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同じ歩調で歩けない
しおりを挟む「まず、デッサンがしっかりしてんだよな。パース取りも完璧だし、絵を習っていただけあるわ。漫画を練習してからじゃないと無理かなーと思ってたけど、これならすぐネットにアップできそうだ」
「ええ? まだタブレットも使いこなせていないし、どこかに公表できるほどのクオリティじゃないよ。第一、描きたいものも決まってないし」
無理だと菜緒は主張したが、望は勝手に話をどんどん進めている。
「じゃあ俺が描く内容を決めてお前に依頼する。仕事として金払ってやんよ。ネットにあげるための作業も俺が全部やるから、菜緒は描くだけでいい」
「ええ!? いや、要らないよ! タブレット代も返してないのに」
絵を描きたいというのは単なる思い付きで、ある意味夫との問題からの『逃げ』みたいな気持ちで言い出したことだ。ゲームと同じで、上手くいかなくてすぐ投げ出すかもしれない。だからこんな急に本格的に絵を描く流れになって、菜緒は戸惑いを隠せない。
けれど、高価なタブレットを買い与えられたこともあり、勢いに押されるかたちで菜緒は望の言う通りに絵を描くことになってしまった。
まずはタブレットと絵描きソフトに慣れて使いこなせるようになれと言われ、次々と模写をさせられて、腕が痙攣しそうなほど絵を描かされているうちにあっという間に日が暮れてしまった。
さすがに家に帰らなくてはいけないと菜緒が言うと、望は最寄り駅まで来るまで送ってやると申し出てくれた。このマンションの場所は駅チカなので一人で帰れると遠慮したのだが、自分も帰るついでだと言うので甘えることにした。
「タブレットは家に持ち帰るわけにいかないだろうから、マンションの合鍵渡しておく。お前の家からそんなに遠くねーから、毎日でも通ってこい」
「鍵? え、いいの?」
当たり前のように鍵を渡されて、有難いが戸惑いのほうが大きい。
運転する望の横顔を盗み見るが、彼の表情からは何の感情も読み取れない。
昔からこのいとこは不可解だった。小学生の頃から飛びぬけて頭がよく、子供らしさのかけらもない彼のことを、親戚のおとなたちは『不気味だ』とか『怖い』などと言っていた。
菜緒とは普通の子どもと同じようにふざけて笑ったりする間柄だったが、大人たちを論破する姿を見ては、彼は一体どれが本当の顔なのだろうと思ったりもしたものだ。
彼の横顔に向かって口を開きかけたが、結局口を噤んだ。今訊ねても望からは本当の理由は聞けない気がしたから。
「自宅まで送ってもいいんだけどさ、この時間だと旦那と鉢合わせするかもしれないし駅前でいいよな?」
「うん。夕食も買って行きたいし、駅前でお願いします」
今はまだ十九時前なので、いつも深夜帰宅の夫と鉢合わせなどしないけれど、自分の夕飯をどこかで買って帰るつもりだった。冷蔵庫にダメになりそうな食材がある気がしたが、在庫処分のための食事を、どうしても作る気になれなかった。
駅前のロータリーは混みあっていて、停められたらすぐ降りる準備をして窓の外を見ていたら、よく見慣れた男の後姿が目に入る。
「……紘一さん」
スーツ姿の夫が、黒髪の女性と歩いていた。
顔は見えないが、立ち姿が美しいその女性は間違いなく夫の想い人だろう。人々が行き交う駅前の道を、二人は寄り添いあいながら歩いていく。
菜緒が夫と歩いている時は、気付くといつも一歩後ろからついて行くかたちになる。歩く速度が速い夫に、いつもヒールある靴を履いている菜緒はどうしても遅れてしまう。だからいつも、夫の斜め後ろの姿ばかりを見ていた。
話しかけるのはいつも菜緒ばかり。
夫は相槌を打つ程度で、時には無視された。いつもそうだったから、それが当たり前だと思っていた。夫は誰かに歩調を合わせるのが苦手なんだと思っていた。だが……。
「ゆっくり歩けるんだね……」
他人の食べかけを口にすることも、歩調を合わせることも、夫はやろうと思えばできたのだ。でも菜緒にはそれをしたくなかった。ただそれだけのことだ。
行き交う人々から彼女を守るように歩いている姿を見て、なんだかものすごく自分が馬鹿みたい思えて仕方がない。
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