BAR・ターミナル~ケモノ達の交わる場所~

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2話:華の金曜日

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 自称スキンシップ魔のマリサの、執拗なスキンシップ。リコがあの時感じた感覚、ドキドキは、感じているときこそ逃げたくなるような感覚を覚えたが、ひとたび彼女が離れると、その余韻がとても気持ちよかった。
 染みついた彼女の匂い、自分の服からかすかに感じる残り香からは彼女の存在を思い起こすには十分で、しかしながら彼女の脅威を感じるには不十分という塩梅で。
 残り香だけではあの時のドキドキを再現することはなかったが、心臓から淡く広がる幸福感がにじみ出ていた。このどきどき、高揚感はただ一人でお酒を飲むだけじゃ、高校時代の友達と飲んだだけじゃ、得られない不思議な気持ちだ。
 マリサのSNSアカウントを確認する。彼女は普段は特に更新しておらず、アニメやドラマを見たときに感想を少し書き込むくらいで、日付も飛び飛びだ。そのおかげかフォロー数もフォロワー数も少ないが、昨夜はリコと別れた直後に更新したらしい。
 「バーで友達が増えたかもしれません。頑張って常連にするぞ!」と、文字だけの更新だ。リコはいいねだけをつけて、文章を送ることもなかったが、それだけでも緊張してしまった。
 また会えるかな、と。リコは不思議な充実感を覚えながら、翌日の仕事へと出発するのであった。

 それからというもの、また会いたい、という気持ちに囚われ、それは数日経ってからもおさまらず、リコは電車でBAR・ターミナルの口コミを見る。どうやらあの店は、金曜日と土曜日が最も混むらしい。待ち合わせをしていなくても、その日ならばマリサに会うこともできるだろうか……と思い、リコはSNSに「今日は先週気に入ったバーにまた行こうっと」と震える手で入力すると、深呼吸をしてから投稿した。
 それをマリサが見てくれるかはわからないが、見てくれるならまた会えるかもしれない。そんな心配をするくらいなら、きちんと直接メッセージを送って待ち合わせすればいいのに、そうしない自分の臆病さにうんざりだった。

 そうして、金曜日。仕事終わりの開店直後にターミナルに寄ってみれば、口コミ通り中は非常に混んでいた。このお店、静かで落ち着く音楽が流れているのだが、それを空き消すような話し声がひっきりなしに聞こえるため、バーと言うよりは居酒屋といった雰囲気だ。沢山のお客様がいる中で、リコは見覚えのある銀色の後頭部を見つけ、そこへ一直線に向かう。
リコ「マリサさん、また会いました……あれ?」
 リコがマリサだと思って話しかけた狼獣人は、どうやら別人だった。服は男ものだし、よく見れば身長も少し高い。後頭部だけは本当に似ているのだけれど……いや、よく見れば完全に男の顔をしているのだけれど、どちらも面影はある。
マリサ似の男「姉ちゃんのこと知ってるのか?」
 怪訝な顔でこちらを見つめる男性の言葉に、なるほどとリコは納得する。
リコ「えっと、似てますね……後ろ姿だけなら、わからないかも。うわー……うらやましい美形だなぁ」
マリサ似の男「よく言われる。姉妹そろって、母親似なんだよね、忌々しいことに」
 男性は容姿を褒められたおかげか、気分がよさそうに笑う。どこか嫌そうな雰囲気も感じていそうに見えるのは、『忌々しいことに』という文面に集約されるのだろうか? どういうことなのかとも聞きたかったが、あんまり聞かないほうがいいだろうか。
リコ「えー、本宮リコと申します。兄弟そろってお店の常連さんなんですね……私は先週、このお店の扉の前でもたついていたら、不意打ちでお姉さんに引き込まれました」
 座りたいところだが、もうどこの席も空いていないので、リコは立ったまま男と会話をする。
