【完結】秀才の男装治療師が女性恐怖症のわんこ弟子に溺愛されるまで

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第三章・両思い編〜失われた記憶

それは、突然のことでした

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 数日後。クリスは朝から少し疲れた顔をしていた。

「やっと研究の続きができる」

 セルシティに城へ呼ばれた日はベレンに捕まり、治療院研究所へ行けず。翌日からは町の治療院で治療師としての仕事。移動と人々の治療が数日ほど続いた。
 カルラが食後の紅茶を出しながら心配そうに声をかける。

「お疲れではありませんか? 今日はお休みになられたほうが……」
「いや、問題ない。それより、興味深いことが書いてある本を見つけてな。それを研究所で試したいんだ」

 カルラが呆れたようにため息を吐く。クリスの研究熱心は今に始まったことではない。

「では、せめて馬車を使ってください」

 クリスはいつも治療院研究所へ運動がてら徒歩で行く。遠くもないが、すぐ近くというわけでもない。

「そうだな……たまにはいいか」
「では、馬車の準備をしておきます」

 カルラが下がると、入れ替わるようにカリストがやってきた。

「犬が来ました」

 その報告にクリスの胸が軽く跳ねる。毎朝のことなのだが、これにはいまだに慣れない。

 クラウディウスによるクリス襲撃事件以降、ルドが護衛も兼ねて一緒に通っている。最初の頃は拒否していたが、ルドのゴリ押しに負けた。

「わかった」

 クリスが平静を装いながら椅子から立ち上がる。
 そのまま屋敷の入り口まで移動すると、ルドが一歩距離をあけたカルラと談笑していた。
 その光景にクリスの足が止まる。なぜか胸の辺りがもやもやするような違和感。

「クリス様? どうかされましたか?」

 背後からカリストに声をかけられ、クリスが我に返る。

「あ、いや、なんでもない」

 クリスはカリストに差し出された白いストラを受け取り首にかけた。

「あ、師匠! おはようございます!」

 クリスに気がついたルドが笑顔で駆け寄る。
 その姿にホッとすると同時に胸の違和感が消えた。そこで、クリスに疑問が浮かぶ。

(なぜ、ホッとしているんだ?)

 考えるクリスにルドが首をかしげながら覗き込む。

「師匠? どうかされましたか?」
「な、なんでもない! 行くぞ」

 暴れる動悸を誤魔化すように荒い歩調でクリスが馬車に乗り込んだ。
 椅子に座ると座面が包み込むようにふわりと沈み、窓からの爽やかな風が頬を撫でた。暑くもなく、寒くもない。過ごしやすい季節。

 クリスが穏やかな気候に和んでいると、ルドが反対側に腰をおろした。
 襟足から長く伸びた赤髪が胸の前に垂れ下がる。精悍な顔立ちは無駄なほど整っており、筋肉は適度にあり体格も良い。
 ぼんやり観察していると、涼しげな琥珀の瞳がこちらに気づいた。クリスが逃げるように視線を窓の外に向ける。

 そこに馬車が静かに出発した。ルドがクリスと同じように窓の外の流れる景色を見る。

「いい天気ですね」
「そうだな」

 クリスは視線を窓の外に向けたまま、世間話をするように話題を出した。

「女性恐怖症は、だいぶんよくなったようだな」

 先程のカルラとの会話の様子からも、ルドの女性恐怖症は少しずつ改善してきている。
 喜ばしいはずなのに、なぜかクリスは苛立つような、悲しいような複雑な気持ちに占領されていた。
 だが、こんな感情をルドに気付かれたくない。

 そんなクリスの心情など知らないルドは軽く首をかしげた。

「そうですか?」

 クリスが少しムッとした顔で指摘する。

「この前、セルシティの城のメイドに礼を言えていただろ」
「かなり頑張ってあの程度ですから。まだまだです」
「だが、さっきのカルラとは良い感じに会話していただろ。ラミラとも話をしているし」
「あぁ。あの二人は根本的に違うので」

