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5.5話:マリサとハルト
しおりを挟むある土曜日の夜、居間でドキュメンタリー番組を見ながらの団らん中に、マリサはハルトに寄りかかりながらささやく。現在マスターこと父親はお店の営業中である。
マリサ「ねぇ、ハルト。ハルトってさ、匂いで体調とかわかる?」
ハルト「いや、なんだよ藪から棒に……わかるよ。ダイエットしてる人の匂い、慢性的に疲れてる人の匂い、肉体労働で汗を流した匂い、油もの取り過ぎな奴の匂い、肝臓が悪い奴の匂い、腎臓が悪い奴の匂い……医者ほどじゃあないが、わかるよ」
マリサ「えぇ……?」
ある程度予想はしていたが、予想以上にわかるんだなとマリサは苦笑した。
マリサ「それって何かいいことはあるの?」
ハルト「正直、今はいいことないかな? 今は、頼まれた料理を作るだけ。お客様の顔も見ないから、余計なアレンジはしないし……ただ、昔町食堂でバイトしてた時はさ、肉体労働を終えてたっぷり塩分を失った人には多めの塩を。腎臓が悪い人にはその逆。みたいな感じの気遣いをしていたんだ……親方に言われるがままに。
今の高級料理店は楽しいけれど……町食堂での仕事は別の楽しさがあったね。お客様と顔を突き合わせて注文をもらってさ、メニューにないような飯でも、頼まれたものが作れそうなら作ったんだ。豚肉だけれど青椒肉絲を作ったことなんかもあったな」
マリサ「あー、高校時代にロック通りでバイトしてたね。その時の経験か」
ハルト「そう、その時の経験。糖尿病だから、糖分が控えめの飯を作ってくれって注文を受けて、注文に合わせた飯を作る……いい経験だった。そのうち、客の自己申告から、客の体調ごとの匂いがわかるようになってね。その経験から、匂いだけで体調不良がわかるようになったんだ。あのお店、水やらメニュー表を配るのやら、セルフでやらせればいいものをわざわざ店員がやっていたんだけれど、それは客の匂いを嗅ぐためにやってたんだってわかるまでに1年以上かかった。
そうそう、親父も多分やってるぞ? 肝臓が悪い人には、お酒の注文は数杯までしか受け付けないとかさ。匂いを嗅ぐのは客商売の基本だね」
マリサ「あー、私も客商売を経験してみればよかったかぁ……」
クニシゲさんの簡易的な健康診断、そのあまりに見事な診断ぶりにマリサは小さな憧れを抱いていた。その10分の1でも診断できれば、大切な友達の異常にも気づけるんじゃないかと思ったが、双子のハルトがそれだけわかるのだ、鍛えれば十分いけそうだ。正確なことはわからなくても、『病院で診断してこい』くらいは言えるだろう。
ハルト「……マリサの職業はデザイナーだしな。匂いとか関係のない職種だから、わからないってか?」
マリサ「うーん、そんなとこ。でも、クニシゲさんの話を聞いていると、実は何となくわかってるっぽいんだよね。体調がいい人はいいにおいがして、食欲を誘う匂いがするの。体調が悪い人はその逆、臭くってあんまり抱き着きたくない。リコちゃんとか、すごくいいにおい。最近はカナデさんも少しだけ匂いがよくなってきたねぇ」
ハルト「おいおい……鹿人も羊人も喰うなよ。しかし、いきなりそんな話をしたくなったのはどうい風の吹き回しだ?」
マリサ「いやね、以前なんだけれどさ、カナデさんの機嫌が悪い状態で絡まれたのよ。それでね……趣味の話になって……健康に気を使ってるとかって話になって……クニシゲさんが熱血指導して……」
マリサがクニシゲとカナデのやり取りを話すと、ハルトは大いに笑い出した。
ハルト「マジかよ!? クニシゲさん半端ねえな! いや、普通女性に向かってそこまで言えるかね」
マリサ「ほら、あの人、妻も子供もいるから……もう無敵の人なんだよ、ある意味で。女性にもてる必要が一切ない。妻さえいれば、女には困らないから」
ハルト「違いねえな。それにあの人、職場からの心配も半端ないから……セクハラされた方も、放っておけないくらい体調が悪いのを放置してるやつが悪いって結論になるだろうし」
