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さんどめの春
眠りを拒む心
しおりを挟むグラントリーはあれから直ぐにこの城を立ちシェバエバに向かったらしい。何処から教えてやろうかとか勿体ぶって言ったくせに、ぶち切れて三つしか教えてくれてないなんて、やっぱりアイツは性格的にちょっとアレ……だと思う。本来この城はセティルストリア併合後、ここの領主……ガリウス伯爵……だったかな?が使っている筈。その領主は何処で何をしているのか?つまりはグルなのか消されたのかそれとも別の事情があるのか、それくらいは教えて欲しかったのに使えない奴だ。
などと不満に思っていたらあっさりプチ情報が入った。しかも入手元はうちのラーナさんだ。何たる灯台下暗し!
ラーナによると、ガリウス伯はシルセウス領主になって直ぐに丘の向こうに豪華な領主館を建てそこで暮らしているそうだ。この城はセティルストリアに侵攻された時に抵抗した騎士や兵士が命を落としているし、アル以外の国王一家が自害している。どうやら領主はこの城を気味悪がっているらしいとラーナは呆れたように言った。ラーナの口振りから察するに、領民に慕われる領主ではないのだろう。
一週間程かかったがおたふく風邪レベルに腫れていた私の頬もどうにか元に戻ったのでラーナはご機嫌だ。だってお化粧したくてウズウズしていたから。
こんな人目に付かない所に監禁されてる私を着飾ってどうすると言うのだがラーナはやっぱり手強い。よそ様の異世界のようなコルセットでギュウギュウ締めてスカートはパニエでパンパンに膨らませたりバッスル装着のドレスだったら勿論断固拒否していたけれど、シルセウスのドレスって比較的楽なのよね。ウエストマーク無しだし前側のスカートからは膝下が出ていて足裁きも楽だし、素材もシフォンだから柔らかくて動きやすい。だからモヤモヤしつつ反論もせず言いなりになっている。
けれども大人しくされるがままにおめかしをしてもやる事もなく、顔を合わせるのはラーナだけ。監禁されて気持ちが塞がない方がどうかしていると思う。窓から見える景色は素晴らしく、夕映えの山々なんて神々しい程の美しさで拝みたくなるくらいなのだけれど、いつまでもぼんやり外を眺めている私の様子がラーナには気掛かりだったらしい。何度も呼びかけられてやっと我に返った時にはドレスの膝に大きなシミが出来るほど涙を流していたのだから、そりゃ心配するわよね。
ある日、ラーナは布と糸と針、即ち刺繍道具を差し入れてくれた。ラーナに刺繍の話はしていないので……ラーナ、アルにチクったな、きっと。
気の利くラーナはシルセウスに伝わるという手描きの図案集も持って来てくれたのだが、王都では見慣れない植物をモチーフにしたデザインでとても素敵だ。シルセウスでは色味のはっきりした太い糸を使うので暖かく可愛らしい仕上がりになるが、単色の細い糸で繊細に仕上げドレスにあしらったら王都の女性に間違いなく受けると思う。ラーナはそんな使い方は頭に無かったらしく私の話を聞いて驚いていたけれど、なんだかホッとしているのが伝わって来た。心配させてしまって心苦しかった。
それからは日々一日の大半を刺繍をして過していた。実際はほぼ一日中……そして一晩中に近いくらいに。私のガラスのハートは眠りを拒否し、明け方のほんの僅かな時間の微睡みしか許してくれなくなっていた。暗い中で横になっているのが辛くて苦しくて、じっとしていられずに小さなランプの灯りを頼りに手を動かす。そうしていないとまるで自分自身を見失ってしまいそうで怖かったのだ。
「姫様……」
朝食を運んできたラーナが夕べ刺した布を手にして咎めるように私を見ている。
「こんなに進められるなんて、殆どお休みになられていないではありませんか!」
ここ数日、いくつかの作品を同時進行する事で誤魔化してきたのに、とうとうラーナに気付かれてしまった。
「お昼寝でもなさっているならまだしもそれもなさらず。お食事だってあまり召し上がられていないのですよ」
「ごめんなさいね。気を付けるわ」
ラーナは難しい顔で首を振った。
「ここのところお顔の色も悪いですし、かなりお痩せになられています。これではお身体に障りますわ。どうか今日はもう、着替えてお休み下さい」
ラーナに促され夜着に逆戻りしベッドに押し込まれた。かと言ってそんな事をしても眠れる訳じゃ無いのだけれど、ラーナには聞き入れて貰えそうもないので言いなりになった。
ラーナが安眠効果のあるハーブティを探して来ると言って出て行くと、部屋が急に静まり返りひんやりと感じられた。起き上がって手を伸ばしラーナが閉めたベッドの横のカーテンを開けると、明るい陽射しが暖かく気持ちが良い。横にはならず空を飛ぶ鳥の群れを眺めていたら、いきなりノックもなしにドアが開き驚いて振り向いた。
「アル……」
黙って立っていたアルは私の声を聞くとツカツカと歩いて来て私の両肩に手を掛けた。
「食事が喉を通らないようだとは聞いていましたが、こんなに痩せて……顔の白さも透き通るようではないですか!」
顰められたアルの顔を見るのが辛くて顔を背けた。窶れた私の身体に驚いて思わず荒らげたその声が切なくて耳を塞ぎたかった。
アルは矛盾している。私を裏切りながら私の身体を心配しているのだから。そしてそれは私も同じ。裏切られた事を悲しみながら裏切ったアルが傷付くのを恐れているのだから。
「食べたくないのではないの、食べられないの。でも心配させてしまったのね」
『ごめんなさい』とうなだれるとアルは小さく息を吐いた。
「ラーナの話で気にはなっていたのですがこれ程とは思わず……もっと早く来るべきでした。ですが……私の顔など見たくはないだろうと……」
今度はアルが『申し訳ありません』とうなだれたので、私は首を横に振った。
アルはゆっくりとベッドの端に腰掛けて私の手を取り細くなった手の甲を親指で摩った。聖堂から連れ去られて一月余り、確かにダイエット成功では済まない痩せ方だ。毎日見ているラーナでも眉をひそめるのだからあれ以来会っていなかったアルは尚更驚いたのだろう。
しばらくしてラーナがポットを乗せたトレイを持って戻って来た。
「クリムと言いましてね、シルセウスでしか育たないハーブなのです。身体が温まって良く眠れますよ」
渡されたカップに注がれたお茶はハーブティーにしては何と言うか……随分青臭かった。ハーブティーというより薬湯みたいだけれど?アルはふっと笑顔を浮かべ私の手からカップを取ると、蜂蜜を入れて掻き混ぜまた手渡してきた。
「甘味があれば飲みやすいでしょう?ほら頑張って」
拒否権はないようなので一口口に含む。やっぱり青臭い……かえって目が冴えそうなえぐみを感じ飲み込むのが一苦労だけれど、それでもどうにか飲み進めるうちに確かに身体が火照ってきたような気もする。指先が温まってポカポカを通り越してジンジンと……ん?待って、そうじゃない……。
私が見上げるとアルが嬉しそうに微笑んでいた。クリムを飲んだから安心したのね。でもね、アル。おかしいの。どうして指が痺れるのかな?……ねぇアル、そんなにびっくりしちゃってどうしたの?……あれ?貴方、口が動いているのに何も聞こえないけれど、声が出ないの?……急に……急にどうしたの?……アル……顔が引き攣ってるわよ……アル……アル……
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