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さんどめの春

ジャンニ・スキッキ

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 屋根の上で歌う私を見て彼等がどうどう捉えたかはまだわからない。でも少なくとも私だけは城に留まって居ると確認させる事はできた。


 日が陰り大半の私兵は戻って行ったのか辺りは静かになった。明日になったらガリウス伯はどんな手を打ってくるだろう?カイル達はこの城にありとあらゆる鍵を掛けて行ってくれたが、それも完璧ではない。いつかこの塔に辿り着く時が必ず来る。それが明日なのか三日後なのか……一週間後、それとも一月か。


 ぼんやりと考えながら硝子の小瓶をランプの光にかざすとプリズムみたいに光が部屋に散った。致死性だけではなく即効性も高いという劇薬は、恐ろしさとは裏腹になんて綺麗なのだろう。
 私の力が尽きるのが先かこの小瓶を開けるのが先か、それとももう一つの希望が叶うだろうか?私は小瓶を両手に包んでフッと笑った。それには時間が掛かりすぎる。とても間に合わないんじゃないかしら?


 ここしばらくベッドに身体を横たえて天井を見上げながら空が白むのをただじっと待っているだけだったが、その夜は久し振りに針と糸を手に取った。一人っきりの塔の中には針と糸を運ぶ音だけが響く。私は黙々と手を動かしハンカチの上にモノグラムを浮かびあがらせていった。二度と会うことは叶わないかも知れない人のイニシャルを。その人の手にこれが渡るかどうかなんてわからないがそれはどうでも良かった。ただ感謝の想いを遺したいのだ。たとえ私からのありがとうの言葉だとその人に伝わらないとしても。


 翌朝、食べ物をねだりに来た小鳥達に呼ばれ窓際に行くと、もう既に城壁の向こうに私兵団が構えて居るのが目に入った。動きは見られないので今は静観する事にしたのだろうか?


 突然小鳥達が一斉に飛び立った。何か危害を加えられたのかと身構えたがフワリと何かが鉄格子に止まった。足首に紙が結わえ付けられている真っ白な鳩だ。伝書鳩を間近で見たのは始めてで伸ばした手が震えたが、良く訓練された鳩は暴れることなく紙を解くまでじっとしていた。


 『貴殿らの真意を問いたし』と書かれた手紙を読み引き出しから『返事の束』を取り出す。カイルに恐らく伝書鳩で接触を謀って来るだろうと言われたので、それらしいやり取りをすれば僅かでも時間が稼げるかも知れないと考え、何パターンも返事用のコメントを書いて貰ったのだ。束の中から『我等は我等の城に留まって居るのみ』というのを選んで鳩の足に付けると承知したとばかりに飛び発って行った。


 こんな小細工に大した期待なんてしていなかったけれど、騎士達が私を残して城を出る筈など無いという思い込みが強かったのだろう。逃がすだけではなく意趣返しされ私を人質にされる事も当然彼等は警戒していた筈だ。まさかその私に追い立てられるように王子一派が城を出たとは思うまい。鳩が届けるのは『こちら側』の意を探ろうとする手紙ばかりで、つじつまが合いそうな返事を選んで送り返しやり過ごすうちに三日が過ぎた。三日あればシェバエアを抜けてドレッセンに入るには充分だ。きっと彼等はハイドナー氏に本を託しその先へと逃げているだろう。


 四日目の朝、ついに鳩は私宛ての手紙を運んできた。流石におかしいといよいよ気が付いたらしい。王子一派に置き去りにされた憐れな姫は我々が保護し手厚く世話をするので安心して投降するように、という内容だ。計画を断念し私を捨てて王子一派は逃げてしまい、私はセティルストリアからの助けが来るのを信じて一人で篭城している……とでも考えたのか?
 取り敢えず惚けて『我等は共に城に留まる』という返事を送ったがガリウス伯ももうごまかされなかった。私に宛てた手紙には誘惑する甘い言葉が続いている。愛の告白と共に『妃として側に置きたい』という寒気がする一文まであった。と言うことは本当の王子に逃げられた今、新しい話をでっち上げて自分がシルセウスの国王になるつもりなのか。


 いくら橋が無いとしてもこれだけの日数ただ手を拱いているのはどうしてなのかと疑問に感じたこともあったが、この古城に若い娘が一人っきりで過ごして居るのだ。何もせずとも心細さに音を上げて自ら助けを求めると思われたのだろう。それに手荒な事をして取り乱した私に身投げでもされては厄介だと思っているのかも知れない。だって私が『誰か判らない状態』になるのは絶対に避けなければならないのだから。