ハルト「俺の名前はハルト。榎本 晴人えのもと はるとだ。相変わらずだな姉ちゃんは……鹿人、草食じゃんか。姉ちゃんに抱き着かれて、怖い思いしなかったか?」
 名乗ったハルトは、自分も立ち上がってリコの全身を見る。リコの身長は男性並みに高くハルトと同じくらいなのだけれど、やはり女性。男性に比べれば華奢である。
 ハルトはそうやってリコを観察しながら、客が多いとき用に積まれている、背もたれのない補助椅子を取り出す。
リコ「怖い思い、しました! マリサさん、私以外にもあんな感じなんですか?」
 そんなところに椅子があったのに気づいていなかったリコは、ハルトの気遣いに感謝しながら一連の動作を見ていた。
ハルト「座れよ。あー、姉ちゃんは大体あんな感じ。厄介なことに男に対しても同じ感じで抱き着くんだ。肉食でも草食でも同じ。だから、せっかく引き入れた客も怖がって手放しちゃうこともあるんだ。まぁ、姉ちゃん以前にお店が合わなかっただけかもしれないが……でも、あんたはもう一度来てくれたんだな? このお店、気に入ってくれた? それとも、姉ちゃんが気に入ったのかな?」
リコ「はい、怖い想いはしましたが、むしろあのフレンドリーさが気に入りまして」
 腰を落ち着けたリコは、視線を同じ高さにしてうなずいた。精神的にも落ち着いたリコは、改めてハルトを観察する。飲んでいるものはジャスミンティー……体臭はしっかり男性の匂いではあるものの、体にいいものを食べているのだろうか? マリサよりも体臭が強い気がする。でも、悪い匂いではない。
ハルト「姉ちゃんが気に入っただなんて、そりゃ弟としてうれしい限りだ。あんな距離感バグってる友達がほしかったとかかな?」
リコ「お恥ずかしい話ですが……今までにないタイプだったけれど、それが上手くはまったみたいで」
 ハルトに図星をつかれたリコは、顔を伏せて照れ笑いする。
リコ「私が勤めている会社、社員同士がほとんど顔を合わせない職場なんです。それで、長く続く人付き合いに飢えてまして……」
ハルト「なに? ほとんど顔を合わせないって、トラック運転手か何か?」
リコ「家事代行の職業です。汚れた家を掃除したり、バランスの取れた料理を作り置きしたり……水都みなと区でのお仕事が多いです。あそこ、お金持ちが多いので……」
ハルト「へー、そんな職業もあるんだ。掃除はともかくだけれど、料理って大変じゃない? 草食向けの料理だけじゃないでしょ?」
リコ「あ、わかります? いや、草食向けの料理というか、同族向けなら何とでもなるんですけれどね。種族が違うと、味覚が全然違うから、レシピ必須で」
ハルト「やっぱそうなんだ。俺、料亭で働いていてさ。料理は得意なんだけれど、肉食や雑食用の方だけでさ。草食系の方は、レシピがあれば作れるんだけれど、どうにも味がわからなくてな。下ごしらえくらいなら何とかなるんだけれど、味付けは勘や目分量じゃあ無理だねぇ……」
 お互い、どちらも自分の仕事に思うところがあるのかリコとハルトは、料理の話題をきっかけに大いに盛り上がる。ハルトがマリサと似ているのは見た目だけじゃなく、社交的な性格も同じようである。
 さて、そんな話をしている間も、マスターの方は注文がひっきりなしだ。今日は客が多いこともあって、バイトらしき白黒の犬人の男も働いている。バーテンダーらしい黒服ではなく、私服にエプロンといった格好だが、細身の体型が美しいが、尻だけは大きくて脚も太い。彼も忙しそうに一緒に注文に応じているのだが、本当は席に着いたら最初に注文しなきゃいけないのだけれど、さっきからずっと暇がないので、メモに注文を書いてそのままだった。
リコ「それにしても、店員さん忙しそうですね」
ハルト「あぁ、2階にもたくさん客がいるからな。金曜日と土曜日は、違う階を何往復もさせられるんだ。二階から注文する場合は、昔はベルを鳴らしてたんだけれど、今はLINEアプリを使ってるんだ。店員は何往復もするからさ、ありゃいい運動になるよ」
