【R18】汚くも美しいこの世界で、今日は何を食べようか?

染野

文字の大きさ
17 / 26
三、ごちそうさまの、その後に

0.きゆるとき

しおりを挟む
 体が宙に浮かんでいることに気付く。僕はいつの間にやら、ひかりのいた世界とは違う何もない空間に移されていて、周囲でぱちぱちと閃光が走るのをぼんやりと眺めていた。

 ひかりは今頃、あの社殿の前で泣いているだろうな。
 僕が消えてもなお、あのみっともない顔のまま僕を求めて泣きじゃくる彼女の姿を想像したら、つきんと胸が痛むような気がした。もう身体を失ったのだから、痛みなど感じるはずがないのに。

「目が覚めたか? この、ならず者めが」

 声のした方を振り返ると、長い黒髪を結わえた女神が冷たい視線を僕に寄越して立っていた。

「どうも、手間をかけさせて悪かったね」
「相変わらず礼儀がなっておらぬな。だが、その無礼もここまで……潔く消えてもらおう」
「はいはい。とっととやっちゃってよ、覚悟はとうにできてるし」

 普段と変わらぬ口調でそう言うと、女神は眉をぴくりと動かしてから顎を上げ、一つの質問を僕に寄越した。

「現世は、どうだった」
「え? どう、と聞かれてもねぇ。あなたの方がよく分かってるでしょう? 小さなことで嘆いて、馬鹿みたいなことで争って、しようのない人間たちがわんさかいたよ。……ただ」

 言いながら、ひかりとの旅の中で出会った人間たちのことを思い返す。
 現世で過ごしてみたところで、人間は総じて欲深いものだという認識は変わっていない。しかし、その「欲」にも実に様々な種類があったように思う。

 誰かの役に立ちたい。
 困っている人を助けたい。
 旅を楽しんでもらいたい。
 受けた恩を返したい。
 自分の作ったものを、おいしいと言ってもらいたい。

 欲とは汚いものばかりだと思っていたけれど、そんなことはなかった。現に、僕とひかりはそんな見ず知らずの人間たちの「欲」に何度も助けられたのだ。
 もちろん、ひかりを追い詰めた人間がいることは事実だし、利己的な欲しか持たない人間もいる。でも、すべてが「汚い」の一言で済ませられるほど簡単なものではないのだと、僕はこの旅で初めて思ったのだ。

 そして、何よりも。

 無機質なビルの屋上から、真っ暗な闇へ身を投げ出そうとしたあの小さな体。
 僕を訝しがって、拾われた猫のように分かりやすく警戒していたあの瞳。
 なにそれ、と可笑しそうに、無防備に僕に見せたあの笑顔。
 小さく震えながら、それでも健気に僕を受け入れてくれた、あの柔い肌。
 そして、僕のような出来損ないの神のために流してくれた、あの美しい涙。
 その愛おしいすべてを思い出しながら、僕は女神を見つめ返して答えた。

「悪くなかったよ」

 ひかりは、僕の言葉通りにあの現世を生き抜いてくれるだろうか。もう彼女に触れることができなくなった身からすれば、これでひかりが自ら命を絶ってしまっても、それはそれで彼女のさだめだったのだと思うしかない。

 ただ、願はくは。
 この先も生きながらえて、出来たばかりの夢を叶え、現世のありとあらゆるおいしいものを食べて、そして安らかに永遠の眠りについてほしい。僕を愛したことを忘れずに、変わらず僕を愛したまま死んでほしい。
 そんな大それた願いは、さすがの僕でも彼女に伝えることができなかったけれど。

「……悪くなかった、か。少しは成長したと見える」
「成長って。親みたいなことを言うんだね」
「ふん、お前のような阿呆を産んだ覚えなど無いわ」
「僕だって勘弁してほしいよ。それより、さっさと終わらせてくれないかな。いつまでもあなたと話してると疲れるからね」

 ぶっきらぼうな態度でそう言うと、女神は短く嘆息してから、鋭い目線を僕に向けた。そして、その不気味なほど白い手をすっと伸ばす。周囲に散らばっていた光たちが、意思を持ったかのように女神のその手に集まってきた。

「どうせ消える身だ。最後くらい、おまえの気に入りの名で呼んでやろう」

 ふわふわと宙を漂っていた身が、いつの間にかぴくりとも動かせないようになっていた。いよいよ自分が消える時が来たようだ。
 涙の一滴でも溢れるかと思ったが、それすらももうできない。ただ、脳裏に浮かんだのはやはり、いとおしいひかりの姿だった。

「──千歳よ。おまえの度重なる背約と無礼、消えるまでの一瞬でも悔いて恥じるがよい」

 その声を黙って聞きながら、そっと目を閉じる。ただ、僕はひかりと過ごしたあの時間を後悔するつもりも、恥じるつもりもなかった。
 長い時間を生きてきたけれど、ひかりと共にあったあの一瞬だけ、僕は本当の意味で生きているような気がしていた。

「いざや、千歳。二度と神世に来るでないぞ」

 当たり前だ。もう消えるのだから。
 最後までそんな生意気なことを思いながら、僕はその声に鼻で笑って返した。

 ──そういえば。
 後悔なんて全くないつもりでいたが、一つだけ思い出した。
 この旅の中でひかりと色んなものを食べてきたけれど、僕は彼女自身の手で作ったものを何一つ食べていなかったのだ。

「……あーあ。惜しいことをしたなぁ」

 ひかりが作ってくれたものを食べて、僕が「おいしい」と言ったら、ひかりはどんな表情を見せてくれただろう。
 見てみたかった。もう二度と見る機会などないのだと思うと、どうしようもなく口惜しくなる。

 そんな僕の感情など問答無用で、閃光はさらに強くなる。女神の姿はいつしか消えていた。

 そして僕は、小さな後悔と、ひかりとの思い出だけを胸に、眩しい光の中に消えていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』

鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、 仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。 厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議―― 最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。 だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、 結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。 そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、 次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。 同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。 数々の試練が二人を襲うが―― 蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、 結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。 そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、 秘書と社長の関係を静かに越えていく。 「これからの人生も、そばで支えてほしい。」 それは、彼が初めて見せた弱さであり、 結衣だけに向けた真剣な想いだった。 秘書として。 一人の女性として。 結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。 仕事も恋も全力で駆け抜ける、 “冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。

巨乳すぎる新入社員が社内で〇〇されちゃった件

ナッツアーモンド
恋愛
中高生の時から巨乳すぎることがコンプレックスで悩んでいる、相模S子。新入社員として入った会社でS子を待ち受ける運命とは....。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

処理中です...