 一週間が過ぎ、遂に跳ね橋が降ろされた。私兵が堀を泳いで渡り城壁を登って乗り越えたのだ。やろうと思えば何時でもできたのだから、いい加減痺れを切らし待つのも限界だったのか。城壁の中に私兵団がなだれ込んで城が囲まれた。一切威嚇はしないが圧迫感はひしひしと感じる嫌な圧力のかけ方だ。それでも私が取り乱す事を恐れてか、私兵達は数箇所ある入り口の鍵を開けようと丁寧に作業をしている。なんだか実にシュールだった。城を落とそうとするならば普通だったら力ずくで強引にドアを壊し火を放つだろうに、厳ついガタイに似つかわしくない随分とちまちました動きなのだから。


 今は亡きシルセウスの国王が篭城を選んだだけあって、この城は元々かなり堅重に造られているらしい。城の入り口を開け中には入ったもののすんなり進める城ではない。幾つもの頑丈な鍵で固く閉ざされた扉があちこちに有るのだ。次の日も彼らはここには辿り着けなかった。


 山の向こうに夕陽が沈もうとしていた。一体今日は何処まで進むことができたのか、気配は感じないからまだまだ下の階で四苦八苦している気がするけれど。


 『どうか姿をお見せ下さい』と叫ぶ声に下を見下ろすと庭園からこちらを見上げているガリウス伯がいた。


 「姫、歌を。私に歌をお聞かせ願いたい」


 今迄も散々甘い誘惑の言葉を投げかけて来たが気持ち悪いったらないので全部無視して一切返事はしなかった。鳩の手紙も私宛になってからは白紙を返していた。歌を歌えと言われたのは初めてだ。この高さから見える人影では顔の造作まではわからない。私が歌を歌ったのはもう八日も前だからまたそろそろここに居るのが替え玉ではなく本人だと確かめる為か。特に不都合は無いので要求に従おうと屋根に降り立った私に向ってガリウス伯が嬉しそうに叫ぶ。


 「あぁ妖精姫よ。さぁお聞かせ下さい。わたしへの愛の唄を!」

 「……」


 私はうんざりと冷めた目で眼下を見下した。要するにこの男はもう諦めて降参し自分に靡き縋りつけと言っているのだ。このまま引き返そうかと思ったが、それでは腹の虫が収まらない。それならば口先だけで『愛の唄』を歌って心の中で嘲笑ってやろうか。


 しかしふと頭にある曲が思い浮かび、私は思わずほくそ笑んだ。お望み通り歌ってやるわ……


 お前の知らぬの歌を……。


 私は大好きだったイタリア語のアリアを歌い出した。


 「大好きな『お父さん』
  ってとっても素敵なの」

 と。


 「街に行きたいの 
  結婚指輪を買う為によ」

 とお揃いのね。

 「そうよ、わたしは行くんだから 
  この恋が叶わないなら橋から川に身を投げるわ」

 『橋から川』ではなくて『屋根から庭』に変えたけれど。


 「私は悶え苦しんでいるの
  神様、私を死なせて下さい」


 そしてガレリア伯に向かい手を伸ばした。


 「『お父さん』お願いよ」


 私の恋を邪魔するなら死んじゃうんだから、と父親を脅迫するちょっと面倒くさい娘の歌。娘が想いを寄せるは歌い掛けている相手では無いのだけれど……ガリウス伯は満足そうに頷いている。


 「貴女の愛を、しかと受け止めました」


 『何言ってるんだか……』と呟きながらガリウス伯に向かいカーテシーをすると伯のテンションは更に上がる。


 「明日にはすべての扉が開く。明日こそ姫を迎えに参ります」


 嬉しそうに叫んだガリウス伯は馬に跨り何度もこちらを振り向きながら城壁の向こうへと消えて行った。それを茫然と目で追いながら私は屋根の上に座り込んだ。


 明日……か……。


 風が強くなっている。立ち上がろうとした時、一際強く吹き付けた風によって煽られ身体がよろめき屋根に倒れ込んだ。半身を起こした私がそのまま空を仰ぎ見ると、何時しか満天の星空が広がっている。もう良いのではないかしら?明日になればどうせ死ぬのだ。一晩早まったからなんだというの?


 私はよろよろと立ち上がり振り返った。すっかり日が暮れ真っ暗な湖が大きな穴のように見えている。そこには輝く月が浮かび風が吹く度に形を揺らしていた。一歩足を踏み出す。そしてもう一歩。このままあの月に近付いたら私は自由になれるはずだ。


 その時、湖畔の木々の間にほんの一瞬だけ光が瞬いた。息を殺しじっと見つめたがそこにはただ暗い森が広がっているだけだ。
 私は再び夜空を仰ぎ見た。あれは幻のようで二度と輝く事は無かったけれど、この夜空の星にも負けない力強い光を放っていた。


 あれはきっと私の星。私だけの星なのだ。





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