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4話:素敵な夫婦
しおりを挟むマイを家まで送り届けたリコは、すっかり冷えた体で店に戻る。
マリサ「遅かったじゃん。マイちゃんの家でトイレでも催したの?」
リコ「そんなんじゃないよ。ただ、その……ちょっとお話して、少しだけ甘えられた」
マリサ「本当だ、匂いが染みついてる」
リコ「それにしても、なんで私が選ばれたのかな……まだ今日出会ったばっかりなのに」
マリサ「あの子、毎回別の人を指名してるよ。米良さんも、私も、ハルトも、ハシルさんもね……他にも色々いるけれど。かまってくれた人、興味持ってくれた人は一度家に招くようにしてるみたいなの」
リコ「それって、彼女の処世術っていうか、生存戦略、なのかな?」
マリサ「穿った見方するねー、リコ。でも、無意識か意識してるのか知らないけれど、確かに……頼れる大人の知り合いをたくさん作ろうとしてるって感じはする。一人一人が助けるのは限界があるけれど、十人もいればなんやかんや助けてくれる、みたいな? 昔は、母親が勤めてるスナックの同僚たちが助けてくれたけれど……あんまりにも母親が同僚を頼るもんで嫌気がさしたとかで……今は頼んでも預かるのを断られるんだってさ。
マイちゃんさ昔はしつけも出来てなくて、マジで野生児だったんだよ? お酒も勝手に飲みそうになったときは、米良さんが大声で怒鳴りつけて、手の甲に思いっきりビンタしてた、頬っぺたじゃないところ、クニシゲさんらしいっていうかなんというか……」
リコ「え、そうなの? そんなことがあったんだ……すごく礼儀正しい子だなって思ったけれど」
マリサ「米良さんと、今はいないけれど警察の人が厳しく躾してくれたの。それで、ウチの掃除と、あとは休日に私たちの洗濯もお願いしてるの。ついでに自分の服も洗濯してるんだよ」
リコ「やっぱり。マイちゃんからマリサと同じ洗剤の匂いがすると思った!」
マリサ「そうなのよ。洗濯のお手伝いをしてもらうってアイデアは、ハシルさんが考えてくれたの。働くことで、自己肯定感を得られたり、罪悪感が消えたりする。逆に何も役割がないと、自分がここにいてもいいのかな? ってなっちゃうか、もしくは何もしないでも大丈夫って増長してしまうからってさ。求められているってさ、いいものよ」
リコ「何も役割がないと病むって、それは追い出し部屋の理論……」
マリサ「そうね。いなくなった方がいいと思われている場所にい続けるのって、相当神経が図太くないとだめだから。それに、掃除や洗濯を覚えておいて損はないからね……将来、使うかもしれないんだから」
リコ「他人の子供なのに、大変だね」
マリサ「でも、苦労が実るならやりがいはあるよ」
リコの言葉に、マリサは笑顔で首を振る。
マリサ「そもそもさ、私は米良夫妻。特にクニシゲさんに何度も助けられた身だもの。女の子一人くらいなんてことないよ。ハルトも協力してくれてる」
リコ「またクニシゲさん? 本当に感謝されてるんだね……そういえば、さっきから何回も名前が出てくるクニシゲさんだけれど、今日は来てないんだ? 金曜日は大体来てるって言ってたけれど」
あの人はまだ一回しか会ったことがないのに、何だかものすごく印象に残っている。マリサから何度も名前を聞いたし、ハルトも感謝していたりで、そのせいなのだろうか。
マリサ「まー、週一くらいで来るけれど、確かに今週はみかけてないね。でも、この時期はよく来なくなるんだよね。インフルエンザ、流行ってきたからね。結構忙しいんじゃない? 夫婦そろって薬剤師だもん、この時期は大変なんでしょ」
リコ「そっかぁ……ってか、高学歴な夫婦だねぇ」
あのマイという少女に、米良さんがどんな風に接しているのか、リコは見てみたかったのだが、今日はタイミングが合わなかったようだ。仕方がないことではあるが、顔を見たかったなぁというこの感覚、何だか学生時代に、すれ違いで仲のいい同級生と会えなかった時の感覚を思い出す。当時は女子生徒にしか該当する感覚を抱かなかったのに、今は異性の、しかも年齢が親子ほどに離れた相手に同じ感情を抱くのだから、不思議なものである。
