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一、いただきます
4.たべてもいい?
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「え……満室?」
「はい、申し訳ございません。本日はどのお部屋も予約で埋まっておりまして……」
「そ、そうですか……分かりました」
「せっかくお越し頂きましたのに、申し訳ありません」
そう言って頭を垂れるフロントのお姉さんに、こちらこそすみません、と会釈をしてからその場を立ち去る。そんな私の少し後ろで待っていた千歳が、少しふくれたような顔で近寄ってきた。
「また駄目だったの?」
「あ、うん……次のとこ、行ってみようか」
「分かった。じゃあ、おぶってあげる。乗って」
「い、いいってば! ちょっと挫いただけだから、ゆっくりなら歩けるし」
仕事用のヒールのある靴で歩いていたせいで、私は先ほどうっかり足を挫いてしまっていた。痛む足を庇いながら歩く私を見て、千歳が眉間に皺を寄せる。
もう日も暮れかかっているし、こうして空いているホテルを探しているのだが、今日は土曜日ということもあってなかなか空いている部屋が見つからない。このホテルで三軒目だ。
しゃがみ込んで私を背負おうとする千歳の手を引っ張って、引きずるようにしてホテルを出る。ただでさえ千歳のような浮世離れした美丈夫と一緒にいるだけで目立っているのに、そんな彼におんぶなんてされてしまったらさらに目立って仕方ない。
「ひかり、痛いでしょう。腫れてるよ」
「う……ホテル決まったら、そこで冷やすからっ」
「うん。でも、次も空いてなかったらおんぶだからね」
脅すような口調でそう言われて言葉に詰まる。何というか千歳は、一見女性にも見紛うほど美しいくせに妙な威圧感があるのだ。
それも神様だからか、なんて心の内で納得しながら、次のホテルを探すために歩き始めた。
「え……一部屋しか空いてない?」
「はい。現在空いているのは、こちらのタイプのお部屋のみとなっております」
フロント係の男性が大きく引き伸ばした部屋の写真を見せてくれる。十畳程度の広さのその部屋には、セミダブルベッドが一つしか置かれていない。
「あ、あの、簡易的なベッドとか、入れてもらうことはできませんか?」
「申し訳ございません、こちらのお部屋ですと追加のベッドを置けるスペースが無くて……」
「そ……そうです、よね……」
ダメ元で聞いてみたが、やっぱり無理らしい。きっと、この狭い部屋だからこそ空きがあったのだろう。
「すみません、他を当たってみま……」
「その部屋でいいよ。案内してくれる?」
「えっ!?」
勝手にそう返事をしてしまったのは、言うまでもなく千歳だ。驚いて声を上げる私を見下ろして、ちょっと不機嫌そうな声音で諭してくる。
「足、早く冷やさないと。もっと痛くなるよ。狭くても空いてるんだからいいでしょう」
「で、でも、ベッドが一つしか……!」
「一つでもいいよ。ひかりと僕だけなら寝られる」
「は、えっ!? いや、無理だって!」
「なんで? それじゃあ、おんぶしてあげるから次を当たろうか」
「そっ……それも、むり……」
尻すぼみになりながらも拒絶すると、千歳はさらに不機嫌な顔になった。やっぱり、妙な威圧感がある。上司に怒鳴られている時のように背中に冷や汗が伝った。
「ここでいいよね? ひかり」
「う……うん……」
結局、私は千歳の圧に負けて頷いてしまった。
「足、まだ痛む?」
「う、ううん……冷やしたら、だいぶよくなった」
「そう。あ、これを貼るんだっけ? ほら、足出して」
素泊まり一泊五千円のその部屋は、やっぱり狭かった。一晩過ごすだけだし、狭いのは別にどうということはないのだが、問題は千歳と同室ということである。しかも、ベッドは一つ。
変に緊張している私とは対照的に、千歳は落ち着き払っている。彼に言われるがまま足を上げると、先程ドラッグストアで買った湿布薬をそっと貼ってくれた。
