影の正男と月光の姫 ― 正しさが人を殺す世界を生きる姫 ―

冴月練

文字の大きさ
15 / 18

第十四夜:富岡トメ

しおりを挟む
 気がつくと中華料理屋の前に立っていた。ああ……あの中華料理屋だ。
 俺は死んだのだろうか? 死んだのなら、親兄弟が現れるのが普通だろ。なんで、よりにもよって炎の魔女の中華料理屋なんだか。苦笑した。
 立っていても仕方ないから、暖簾をくぐって店に入った。

 調理場に女が背を向けて立っていた。「いらっしゃいませ」の言葉はない。遠い昔に一度見ただけなのに、なぜか炎の魔女・富岡トメだとわかった。
「注文は?」トメが言った。
「あ……ああ、チャーハンをください」
 自然とそう言っていた。すぐに言葉が出なかったのは、久しぶりの人間の体だからだろうか?
「あいよ」トメが答え、チャーハンを作り始めた。
 トメがチャーハンを作るのを見ていた。鮮やかな鍋捌き。もちろん火を恐れてなんていない。それを見ていたら、自然と唇を噛んで、視線を落としていた。

「おまちどおさま」そう言って、トメが俺の前にチャーハンを置いた。「おまけで大盛にしておいたよ」
 何十年ぶりに見たトメの顔だ。遺影とは違う、あの日の顔。
「いただきます」
 そう言って、チャーハンを一口食べた。数十年ぶりに感じた味。涙が出てきた。夢中で食べた。

「どうだい、私のチャーハンは?」
 声がしたので顔を上げると、トメが唇の片側を持ち上げて俺を見ていた。
「美味しいです」おずおずと答えた。
「そうだろ」
 そう言うと、トメはチャーハンを食べ続ける俺を見ていた。

「本当はね、死ぬ前にあんたにかけた呪いは解くつもりだったんだ。だけど、日々の忙しさとか、孫の世話とかで忘れちゃった。歳は取りたくないね」
 それだけ言ってトメは黙った。沈黙が流れた。
「――あの、他には?」
「何が?」
 一言くらい謝れよ! このクソ婆!

「ごちそうさまでした」食べ終わったので言った。
「おそまつさまでした。味は?」
「美味しかったです。あの時も、本当は美味しいと思ってました。だけど、仕事で嫌なことがあって……あんたに八つ当たりしてしまいました。すみませんでした」頭を下げた。
「そうかい。あんたも大変だったんだね」たいして興味もない風にトメは言った。

「あの、なんであんなに怒ったんですか?」ずっと気になっていたことを尋ねた。
「ん?」トメが俺を見た。「一つは炎の魔女である私の火の扱いに、お前ごときガキがケチをつけたからだよ」
「すみません」また頭を下げた。「俺、溶接工だったんです」
「へー」トメは少し関心を持ったようだった。
「毎日熱い火の前で仕事していて、男ばっかの世界で……なんか、あんたを下に見てた」
「ふーん。もっと許せなかったのはね、あんたがチャーハンの味を馬鹿にしたことだ」
 トメが俺の目を見た。はっきりと怒りが見えた。
「この味は、旦那と作り上げたものだからね」

 トメと目を合わせてられず、下を向いて口を開いた。
「旦那さん、戦死したとか」
「知ってたのかい」
「ええ、噂で」
 トメは小さくため息をついた。
「生きて帰ってくると思ってたんだけどね」
 それだけ言って、トメは黙った。

 少し間を置いて、もう一つ気になっていたことを尋ねるために口を開いた。
「“伝説の魔女”なんて言われるほどの魔導士なのに、なんで中華料理屋なんてやってたんですか?」
 トメは自嘲するように笑ってから口を開いた。
「そんなもの役に立たない時代になったと思ったからさ。空を埋め尽くす戦闘機。降り注ぐ焼夷弾。街を消し飛ばす核爆弾。炎の魔女なんて呼ばれても、何の力にもならない」
 トメは一度長く息を吐いた。
「私がいれば、旦那を死なせずに済んだのでは、なんて考えたこともあったが、私がいても結果は変わらなかっただろう」
「そう……ですか」
 それだけ言った。俺は幼かったから、戦争の直接的な記憶はあまりない。だけど、トメの言っていることは理解できた。

「さて、腹は膨れただろ?」
「ええ、満腹です」
 そういえば、人間だったときに最後に食べたのも、トメのチャーハンだった。
「たいして役に立たない力だけど、可愛い妹の孫娘を助けるくらいはできる」
「え?」意味がわからなかった。

「お前と一緒にいたデブ猫いるだろ?」
「漱石ですか?」
「ずいぶん立派な名前だね」トメは呆れたように言った。
「俺もそう思います」
 少しだけ一緒に笑った。
「あの猫は、魂の依代になれる特異体質だ。あの猫に私が憑依する」
「それで、真壁を倒せるんですか?」
「ああ。だが、私だけじゃだめだ。猫の魂は小さいから、十分な威力の魔法を使えない。だから正男、お前の魂が必要だ」トメが俺を指さしながら言った。
「一緒にほたるを助けてくれるかい?」トメがニヤリと笑った。
「もちろん!」立ち上がりながら言った。