リコ「2階あったんだ……全然気づきませんでした」
 そう言いながらバイトの男を見ていると、ようやく二階の注文がはけたらしい。いまだはけていない一階の注文も消化すべく、リコが書いたメモ用紙手に取る。
バイトの男「焼酎のレモン風シロップ割り、承りました。初めましてのお客様ですねー! 自分、入谷 竜輝いりや りゅうきって言います。よろしく」
ようやく注文を受け取ってもらうと、バイトの男はにこやかに名乗る。
リコ「あ、本宮 リコと申します。よろしくお願いします」
自然と名乗られるものだから、リコも釣られるようにして名乗る。ぺこりと会釈すると、リュウキはさっそくカクテルを作り始める。
その様子を見守りながら、話の続きを始めるのであった。
リコ「えーと、なんの話だっけ。そうそう、食性が違うと料理を作るのも難しいって話でしたね。むしろ肉の匂いを嗅いでいると、なんか胸騒ぎがしちゃって……これも本能なんですかねぇ……肉食系の方は、料理してても胸騒ぎとかしないんでしょう? ちょっと羨ましい」
ハルト「あぁそれ、羊人の同僚も言ってたし、料理学校の奴らも言ってた。みんな苦労してるよな……肉の匂い、あんなにいいにおいなのに、食性が違うとむしろ危険な臭いなんだな」
リコ「えぇもう。特に肉食系の家の主人にじっと見られてる時は、神経が張り詰めます。ハルトさんは厨房はお客様から見えないタイプですか?」
ハルト「見えないねー。衛生的なこともあるし、温度管理とかあるからね……そっか草食系の女の子が肉食動物に見つめられるのは確かに辛そう。事件はあったりした?」
リコ「幸い、ウチの会社では今のところは……同業他社でも喰われたって事件は聞きません」
ハルト「含みのある言い方だねー」
リコ「食われたことはないけれど、セクハラはありました。密室ですもんね。なので、女性社員は防犯ベル持たされて、いざという時は塩素洗剤を目にかけてやれって言われてます」
ハルト「ベルはともかく、目に洗剤は訴訟案件じゃ!?」
リコ「それねー! でもま、流石に防犯ベルで怯むと思いますよ。そんな状況じゃ落ち着いてセクハラすることもできやしないですし、大きな音に戸惑っている間に逃げろっていうのが本当の教えです」
ハルト「嘘かよ?」
リコ「気持ちの上では本当にやってやりたいですけれどね!」
 高校時代、男性と話す機会はもちろんあったが、やはり女性同士で話すことが多かった。男性というのは別の生物なので、同じクラスでよく知っている人でさえ、男性とは話が弾まないことも多かったことが記憶に残っている。しかし、このハルトという男性、異性で種族も違うというのに、自然とするする距離を詰めてくる。
 この話術に加え、顔もいいのだから、ホストでもやればさぞや儲かったことだろうと思う。ただ担当する女性を破滅させるまでむしり取ることが出来る性格かどうかで言えば、きっとそういうことができなそうな性格の良さを感じるので、良くも悪くも中堅くらいに落ち着きそうな、そんな雰囲気だった。
 しばらく話していると、開店直後の喧騒も次第に落ち着きを見せて、少しずつ店員さんにも暇な時間が出来るようになった。すると面白いことに、バイトのリュウキさんはいろんなテーブルを回っては、一緒に会話に入っている。
 何を話しているのかはうまく聞き取れないのだけれど、その顔を見れば楽しんでいることだけはわかる。黙っていればキリリとした表情が非常にイケメンなのだけれど、こうして話しているところを見る、どうにも気さくな印象を受ける。
リュウキ「こんばんは、ハルトさんに、えーと、リコさんでしたっけ? 今日のごひいきにしてくださってありがとうございます。リコさん、当店は初めてですか?」
リコ「いえ、今日は2回目です。1回目の時は、扉の前で様子を伺っていたら、マリサさんに引きずり込まれて……で、今日は後ろ姿を見てマリサさんだと思ったらハルトさんで。いや、2秒で間違いに気づきましたけど? でも本当に一瞬だと見間違います」