「あ、ありがとう……」
「どういたしまして。じゃあ、もう寝ようか。明日は船に乗るんでしょう?」
「あ、うん。一時間だけだけど」
「そっか、楽しみだなぁ」
子どものような無邪気な笑顔でそう言うと、千歳はごく当たり前のようにベッドに入り込んだ。そして、「ひかりも早くおいで」と手招きをする。
「えーっと、あのー……千歳? 私、床で寝るから、布団だけくれないかな」
「え? どうして?」
「どうしてって……あ、あのね? 人間の、大人の男女が同じベッドで寝るのは、あんまり良くないんだよ。カップルや夫婦ならともかく」
「うん。でも、ひかりとなら一緒でもいいよ、僕は」
「えっ!? や、でも、いくら千歳でも、一緒に寝るってのは、その」
千歳が人間ではないにしても、その見た目は成人男性そのものだ。しかも、どこの高級ブランドのモデルだと言いたくなるほど端正な顔つきをしている。
そんな彼とほぼ密着して眠るなんて、恋愛経験の乏しいたかだか21歳の小娘には刺激が強すぎる。手を引かれて歩くことにようやく慣れたばかりだというのに。
「あ。もしかして、緊張してるの?」
「うっ……だ、だって」
「あはっ、そうか。ひかり、男と抱き合ったことも無いもんね。でも安心しなよ、僕はひかりに変なことなんてしないから」
おいで、と千歳がもう一度私を呼んだ。にこにこと私を見つめるその瞳を、混乱しながらもじっと見つめ返す。
「……へ、変なこと、しないんだよね」
「しないよ。ひかりに手をつけるほど飢えてない」
けろりとした調子でそう言われてほっとする反面、女としてはそれでいいのかとちょっと疑問に思う。でも、今日も一日歩き通しで疲れていることも手伝って、私はのろのろと千歳のいるベッドに入り込んだ。
「ふふっ、やっと来た。おやすみ、ひかり」
「お……おやすみ、なさい」
そして千歳は拍子抜けするくらいあっさりと目をつぶってしまった。未だどきどきと鳴っている胸に手を当てながら、小さくため息をついて私も目を閉じる。
すぐ隣から、千歳の呼吸する音が聞こえる。もう眠ってしまったのだろうか。
私に手を出すほど飢えてないと言っていたけれど、それは私に女としての魅力が無いからだろうか。
確かに私はまだ男の人と深い関係まで至ったことはないし、学生時代に付き合った彼氏とは手を繋いだことこそあれ、キスすらしなかった。キスをする仲になる前に振られてしまったのだ。しかも、三回も。
付き合った男の子たちは皆一様に、「ひかりといると、なんか疲れる」と言って別れを切り出した。そこまで負担になるようなことをした覚えはないけれど、無自覚というのが一番厄介だ。
そんなことが三回も続いたから、私は自分から誰かに告白することはしなくなった。社会人になってからは恋愛なんてしている余裕すら無かったから、恋のときめきなんてすっかり忘れてしまっている。
千歳はどうなのだろう。神様も恋愛をするのかな。
なぜ千歳がこんな風に私に付き纏ってくるのかは分からないけれど、少なくともそれは恋心によるものではないだろう。どちらかといえば彼は、保護者のような目線で私を見ている気がする。
神様だから、自殺しようとした私に構ってくれているのだろうか。でも、私が死のうが関係ないとも言っていた。そのくせさっきのように、本気で私を心配するような態度をとるから困ってしまう。千歳に優しくされるたび、真っ暗闇の世界に少しずつ光が差すような気がしてしまうから。
「……ねえ、ひかり」
突然名前を呼ばれて、寝付こうともせず考え事をしていた私はびくっと過剰に反応してしまった。隣を向くと、眠ったはずの千歳がなぜか困り顔で私を見つめている。
「ど、どうしたの?」
「ひかり、何かおいしいもの持ってる?」
「はっ? お、おいしいもの、って……持ってるわけないじゃん。あ、お腹すいたの?」
「ううん、そうじゃない。ひかりからあんまり良い匂いがするから、眠れないんだ」
