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1,裏垢

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「ちょっと石田っ。身だしなみが崩れてる! 髪が耳に掛かるのは校則違反!」

 女子のよく通る、高い声が教室に響き渡る。
 結構大きな声だったけど、教室にいた人でそちらの方に強い関心を持った人間は多くない。
 それが日常のいつもの光景ならば、慣れてしまって特別な感情を抱きにくくなるからだ。
 そのとある女子生徒が、誰か他の生徒に向かって怒鳴る……それは毎度のことだった。

「悪い悪い。切るの忘れちゃってさ。来週までには美容院行くから、今日は見逃してくれよ」

 怒鳴られた生徒は大して悪びれもせずに平謝りする。
「やれやれ」とでも言いたいように。
 その態度が気に障ったのだろう。気の強そうなその女子生徒は語気を強めて更に言う。

「反省してないのっ? 三日前も後で切るとか言ってたけど、結局やってないじゃないっ! 先生に報告するからねっ!」

 感情をぶつけられたその男子は「はいはい」と面倒くさそうな態度で対応する。
 その応じ方に更に女子生徒は憤っての繰り返し。本人は真面目なのだろうけど、端から見れば滑稽にも思えた。
 しばらくそんな言い争い……その女子生徒が一方的に言っていただけな気がするけど、……に彼女は疲れたのか、違反対象の生徒をキツく睨み付けてからプイっと顔を逸らして歩き出す。
 ラノベを読む振りをして、そんな争いに密かに聞き耳を立てていた僕の席の前を、彼女は通り過ぎる。
 その女子生徒の腕には「風紀委員」の腕章が誇り高げに身に付けられていた。

***

 僕、倉部祐樹のクラスメイトの白石碧は風紀委員だ。
 品行方正で真面目なイメージの風紀委員に違わぬ気質で、良くも悪くも竹を割ったような性格の持ち主だった。
 遅刻者への指導、服装指導、不純異性交遊の取り締まり。そういった活動を彼女は自分の役目とでも言うように行っていた。
 女子に人気の男子生徒だろうが、不良だろうが臆することなく取り締まる。職務に真剣に取り組む優等生ではあるのだけど、少々それは行きすぎに見えることもある。
 だから彼女の人気は男女問わず低かった。
 高校生。子供とは言えないが、まだ大人でも無い年頃。そんな時期に、「正しさ」を振りかざして自分たちに割り込んでくる存在が疎ましがられるのは、ある意味当然だった。
 ただ、白石さんの容姿と成績は一級品だった。
「あんなキツイ性格じゃなければ告ってた」と言う声も聞くくらい、彼女は美しい容姿をしていた。
 鏡のように輝く黒い髪。冷たく細い輪郭の顔。無駄な脂肪など付いていない、ほっそりとした身体。それでいて胸には恵まれている。
 そして、澄んだ美しい虹彩の瞳をいただく、顔だって良い。
 おまけに成績も学年トップ。
 父親が刑事で母親が裁判官という話も聞いたことがある。
 だから彼女は正義というものに固執しているのかもしれない。
 僕自身は、彼女との接点が多いわけでは無かった。
 大人しい僕は、あまり目立たないように行動してきたし、彼女に目を付けられるような行動は特に取っていなかった。
 ただ、一度だけ僕は白石さんに取り締まられたことがあった。
 その後の経緯が少し特殊な経験だったけど。
 それは、僕が昼休みに読書をしていた時のことだった。
 友達もあまり多くない僕がすることと言えば自分の席で暇を潰すくらいしか無く、その日もそうだった。
 ぼんやりと本の内容を眺めていた時、不意に声がした。

「倉部くん。何読んでるの?」

 顔を上げるとそこには白石さんがいて、険のある力強い目で僕を睨んでいる。

「学校に漫画を持ってくるのは禁止。校則違反ですよ?」

 僕は彼女に目を付けられたり、恨まれる態度は取っていないからだろう。
 声音はやや厳しめの色を帯びていたが、不良を相手にしている時の切りつけるような声で接しては来なかった。

