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にどめの春

ファーディナンドの思惑

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 「ケネス、何か判ったか?」


 離宮から本宮の執務室に戻ったファーディナンドに聞かれ、ケネスは憮然としていた。重大な事件が起こったというのにやけに機嫌が良いのが気に障る。危険な目に合わされたのは可愛い自分の義妹だというのに。


 「実在しないオルレアという男が随行員に紛れていたことですか?その男が夜会の招待状を持っていた事ですか?それとも給仕を不自然に出払わせ庭園の衛兵を架空の召集で集めて警備を手薄にし、テラスの出入口に人を立たせて出入り禁止だと言わせて無人にした、城内にそのように手引きしている者がいるのが解っていながら、そのまま泳がせるように陛下が指示されていたことなら調べが付きましたが。」

 「おや、『ケネスお義兄様』はご立腹なのかい?」


 だからファーディナンドを近寄らせたくなかった。ファーディナンドがピピルに関心を寄せているのに気がついた時は、いずれ政治の駒として利用するつもりではないかと危惧したのだ。それではあの娘が不幸になる。ならば大切な家族として全力で守ってやりたい、そう思っていた。


 しかし徐々にファーディナンドの本当の思惑に気付き、それがピピルにとって好ましい話ではないかと……それならば黙って見守り、ピピルが納得して首を縦に振るのを時間を掛けて待てばよいのではないか?そう考えたのだが、今ケネスはそれを猛烈に後悔していた。


 「ピピルにオルレアが外に出たと伝えた男と外に居たというオルレアに似た男、その二人はピピルを馬車に乗せようとしていた実行犯でした。二人も偽造品ではない夜会の招待状を持っていた。動機があるとするならば思い当たるのは奴らだけです。計画が持ち上がっているのを把握しながらそのしっぽを掴むために、ピピルは囮にされたのですか?側近であるわたしを出し抜いてわたしの大事な義妹を」


 ケネスに問いただされたファーディナンドはまるで悪戯が見付かった子どものようにニヤリと笑いながら眺めた。


 「勿論危険が少ないと判断できたからだよ。表立った警備は手薄になっていたがそれとは別に極秘に見張らせておいた。王宮からは何があっても一歩たりとも出してはならないとね。奴らは箱庭の中でジタバタしていただけだ。あれに目を付けられたとなるといずれあの娘は命まで狙われかねない。その前に手を打ちたいと願ったわたしの想いにそんなに目くじらを立てなくても良いだろうに」

 「それだけですか?むしろ陛下はこれを利用して確かめようとなさったのではないかと」

 「わたしの側近は察しが良いね。優秀なお前に悟られぬように事を運ぶのがどれ程大変だったか」


 込み上げる笑いに肩を揺らすファーディナンドには悪びれる様子もない。掴み所の無さは相変わらずだ。本当に質が悪いとケネスは眉間を寄せて顔をしかめる。こんな態度を取りながら、国王としての冷酷な決断に一番胸を痛めているのは誰あろうファーディナンドその人なのだから。


 「あの娘の素養は十分だ。状況を読み取る力もそれに応じて対応する能力も高いことが判った。あとはあの娘にどれだけの資質があるか、乱暴な方法だったが確かめた価値は多いにあった。おかげでわたしは目指す方向を決めることができたんだから」

 「しかし、それは無謀過ぎます」

 「そんなことはないさ。前例がないというだけのことで、禁止されている訳じゃない。歴史を塗り変えれば良いだけだ」

 「その通りですが……」


 確かにそうだ、とケネスは思う。でも今まで誰一人として前例がないと言うことこそが挑むものの壁の高さの表れなのだ。


 「こんな事は最初で最後だ、すまないが収めてくれ」


 今回の事でピピルが受ける精神的苦痛についてはファーディナンドも案じなかったわけではない。でもそれ以上に追い詰められた彼女が何を考え判断しどう動くかを、この国の王として確かめずにはいられなかった。もしもただ恐怖に身を竦ませて攫われたならもう多くを望むことはしない。機転の効く勘と要領の良い便利な娘として扱うだけだし、心の底ではそうであって欲しいと……彼女が苦しむ道を進ませたくないと願う強い思いもあったのだ。


 でも、そうではなかった……それが判った以上国王である自分は覚悟を決めなければならない。


 「わたしに出来るのはお膳立てだ。しかし何より大変なのは周りを納得させること。ここから先はわたしが介入すればするほど反発が増えるだろう。後はピピルが自力で切り開くしかない。実現出来るか出来ないかはあの娘次第だ。そして実現しようとするかしないかもあの娘次第、どうやらそれが一番の難関になりそうだが」


 『ピピルが……自分でそんなことを。媚びを売ることも庇護欲をそそることもしないあの娘が。いや、多分ピピルに足りないとすればそういうところなんでしょうから有り得ませんね』