漫画やドラマで見た「常連」という概念。家に近かったり、通勤通学の途中にあるわけでもなく、とくに美味しいものを出すわけでもないお店で、どうしてそんなお店の常連になるかというのも理解できるとは思わなかった。まだ20年しか生きていないとはいえ、こういうことがあるから人生というのは面白い。
マリサ「リコちゃんは病気になって、米良さんにお世話にならないように一緒に温めあおうねー。クニシゲさん曰く、体温上げときゃ病気は大体何とかなるそうだから」
リコ「私はそれやられると血が冷えるんですけれどー?」
ついでに、昔は同族同士、そして異性の恋しか夢見なかったのに、異種族で、同性同士の良さを理解したのも、数か月前の自分に聞かせたら驚くだろうな、とリコは思った。抱きしめられながら呆れる自分と、幸せになる自分と、人が見てなければ自分も抱き返したい自分が、いた。
リコ「マリサ、結構酔ってる?」
マリサ「うん、酔ってるよー。気持ちよく酔ってる」
マリサはそんなことを言いながらリコに頬ずりする。ほのかに香る酒の香りに加え、パックリと割れた口から漂う肉食獣の危険な香り。あぁ、もう本当に癖になってる。
リコ「酔ってるのはいいけれど、あんまり目立たせないでね」
この感覚を悪くないと思うだけじゃなく、今となってはもうこの恐怖こそ日常に必要だと思えてしまう自分がいた。
その日は、結局米良さんは来なかった。マリサの言う通り忙しいのだろう。そういえば、彼は近くにあるカイ薬局とかいう店で働いていると言っていたことを思い出す。そろそろ乾燥対策のスキンケア用品やシャンプー、そしてマスクに、掃除用のウェットシートなど、色々なものがなくなりそうだし、とリコは翌日その薬局を訪ねてみることにした。
家事代行の仕事は年中無休だ。平日よりも土日の方が時給がわずかに高くなるので、リコは土日に積極的にシフトを入れる。だから友達が少ないんだ、といわれるとぐうの音も出ないが、その日も土曜出勤を終えて、すっかり暗くなった街を歩いて薬局へと赴いた。
リコ「うわ、いた」
レジの中、白衣を着た米良さんが、処方箋を渡しているところに遭遇する。どうやら親子連れに薬の説明の途中らしく、親に対して一つ一つの薬の説明を丁寧にしている。症状がつらいからと言って、大量に飲んだりしないようにと口酸っぱくして言っている。マリサの言う通り、忙しいということは店内を見ればわかる。店の隅の方で、ベンチに座って順番待ちをしている人の数を見れば、こんな状況じゃ話しかけるのもはばかられる。
それにしても、なぜ『うわ』と出たのかわからないが、強面なせいで白衣が似合わないからかもしれない。
クニシゲ「お前、えっと……リコ、本宮リコだったな? そうか、お前なら……」
さっさとお目当てのものを買って帰ろうと思ったところ、クニシゲはこちらに気付いて話しかけてきた。
リコ「あ、どうも。ここで働いているって聞いて、ちょっと来てみたんです……でも、お忙しいようですし……お邪魔にならないように買い物だけして帰ります」
リコ「いや、待ってくれ。お前に仕事を頼みたい」
クニシゲ「はい?」
リコ「すまない! 5分だけ俺にくれ」
クニシゲは従業員と客か、それともリコかに向けてそういった。
客「おい、俺は待ってるんだよ! 客を待たせんじゃねえぞ!?」
順番待ちの最中の客が抗議の声を上げるが、クニシゲは一度深呼吸をすると、大声を張り上げる。
クニシゲ「うるせぇ! 俺の嫁が病気で倒れてるんだよ! お前の5分は俺の嫁の命よりも大事だってのか!? ああん?」
客「……すみません」
クニシゲが凄むと、声を上げた客は委縮してしまう。さすがヤクザ……イシである。
リコ「で、いったいどうしたんですか? って、今のセリフが全部か」
