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堅物王太子の奮闘
私はお姉様ではありません
しおりを挟む一同は恥ずかしさに身体を硬直させているロジーナを優しくそして生暖かい目で見た。誰もが心の中で『やるじゃないか、殿下!』『見直しましたよ!』と言う言葉と共に親指を立てている。
しかしそんなほっこりした和める空気はイリセによってぶち壊された。
「ねぇお姉様。彼女はお姉様の専属メイドなの?」
イリセはロジーナの斜め後ろで気遣わしそうに立っていたジェニーを指差した。イリセは妙に勘が良く何を取り上げればロジーナが哀しむか嗅ぎ分ける能力に長けていた。勿論本命はロジーナをローズと呼んでいながらも照れ隠しにさっきから自分にはツンケンして見せているいるあの素敵な男性だけど……と大迷惑なお門違いも甚だしい確信をしているイリセはぺろりと舌舐めずりをしながらほくそ笑む。
ーー先ずはそのメイドだわ!
「お前、名前は?」
「……ジェニー」
ジェニーはお辞儀もせずぶっきらぼうにわざと失礼な態度をとった。だがイリセは意に介さないらしい。
「お姉様、私にジェニーを頂戴」
屋敷にいた頃と同じように、あんたになんて必要ないでしょとでも言いたげな物言いでイリセは言った。
「お前腕が良さそうね。怪物みたいだったお姉様が大分まともになったのはお前の手入れの成果なんでしょう?今日から私の専属メイドにするわ。しっかり手入れするのよ」
ジェニーは思わずロジーナに縋り付き、ロジーナもジェニーをしっかり抱えた。そして一転して青ざめながら何度も首を横に振りこみ上げる涙を堪えながら口を開いた。
「なんて言い方を……ジェニーは物じゃないわ!」
「あなた方のせいでお嬢ちゃまはあんなにぼろぼろにされて……。だから知らなかったんでしょ?お嬢ちゃまは元々お美しかったの。私はほんの少しお手伝いをしただけよ!」
ジェニーは目を吊り上げてイリセを睨んだ。ロジーナの服を取り上げあんなみっともないもやっとしてダボっとしたワンピースを着せたのは誰だ!誰がお前の手入れなどするか!
「馬鹿なこと言わないで。お姉様は目も当てられない不細工なんだってば。おまけに逆さまに立てた箒みたいな色気の欠片もない身体つきで良いところなんて一つも無いんだから。私たち、そんなお姉様に散々楽しませて貰ったのよ。だって笑っちゃうほど醜いんだもの。しかもちょっと何か言えば直ぐにメソメソ泣いてもっと醜くなるなんて可笑しいったらないじゃない?それがこんなに変わるんだから、お前は躾はなってないけど腕は確かね。よっぽど化粧が上手いんだわ」
自分の慧眼をひけらかすかのように得意気に話すイリセだが、今日一番の白い目で冷ややかに見られているのには全く気がついていなかった。
「ほら、私の部屋はどこなのよ?案内しなさい」
「えっ?なんですって?」
ロジーナはきょとんとして聞き返した。流石のイリセもここまでぶっ飛んでいるとしか思えない図々しい言葉を吐くだろうか?と常識的に疑問に感じたのだ。
けれどやっぱりイリセは規格外の凄いヤツだった。
「私の部屋に早く案内しなさいよ。長旅で疲れてるのにホントに気が利かないったら」
「だってシャーリー様に雨が止んだら出ていくように言われたでしょう!」
「川が増水して橋が流されたんでしょう?川を渡れないなら当分ここにいるしかないじゃない。まさか、困っている私を追い出すなんてできないわよね」
イリセは追い出せるものならやってみろと言うように小馬鹿にした笑いを浮かべた。
「あぁもう良いわ、自分で見て回る。それで気に入った部屋を使うわね」
ロジーナは歩き出したイリセに駆け寄り腕を掴んで止めた。
「いい加減にして!お願いだからこれ以上この館に迷惑を掛けないで!!」
「それならお姉様の部屋を使わせてよ。こんな大きな館だもの、広いお部屋を貰ってるんでしょう?そこを二人で使えば良いわ」
イリセはにこやかにそう言うとロジーナの耳に顔を近づけ小声で囁いた。
「早く案内するのよ!でなけりゃ勝手に片っ端からドアを開けて探すまでだわ」