「その本は没収します。ほら、渡して」

 そう言って白石さんは僕の目の前に手を出してくる。
 どちらかと言えば大人しめの性格である僕は、つい彼女に渡してしまいそうになる。
 でも、言いたいことがあった。

「いや。これはライトノベルです。表紙は漫画みたいだけど、小説なんです」
「えっ……!」

 彼女は少し驚いた後、「ちょっと貸して下さい」と僕に言う。
 彼女にラノベを手渡すと、パラパラと中身を捲って内容を確認していた。
 白石さんがバツの悪そうな表情に変わっていく。
 僕の高校では、漫画の持ち込みは禁止されているけど、ラノベは小説ということで校則には違反しないことになっていた。
 それは当然風紀委員にも通知されていることで、彼女はミスを犯したということだった。
 ラノベを僕に返すと、白石さんは俯きながら申し訳なさそうに言う。

「ごめんなさい。可愛い絵が見えて、つい漫画かと……」
「いいんです。間違いは誰にでもありますから」
「二度とこういうミスは犯しません。申し訳ありませんでした」

 頭を下げて、白石さんは僕の前から去る。
 そんな経験で僕は、彼女がただ権力を振りかざすことに酔っているわけではなく、自分に非があるときはしっかり謝れる人間であることを知った。

 ……その後更に致命的なミスを彼女が犯すことになることなど、その時の僕と、彼女自身も思っていなかったけど。

***

 それから三日後の午後八時。
 自宅。
 僕はリビングのソファに横たわり、暇つぶしにスマホを弄っていた。
 ソシャゲのスタミナを消化し終わった後、ツイッターを覗く。

「祐樹。そろそろお風呂沸いてるから、入っちゃいなさい」

 台所で皿洗いをしている母が僕に言う。
「はーい」と適当な返事を返しつつ、僕はツイッターを見るのを継続していた。
 体を動かすのが億劫だ。入浴は五分くらい経ってからでもいいだろう。
 そう思いつつ、タイムラインを眺める。今視聴しているアニメの次回話の情報や、ラノベの新刊の発売日の情報をオタク友達がリツイートしてくれたので、それを確認する程度のことだった。

「……あれ?」

 思わず僕は声を漏らす。表示されているおすすめユーザー。その内のとある一つのアカウントが、妙に気になった。
 ユーザーネームは「あおい@裏垢」あおいという人の裏アカウントのことだ。
 あおい……青い……碧?
 風紀委員の白石碧さんのことが頭に過ぎる。風紀委員でもツイッターくらいはやっているだろうけど、裏アカウントというのがそそられる。
 いや、別人だろう。きっと。そうは思うものの、好奇心を押さえられず、そのアカウントをタップして開いた。
 プロフィールはこうだった。
「高2です。自撮りとか上げてます」
 フォローとフォロワーはそこそこの数だった。結構呟いている。
 僕は画面をスワイプしてこのアカウントの主の発言を確認しようとした。
 けど、少し読んで即座に飛び込んできたその画像に、僕の指は凍りついたかのように固まってしまった。

「ん!? なんだ、これ……?」

 その一枚の画像。
 一人の女の子――顔は見切れていたけど、華奢な体格とスカートを履いていたからそう判断した――が写っていた。
 足を軽く広げてその奥にある、縞模様が可愛らしいパンツをカメラに向かって晒している。
 女の子は制服を着ていた。どう見ても僕の通う高校の、女子用のブレザーに極似している。
 添えられているメッセージは、こうだった。

『今日は学校の制服で自撮りしました。リクエストにお答えして、新しいパンツを買いました。縞パン☆』

 本当に白石さんなのだろうか。何かの間違いじゃないのか?
「あおい」なんて名前、日本全国探せば大量に見つかるだろう。
 でも、このブレザーは……。
 僕は更に発言を遡る。
 その度に、僕は顔を紅潮させなければならなくなった。

『ちょっとだけ胸には自信あるかな?』
『お尻が大きいの、恥ずかしい……』
『彼氏欲しいな~。ぎゅーってしてもらいたい♡』
『今日の下着はこんな感じです!』
『100RT行ったらおっぱい晒します!』

 これが白石さん? いや、何かの間違いだろう。
 風紀委員であの厳しい彼女が、この際どい発言ばかりな投稿主と同一人物には思えない。
 けど……。
 この首もとのほくろ。体格。制服。
 顔は隠れていて見えないけど、白石さんと一致している特徴ばかりだった。
 もう少し、このアカウントの発言を観察してみよう。
 そうやって遡っていくと、あるツイートが目に入る。
 4月20日。
 今から二ヶ月ほど前のものだ。
 それより下にはスワイプすることが出来ない。これが記念すべき、初ツイートということだ。