 ――気がつくと、中華料理屋ではなく、マカベ・バイオテックのビルの廊下で倒れていた。
 ゆっくりと身体を起こした。
 息をしていることに気づいた。
 両手を見て、握ったり開いたりした。

 ――身体がある。
 呪いが解けたんだ!
 じんわりと喜びが湧き上がってきた。

「そこに作業着があるね。着替えな」
 トメの声でハッとした。
 そうだ。こんなことをしている場合じゃない。ほたるを助けにいかないと。
 自分を見た。呪いをかけられたときに着ていた寝間着姿で裸足だ。これでは動きづらい。トメに言われた通り、急いで作業着を着、靴を履いた。――久しぶりの肌の感触だ。

「よし、行こう!」気合いを入れた。
 天井のライトが、身体を取り戻した俺と猫の影を壁に映し出していた。



* * *



「ヒィィィィーー!」
 情けない声を上げながら、マカベ・バイオテックのビル内を逃げ回っていた。
 正義とか怒りとかあったのに、すっかり消えてしまった。だって仕方ないじゃん!

『君には私の子供を産んでもらう』

 思い出したらまた全身に鳥肌が立った。
 無理だって! 無理だって! 無理だって!
 怖い! 怖い! 怖い!
 あんなに気持ち悪い人、生まれて初めてだって!

 やみくもに逃げ回ってるけど、真壁に先回りされる。これ、ホラームービーだよ。
 わかってますよ。ここ、あの人の会社のビルだから、監視カメラで見つかっちゃうんでしょ? おまけにあの人魔導士だから、魔法なんかも使えちゃうんでしょ?
 でも、私にどうしろっていうんですか?
 逃げるしかないじゃない!

 そう思って逃げ回っているけど、息が苦しい。たぶんもうじき逃げられなくなる。
 そうなったら私はどうなるのだろう?
 何をされるのだろう?
 涙が出てきた。

 そんなことを考えていたら、前方の壁が崩れた。急ブレーキしながら、両腕で身体をかばった。
 おそるおそる前方を確認したら、炎を纏った虎みたいなのがいた。真壁の魔法かなんかだろうか?
 わからないけど――詰んだ。

 気絶して現実から逃げようと思ったが、都合よく気絶できなかった。
 虎みたいなのを見たら、上に人が乗っていた。なぜか両の手のひらを合わせている。私のために祈ってくれているのだろうか?
 いや、そうじゃない、あの人は――正男さんだ!

 虎がするすると小さくなり、猫になった。猫というか、
「漱石!」
 私は叫んだ。



* * *



「大丈夫か、ほたる?」涙目のほたるに聞いた。
「正男さん……無事だったんですね?」ほたるはぽろぽろ泣き出した。
「ああ、お前のおかげでな」
「正男、もう一度言っておくが、両の手のひらは合わせたままだ。お前がやることはそれだけ。目が潰れようが、脚がもげようが構わないが、両腕は失うな」トメが言った。
「わかってる!」勇ましく答えたが、怖いこと言う婆さんだな、と思った。

「え? 漱石がしゃべった!」ほたるが目を丸くした。
「漱石だけど、今は中に炎の魔女・富岡トメが入ってる」ほたるに教えた。
「トメさんが! あの、はじめまして。私はトメさんの妹の――」
「知ってる。今はそれどころじゃない」トメがほたるの言葉を遮った。
「ほたる、無事か? 何もされてないか?」ほたるに尋ねた。
「うん、今のところは」ほたるが俺を見た。また泣き出した。
「今のところは?」
「私に子供産ませる、って言われた」ほたるは本格的に泣き出した。
「うげ! それは気持ち悪いな」

「すごい魔力だ。何者だい?」通路の奥から真壁が姿を現した。
「ほたる、お前は避難してな」
 トメがそう言うと、ほたるを一瞬炎が包んだ。炎が消えると、ほたるは赤いシャボン玉のようなものに包まれていた。赤いシャボン玉は、俺たちが開けた穴から外へと飛んで行った。トメの魔法だ。ほたるは安全なところに運ばれるだろう。

 漱石に憑依したトメが真壁に向き直った。
「富岡トメだ」
 それを聞いた真壁の顔に一瞬驚愕が浮かんだが、すぐにそれは不敵な表情に変わった。
「これはこれは。伝説の魔女に会えるとは光栄だ」
「妹の孫娘に汚い手で触ろうとしたらしいな?」トメの言葉に怒気を感じた。
「それがなにか?」真壁は涼しい表情だ。
「消えろ、青二才が!」トメの怒声とともに、俺の中を何かが流れた。軽い疲労を感じた。そして、真壁に向かって巨大な火球が飛んでいった。
 真壁は腕をクロスした。火球は真壁に当たったが、真壁と火球の間に層ができていた。バリアーみたいだ。
 真壁は火球の威力で後方に吹っ飛んでいったが、俺は真壁の表情に危機感がまるでなかったのを見た。
 炎が爆散した。

