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王太子妃

左手

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 聖堂の扉の前でウェディングドレスを身に纏った私は兄さまの腕を取っていた。必ず間に合うように戻ってと念押しされていたにも関わらず、父さまったら商談に夢中になって帰りの船に乗り遅れてしまったのだそうだ。とはいえあのワーカーホリックの事だ、こうなるのも想定内で誰も驚きゃしなかったし文句の一つも出なかった。溺愛する妹のデビューをエスコートできなかった事を兄さまは相当根に持っていたから、これでリベンジしてやるのだと張り切っているのを誰もが生温かく眺めていただけだ。

 ドアの奥でパイプオルガンの奏でる音楽が聞こえ始めた。いよいよ式が始まるのだ。

 「リセ………………」
 
 感極まった兄さまは声を詰まらせ唇を噛んでいる。結婚したのは四年も前なのに、お式は女にとって特別な物だってお義母様は言ったけれど、どうやら特別なのはこの人も同じようだ。

 「幸せにおなり」
 「えぇ、兄さま。ありがとう」 
 「それから…………赤ん坊が生まれた」

 何て事なく付け足すように言われて一瞬聞き流しそうになった私は、思わず兄さまを二度見して胸ぐらを掴んでやりたいのを懸命に我慢した。

 それむしろ最重要事項なんですけど?

 「いつ?ちょっと兄さま!こんなことしている場合なの?」
 「こんなって、仮にも自分の結婚式なのに何て事を言うんだ?そんなスタンスなら今すぐ屋敷に連れ戻すぞ?」
 「冗談でもそういうこと言わないで。兄さまったら実行しそうで怖いんだもの」
 「大丈夫、今日は正真正銘の冗談だ。リセがおやゆび姫だった頃は本気でそう思っていたけれどね」

 あれはもう、遠い昔の事のようにすら感じる。異世界転生して異世界転移させられた入れ物だけがアンネリーゼだった私。けれども目まぐるしく起きた様々な出来事に立ち向かい、私はアンネリーゼの全てを取り戻した。

 「もう私、逃げ出したいなんて言わないから。で、それで?」

 『全く俺の可愛い妹はこれだから』と眉間を寄せて不満そうな顔をしつつ兄さまからは押さえきれない幸福感が溢れだしている。

 「生まれたのは一昨日の夜半だ。昨日の朝知らせを送ったが、お前も……すったもんだがあったと聞いて伏せていてもらった」
 「えっと……と、とにかくおめでとう!で、どっち?それに母子共に無事?」
 「男の子だ。元気な男の子。テレーゼの経過も順調だそうだ」

 私は大きくため息をついた。元気に生まれてきてくれた赤ちゃんと大仕事を終えられたお義姉様。安心した途端にムクムクと幸せが胸に膨らんでくる。

 「命懸けで出産したお母さんは大事故にあって大怪我をしているのと変わらない状態なんですって。どうか労って差し上げてね」
 「わかっているよ。俺は今までだってテレーゼを誰よりも愛していると思っていたが、俺達の愛の結晶を腕に抱かせてくれたテレーゼへの愛は何倍も何十倍も強く大きくなった」

 力強く、恥ずかしげもなくさらっとそんな事を言っても超絶美形なら何の抵抗もなく聞けちゃうのね、と私は妙に感心した。

 「リセ、いよいよ俺は妹離れするべきだね」
 「そうね、願わくばもっと早くに気が付いて欲しかったけれど。どシスコンに愛想を尽かさなかったお義姉様には感謝しかないわ」
 「それでも……心が引き裂かれるようだ。俺の……ちっちゃな可愛いリセちゃんを……殿下に……アイツに……」
 「ほ、ほら!始まるわ。兄さま、シャキッとして。大丈夫、私は幸せよ。兄さま達に負けず劣らずね」

 それでも不安そうに見下ろしている兄さまに私はにっこりと笑ってみせた。

 「箱の中には大切な大切なものがしまってあった。そして大切なものは私の心に戻って来たの。私はリードと生きていくわ。怯まずに胸を張って、私の愛するリードと」

 つい兄さまに釣られちゃったけど、余計なことは言うもんじゃ無いって私は猛烈に反省した。だってバージンロードを並んで歩きながら、兄さまは感極まって号泣していたんだもの。おまけにそんな兄さまから私を託されたリードは、見たことがないくらい小憎ったらしい笑顔を浮かべ優越感に浮かれながら私の手を取った。

 ちょっと、いやかなりゾワッとしちゃってこの重さに耐えられるか不安になってしまったわ。

 
 恙無く挙式を済ませた私達は城の前の広場に面したバルコニーに出た。

 丁度四年前の今日、歓声に震えていた14歳だった私。

 今日もあの時と同じように広場を埋め尽くす人々が舞散らせた紙吹雪と祝福の大歓声が私達を包んでいる。

 並んで手を振っていた私に『こっちにおいで』と囁いたリードがぐっと手を引いた。きょとんとしている私の肩を抱きながらいつの間にかリードは私の右側から左側に移動している。

 「え?何?どうしたの?!」
 「リセの左手を取れるように……」
 「…………」

 返す言葉が見つからないまま見上げた私をリードの美しい碧紫の瞳が見下ろしていた。

 「四年前の僕には何もできなくて、震えていたリセが握りしめたのはスカートだったね。でもこれからは僕がリセの左手を握る。もう…………スカートに皺なんか作らせたりしないよ」

 おどけたようにそう言ったリードはトラス村の丘の上に座っていた時のように指を絡め、それから繋いだ手を持ち上げると私の指先にキスをした。より一層盛り上がる歓声の中でリードは身体を屈めて私の耳に顔を近付けた。

 「待っていてくれたね」
 「……ええ」
 「約束を守ってくれたね」
 「…………そうね」

 何かを察知し咄嗟に後退った私だったけれどリードが抱き寄せたのが僅かに早くて、もうちょっと警戒しておけば良かったなって凄く後悔している。そういえば待っていて、約束だよ?の後で悪い虫はほっぺに停まったんだったっけ。

 「ありがとう、僕の奥さん」

 涙目でほっぺを押さえながら口を尖らせた私にリードは甘く囁いた。

 
 
 
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