ロジーナはくっと口を結んで何かを堪えるようにしていたが、『こちらへ』と一言口にすると私室に向かって歩き出した。その後ろを得意気に目をギラっと光らせながらイリセがついて行く。
「ここよ」
ロジーナが一瞬だけ躊躇ってから一気にドアを開けるとイリセはそんなロジーナを突き飛ばすようにして中に入りぐるりと部屋を見回した。そして当たり前のように衣装室のドアを開けて物色を始める。
「どうなってるの?ドレスがこんなに沢山……」
もやっとしてダボっとしたあれでは無いが、ロジーナが着ていたのはアヒル番用のワンピースだ。それだってあれを思えはロジーナによく似合う明るく若い娘らしい装いで、イリセはロジーナが手厚い世話をされている事を確信していたのだがここまでだったとは。
きっと頂戴が始まるのだろう、とロジーナは覚悟したけれどイリセは不服そうな顔をしながらも無言だった。流石にここまで急成長しては『ドレスを頂戴』とは言えないのか、と考えたロジーナだったがイリセの狙いはそこではなかった。こんなに素晴らしいドレスを何枚も誂えたのだ。ならばアクセサリーもそれに見合うだけ与えられているに違いないではないか。アクセサリーならちょっぴりふくよかになった自分が身に付けても破れることはない。
イリセは当たり前のように断りもなくチェストの引き出しを次々に開けていく。そしてアクセサリーがしまわれている場所を突き止めると目を細めて満足そうな笑顔をロジーナに向けた。
「お姉様、これ全部私に頂戴」
ロジーナはやはり来たかと目を閉じてホッと息を吐いた。そして落ち着いた声と口調でゆっくりとイリセに言った。
「これは全部私の為に用意して頂いた大切な物です。簡単に譲ったりできるものではないの」
「…………は?!」
イリセはポカンと口を開けてロジーナを眺めた。
「だって気に入ったの、だから頂戴よ!」
イリセは真っ赤な顔でロジーナを睨みながらつかつかと距離を詰めた。次は屋敷でいつもしていたようにお湯が沸いたヤカンみたいに高音で喚きながら手を振り上げ殴りかかってくる。
だがロジーナはそれでもかまわなかった。
「私は間違っていた。私は私が不幸にした償いとして嗜虐心を満たすことだけが自分が生きている価値だと思っていた。けれどもどれだけ酷い仕打ちを受けようと誰の心を満たすこともできなかったのよ。私が泣けばその時は満足する。でもそれは誰の心を満たすこともなかった。そして直ぐに次の刺激を求めるきっかけになるだけだったわ。私は勇気を出して立ち向かうべきだったのね。そうしたらあの家は狂気に支配されたりしなかった」
ロジーナはイリセから顔を背け目を伏せた。その長い睫が影を落とす悲しい横顔の儚げなあまりの美しさにイリセも思わず息を呑み目を見開いた。
目の前に居るのは本当にロジーナなのだろうか?イリセの歪んだ目でもその美しさは嘘偽り無い自然なものであると否応なく感じさせた。そればかりか圧倒されてしまうような凄みすら滲み出て来るようではないか。
「私は喜びも楽しさも嬉しさも知っているのよ。美味しいければ美味しいと言い楽しければ笑う、うきうきと心が弾めば足取りが軽くなり素敵だと感じたらうっとりと見入る、本当の気持ちを隠さずに表に出せる、エルクラストの人達はそんな私に生まれ変わらせてくれたの。私が変わった事をみんな喜んでくれている。満ち足りた笑顔で私を見つめてくれる……」
ロジーナは優しくそして誇らしげな微笑みをイリセに向け、迷いなくキッパリと言った。
「イリセさん、私はあなたのお姉様じゃないわ」
イリセは醜く歪んだ顔でロジーナを睨みワナワナと唇を震わせた。そして頭上に右手を振り上げたその時、
「そこまでだ!」
その手はシャファルアリーンベルドに掴まれ捻りあげられた。
「え?え?……なんで、なんでもう帰ったのよ!」
ギャンギャンと喚くイリセを冷ややかに見下ろしながらシャファルアリーンベルドは更に腕を捻った。
「直ぐに戻ると言った。ローズとの約束を守っただけだ」
「そんな……橋が流されたんでしょう?こんなに早く戻れっこないわ!!」