リュウキ「わかるわ。私も最初、ハルトさん女装似合うじゃんって思いましたもん。あ、私はハルトさんと先に出会ったんですけれどね、最初惚れるかと思いましたわ」
ハルト「ちなみに、姉ちゃんと服を交換したことならあるぜ? 俺の体格じゃフリーサイズのワンピースしか着れなかったけれど、えーと、ほら」
 ハルトは言いながら写真をスライドしていき、マリサと2人で並んだ写真を見せる。
 この店で撮ったらしいその写真には、恥ずかしがることもなく、むしろ誇らしげに写真に映る2人の姿。逆に恥ずかしがってくれた方が絵になる気もするが、これはこれでいい絵面である。二人並んでいてもそっくりなのだけれど、目の下の茶色い模様はハルトの方が薄く、目の色も黄色いなどの違いがある。
リコ「いや、驚くほど違和感がないですね!?」
リュウキ「そうやろ? この写真見た時に、男に目覚めるところやったわ」
ハルト「すまねえな。俺は残念ながらそういう趣味はないんだ。いや、リュウキさんは冗談で言ってるんだろうけれど、まじめに俺に彼女になってほしいなんて言うやつもいてな。逆に女に目覚めた女性客もいたって話だ。姉ちゃんを彼氏にしたいってさ」
リコ「罪作りな家族ですねぇ……」
ハルト「自慢の姉ちゃんだよ」
 リコに褒められると、ハルトは笑ってマリサの分まで誇らしげだ。なるほど、家族仲は良好ということが十分に伝わった。
リュウキ「そうそう、自分はお笑い芸人としてメジャーデビューを夢見て、日々ドサ回りとバイトを頑張ってます! 昼は人力車、金曜日と土曜日の夜はバーで働いてますんで、見かけたらよろしくお願いします!」
リコ「へぇ、芸人……バイトはどうしてここや人力車を?」
リュウキ「それはアレですよ。芸人のお喋りスキルも、漫才のネタも、工場とかで一人で黙々と作業してたら身に付かんじゃないですか。それならこうして人と話していることで、スキルを磨いたりネタを考えたりしてるんですわ。
 あ、人力車でも観光客相手にめっちゃ喋りますんで、指名なんかももらってるんですよ。社長からは夢を叶えても仕事は辞めないでくれとまで言われちゃってます」
リコ「すごいですね……指名かぁ。私も家事代行のお仕事やってるんですが、2年半以上やってて指名なんてほとんどこないもんで……やっぱり、人当たりの良さとか重要なんでしょうね。リュウキさんくらいに喋ってくれる人なら観光も楽しそうです」
リュウキ「いやいや、リコさんもそれくらい喋れればいけるんと違います? 家事代行がどんな仕事か見たことはないですけれど、誰とでもそれくらい話せるようになればきっと指名も付きますって」
リコ「ここの人たち、みんなお喋り上手だから、私もそれをまねして、頑張ってみますかねぇ……」
ハルト「いいじゃん、頑張れよ」
リコ「はい! そうだ、リュウキさん。お話付き合っていただいたお礼に、お店にお金を落としませんとね。テキーラにレモンを添えて、ロックでお願いします」
ハルト「俺も頼むか……メロンソーダで。ラズベリーのドライフルーツのつまみも追加で」
 リコは励まされて気分を良くしたので、リュウキに注文を投げる。ハルトも同じタイミングで好きなものを頼むようだ。リュウキがお客様と積極的に話すと、こうやって何か頼みたい気分になってしまう。ちょっと話しただけでこうなるのだから、あのリュウキという男の手腕はなかなかなものだとリコは微笑み、彼の後ろ姿を見送った。
 リュウキがその注文を終えれば、また寸暇を惜しんで他の客との世間話に身を投じるのだから、凄まじい接客力を感じさせる。
 お酒を提供する腕に関しては、他のバーを知らないリコにはよくわからない。しかし、これだけ喋られるのならば、お笑い芸人でも大成するんじゃないかと、そう確信させるカリスマが彼にはあった。

 そうして凄まじい仕事ぶりだったリュウキだが、リコたちの注文を消化したあたりで暗雲が立ち込める。彼のポケットに突っ込まれたスマートフォンが声を上げると、リュウキは慌てた様子で着信に応答する。
