しくて作者だと明かした。
そこから話が広がり、市の広報にPRキャラとして使わせてもらえないかという話が出た、という話の流れだった。
「もちろん、可能性の話だけどね」まどかは付け加えた。
俺はちょっと考えた。
「まどか――ちょっと迂闊じゃないか?」
「え?」俺の言葉にまどかは戸惑った。
「市役所の職員とはいえ、身バレしたわけだろ? その人がまどかのプライバシーをネットに拡散する可能性だってある」
「でも……悪い人には見えなかったよ。名刺ももらったし」
俺はまどかから名刺を受け取り、読んだ。
広報課の係長だった。役職付きならおかしなことをする可能性は低いようにも思えるが、人が何をするかなんてわからない。
とはいえ、まどかのしたことを取り消す術もない。
「まどか、身バレは怖いよ。これからは慎重にね」
まどかが責められてると思わないように、意識して穏やかに言った。
「そうだね。うん、迂闊だった。嬉しくなっちゃって。ごめん」
まどかは少し落ち込んでいるようだった。
――変なことが起こらないといいのだけど。
そんな俺の考えは、取り越し苦労だったようだ。
まどかのキャラは市の広報のPRキャラとして、期間限定ではあるが正式に採用された。
「やったよ、直君。今まで私の作品を知らなかった人にも、見てもらえるチャンスだよ」
まどかは純粋に喜んでいた。市からの報酬よりも、まどかにとってはそちらのほうが重要らしい。
「そうだな。良かったじゃないか。変なことにならなくて安心したよ。でも、しつこいようだけど、これからは気をつけろよ」
「うん、気をつける」
まどかは表情を引き締めて頷いた。
しばらくして、市の広報にまどかのキャラが登場するようになった。
まどかは広報を宝物のように扱い、何度も見ていた。
朝、出勤するために外に出ると、隣の佐藤さんの奥さんに話しかけられた。
「朝倉さん、広報見ましたよ。あのキャラ、奥さんが描いたんですよね? すごいですね」
それだけ言って、佐藤さんの奥さんは去って行った。
「俺が仕事でこんな風に称賛されたことなんてないな」という考えが浮かんだ。
* * *
「直君、またまたニュースだよ!」
会社から帰宅すると、先に帰宅していたまどかが駆け寄ってきた。「またこのパターンか」という考えと、警戒心が同時に湧いた。
「今度はどうしたの?」
リビングに移動し、椅子に座ってからまどかに尋ねた。
「聞いたことのある会社から、私にマスコットキャラのデザインの依頼が来たんだよ」
「聞いたことのある会社? 何て会社?」
「この会社」
そう言って、まどかはスマホを俺に手渡した。メールが表示されていて、そこに会社名が書かれていた。ニュースで見たことのある、最近知名度を上げているIT企業だ。いろいろ考えが浮かんだが、まず一番気になったことをまどかに聞くことにした。
「まどか。このメール、どういう経路で来たの?」
「これはね、市役所の広報課の係長さんからだよ」
あの人か、と思った。依頼の経路はおかしくないようだ。
「この会社の社員さんがこの市に住んでて、広報で私のキャラを見て気に入ったんだって。それで会社で検討して、私に依頼しようってことになったんだって」まどかが付け足した。
依頼自体はおかしくないだろう。あと気になるのは、
「まどか。この仕事受けるの?」
「うん。せっかくだから、挑戦してみようと思うんだ。会社のホームページとかに載せてもらえれば、広報の時よりももっとたくさんの人に私の作品を知ってもらえるし」
そう言ってまどかは微笑んだ。
「わかった。あと気になるのは契約かな。急成長している会社だから、向こうばかりに有利な契約条件を出してくるかもしれない」
急成長している会社ということは、経営者は良く言えば「やり手」、悪く言えば「強引」ということだ。
「うん。私もそれを考えて、専門家に見てもらおうと思うんだ」
「え?」
思いがけないまどかの言葉に、俺は言葉に詰まった。
「市の広報の仕事をした時にね、税理士さんと知り合ったの。ベテランの女性の税理士さんで、かっこいいんだ」そう言ってまどかは笑った。
「確定申告や税金についても相談に乗ってもらってて、この件についても少し聞いたら、契約書を見てくれるって」
「そう――なんだ」
初耳だった。知らないところでまどかの世界が広がっていることに、驚いたというか、軽いショックを受けていた。
「そうか――うん、専門家が見てくれるなら、そのほうがいいな」
笑顔を作ろうと思ったのに、なぜかぎこちなくなった。
「うん」
頷くまどかの笑顔は俺とは違い、自然体だった。
変な空虚さを感じた。子供が成長して、手伝う必要が無くなったら、こんな気持ちになるのだろうか?
いや――まどかは子供じゃないんだ。俺は何を考えているのだろう?
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