 ピピルが再び眠った後、ファーディナンドの考えを聞いたファビアンは、呆れ果てたと言わんばかりに吐き捨てるようにそう言った。


 『それに、ピピルはそんなことを望まないでしょう。あの娘の唯一の望みは僕から自由になることだけだ』


 そう言いながら何故ファビアンはピピルを縛り付けるのか?ファーディナンドにはわからない。


 今彼が身に纏う冷たい空気も空っぽになってしまった碧い瞳も、彼の置かれた環境がいかに過酷だったかを伺わせる。母を知らないファビアン、そのために虐げられたファビアン、我が身を護るために血の滲むような努力をしなければならなかったファビアン。


 父の命で今ではセティルストリアに併合されたシルセウスへ留学したファビアンはまだ12歳だった。留学とは名ばかりで、本当は人質として父親に差し出された事を理解しつつ黙って従った末の弟を、ただ見送る事しか出来なかった不甲斐ない自分。あの日のファビアンの小さな後ろ姿は今も目に焼き付いて離れない。

 ファーディナンドは国王としてではなく一人の兄として、その傷付いた心を癒してくれる存在を求めているのかもしれない。


 「君達はさぞかし歯痒いだろうね」

 「陛下のご意向は大変に有り難いと思います。でも……何故殿下は望んで呼び寄せたはずのピピルを蔑ろにされるのか?これではあの娘はどのような立場になったとしても幸せにはなれないのではないかとも感じています」


 貴族としての考えと義兄としての思い、その二つの板挟みになっている自分の、なんと歯痒くなんと呪わしくなんと情けないことか。もう既に動きはじめているこの企みに気がついた時、ピピルはどう思うのだろう?残念な程にお人よしなあの娘が、誰かの為なら自分が犠牲になることを選ぶあの娘が、今度もまた自分の心に蓋をしてしまうのではないか?僅かな救いは先の見えないこの状況に対して少しの焦りすら見せないピピルの強さだけだ。


 「あれは本来与えられるはずの愛情を得られないまま大人になってしまった。それだけではない、国の為という大義名分の下に辛い思いもさせた。そんな年月がファビアンの心を凍りつかせてしまったんだろう。ピピルはファビアンに必要な物を持っている気がする。いや、必要なのはあの娘そのものなのかも知れない。不思議なことにあの娘はファビアンの心を少しずつ溶かして開かせているんだ。ピピルには申し訳ないと思う。でも……ファビアンに対して王家が課して来たこと、それによって深い傷が付いたファビアンの心を思うと……いつかあの娘の存在が癒してくれるのではと願ってしまうんだ。すまないが今はまだ見守ってやってはくれないか?」


 そう言ってファーディナンドは頭を下げた。


 狡い奴だとケネスはほぞをかむ。国王が家臣に頭を垂れるなどあってはならない。それでも兄としてただひたすら弟を案じているコイツの頼みを断ることなどできるはずがないじゃないか。


 「だめですよ、陛下。わたしは忠誠を誓った陛下の家臣です。命じられれば従うだけ。ピピルは可愛い義妹ですがファビアン殿下はわたしの弟も同然に育ちました。わたしだって殿下の幸せを願わないはずはありません」


 傷付いたファビアンを癒せる存在になるのなら……兄として縋るようにそう願うファーディナンドの頼みなど、断るのは初めから無理なのだ。


 ありがとう、とファーディナンドは呟き微笑みを浮かべたが、それはすぐに消え目を細め険しい表情に変わった。


 「それにしても、今はまだ嫌がらせだからと思っていたらいきなり荒っぽい手口を仕掛けてきたな。やはり単なる嫉みだけではなく『白い粉』に関する口封じでもあったのかも知れない。離宮の警備を強化するが屋敷も手薄な所が無いように頼む。あの様子だとピピルは薬物耐性がかなり弱いようだ。口にするものも十分注意した方が良いだろう」

 「わかりました。その後アンドリース殿下からは酒に酔ったと詫び状が来ましたが……あの娘ははっきり言わないが酒ではないと感づいています。驚いて取り乱したと自分が謝ってあの場は切り抜けたようですが、そのせいで真実に気付いた事を悟られた可能性も……」


 『白い粉』と呼ばれる強い依存性と中毒症状がある違法薬物は数年前から近隣国の間で蔓延し始め大きな問題になっている。どうやら隣国シェバエアの裏金造りの資金源になっていると囁かれてはいるものの確固たる証拠が掴めないのだ。そして二年ほど前からは既にここセティルストリアにも持ち込まれているのではないかと危惧されていたが、アンドリースの様子を見る限り『白い粉』による薬物中毒とみて間違いないだろう。それに絡んでいる事が疑わしいグラントリーとマライアだが、なかなか決定的な証拠を押さえることができないでいるのだ。


 「多額の金が流れ込んでいるあたり奴らはかなり疑わしいのだがね。まだ確証がないし何よりアレが何なのか、どこで作られている物なのかまるで掴めていないだろう?拘束した者の中に事情を知るものが居れば進展があるかも知れないのだが」


 ファーディナンドは腕を組みソファの背もたれに身体を預け目を閉じながら思う。今回は泳がせたが二度とピピルに手出しすることは許さない。彼女はこの国にとって大切なだけではなくたった一人の信頼できる弟にとってもかけがえのない存在なのだから。


 


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