クニシゲ「そうだ。俺の嫁がインフルエンザに罹った。で、俺は今忙しくて、万が一にも伝染されるわけにはいかない。一応、俺も予防接種は打ったが、嫁が感染していることからもわかるように、確実じゃない。今俺は、息子の家にお世話になっている状況だ。嫁は一人、家にいる。……一応、定期的に連絡はしているが、嫁が言うには家が荒れ気味だ。だから、家事代行のお前に何とかしてほしいってところだな……嫁のことが心配で心配でたまらないんだ」
リコ「……大変わかりやすい説明で、ありがたいです」
要点をまとめた素晴らしい説明だ。もっと言いたいことの一つや二つあるだろうが、余計なノイズを一切入れずに状況を伝えてくれるあたり、本当に5分で終わらせるつもりなのだろう。
クニシゲ「いま、お前の名刺の画像を嫁に送って、お前に家事代行を依頼したい。いいか? 家はここからもバーからも徒歩圏内だ」
リコ「今日の勤務は終わっていますが、緊急なら……残業で対応します」
クニシゲ「恩に着る! 待ってろ……」
クニシゲはそう言って、財布に入れっぱなしだったリコの名刺の画像を嫁に送りつつ、リコに言う。
クニシゲ「お前も、気をつけろよ。インフルエンザは、現代でも死ぬ病気だ……死亡率は低いけれど、それでも立派に死ぬ病気だ。マスク着用、出来ればゴーグルも。そして、仕事を終えて家を出る前に手洗い必須。……いや、いっそ顔を洗え! そして、家を出たらうがいをしてから水を飲め。胃袋ならインフルエンザウイルスは生きていけないし、のどの粘膜を潤すことは予防につながる。
寝るときは温かく、湿度も高く、口を開けて寝ないように注意しろ、いいな? いっそ口にテープをつけろ!」
リコ「……スキンケアのために、家に帰れば加湿器は、ちゃんとありますが、それで十分ですかね?」
クニシゲ「あぁ、それでいい! じゃあ頼む! あと、メッセージアプリのアカウント、交換しておこう」
リコ「あ、はい。どうぞ」
クニシゲに言われ、リコは兄も考えずにスマートフォンを差し出し、アカウントを交換する。写真のアイコンにはクニシゲの顔。背景にはクニシゲさんらしき男性と、顔を隠された女性及び、三人の子供が並んでいる写真が使用されている。まだ子供が小さいので、随分前の写真だろう。
あのバーで出会った人の中で、二番目にアカウントを交換したのが、親子ほどに年の離れた中年男性とは思いもよらなかった。だけれど、職場では絶対に出会わない相手渡航して友達になれたことは素直にうれしかった。これからもBARに通いたい理由が出来たというものだ。
クニシゲ「皆様、お待ちいただきありがとうございました」
最後にクニシゲはリコと、そのほかの客と従業員に向けて頭を下げる。待たされた客も、話の内容が内容であることと、90度の深いお辞儀だったこともあって、文句は封じられてしまった。
巻き込まれてしまったリコは、苦笑しながら他のお客様に会釈しつつ、一度店の外に出て、会社に連絡を入れる。
リコ「あ、社長ですか? すみません、今から私宛に指名付きの依頼が来ると思いますが、受け付けてください」
社長『あら、どうしたの? お知り合い?』
リコ「……そうです。奥さんが病気だそうで、感染症対策を十分にして行ってきます」
社長『なるほど。そういうことなら、気を付けていってらっしゃい。寒いから、きちんと体を温めなさいね』
リコ「お気遣いありがとうございます」
そうして、買い物を終え、荷物を家に置きに帰る途中に会社から仕事の連絡が来る。名刺割引を適用された、リコ指名での仕事。近所の家に物資の買い出しを行い、掃除と洗濯と作り置きをしてほしいという依頼であった。依頼人名は米良 愛理(めら あいり)となっている。
リコはまず、自分の買い物の荷物を自宅に置くと、依頼された品物の買い出しへと向かう。日用品で切れているものはないそうで、足りないのは食料だ。数日前に薬をもらいに病院と薬局に行ったときに買い物はしたそうなのだが、フラフラのために荷物を多く買い込むことも出来ずに、薬局で買えるものだけで済ませていたらしい。