 予想外の言葉にクリスがルドの方を向く。

「根本的に違う?」
「はい。あの二人……というか、あの屋敷の使用人全員に言えることですが、かなり腕が立つ人たちばかりですよね?」
「そうだな。カリストの人選だが、ある程度は腕が立つことが屋敷で働ける条件の一つにしているらしい」
「ある程度どころではありません。腕の立ち方が半端ないんですよ。隙をみせたら、こちらがやられてしまいますから、全力で警戒しないといけません」

 クリスが目を丸くする。

「魔法騎士団のおまえが全力で警戒しないといけないほどか?」
「そうです。あの屋敷はある意味、帝城より警備が厳重で強者揃いです」
「つまり、おまえは警戒して話しているのか? 普通に会話しているようにしか見えないが」

 それどころか遊ばれている時もあるほど。
 ルドが苦笑いを浮かべる。

「そのように見せています。どんな相手でも普通に対応する訓練は受けていますから。それに使用人の方々から警戒されていたのは、最初の頃だけですし」
「最初の頃?」
「はい。師匠と初めて一緒に治療に行った日は、特にひどかったですよ。隙あらば刺されそうな勢いでしたから。それから徐々に使用人たちの警戒は薄くなっていきました」
「おまえは今も警戒しているのか?」
「今でも最低限の警戒はしてます」

 そこで、まっすぐクリスを見ている琥珀の瞳が細くなった。いつもの人懐っこい雰囲気ではなく、包み込むような慈しんでいるような視線。
 その視線にクリスは息が止まりかけた。顔が赤くなりそうになるのをどうにか堪える。

「な、なんだ?」
「自分が師匠を傷つけることがないか、常に見張られています。みんな師匠が大切なんですね」

 クリスは自分の顔が赤くなっていくのが分かり、慌てて顔を隠すように窓の外を見た。

「カ、カルラたちには必要以上に警戒しないように言っておく」
「今のままで大丈夫ですよ、慣れましたから」
「そ、そうか。だが、それで普通に話せるなら、他の女性たちも同じように警戒すれば普通に話せるんじゃないのか?」
「いえ、これは相手に実力があるからこそ。力を持たない相手には出来ません」
「……意外と融通が利かないんだな」
「融通! そうですね」

 ルドがいきなり笑った。クリスは何が面白いのか分からず、ムッとする。

「どうした?」
「いえ、そういう発想があるとは思わなかったので」
「……バカにしているのか?」
「まさか!」

 ルドが顔を青くしながら否定する。クリスがルドを睨んだ。

「本当か?」
「はい!」

 クリスはしばらくルドを睨みつけた後、背中を椅子につけた。

「まあ、いい」

 ルドが安堵する。その表情に思わず笑みがこぼれたクリスは気づいた。

(感情が他人ルドに影響されすぎている。こんなことは初めてだ)

 はっきりと自覚したクリスが眉間にシワを寄せて唸る。

「気に入らないな」
「どうしました?」
「なんでもない」

 突然、機嫌が悪くなったクリスにルドが首をかしげる。馬車が薄暗い森を抜け、治療院研究所に到着した。

「着きましたね」
「そうだな」

 ルドが先に馬車から降りる。続いてクリスが降りようとして足が止まった。ルドが手を出してエスコートしようとしている。
 気恥ずかしいクリスはその手を払った。

「一人で降りられる」
「すみません」

 ルドが謝りながら馬車から離れる。

「ふん」

 クリスは足を出したが、そこで盛大に階段を踏み外した。あるはずの台がなく、足裏が宙をさ迷う。そこからバランスを崩して体が傾いた。

「しまっ!?」
「師匠!」

 ルドが慌てて駆け寄るが間に合わない。重心が後ろに引っ張られたクリスは、頭と背中を馬車の床と階段で強く打った。

「師匠! 師匠!」

 体を抱えられ、ルドの切迫した声が耳を貫く。瞼を開けようとするが、うっすらとしか動かない。せめて、大丈夫、と言いたいが声も出ない。

「師匠! しっかりしてください!」

 必死に呼ぶ声が小さくなり、遠退いていく。クリスは安心させるために右手を動かした。

「だい……じょぉ……」

 クリスの腕がパタリと落ちる。

「ししょおーーー!!!!」

 ルドの叫び声。クリスはルドの腕の中で意識を失った。








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