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第四章 雨に濡れて…
第8話 前編1
しおりを挟む「うわっ、降ってきやがった」
「本当だ。あ、あそこでちょっと雨宿りしようよ」
突然の雨に、晶と直人は手近の商店の軒下に駆け込む。
ジャズの野外コンサートに出掛けた帰り道。近くだからと乗り物を使わなかった彼等が、晶の家の近くまで歩いてきた時のことだった。一瞬にして掻き曇った空から、絶え間なく大粒の雫が落ちてくる。
「天気予報当たっちゃったね。やっぱり傘、持って来れば良かった」
軒に張られたビニールテントの下から空を見上げて直人が言う。確認するように前へ出した掌で、透明な雨粒が次々と弾けた。晶も少し屈むようにして雨雲を窺う。
「なぁ。こりゃ、ちょっと止みそうにねぇよ。俺ん家まで走ってかねぇか? もうちょいなんだし」
「そうだね」
軒下から飛び出した二人は、激しさを増す雨音の中を梶原家へと急いだ。
「うへーっ、ひっでぇな。びしょ濡れじゃん」
鍵を開けた玄関に駆け込んでひと息つく間も無く、直人を見た晶が言った。
「晶もだよ。シャツ、体に張り付いてる」
頭から足の先までずぶ濡れになった二人は、まさに水も滴る…状態だった。が、そんなことを言っている場合では無い。八月の夕立は、暑苦しい気温に反発するように激しく、冷たい。雨に打たれた身体は冷え切っていた。洗面所へ行って戻ってきた晶が、直人に大きなバスタオルを放って寄越す。
「風邪ひくぜ、シャワー使えよ。着替えは俺の、貸してやっから」
「でも、小母さん達は?」
「ああ、旅行に行ってんだよ。二泊三日で。秀兄ぃの学会ついでだけどな。俺も誘われたんだけど、親子水入らずで行ってこいって断ったんだ。だから遠慮なんてしなくていいぜ。俺も後で浴びるからさ」
「そっか…。じゃ、先に使わせて貰うね。すぐ済ませるから」
バスタオルを抱えて直人は洗面所へと消えた。脱衣室はその奥にある。何度かこの家を訪れた直人は、家の勝手もちゃんと頭に入っていた。
晶は脱衣室のドアが閉まる音を聞き届けると、タオルで頭をガシガシと拭きながら自室へ行く。二人分の着替えを用意して戻ると、脱衣室に入った。シャワーの軽やかな音がする。浴室の折戸越しに声を掛けた。
「直人。着替え、ここに置いとくからな」
「あ、うん。ありがとう」
聞こえた直人の声は、浴室内に響いてまるで別世界のもののようだった。折戸のガラスに白っぽい影が映っている。磨りガラスで薄っすらと輪郭を滲ませるそれは、言うまでも無く直人の裸身。
――自分の喉が鳴る音を頭の隅で聞いた晶は、ハッと我に返って浮かんでいたあらぬ妄想を掻き消すように首を振った。
濡れたシャツを脱ぎ、篭の中に入れてあった直人の服と一緒に乾燥機へ投げ込む。『自動乾燥』のスイッチを押して、晶は脱衣室を後にした。
バスタオルを首に掛けて、シャワーを済ませた晶が自室へ入る。中では、直人がベッドに腰掛けて待っていた。
エアコンが快適な温度の気流を送り出す。それが風呂上がりの肌に心地好かった。
窓の外に目を向ける。あれほど激しかった夕立はシャワーを浴びている間に止み、空には明るさが戻っていた。卓上のデジタル時計の表示は午後6時40分。間もなく日も暮れる。
「すっかり止んだみたいだな」
突っ立ったままタオルで顔を拭く。直人も外を見ながら言った。
「これなら、傘借りずに帰れるね」
「…帰んの?」
直人の言葉に、晶はタオルから片目だけ覗かせて訊く。
「泊まっちゃえよ。秀兄ぃ達もいねぇし、なんにも気兼ねすることねぇからさ」
晶の提案を聴いて戸惑う直人。
「でも…」
「でももかももねぇって。どうせ服だってまだ乾いてねぇんだから。な、決まり♪」
有無を言わさずほぼ無理矢理泊まることにさせられた直人は、苦笑する。
こんな晶の様子を見ていると、ひと月前に感じたことが気の所為だったのではないかと思う。寂しさなど微塵も感じさせない振る舞いに、あの口付けの記憶は薄れつつあった。
――傍の雑誌を手に取る。開いたページに何か気になる記事でもあったのか、直人はゆっくりと読み始めた。
今日は夕食も外で早めに済ませてきている。後はいつものように過ごして、夜が更けたら客間の布団を引っ張り出し、各々床に就くことになる――筈だった。
★★★次回予告★★★
梶原家に泊まることになった直人。二人きりの室内で、晶は彼に――。
出会いから四ヶ月になるこの二人。いい加減そろそろ……ね?
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