リコ「……買い置き、とはいえ。病人に食べさせる以上は、消化が良く体力がつきやすいものがいいわけで……」
例えばお粥とかうどんといったものが最適だ。ビタミンだとかたんぱく質だとか、そういったものは普段よりも控えめで、とにかく熱を生み出し、消化にエネルギーをつかないことを最優先するべきだ。
そうなると、最もいいのはシリアル系の食品だ。ネコ科用のドライフード。アレルギーはないそうなので、牛乳でふやかして食べられるもの。その中でも、幼児やお年寄り用の粒が小さめ、やわらかめのもの。病気の時はもちろんだが、災害時にも備蓄として役立つので、それを大量に買い込むのが一番だ。
リコがそうアドバイスを打ち込むと、アイリからは『そうね、備蓄のためにも、それでお願い』と返ってきた。しかし、よくよく考えれば、アイリさんも薬剤師である以上、こんなアドバイスなんて素人が意見をしたようなものだろうか、反省する。気を悪くしていないようなのが救いだ。
とにもかくにも智子は気を取り直し、物資を買い込み、リュックサックに突っ込んで米良さんの家へと向かう。
マスクはきっちり着用、刺激の強い洗剤などを扱うとき用のゴーグルも着用し、クニシゲさんに厳重注意された感染症対策を行い、家へと入る。なるべく顔を合わせないようにと、リコが到着する五分ほど前に家のカギは開けてもらった。夫婦そろって感染症への対策が厳重だ。
リコはまず最初に、買ってきたシリアルを牛乳につけて、ふやかすことから始める。美味しく食べるには多少の歯ごたえがあったほうがいいが、今は味を優先している場合ではないだろう。ほこりなどが入らないようラップをかけたら、ふやけるまでしばらく寝かせる。
次は、洗濯ものだ。と、いってもすでに洗い終わり、洗濯機内部で乾燥まで済んでいるため、やることは畳むことと、アイロンをかけることだ。毎日アイロンをかけるだなんて丁寧な生活をしているものだ。そんなのまったく気にしていないお客様なんて毎日見てきたので、米良家の生活レベルの高さががうかがい知れる。
皿洗い、床掃除、テーブルに放置されていたごみを処理し、飲み残しのカップラーメンやアイスクリームの器を洗ってごみ袋にまとめていく。
水回りの掃除を行い、あらかたの掃除が終わったところで、リコはついにアイリの部屋へと入っていく。あまり換気をされていない部屋の匂い……一応、下着は毎日変えているようだが、寝間着を変える気力はないらしいのと、風呂も一日おきになっているせいか、少し匂いがこもっている。
湿度は高かった。大容量の加湿器の横に、1.5リットルのペットボトルが大量にある。寝室は二人用のベッドがあるだけで、あとは大きなタンスと着替えるスペースがあるくらいなので狭く、加湿器は過剰なくらい炊かれているようだ。窓には大量の結露が見えるので、気を付けないといつかカビが発生しそうだ。あとでアルコールで拭き掃除をしておこう。
リコ「どうも、BAR、ターミナルで知り合った家事代行、楽ラクーンの春日古々……は、源氏名で、本名は本宮リコと申します。本日は感染症に注意しつつ仕事をさせて頂きます。お見苦しいところもあるかと思いますが何卒ご理解お願いします……」
アイリ「あぁ、いいのよ、お構いなく……貴方にも他の仕事があるんでしょ? あんまり会話もしないほうがいい」
アイリさんは、クニシゲと同じ虎人の女性だが、色は黄色と黒のタイプである。マリサよりも年上の子供が三人いるそうだが、とてもそうとは思えないくらいに若々しい。クニシゲも、マスターよりも若く見えるくらいだったが、この夫婦……よほど健康的な生活をしているのだろう。
リコ「恐れ入ります……では、仕事を始めます」
あまりしゃべるのも良くないらしい。息苦しい限りではあるが、状況が状況だ、無言でやるしかない。加湿器につぎ足すための水を、空のペットボトルに継ぎ足し、先ほど着替えたらしい脱ぎっぱなしの服を片づける。