『裏垢作りました。足立区住みの高2女子です。絡んでくれたら嬉しいです』

 ……これ、白石さんだ。確定ではないけど。
 僕らの高校は足立区にあるし、この付近でこのブレザーを採用しているのは僕の通う高校しか無い。
 白石さんも、区内の自転車で学校まで通える範囲に住んでいると聞いたことがある。
「あおい」という名前も、この近辺ならだいぶ絞り込める。
 じゃあ……。
 僕はどうすればいい? 見なかったことにするのも出来る。
 別に白石さんがどんな趣味を持っていたとしても、僕には関係ないことだ。
 明日学校に行っても、何事も無かったように普通に振舞えばいい。
 でも。
 僕はあの彼女の内面を、ちょっと淫乱気質で、好奇心旺盛な面を知ってしまった。
 たぶん、白石さんも学校内の人間にはこのことは知られたくないのではないか。
 つまり、僕は彼女の弱みを握っていることになる。
 そのことに気がついた時、僕の頭の中にある邪な考えが浮かんだ。
 いや、でも流石に白石さんには……というか女子にそれはしちゃ駄目だろう。
 自制心を掛けようとするけど、理性と「その感情」は拮抗しあって、どうにも頭から離れない。
 思い悩んでいるうちに、母が「スマホ弄ってないでいい加減お風呂に入りなさい」と強めの口調で僕に命じてきたので慌ててソファから起き上がった。
 脱衣所で脱ぐと、僕の性器は硬く起立しているのが分かった。

 風呂から上がると、僕は自室でスマホを操作しさっきのアカウントを見る。
 新規ツイートが何件か書き込まれていて、「今日の授業難しかったなぁ」とか「男子が言うこと聞いてくれない」とか投稿されている。
 僕はあることを悩んでいた。
 それは、この裏アカウントをフォローをして、ダイレクトメールで直接このアカウントの主に問おうかどうかということだった。
 別にアプローチを掛ける必要は無いだろうとも思うかもしれない。
 けれど僕の中の好奇心は膨張する一方で、これが本当に白石さんのものなのかどうかを知りたい欲求でいっぱいだった。
 逡巡の後、僕はフォローボタンをタップする。
 そして僕は、ダイレクトメッセージの画面を呼び出してこんなメッセージを入力する。

『初めまして。お聞きしたいことがあるんですが、大丈夫ですか?』

 勢いに任せて送信する。数分で既読が付いた。
 返信が返ってくる。

『フォローありがとうございます! どんな案件ですか?』
『あの……白石碧さんですよね? ○○高校2年A組の』

 単刀直入に僕は訊く。幾らなんでも直球すぎたと送信してから思ったが、もう止めることは出来ない。
 即座に付いた既読から、数分は何の反応も無かった。
 その沈黙が僕の推理を裏付けているようで、なんとも嫌な汗が流れてくる。
 段々僕は後悔してきた。画面の向こうで白石さんが苦悶している様子が脳裏に浮かぶ。
 ……返事が来たのは、僕があまりにも踏み込んだことを訊ねてから、約十分後のことだった。

『同じ高校の方ですよね? お名前を教えていただけますか?』
『倉部祐樹です。同じクラスです』

 答えるかどうか悩んだけど、このアカウントの主が白石碧であるのを彼女が認めたからこんな質問をしてきたのだということに気が付いたので、こちらも敬意を持って正直に回答する。

『明日の放課後、教室に残っていてくれますか? お話があるんです』
『ダイレクトメールでは話せないことですか?』
『直接お話するのが、私なりの筋の通し方だと思うので』

 筋の通し方というのは、たぶん風紀委員がこんなアカウントを持っていることの話なのだろう。
 異存は無かった。こんなアプローチを仕掛けてしまった以上、こうなることは予想していたから。
 僕らは会話を終える。
 スマホをスリープモードにしてベッドに寝転んだ僕は、ふぅと溜息を付いた。
 やってしまった。でも、もう引き返せない。
 僕は明日何をすべきか考えていたが、忍び寄ってきた睡魔に誘われ、いつしか眠りに落ちていた。

 次の日。
 高校の自分の教室に到着した僕は、無意識に白石さんの姿を探す。
 彼女は既に教室にいた。
 自分の机で問題集とノートを広げて勉強をしている。それはいつもの光景で、そういう細かい努力のお陰で彼女は優秀な学力を手に入れているのだろう。
 と、白石さんと目があった。
 彼女はすぐに目を伏せて、再び勉強に戻る。
 気まずい。
 彼女の方が僕の数倍気まずいだろうけど。

