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アンネリーゼ

離ればなれ

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 遠く離れた空の下で過ごす僕らの日々は永遠と同じくらい長く感じた。この『署名式後直ぐに王太子が留学先に出立』というおかしな慣例を作ったのは過去にプロイデン一族が輩出した一人の医師で、『妃の早すぎる妊娠出産は流産、早産、死産や周産期死亡率を高める要因になる。どうしても若くしての婚姻が避けられないのならば、王太子を引き離せ』という彼の主張からなのだと知った時は生々しさに思わず顔が強張ったが、余計な事をと無性に腹も立った。

 僕の独占欲の為にリセには辛い思いをさせてしまった。それでも慣れない環境で悪戦苦闘しているリセからの手紙には、四つ歳上の侍女のリリアが姉さまみたいで大好きだとか顔馴染みだった庭師が『アンネリーゼ』という新しい品種の薔薇を作ってくれているとか、慰問で訪れた孤児院で花冠を作ったら『あんた天才だな!』と褒められて大笑いしたとか、そんな事ばかりが書かれていた。

 リセが僕に心配を掛けまいとしているのは明らかだった。整ったリセの字が所々ぐにゃりと崩れたのは疲れてウトウトしたせいだろうし、便箋が歪んでいるのは零した涙の跡だ。手紙が届けば嬉しくて、でもいざ目にするとリセに会いたい気持ちが膨らんで胸が苦しくてたまらない。僕はリセと会えない辛さを紛らわすように必死に勉学に取り組んだ。

 縁談を断った以上もう会うこともないと思っていたエレナ王女から頻繁に茶会に呼び出されるのには本当にうんざりだった。『縁談が纏まらなかったことは水に流して友人として仲良くして欲しい』と言われては疎かにもできず、そのくせ会えば妙に距離を詰めてくるのが不愉快で堪らない。同じ空間で息をするのすら嫌気が差すような相手だった。

 リセと離れて二年半が過ぎた頃、ロワール地方で起きた山火事で麓のトラス村が壊滅状態にあるという知らせを受けた。更に一月ほど経った頃届いた文書に復興支援の進捗状況の報告だろうと思って目を通した僕は愕然とし血の気が引くのを感じた。

 リセが被災地で陣頭指揮を取っている?まさか?

 僕は居ても立っても居られず寮を抜け出し馬に跳び乗った。

 途中で馬を替えながら無我夢中で走り続け一心にリセの無事を祈った。混乱する被災地がどんなに危険かリセは解っていないのだ。警備が隙だらけにならざるを得ない上に、火事場泥棒を働こうとする不届きな荒くれ者が集まって来るかも知れない。不満を募らせた被災者が暴徒化する可能性もある。そんな場所に王太子妃が居たら真っ先に狙われるだろう。

 村の入口で会った見知った近衛騎士に案内を頼み僕はリセが居るという丘に急いだ。一息で駆け上がれてしまうくらい小さなその丘の頂で花束を抱えたリセが強い風に吹かれながら切ない眼差しで焼け落ちた村を見下ろしている。

 僕はその姿に、その美しさに圧倒され呼吸を忘れた。そこに佇むのは僕の記憶の中にいたリセではない。優美で礎々とした、それでいて凛々しく力強ささえ感じさせるリセは天上から舞い降りた女神のようだった。ともすれば今すぐにでも天高く僕の手の届かない場所まで離れていってしまいそうで、僕は恐怖を覚え肌が粟立った。

 僕は丘を駆け上がり驚いて目を丸めていてるリセの手首を掴み、込み上げる怒りをぶつけるようにリセを怒鳴り付けた。




 「それにしても、酷いもんだなぁ」

 草の上に並んで腰を降ろし指を絡ませて手を繋いだリセを見ながら僕は顔を曇らせた。気圧されるくらいに美しく見えたリセだけれどよくよく見れば呆れるほどみすぼらしかった。着ているのは簡素なブラウスとスカートで洗っても落としきれなかったシミや汚れがあちこちにあったし、無造作に束ねた金髪はくしゃくしゃと絡まっている。

 「でもわたし、ちゃんとお風呂に入っているわよ!」
 「……なんだって?」

 自慢げに胸を張るリセの言う意味が解らなくてポカンとしている僕をリセは楽しそうに目を細めて見た。

 「村に浴場を作って貰ったの。村人やそれから救援活動に当たっている兵士達の疲れが癒されるようにね。わたしは最後で良いって言っても皆がそれだけはって……妃殿下の使われたお湯に入れば綺麗になれる、妃殿下は入浴剤だなんて冗談を言う人までいるんだもの。だから赤ちゃんや小さな子どもを連れたお母さん達と一緒に最初に入らせてもらっていたの。お母さんが身体を洗う間、わたしが赤ちゃんを抱っこしているのよ。凄いでしょう?赤ちゃんて可愛いの。腕なんか紐で縛ったみたいな括れかいくつもあって、その中に綿埃をたっくさん隠しているからびっくりしたわ!リードは知らないでしょう?」
 「……リセが……村人達と一緒に風呂に入ったって……そう言ってるの?」
 「そうよ」

 リセは壊滅した村の焼け落ちた家々に目を向けた。

 「初めはね、わたしを見る目は冷ややかだったし本音も聞かせて貰えなかった。だって誰もがわたしの事を物見遊山だと思っていたんだもの。そんな村の人達の信頼を得るには隣町のホテルから指図してたんじゃダメなのよ。どんな不便が、どんな不満が、どんな望みが有るのかを遠慮なく吐き出せる相手にならなくちゃ。でもトラス村はわたしを受け入れてくれて復興への道筋もできた。必ず立ち上がっていつか甦ったトラス村を見せてくれるって約束してくれた。だからね、わたしこの村に来て良かったわ。それに、王太子妃になって良かったって心から思ってる……」

 風にそよぐ耳元の後れ毛をかきあげながらリセは嬉しそうに微笑んでいる。僕はその横顔を見ながら母からの手紙の一文を思い浮かべていた。

 『アンネリーゼは必ずや我が国の歴史に名を残すことでしょう。いつかあの娘は類い稀なる素晴らしい王妃となってこの国を導いてくれるに違いありません』

 
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