そうして、先ほど中身を片づけたばかりの洗濯機に、籠の中にたまっている洗濯物と、脱ぎ散らかされた服を放り込み、洗浄を開始する。そうこうしているうちにふやけたシリアルを電子レンジで温め、人肌程度の温度にしたものを差し出す。
アイリさんが上半身だけ起こしてゆっくりとそれをすする姿は憔悴しきっていた。老体でインフルエンザに罹ることがどれほど辛いことか。時折咳き込む姿は見ていられないが、かといって本当に見ていなかったら、次の瞬間には倒れていそうで心配でならない。クニシゲさんが心配するのも無理はない。
アイリ「ありがとうねぇ……もう仕事は終わっていたんでしょ?」
リコ「どういたしまして。これが仕事ですし、残業代も出ますから。それに、クニシゲさんは……個人的に好きなんですよ」
アイリにお礼を言われ、リコははにかみながらそう言った。
アイリ「あら、浮気の前振りかしら?」
リコ「いやですよぉ、もちろん性的な意味じゃないですよ? 友達の恩人、ってやつでして……。知ってますよね? マリサっていう女性の事」
アイリ「よく聞かせてもらってる。赤ちゃんの頃から知ってる子ね」
リコ「なら、そのエピソードをちょっと聞いただけで、クニシゲさんを好きになる理由に説明はいりませんね。今は、マイっていう猫人の女の子も気にかけているとかで……あぁ、なんか色々話したいことがあるけれど、今は話せませんね」
実際のところどんなものだったかはわからないが、素敵な友達、マリサにとってクニシゲは恩人だ。その奥さんがどんな人なんだろう、という興味はあったが、なんというか、少し話しただけだが、相思相愛だというのは十分に伝わる。クニシゲさんもこの人も年齢の割に若々しい理由は、こんなラブラブな夫婦だからというのも一つの理由なのだろう。
アイリ「あの人、よくいろんな人に好かれるのよ。バーでも、沢山友達ができたし、子供よりも年の差がある子とも友達になったって。貴方もそうなんでしょ? 変わらないわねぇ……学生の時、男女どちらもあの人に惹かれててね。みんなあの人を好きだったけれど、私が一番あの人を好きになったのよ」
リコ「……そうですね、同年代で同種だったら、結婚を狙っていたかもしれません。あー、でも薬剤師の学校? に進学するだけの頭はないからなぁ」
そして、アイリさんのこの惚気具合。アタックされれば男が惚れるのも無理はないのかもしれない、とリコは思う。これだけ素直に愛情表現をしてくれる女性はそんなにいないだろう。
そう考えたところで、マリサはやってくれそう。素直に愛情表現をしてくれるだろうな、とリコは思う。マリサは性格に関してはクニシゲさんに多くの影響を受けていそうだ。クニシゲさんに惹かれているのは、そんなマリサのような態度を求めているのかもしれない。
リコ「アイリさんも薬剤師だってのは聞いていましたが、同じ学校だったんですね」
アイリ「えぇ、まぁ。卒業したらすぐに結婚して、しかも子供も3人で……社会に出たのも結局30過ぎてから」
リコ「えー、大変そう」
早いうちに結婚するのは、生物学的には正しいことだ。けれど、それは親も心配しただろうとリコは苦笑する。
アイリ「大変だったわよ。学んだことを忘れてないか心配で……一応勉強はしてたけれどね」
リコ「偉いな。私全然勉強してないです」
アイリ「いいものよ、勉強」
リコ「頭のつくりが違いますわ……勉強を楽しいって思えるだけの理解力が欲しかったです。今はどちらで働いているんですか?」
アイリ「職場はあえて分けてるけれど、病院のすぐ近くよ。予防接種もしたのに、結局お客さんからうつされちゃったみたいで……ゲホッ」
そこまで言うと、アイリは今までで一番長く咳き込み、目には涙が浮かんでいた。調子に乗って喋らせすぎたかもしれない。
リコ「すみません、無理に喋らせちゃって。仕事に集中します」