 仕事中にスマホを扱うのはどうなんだと思わなくもないが、それはともかくとして、彼の表情が険しく変わるとともに、真っ直ぐにこちらに向かってきたい。
リュウキ「すみません、ハルトさん! いま、近くの劇場から連絡が来て、お笑い芸人の1人が電車のトラブルでこれないって……それで、自分がピンチヒッターに指名されたんですが、抜けてもいいですか?」
 垂れ耳が千切れんばかりの勢いで頭を下げるリュウキに、ハルトの答えは……
ハルト「いいよ、お酒は一杯しか飲んでないから仕事に支障はないし」
 というものであった。
リュウキ「ありがとうございます! それじゃ、あと30分仕事したら、代わります!」
 また勢いよくリュウキが頭を下げた。
リコ「こういうのってマスターにいうものじゃないんですか?」
ハルト「まぁ、それはそうなんだけれど。俺は……」
 その一連のやり取りを見ていたギャラリーから声が上がる。どうにも強面な虎人の中年男性だ。白いマスクで口を覆っていて、全体的な人相はわからない。
白虎の男「よ! この道22年のベテラン!」
 その言葉をきいて、リコがハルトの顔をぽかんと見る。
リコ「22年のベテランって、ハルトさんの事ですよね? 何歳……? いや、マリサさんよりも年下ですよね……?」
ハルト「23歳だ。姉ちゃんとは日付跨いで1日違いでさ、役所にもそう登録されてる」
リコ「え……? つまりそれってどういうこと?」
ハルト「俺、マスターの実の息子。親子なんだよ。マスターのフルネームなんだけれど、榎本 桜花えのもと おうかって言ってさ……忌々しいことに、俺は母親似でさ……生まれた時から、この店にいるんだ。この店の3階と4回は居住スペースなんだ」
 リコは次に、マスターとハルトの顔を往復する。
マスター「自慢の息子です」
 そこでリコと目が合ったマスターは小さく会釈をした。リコは口にこそ出さなかったが、こう思った。『似てねぇ』と。
リコ「ところで……そちらの白虎のおじさん、お名前は?」
 それはそれとして、リコは白虎の男が気になって話しかける。
白虎の男「あぁ、俺は米良 國重めら くにしげ。この店の近くの職場で薬を売るお仕事をしているヤクザ……イシだ」
 すると、クニシゲと名乗った男は、マスクをずらして自己紹介してくれた。鋭い牙がずらりと並んだ凶悪な口……この人もバリバリの肉食獣の匂いをしている。
リコ「え、スジモン!? なんで出禁じゃないの!?」
 最後の二文字がよく聞こえていなかったリコは、ドン引きした様子でハルトを見る。
ハルト「その人、薬剤師だよ」
リコ「薬剤師かい!」
ハルト「そういう持ちネタなんだ」
 呆れたようにハルトは言う。
クニシゲ「はっはっは。いい反応だな、姉ちゃん。俺は金曜日には大体来てるからさ、よろしくな。で、お嬢ちゃんの名前は?」
 クニシゲは豪快に笑っているが、ハルトは冷ややかな反応だ。このネタは散々擦られているのだろう、聞き飽きたといったご様子だ。一見、反社会的勢力のようにも見える強面に加えて、薬剤師なので薬を売るお仕事というのもあながち間違っていないので、よっぽど使い回されているネタなのは容易に想像出来た。
 彼はすでにマスクを着用しなおしている。薬剤師、病人に接することも多い職業、そのうえ冬ということもあって防疫に関しては徹底しているのだろう。
リコ「本宮 理子です。よろしくお願いします……家事代行のお仕事やってます。これ、名刺です」
クニシゲ「おう、ありがとよ! ん……おい、この名刺、『春日 古々(かすが ここ)』ってなっているが……?」
リコ「源氏名です。男性の家にもお邪魔することがある関係上、偽名を使っておけって、上司に……もちろん、物を壊したとか、窃盗したとかそういうことになれば本名は教えられますが、そういった賠償などに至るような問題がないことには、基本的に本名は……」