そう言うと千歳は、布団の中でもぞもぞと動いたかと思うと、いきなり私の首筋に顔を埋めてきた。
「ひえっ!? ちっ、千歳!? な、なにを……!」
「……ああ、やっぱり。ひかりの体、とっても良い匂いがする」
「か、からだ……? なっ、なにも、付けてないけど……あ、ボディソープかな!?」
「違うよ。きっと、ひかりの血肉から染み出した匂いだ」
血肉だなんて生々しい表現はやめてほしい。いや、そうじゃなくて、無遠慮に私の体の匂いを嗅ぐのをやめてほしい。
慌てて千歳を引っぺがそうとばたつくけれど、両肩を押さえられていてびくともしない。その間にも、千歳の行動はどんどん大胆になっていく。
「ねえ、舐めてみてもいい? おいしいかもしれない」
「はあっ!? やっ、お、おいしくない! ていうか、おいしくても舐めないで!」
「ちょっと舐めるだけだから、ね?」
ちょっとならいいとか、そういう話ではない。しかし、私がそう反論するより先に、千歳はべろりと赤い舌を出して私の首筋を舐めあげた。
「ひいっ!? ばっ、ばか! ほんとに舐めてるっ……!?」
「……ん。やっぱり、おいしい」
「お、おいしいわけないでしょ!? や、やめてってばっ、変なことしないって言ったじゃん!」
「変なことじゃないよ、ただ舐めるだけだから」
油断した。千歳が私なんかを性的な目で見るわけがないと思っていたけれど、やっぱり神様でも男は男だったようだ。
これまでそういう機会が無かっただけで、自分の意思で貞操を守ってきたわけではないけれど、それでもこんな風に初体験を迎えてしまうなんて誰が予想できただろう。
生温かい舌が首筋を好き勝手に這い回ったかと思うと、当たり前のようにパジャマの胸元を肌蹴られる。それとほぼ同時にそこにも舌を這わされて、慣れない刺激に身震いした。
「や、やだっ……こんなのやだ、千歳っ……!」
「ん、もうちょっとだけ。満足したらやめるから」
満足したらって。やっぱり、私はこの場で千歳においしく頂かれてしまうらしい。もちろん、性的な意味でだ。
「はぁ……本当においしい。どうしてだろうね。昼間食べた、茹でたうどんよりおいしい」
「っ……! う、うどんと比べないでよっ……!」
ぴちゃ、ぺちゃ、と水音がする。こんないやらしいことが自分の身に降りかかるなんて、私は夢でも見ているのだろうか。
でも、濡れた肌に千歳の息が時折かかって、その温さが私を現実に引き戻す。
「んっ、やあっ……! ち、千歳っ、やめて、おねがいっ」
「はぁ……ん、どうして?」
「ど、どうしてって……! く、くすぐったいの! それに、その、恥ずかしい……っ」
「あはっ、恥ずかしいの? 可愛い、ひかり」
可愛い、って。前も千歳にそう言われた気がするけど、本気で言っているのだろうか。そういった言葉に慣れていない私は、さらに顔を赤くした。照れている場合じゃないのに。
「ん……っ、おいしい。前々からおいしそうだとは思ってたけど、ここまでとはねぇ」
「お、おいしくないっ……! も、もうほんとに、勘弁してっ……!」
ホテルに備え付けてあった薄いパジャマは簡単に肌蹴られて、露わになった肌に千歳が舌を這わせる。その光景は卒倒しそうなほどいやらしくて、いくら経験のない私でもこれから起こる出来事を容易に想像できてしまった。
犯される。
私はこれから、この男に貞操を散らされてしまうのだろう。
気を許しすぎたのがいけなかったのか、やっぱり神様なんてのは嘘でこれが目的だったのかと、混乱しながらも色んなことを考えた。そして恐怖からか、がたがたと全身が震えだす。
千歳に身体中を舐められているうちに、なぜか大事な場所が熱を持っていく気がした。私の意思に反して、体は彼を受け入れようとしているかのようにも思える。
そして、一心不乱に肌を舐め回していた千歳が、上体を起こして私を見下ろした。いつの間にか私の体を跨いで、彼自身の着ているパジャマも心なしか肌蹴ている。その隙間から色白ながらも引き締まった腹筋が見えて、やっぱり千歳は男なのだと再認識させられた。