アイリは言葉では答えず、手をかざして『お構いなく』と伝えてくれた。彼女はゆっくりとふやけたシリアルを食べ終えると、皿をリコに預けて再び横になる。リコが掃除を終えたことを報告すると、手を振って見送ってくれた。
溜まってるごみ袋、それは本来はさすがに依頼人に処理を頼むところなのだが、ご近所ということで、指定されるごみ袋も同じなのでサービスだ。アイリさんに、他の人に同じサービスはできないから会社には黙っておくようにと念を押したうえで、自宅に持ち帰る。
冬じゃなかったら、虫が繁殖しかねないから、ごみを預かるだなんて絶対に嫌だが、この季節ならば大丈夫だろう。
リコ「……クニシゲさん。高スペックな人だと思ってたけれど……奥さんもそれにふさわしい相手だったなぁ。やっぱ、玉の輿とか、そういうのってないよね」
米良さん宅の洗面所を借りて顔と手を洗って、まだ乾ききっていない毛皮が夜風でさらに冷やされる。冷やされた頭は、現実には王子様が平民を迎えに来る事なんてありえないのだと無情なことを考える。そもそも、シンデレラもアレはアレで貴族だから舞踏会に呼ばれたわけで。
でも、高スペックとか玉の輿とか、そんなことは置いておいて、今でもラブラブですごくいい夫婦だった。薬剤師とか関係なく、お金は沢山じゃなくてもいいから、ああやって尊敬しあえる、素敵な夫婦になりたいと思うリコであった。
家に帰ってみると、リコにはさっそく評価がつけられていた。接客態度、掃除の技術など、サービスの得点は満点。値段も安くていいとのお墨付きだ。安いと言ってもらえるのはありがたい話ではあるが、2時間で7000円を安いと思えるのは、二人して稼いでいる高スペック夫婦だからだろう、リコは「私だったらよっぽどのことがないと頼めないよ……」と苦笑する。
クニシゲからもメッセージが届いており、インフルエンザだというのに来てくれたことへの感謝と、絶対に感染しないように今夜は特に気をつけろと、再三の注意が書き込まれている。彼の方は今、息子の家に泊めてもらっているそうで、まだまだ心配は尽きないけれど、休めない仕事だからと苦渋の決断を続行中だ。
リコは、仕事のことはともかくとして「少しだけだけれど、奥様と話ました。すごいですね、クニシゲさんは。誰に聞いても褒められることしかしていない。貴方のことを悪く言う人がいない。ちょっと奥様がうらやましいです」と送る。その次の返信は「だろ?」という簡素なもの。
1分経つと追加で「うらやむのはちょっとじゃなくていいんだぞ」と送られてきた。ごめんなさい、それはちょっとうざったいなとリコは苦笑する。さすがにその言葉は飲み込んだが、ちょっと引いているスタンプだけは送っておいた。
ともあれ、クニシゲさんは多くは語らないが、今まで努力して、そのおかげで成功を続けてきた人生からにじみ出る余裕と、その余裕の分だけ他人を愛せる素敵な男性であることがよくわかった。深くかかわるとちょっとうさったいくらいに自信満々なところもありそうだが、それを補って余りある魅力のある人だ。
リコ「はぁ……私はあんな人と結婚できるかなぁ」
まだ、リコは彼氏いない歴イコール年齢だ。そんな時に、リコはふとカナデの顔を思い出す。確かあの人は婚活をしていたが、自分も婚活を試してみるべきだろうか。まだ若いけれど、結婚なんてものは若い方にした方がいいと思うし……そういえば、うちの会社の社長は、家事代行業のほかに結婚相談所もやっていたはずだ。とりあえず、バーにいた婚活経験者に色々聞いてみよう。
なんなら、バーの人たちにいい男がいないか、聞いてみるのもいいかもしれない。米良夫妻のラブラブぶりを見て、羨ましくなったリコは結婚に対してより明確なビジョンを描くようになった。
後日、ターミナルに来店したときに、運よくカナデがいたため、リコは思い切って会話をしてみた。
カナデ「リコちゃんも婚活に興味あるの? すごいねー、若いのに。私は23歳から始めたけれど、リコちゃんくらいの年齢で始めれば良かったかなー。昔は25歳でも売れ残りって言われてたし」