クニシゲ「なるほど、そういうことか。そんなことよりも済まねえな、俺は名刺なんて持ってなくて……まぁ、なんだ。甘草寺病院近くのカイ薬局ってところで働いてる。薬が欲しいときはよろしくな」
リコ「病院前の薬局で働くって、すごいですね。エリートじゃないですか」
クニシゲ「まあな、その分仕事も忙しいし、責任重大だがな」
リコ「おー、忙しい……いいじゃないですか。もし、家事代行がご入用でしたら、そこのQRコードからメッセージを送ってください。QRコードからアクセスすれば、初回一回だけですが指名料の割引券にもなりますので」
 家事代行は、主に中の上から上の下程度の富裕層がターゲットだ。薬剤師という、そこそこ高収入かつ忙しい、そんな仕事の人間にはうってつけのサービスであり、そんな彼に対してリコはちゃっかりと営業活動する。こんなところで名刺をもらったのは初めてなのか、クニシゲはまじまじと名刺を見つめてから、それを財布に突っ込んだ。名刺入れなどは持っていないのだろう。
クニシゲ「おう、機会があればな」
リコ「お願いします」
 クニシゲに良い返事をもらうと、リコは彼に頭を下げて微笑み、今度はハルトの方を見た。
リコ「ところでさ、いくらハルトさんがマスターの息子でも、この道22年ってのはちょっと違うんじゃ?」
 リコが疑問を投げかけると、クニシゲは待ってました度ばかりに目を輝かせ、バーボンのロックを手に椅子を持って移動してくる。話したくて仕方がないらしい。

クニシゲ「話せば長いことになるんだがな」
リコ「ハルトさんじゃなくってクニシゲさんが話すんですか?」
クニシゲ「おうよ。この話はこいつらが物心つく前の話だからな。ある日な、俺が勤める調剤薬局に、涙目になりながら乳幼児用の商品を買いに来た男がいたんだ」
ハルト「俺の親父な」
 何を思ってか、ハルトもクニシゲの話に付き合うことに決めたようだ。もうこの流れは変えられそうにないので、リコは素直に聞く体制になる。
クニシゲ「その男、マスターは妻が男と浮気して逃げたとかで、双子の子供を抱えて、『何をどうすればいいかわからない』といって、とにかく粉ミルクとかオムツとか、必要なものを買いたいんだがどうにかしてくれって。
 女性の店員もいたのによ、無我夢中で男の俺に話しかけるあたり、本当に切迫詰まっていたんだろうな。マスターは妻に子育てを丸投げしていたのは悪かったって後悔しててさ。逃げた奥さんに怒る気持ちなんてそっちのけで、何度も何度も頭を下げながら薬局で色々聞いてきてよ。
 俺なんかよりも市役所とかで相談した方がいいってアドバイスをしたり、心配になったんで、連絡先を渡して嫁と一緒に何度も家に足を運んだもんさ」
ハルト「親父はさ、雇われ店長でさ。店の経営を任されてから母親と結婚したんだけれど、あいつは俺たちのことを置いて『まだ女として生きたい』って、出て行ったんだ。しかも、店の金を持ち逃げして、そのうえ勝手に親父を保証人にして借金までしてやがってな……ちなみに借金と慰謝料と養育費は回収したそうだよ。その、本物に」
 ハルトは、クニシゲを見ながらそう言った。ヤクザイシの本物、ということはそういうことなのだろうか。そして、『忌々しいことに母親似』と発言する理由もわかる。子供と夫を裏切った母親に顔が似るのは嫌というのも、当たり前だろう。
リコ「なかなか波瀾万丈な人生を送っているようで……」
 マスターをよく知る二人の過去話に、リコは素直な感想を漏らして苦笑する。何度もちらちらとマスターの方を見るが、そんなに苦労している人だとは想像もつかない。

クニシゲ「それから先は大変だったさ。店の営業は夜だから、保育園に預けることもできず、お店での営業中にぐずる子供を何度もあやしてた。当然、店の雰囲気はめちゃくちゃさ。昔は全席喫煙が当たり前だったのに、一階は全面禁煙になっちまったし……事情が事情だから仕方ないって、常連さんも最初こそ大目に見ていたけれど、そのうち来なくなってしまったやつも多くてな……今も通い続けてる常連の中には、見知った顔の奴が急激に少なくなったって嘆くやつもいたよ」