 俺とトメは燃え上がる炎を見ていたが、その中から真壁がほとんど無傷で歩いてきた。
「おかしいね。お前ごときなら、今ので十分なはずなんだが」
 トメが言った。言葉に反して、動揺は感じられなかった。
 真壁が背広を軽くはたいてから口を開いた。
「古い常識で判断しないで欲しいな」馬鹿にするように笑った。「才能だけに頼る古い魔導士とは違うんだよ」
 真壁を観察していたトメが口を開いた。
「背広の下に、増幅器みたいなものを着こんでるね?」
「ご名答。さすが炎の魔女。ここまで薄型にするのは苦労したよ」真壁が薄く笑った。
「この建物自体にも仕掛けがありそうだ」トメが周囲の壁に目を走らせた。
「個の限界というものもわきまえているのでね」真壁とトメの視線がぶつかった。

「魔法と科学の融合。これこそが私の研究成果だ。才能だけに頼る古き時代の魔女。滅びるがいい!」真壁が敵意をむき出しにしてきた。
「トメ、大丈夫か? やれるか?」
 トメを見て聞いた。トメはため息をついたみたいだった。猫だから、表情がよくわからなかった。
「なんか……三下の涙ぐましい努力だな、って思って」うんざりしたような声だった。
「フッ、好きに言いたまえ」
 真壁が魔法を発動した。
 空間に流れのようなものを感じた。
 俺でもトメの魔法とは何かが違うとわかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

看病しに行ったら、当主の“眠り”になってしまった

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全36話⭐︎ 倒れた当主を看病する役目を振られた使用人リィナは、彼の部屋へ通うことになる。 栄養、灯り、静かな時間、話し相手――“眠れる夜”を整えていく。そして、回復していく当主アレクシス。けれど彼は、ある夜そっと手を握り返し、低い声で囁く。 「責任、取って?」 噂が燃える屋敷で、ふたりが守るのは“枠(ルール)”。 手だけ、時間だけ、理由にしない――鍵はリィナが握ったまま。 けれど、守ろうとするほど情は育ち、合図の灯りはいつしか「帰る」ではなく「眠る」へ変わっていく。 看病から始まった優しい夜は、静かな執着に捕まっていく。 それでも、捕獲の鍵は彼ではなく――彼女の手にある。

バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました

美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?

大根令嬢の雑学無双、王弟殿下を添えて。~ 前世を思い出したので、許婚をほったらかして人助けしまくります!!

古森真朝
恋愛
気弱な伯爵令嬢のカレンは、自分勝手な婚約者レナートに振り回されていた。耐え続けていたある日、舞踏会で何者かに突き飛ばされ、階段から落ちてしまう。 その傷が元で儚く……なるかと思いきや。衝撃で前世を思い出したカレンは一転、かの『ド根性大根』みたいな超・ポジティブ人間になっていた。 『モラハラ婚約者の思惑なんぞ知るか!! 今度こそ好きなことやって、目いっぱい幸せに長生きするんだから!!!』 昔ひたすら読書に耽って身に着けた『雑学』を武器に、うっかり採れ過ぎた作物や、開墾しようとすると不幸に見舞われる土地、不治の病にかかった王族、等々の問題をどんどん解決。 領地の内外で心強い友人が出来たり、いつの間にかものすごく有名になっていたり、何かと協力してくれる王弟ヴィクトルから好意を寄せられたり(注:気付いてない)する中、温かい家族と共に仕事に励んでいく。 一方、前世から因縁のある人々もまた、こちらに転生していて――

はじめまして、私の知らない婚約者様

有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。 見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。 けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。 ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。 けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。 この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。 悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに? ※他サイトにも掲載しています。

ぽっちゃり女子の異世界人生

猫目 しの
ファンタジー
大抵のトリップ&転生小説は……。 最強主人公はイケメンでハーレム。 脇役&巻き込まれ主人公はフツメンフツメン言いながらも実はイケメンでモテる。 落ちこぼれ主人公は可愛い系が多い。 =主人公は男でも女でも顔が良い。 そして、ハンパなく強い。 そんな常識いりませんっ。 私はぽっちゃりだけど普通に生きていたい。   【エブリスタや小説家になろうにも掲載してます】

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

幽閉王女と指輪の精霊~嫁いだら幽閉された!餓死する前に脱出したい!~

二階堂吉乃
恋愛
 同盟国へ嫁いだヴァイオレット姫。夫である王太子は初夜に現れなかった。たった1人幽閉される姫。やがて貧しい食事すら届かなくなる。長い幽閉の末、死にかけた彼女を救ったのは、家宝の指輪だった。  1年後。同盟国を訪れたヴァイオレットの従兄が彼女を発見する。忘れられた牢獄には姫のミイラがあった。激怒した従兄は同盟を破棄してしまう。  一方、下町に代書業で身を立てる美少女がいた。ヴィーと名を偽ったヴァイオレットは指輪の精霊と助けあいながら暮らしていた。そこへ元夫?である王太子が視察に来る。彼は下町を案内してくれたヴィーに恋をしてしまう…。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

処理中です...