リコ「あー、なんかそういうの聞いたことあります。じゃあ、やっぱり今から探しといたほうがいいのかな? いや、ですね。先日米良さん……ほら、あの白い虎人の薬剤師のクニシゲさんからお仕事を依頼されて、米良さん宅の家事代行をしに向かったんですよ。
そこで、夫婦そろって惚気話を聞かされて、羨ましくなっちゃって。それで、私も結婚にあこがれちゃいまして。私、両親もラブラブなんですけれど、他人のラブラブを見るまではなんかピンと来なくって……他人の家族でもラブラブっていいもんですねぇ。心が洗われます」
他人ののろけを見て、それをいいものだとリコはアピールするが、それを聞いているカナデの表情は少し曇っていた。
カナデ「あー、クニシゲさんか……他人のラブラブを見ていても、私はあんまり……かな」
カナデは苦笑してリコの態度を不審に思う。他人が幸せなところを見ていて何が面白いんだとでも言いたげで、この瞬間にリコは『あぁ、なんかこの人苦手だなぁ』と不信感が芽生え始めた。
カナデ「そういえば、先日ね。マリサちゃんと話しているときに、そのクニシゲさんも近くで話を聞いていたんだけれどさ……私が健康と美容に興味があるって、婚活用の名刺に書いている話をしてたらさ、クニシゲさんにめちゃくちゃ怒られて。
『お前が健康? 冗談はよせ』みたいな感じで? それで、今食事とか睡眠の改善の実践中なんだけれど……無茶苦茶調子がいいし、少しずつ肌荒れも治ってきたんだよね……もっと前に知りたかったよ。婚活の時間無駄にしてたかも」
リコ「は、はぁ」
痩せすぎで肌荒れや毛があれるなんて当然の事じゃないか、何をいまさらと思いながらもリコは口を挟まずに続ける。
カナデ「なーんかさ、今まで私に痩せすぎとかってアドバイスしてきた人もいるけれど、もっとこう、わかりやすくアドバイスしてほしかったよね……米良さんみたいな人、今までいなかったよ」
リコ「そ、そうだね。真剣に言わないとわからないことってあるよね」
『言ってるじゃん、アドバイスしてるじゃん』と突っ込んでやりたかったが、リコはそれらの否定的な言葉を飲み込んで相槌を打つ。何だろう、通っていた高校でも似たようなのがいた気がする。イケメンだが悪い噂が尽きない男子と付き合っている女性が、「その男はやめたほうがいい」とさんざん言われているのに、顔を腫らして学校に来た日の事。「なんでもっと止めてくれなかったの!」と、周りの女生徒にきつく当たっていたことを思い出す。
このカナデという女性、なんというか他責思考が過ぎるのと、自己評価が不当に高い感じがするし、他人の幸せを素直に祝えない気質もありそうだ。時間を経るごとに、リコは彼女を話しているうちに疲れるタイプだと理解して、これじゃ婚活の参考にはならないなぁと心の中では毒づきつつも、その場の調子を合わせて笑うことにした。
カナデ「リコさんも婚活に興味あるんだっけ?」
何だかものすごく話が横道にそれてしまったが、ようやく話題が戻ってきたのでリコは頷いた。
リコ「んまぁ、はい……」
カナデ「そっかー……でも、相談所って碌な男がいないから、別の方法とかも考えた方がいいのかもって最近思えてきたんだ。マッチングアプリとか、婚活パーティーにでも行くべきなのかなぁ……」
彼女が望んでいるのは年収1000万円以上の男だという。おそらくはかなりの当たり案件である薬剤師の米良さんですら年収600万程度が平均なことを考えると、そりゃ無理な話だろうと内心思いながら……
リコ「そうなんですか。でも、頑張ればきっと見つかりますよ、カナデさんが望むような男性も!」
そう、心にもないことを言うリコ。カナデの元からはまともな人ほど離れていくようになるのであるが、リコもまたあまり自分から近づかないようにしようと考えるのであった。
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