「……さて、ひかり」
千歳が、自身の濡れた口元を手の甲で拭う。たったそれだけの仕草なのに、モザイクをかけたくなるくらい淫靡に見えた。
そして、もう抵抗することもやめて自分の運命を受け入れつつある私に、千歳はにっこりと微笑みながら言った。
「寝ようか!」
「え……えっ?」
満足気な表情でそう言った千歳は、いそいそと布団に入り直して、私の肌蹴たパジャマの襟元を直してくれる。私はといえば、意味が分からずただ彼にされるがままだ。
「ねえひかり、明日も同じ部屋で寝ようね」
「え……あ、え?」
「ひかりがこんなにおいしいなんて思わなかったよ。ふふっ、ごちそうさま」
そして私が状況を理解する前に、千歳は布団を被ってすうすうと寝息をたて始めた。そっと頬を人差し指でつついてみても、彼は幸せそうに目を閉じたままだ。
一体、何が起こったんだろう。
とりあえず私も布団を被ってはみたものの、混乱しすぎた頭ではちっとも寝付くことができなかった。
「はい、申し訳ございません。本日はどのお部屋も予約で埋まっておりまして……」
「そ、そうですか……分かりました」
「せっかくお越し頂きましたのに、申し訳ありません」
そう言って頭を垂れるフロントのお姉さんに、こちらこそすみません、と会釈をしてからその場を立ち去る。そんな私の少し後ろで待っていた千歳が、少しふくれたような顔で近寄ってきた。
「また駄目だったの?」
「あ、うん……次のとこ、行ってみようか」
「分かった。じゃあ、おぶってあげる。乗って」
「い、いいってば! ちょっと挫いただけだから、ゆっくりなら歩けるし」
仕事用のヒールのある靴で歩いていたせいで、私は先ほどうっかり足を挫いてしまっていた。痛む足を庇いながら歩く私を見て、千歳が眉間に皺を寄せる。
もう日も暮れかかっているし、こうして空いているホテルを探しているのだが、今日は土曜日ということもあってなかなか空いている部屋が見つからない。このホテルで三軒目だ。
しゃがみ込んで私を背負おうとする千歳の手を引っ張って、引きずるようにしてホテルを出る。ただでさえ千歳のような浮世離れした美丈夫と一緒にいるだけで目立っているのに、そんな彼におんぶなんてされてしまったらさらに目立って仕方ない。
「ひかり、痛いでしょう。腫れてるよ」
「う……ホテル決まったら、そこで冷やすからっ」
「うん。でも、次も空いてなかったらおんぶだからね」
脅すような口調でそう言われて言葉に詰まる。何というか千歳は、一見女性にも見紛うほど美しいくせに妙な威圧感があるのだ。
それも神様だからか、なんて心の内で納得しながら、次のホテルを探すために歩き始めた。
「え……一部屋しか空いてない?」
「はい。現在空いているのは、こちらのタイプのお部屋のみとなっております」
フロント係の男性が大きく引き伸ばした部屋の写真を見せてくれる。十畳程度の広さのその部屋には、セミダブルベッドが一つしか置かれていない。
「あ、あの、簡易的なベッドとか、入れてもらうことはできませんか?」
「申し訳ございません、こちらのお部屋ですと追加のベッドを置けるスペースが無くて……」
「そ……そうです、よね……」
ダメ元で聞いてみたが、やっぱり無理らしい。きっと、この狭い部屋だからこそ空きがあったのだろう。
「すみません、他を当たってみま……」
「その部屋でいいよ。案内してくれる?」
「えっ!?」
勝手にそう返事をしてしまったのは、言うまでもなく千歳だ。驚いて声を上げる私を見下ろして、ちょっと不機嫌そうな声音で諭してくる。
「足、早く冷やさないと。もっと痛くなるよ。狭くても空いてるんだからいいでしょう」
「で、でも、ベッドが一つしか……!」
「一つでもいいよ。ひかりと僕だけなら寝られる」
「は、えっ!? いや、無理だって!」
「なんで? それじゃあ、おんぶしてあげるから次を当たろうか」
「そっ……それも、むり……」