 放課後はすぐだった。普段の倍程度早く時間が進んだ気がした。
 僕も白石さんも無言で自分の座席に腰掛けて時を待っていた。
 僕は友達から一緒に帰らないかと誘われたけど適当に断った。白石さんは、特に誰かから話しかけられるということは無かった。彼女はいつも、どこか孤独だった。
 一人、また一人と生徒は教室から出て行き、僕と白石さんだけが場に残る。
 先に動いたのは、白石さんだった。
 すっと立ち上がると、落ち着いた様子で僕の所まで歩み、僕のすぐ傍で立ち止まった。

「あの……倉部くん……」
「……はい」

 僕がそちらを振り向くと、当然だけど白石さんがいた。
 紅潮した頬。強張った口元。
 白石さんの声はよく通ったけど、微かに震えているのが分かる。
 いつもの明瞭な声音とは、少しずれたしゃべり方。
 緊張している。

「……昨夜私に『連絡』をくれたのは、君ですよね」
「そうです。偶然アカウントを見つけてしまって、好奇心を抑えられなくて……」
「軽蔑してますよね。……風紀委員があんなことしてるなんて」
「いや、軽蔑なんて」
「いいんです。私も好奇心が理由であんなことをしていたんです。勉強のストレス発散で」
「……」
「馬鹿ですよね。周りから疎まれたり恨みを買う立場だから、周囲に強く物を言うために成績を伸ばして自分を肯定して。その捌け口で風紀を乱すようなことをして……」

 ふたりとも言葉選びに間が伸びてしまう。彼女の仄暗い内面に、僕は少し触れた気がした。

「私は風紀委員失格です。でも、でも、一つお願いしてもいいですか……」

 懇願するような眼差しが、僕を射抜いた。
 本気で彼女は焦心していることが分かる目だった。こんな白石さん、初めて見た。

「いいですよ。……僕に出来ることなら」
「その……他の誰にもあのアカウントのことは言わないで欲しいんです……」
「まあ、構いませんけど……」
「タダでとは言いません。私がどんなことでも言うこと聞きますから……本当にお願いします」

 ちょっと待って。同級生の美少女が、どんなことでも聞いてくれるって。
 正直、ちょっとそういうことは期待していたけど、いざ本人がそれを言ってくれるとやはりそそられるものがある。
 電撃的に頭に様々なことが過ぎる。
 その全てが性的な要求であることに、僕は最悪な人間だなと自分を蔑む。
 けれど僕の方が彼女より優位に立っていることを意識すると、どうにか勇気を絞り出すことが出来た。
 気が引けるけど、僕はその言葉を告げる。

「……一発ヤらせて……ってのは駄目ですか」
「っ……」

 白石さんの唇がきゅっと結ばれたのが分かった。
 男に弱みを握られた以上、こういう要求は覚悟はしていたのだろうけど、流石に面と向かって言われると動揺は隠せないらしかった。
 ちょっと無茶だったかな……。
 冗談でしたと言って取り消そう。課題を代わりにやって欲しいとか、そういう穏便で比較的健全な要求で……。
 そう思って口を開こうと思った時だった。

「……ちょっと考えさせてください」

 あれ?
 流石に拒絶されるかと思ったのだが、意外と脈のありそうな返事が返ってきた。
 彼女は何かを考えるときの仕草、口元に指を当てるをして、神妙そうな表情をしている。
 十秒ほどの思考の後、白石さんは口を開く。
 彼女の出した提案はこうだった。

①絶対に避妊すること。
②この関係のことは二人だけの秘密にすること。
③一度きりの関係にすること。
④初めてだから優しくしてほしいということ。

「この条件なら、エッチなことしてもいいですよ……」
「いいんです……よね? 風紀委員が大丈夫なんですか?」

 いや、頼んだのは僕だろう。そう自分に突っ込むけど、もう取り消せる雰囲気じゃない。

「倉部くんには……私が淫らな女であることがバレちゃったし……」
「あのアカウントは驚きましたね」
「黙っててくださいね……?」

 そもそもあの裏垢を作らなければ良かったのでは。
 そう突っ込むのは止めておく。

「白石さんってコンドームは……いや、持ってるわけ無いですよね」
「お察しの通り、持ってないです。倉部くんは?」
「持ってないです……僕が買います。風紀委員がゴム買ってるところをクラスの誰かに見られたくないですよね」

 白石さんは恥ずかしそうに頷いた。
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