リコ「それじゃ、営業できないんじゃないですか?」
クニシゲ「それがな、新しい常連が出来たんだ。まぁ、俺の事なんだが……赤ん坊の顔が見たい、っていう需要に応える形になったんだ。俺の子供さ、三人いるんだが、全員男でさ。女の子を育ててみたかったって理由で、マリサちゃんの顔を見るために月に二回くらいは通ったもんだ。今もな、通ってる」
リコ「おぉ、それは何とも言えない……わかるようなわからないような理由ですね」
 下手すればロリコンなどとののしられかねない理由を、あけすけに話すクニシゲにリコは苦笑する。
クニシゲ「はは、だよな。別に自分の子供が男だからってハズレってわけじゃないが、それでもやっぱりこう……女の子の子育てもしてみたかった……って思いはあったんだ。ともかく、大変なのはマスターだ。バーを運営しながら子育てなんて誰もが不可能だと思うだろ? でもそんなことなくて、むしろ子供がぐずりだしたら、お客さんがあやすのが争奪戦になったりしてさ。
 お客様があやしてもどうしようもないときはマスターがあやしてたが、そういう時は客もセルフでおつまみを取っていったりしてさ」
ハルト「お客様が『勝手に』、とも言うな。けれど、万引きする人はいなかったし、実際親父の手間が減っていたけれどな」
 上機嫌で話すクニシゲに、ハルトはクスりと笑いながら補足する。
クニシゲ「写真だって何枚も取られてた。あんときは、子供を育て終えて、孫に会うのが待ちきれない年配のお客様が、孫の代わりに顔を見たいっていう人が随分多かったよ。ハルト君とマリサちゃんはみんなの孫だったんだ」
ハルト「そうそう。小学校に上がる前後くらいが一番写真撮られてた」
 そう言いながら、ハルトはクニシゲを見る。
ハルト「そうそう、クニシゲさんだがな。女の子を育ててみたかったって言ってるけれど、クニシゲさんがマリサの写真を撮るときは、いつも俺も一緒だったよ」
 思い出を語るハルトの表情の優しいこと。クニシゲ一人だったら、どこまでホラが入っているかわかったものではないが、少なくともハルトもまた愛されていたことは十分に伝わるものだった。
 まだ出会って間もないクニシゲという男だが、リコはすでにクニシゲのことを好きになっている。恋愛的な意味ではないが、信用できる大人だ、というのは強く感じた。
リコ「ふーむ……しかし、なんというか、マリサさんもハルトさんも二人ともマスターと全然雰囲気が違うよね……そりゃ、客とマスターって立場だしある程度は仕方がないのかもしれないけれど……」
ハルト「いや、それはあれ。プライベートでも全然雰囲気が違うし、似てないって言われるし。あ、DNAはちゃんと鑑定してあるから心配しないでね。っていうか、言葉を覚えたのも、無口なおやじよりも、むしろ客から教えてもらったよ。俺と親父の雰囲気が違うのって、多分それが原因。『パパ』よりも先に、おじさんおばさんって言葉を覚えたんだとよ、俺。姉ちゃんもね」
リコ「なるほど、それで……」
 店にはたくさんのお客さん。そして、その中には話し好きも多い。こんな環境で話好きの大人に囲まれていれば、そりゃ社交的な大人に育つのも納得だ。
クニシゲ「子供を育てるのも大変だからって、売り上げも伸ばしてやったんだ。お客さんみんなでさ、いつもより一杯、ソフトドリンクを多めに頼んだりしてな。水分をたくさん取ればアルコールも薄まるし、それに……子供に見せられる姿でいるために泥酔する客も随分と少なくなったって話だ。
 飲みすぎて酔いつぶれる客への風当たりが強くなったからな。正直、酒飲む店に子供を置くなんてのはどうかと思ったけれど……結果的にはいいことづくめさ」
リコ「子供のパワーってすごいんですね」
クニシゲ「おぉ、すごかったよ。成長したらさ、ハルト君もマリサちゃんも、自慢話やら幼稚園であったことの報告やらしてくれるようになったし……そのうち、俺たちとボードゲームで遊んでもらうようにせがむようになってさ。マスターは『客に迷惑をかけるな』って言っていたけれど、むしろぉ、それを目当てにする客まで出てきちゃって」