尻すぼみになりながらも拒絶すると、千歳はさらに不機嫌な顔になった。やっぱり、妙な威圧感がある。上司に怒鳴られている時のように背中に冷や汗が伝った。
「ここでいいよね? ひかり」
「う……うん……」
結局、私は千歳の圧に負けて頷いてしまった。
「足、まだ痛む?」
「う、ううん……冷やしたら、だいぶよくなった」
「そう。あ、これを貼るんだっけ? ほら、足出して」
素泊まり一泊五千円のその部屋は、やっぱり狭かった。一晩過ごすだけだし、狭いのは別にどうということはないのだが、問題は千歳と同室ということである。しかも、ベッドは一つ。
変に緊張している私とは対照的に、千歳は落ち着き払っている。彼に言われるがまま足を上げると、先程ドラッグストアで買った湿布薬をそっと貼ってくれた。
「あ、ありがとう……」
「どういたしまして。じゃあ、もう寝ようか。明日は船に乗るんでしょう?」
「あ、うん。一時間だけだけど」
「そっか、楽しみだなぁ」
子どものような無邪気な笑顔でそう言うと、千歳はごく当たり前のようにベッドに入り込んだ。そして、「ひかりも早くおいで」と手招きをする。
「えーっと、あのー……千歳? 私、床で寝るから、布団だけくれないかな」
「え? どうして?」
「どうしてって……あ、あのね? 人間の、大人の男女が同じベッドで寝るのは、あんまり良くないんだよ。カップルや夫婦ならともかく」
「うん。でも、ひかりとなら一緒でもいいよ、僕は」
「えっ!? や、でも、いくら千歳でも、一緒に寝るってのは、その」
千歳が人間ではないにしても、その見た目は成人男性そのものだ。しかも、どこの高級ブランドのモデルだと言いたくなるほど端正な顔つきをしている。
そんな彼とほぼ密着して眠るなんて、恋愛経験の乏しいたかだか21歳の小娘には刺激が強すぎる。手を引かれて歩くことにようやく慣れたばかりだというのに。
「あ。もしかして、緊張してるの?」
「うっ……だ、だって」
「あはっ、そうか。ひかり、男と抱き合ったことも無いもんね。でも安心しなよ、僕はひかりに変なことなんてしないから」
おいで、と千歳がもう一度私を呼んだ。にこにこと私を見つめるその瞳を、混乱しながらもじっと見つめ返す。
「……へ、変なこと、しないんだよね」
「しないよ。ひかりに手をつけるほど飢えてない」
けろりとした調子でそう言われてほっとする反面、女としてはそれでいいのかとちょっと疑問に思う。でも、今日も一日歩き通しで疲れていることも手伝って、私はのろのろと千歳のいるベッドに入り込んだ。
「ふふっ、やっと来た。おやすみ、ひかり」
「お……おやすみ、なさい」
そして千歳は拍子抜けするくらいあっさりと目をつぶってしまった。未だどきどきと鳴っている胸に手を当てながら、小さくため息をついて私も目を閉じる。
すぐ隣から、千歳の呼吸する音が聞こえる。もう眠ってしまったのだろうか。
私に手を出すほど飢えてないと言っていたけれど、それは私に女としての魅力が無いからだろうか。
確かに私はまだ男の人と深い関係まで至ったことはないし、学生時代に付き合った彼氏とは手を繋いだことこそあれ、キスすらしなかった。キスをする仲になる前に振られてしまったのだ。しかも、三回も。
付き合った男の子たちは皆一様に、「ひかりといると、なんか疲れる」と言って別れを切り出した。そこまで負担になるようなことをした覚えはないけれど、無自覚というのが一番厄介だ。
そんなことが三回も続いたから、私は自分から誰かに告白することはしなくなった。社会人になってからは恋愛なんてしている余裕すら無かったから、恋のときめきなんてすっかり忘れてしまっている。
千歳はどうなのだろう。神様も恋愛をするのかな。
なぜ千歳がこんな風に私に付き纏ってくるのかは分からないけれど、少なくともそれは恋心によるものではないだろう。どちらかといえば彼は、保護者のような目線で私を見ている気がする。