シャファルアリーンベルドに頷かれ進み出た護衛がイリセを取り押さえる。イリセは混乱して言葉にならない喚きを上げるが、それはより拘束を強めるだけのものだった。
「橋が流されたなんて誰が言いましたか?増水して橋が水没する危険があるから橋に繋がる道を封鎖して、念の為に取り残された人がいないか見回って来たんですよ。この通りずぶ濡れですが戻る途中で雨は止みました。さぁ、今すぐここから出て行って下さいね」
騒ぎの現場には居合わせなかったレイだが、話を聞いただけで相当腹を立てたのだろう。いつもの穏やかな感じは何処へやら、口調は柔らかいがその声はロジーナが耳にした事がない冷たさだった。
「ラワーシュまでは送り届けてやろう。そこで馬車を拾えば良い。急いだ方が良いぞ、レーベンドルフ伯爵からお前がここに来たら父親が迎えに行くまで拘禁しておいて欲しいと手紙が来ていた」
イリセは怒りに身体を震わせた。
「あいつ……私を売ったのね!」
「我々は依頼に則ってお前を拘禁する。それが嫌なら見逃してやるから今すぐ出て行け。さぁ、どうする?」
上を見上げ大口を開けながらイリセは泣きじゃくった。だが暫くそうしていても何の救いの手も差し伸べられる事はないと悟ったのだろう。
だがこのまま黙って出ていくつもりはない。ロジーナだけが上手い汁を吸うなんて、そんなことが許されてたまるものか!
イリセは涙を拭くと小狡い顔でシャファルアリーンベルドに笑い掛けた。
「ねぇ、一つ忠告して差し上げるわ。あなた方がちやほやしているこの女の父親はね、恐ろしい犯罪者なのよ。この女には犯罪者の血が流れているの」
シャファルアリーンベルドだけではなくそこにいた者全てが顔色を変えたのをイリセは満足そうに眺めると、ロジーナに向かって得意気に話しかけた。
「貴女の父親って奥さんが亡くなった時に妻殺しの容疑が掛けられたんですってね。でもたった一人の目撃証言によって事故だと結論付けられた。9歳だった貴女のね。だけどそれ、本当に事故だったのかしら?父親を庇おうと嘘を付いたんじゃない?だから侯爵家はそれ以来貴女を完全に無視するようになったんだって伯爵が言っていたわよ」
「…………」
ロジーナは顔を蒼白にし何の表情もないままイリセを見つめた。
「父は……父は母に手を掛けてはいません。母は自分で足を踏み外して階段を転落したんです。私は……私は全てを見ていましたから」
「でも当時の使用人達は奥様は突き落とされたに違いないって口を揃えて言っていたんでしょう?階段の上で激しく言い争う声が屋敷に響いていたんですってねぇ」
ロジーナは激しく左右に首を振った。
「母が自分で踏み外したのよ!間違いない、私はそれから毎晩毎晩足を踏み外して転げ落ちる母を……落ちる瞬間に絶望したように私をみた母の目を……一日も欠かすことなく夢で見ていたんだから!!」
ロジーナは叫ぶようにそう言うと身を翻して駆け出しドアを開けて飛び出して行く。しかしそれを目で追いながらもシャファルアリーンベルドの身体は動かなかった。
自分はロジーナの何が解ったと自惚れていたのだろう?
恨まれ憎まれ虐げられ泣き暮らし呪われたかのようになっていたロジーナが、喜び微笑み声を上げて笑い、時には美味しいと目を細め時には楽しいと顔を輝かせる。そして本来の姿を取り戻し目映いばかりに美しくなった。それでロジーナは、可哀想な哀れなロジーナは救われたと、ロジーナの苦しみはもう消えたと勝手に思い込んでいたのだ。
しかしロジーナの苦しみはそれだけではなかった。母親が死の直前に投げ掛けた絶望で塗り潰されたようなその視線は今もなおロジーナの胸に楔のように深く突き刺さり、絶え間ない鋭い痛みを与え続けていたのだろう。
何も解ってなどいない。そんな自分にはロジーナを追う資格などありはしないのだ。シャファルアリーンベルドは拳を握り俯いた。
「ラワーシュまで送り届けてやってくれ」
掠れた声で指示するとシャファルアリーンベルドは踵を返しロジーナの部屋を出ていった。
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