 クニシゲはそこまで話すと、ハルトに視線をやる。
ハルト「争奪戦だったよね。菓子パンヒーローをモチーフにした、子供向けのボードゲームごときに、大の大人が遊びたがるんだ。俺とマリサって、そんなにかわいかったか?」
 今思えば、幼い自分に付き合ってくれた大人たちは、体だけじゃなく精神的にも大人だったんだなと、ハルトは笑みを浮かべる。
ハルト「それで、俺と姉ちゃんは接客歴22年の大ベテランってわけ……ま、そのおかげで店の雰囲気はすっかり変わっちゃったんだけれどな。昔は静かな店だったんだって」
クニシゲ「俺は静かだったころの店を知らないから何とも言えないけれど、そこだけはちょっと罪悪感があるんだ」
 クニシゲは苦笑しながらリコに懺悔する。確かに、古参の常連客としては、今の雰囲気をよく思わない者もいるだろう。
マスター「いいえ、適者生存と言いますし、スキマ産業という考え方もあります……こんなお店が沢山あったらどうかと思いますが、一つや二つあってもいいんですよ。むしろ、本当にお世話になりましたね。クニシゲさんにも、子供にも助けてもらってばっかりです」
 仕事をしながらも、今までの話をきちんと聞いていたのだろう、マスターがポツリと漏らす。静かで雰囲気の良いお店ならいくらでもあるのだから、こんな店があるのも悪くないといえば、そうなのかもしれない。
クニシゲ「おうよ! これからはこっちがお世話になるから覚悟しろよ!」
 クニシゲさんとマスターのやり取りを見て、ハルトやマリサがマスターに似てないと思った理由をリコは理解する。もちろん、見た目がハルトの言う通りに母親似というのもあるだろう。だが、性格の方はむしろ、クニシゲさんをはじめとする沢山のお客様から学んだであろうことを察せられる。
 思えばマリサもハルトも、いつも笑顔で楽しそうで。クニシゲさんもここまでずっと笑顔だった。クールで寡黙に仕事をこなすマスターもそれはそれで悪くないけれど、リュウキさんやクニシゲさんがそうであるように、笑顔には人を引き付ける魅力がある。マリサとハルトはそれを間近で見て学んだのだろう。
リュウキ「すんません、そろそろ行かなきゃならないんで、あとはお願いします、ハルトさん!」
ハルト「おう、ばっちり決めて来いよ」
 クニシゲと話しているうちに、リュウキが劇場に向かう時間が来てしまったらしい。リュウキはエプロンを脱ぐとそれをハルトに預け、マスターとハルトに深く頭を下げて、夜の甘草へと駆けていく。店のつまみで食べたものを反芻するついでに、外に少しだけ出て様子をうかがってみると、人力車を引いているというのも納得できるようなきれいなフォームでの走りっぷりであった。
 そこに、入れ替わるようにマリサが来る。
マリサ「あれー、もしかして私を出迎えてくれた?」
 リコは反芻しているところを見られないよう、手で口もとを隠す。
リコ「リュウキさんを見送ってたんですー!」
マリサ「だよねー。っていうか、リュウキさんの名前、知ってるってことは話したんだね? 何を話したの?」
リコ「店の中で教えるよ」
マリサ「オッケー。今日も飲もっかー」
 そういえば、マリサもハルトも、自分の家だというのに律儀にチャージ料も酒代も払っているのだなと思っていたら、リコはスキンシップ魔の熱烈なハグを食らっていた。酔ってなくてもハグされるんじゃないかと、リコは今日もドキドキする。
 酒の匂いと肉の匂いが混じった彼女の吐息。毛皮からにじみ出る肉食の匂い。服と毛皮越しにかすかに感じられる爪の感触。白く磨かれた健康的な牙と、綺麗な桃色の舌。
(あぁ、癖になりそう……)
 怖いのに心地いい。そんな感覚が、またリコを狂わせていく……。


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