神様だから、自殺しようとした私に構ってくれているのだろうか。でも、私が死のうが関係ないとも言っていた。そのくせさっきのように、本気で私を心配するような態度をとるから困ってしまう。千歳に優しくされるたび、真っ暗闇の世界に少しずつ光が差すような気がしてしまうから。
「……ねえ、ひかり」
突然名前を呼ばれて、寝付こうともせず考え事をしていた私はびくっと過剰に反応してしまった。隣を向くと、眠ったはずの千歳がなぜか困り顔で私を見つめている。
「ど、どうしたの?」
「ひかり、何かおいしいもの持ってる?」
「はっ? お、おいしいもの、って……持ってるわけないじゃん。あ、お腹すいたの?」
「ううん、そうじゃない。ひかりからあんまり良い匂いがするから、眠れないんだ」
そう言うと千歳は、布団の中でもぞもぞと動いたかと思うと、いきなり私の首筋に顔を埋めてきた。
「ひえっ!? ちっ、千歳!? な、なにを……!」
「……ああ、やっぱり。ひかりの体、とっても良い匂いがする」
「か、からだ……? なっ、なにも、付けてないけど……あ、ボディソープかな!?」
「違うよ。きっと、ひかりの血肉から染み出した匂いだ」
血肉だなんて生々しい表現はやめてほしい。いや、そうじゃなくて、無遠慮に私の体の匂いを嗅ぐのをやめてほしい。
慌てて千歳を引っぺがそうとばたつくけれど、両肩を押さえられていてびくともしない。その間にも、千歳の行動はどんどん大胆になっていく。
「ねえ、舐めてみてもいい? おいしいかもしれない」
「はあっ!? やっ、お、おいしくない! ていうか、おいしくても舐めないで!」
「ちょっと舐めるだけだから、ね?」
ちょっとならいいとか、そういう話ではない。しかし、私がそう反論するより先に、千歳はべろりと赤い舌を出して私の首筋を舐めあげた。
「ひいっ!? ばっ、ばか! ほんとに舐めてるっ……!?」
「……ん。やっぱり、おいしい」
「お、おいしいわけないでしょ!? や、やめてってばっ、変なことしないって言ったじゃん!」
「変なことじゃないよ、ただ舐めるだけだから」
油断した。千歳が私なんかを性的な目で見るわけがないと思っていたけれど、やっぱり神様でも男は男だったようだ。
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「あはっ、恥ずかしいの? 可愛い、ひかり」
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犯される。
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千歳に身体中を舐められているうちに、なぜか大事な場所が熱を持っていく気がした。私の意思に反して、体は彼を受け入れようとしているかのようにも思える。
そして、一心不乱に肌を舐め回していた千歳が、上体を起こして私を見下ろした。いつの間にか私の体を跨いで、彼自身の着ているパジャマも心なしか肌蹴ている。その隙間から色白ながらも引き締まった腹筋が見えて、やっぱり千歳は男なのだと再認識させられた。
「……さて、ひかり」
千歳が、自身の濡れた口元を手の甲で拭う。たったそれだけの仕草なのに、モザイクをかけたくなるくらい淫靡に見えた。
そして、もう抵抗することもやめて自分の運命を受け入れつつある私に、千歳はにっこりと微笑みながら言った。
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「ねえひかり、明日も同じ部屋で寝ようね」
「え……あ、え?」
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※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
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