マリサ「善意だからね、裁けないわ、あれは」
クニシゲの危うい発言で二人は大盛り上がり。一人仕切り笑いあった後、マリサはふと昔のことを思い出す。
マリサ「不健康といえばさ」
ハルト「うん、なんだ?」
マリサ「マイちゃん、最近はすごくいい匂いになったと思わない?」
ハルト「……まぁ、健康的な臭いではあるな。最近は給食も好き嫌いなく食べらえるようになったって言っていたし、俺が教えたとおりの飯を自分で作れるようになったからな。当然だ。いい飯はいい体を作る」
マリサ「だよねー、いいもの食べたらいい匂いになるのも当然かぁ」
誇らしげなハルトを見て、マリサは笑う。マイは現在、榎本家の夕食をマリサやハルトの代わりに調理し、夕食を一緒に食べたり、それを持ち帰って残り物を朝食として食べたりしている。お手伝いをしてもらう代わりに食費については榎本家が負担しているため、マイは良質な食事を取る機会が増えている。だから、抱きしめるといい香りなのだ。最近では料理の腕も上がったため、パーティーの料理の手伝いなんかも任せている。
ハルト「でも、匂いが変わったのは飯だけじゃあない。最初に店に押し付けられたときは、洗濯もろくにしていない服に、風呂にも入っていないから、健康以前の問題だったけれどさ」
そのころのマイは本当にひどい状態だった。猫人のはずなのに、人じゃないような。野良猫のようなみすぼらしさで、風呂は嫌いだわ、小学生なのにひらがなもまともに読めないわで、まさに野生児というにふさわしい。店をその状態でうろつかれては迷惑だからとマリサが風呂に入れようとすれば、水に濡れるのを嫌がって暴れまわり、じっとしていられない。
結局、店の中にいるときはずっと監視していなければならず、大学受験を控えたマリサには悩みの種であった。
マリサ「でも、お風呂に入れても、服を洗濯しても、それでもまだマイちゃんめっちゃ臭かったよね。あれは、ろくなものを食べてなくて内臓が……っていうのもあったんだろうけれど、それ以上に口腔衛生がひどくて」
ハルト「おうおう、覚えてる。俺が両手両足押さえつけて、クニシゲさんが無理やり歯磨きしたっけな」
マリサ「大仕事だったよね。絵面が性犯罪だったけれど」
ハルト「いや、ひでぇな!? ……否定できないけれど」
男二人で幼い女の子が暴れるのを抑えているのだ。確かにそう見えても仕方ないのだが。
ハルト「まだ乳歯で良かったよ。永久歯だったら虫歯が取り返しがつかなくなるところだった……。それで、暴れまわるマイちゃんを引っぱたいて席につかせて、クニシゲさんとハシルさんが勉強を教えて……それで、マリサも勉強に集中できるようになったんだよな」
マリサ「二人のどちらかがいるときはね! あのクソババア、いつもアポなしで子供を押し付けやがって……」
そんな野生児が、受験に挑むという人生においてストレスの溜まる時期に、マイの母親に何度も子供を押し付けられるのである。マリサも、その時ばかりは容赦なくマイに手を挙げたのは覚えている。最初こそ敵意を向けられていたマリサだったが、騒がなければ殴られないことを学習し、きちんと勉強すればジュースや食事を買ってもらえることを学習し、マイはご褒美のために勉強することを覚えた。
そのころには、今までの自分がどれだけまずい生活をしていたかを自覚し、マリサが大学に進むころには、わだかまりも解けていて……それどころか甘えてくるようになったのだ。
ただ、その頃の彼女は、やっぱり栄養不足だったのだろう、匂いが気に入らないせいなのか、マリサはあまり抱きしめる気にならなかったが……今はむしろ抱きたくなる匂いをしている。
マリサ「……最近は、あの子。リコちゃんにべったりなのよね……新しい大人を落とすためなのかな、あの子、二人きりじゃないと甘えてこないから……リコちゃんとマイちゃん、どっちも好きなのに、どっちも抱けないのが悔しすぎる……いっそ3P出来ればいいのに」
リコとマイ、最近はいいにおいの女の子が増えて、困るくらいだ。なのに、その二人が仲好しで、自分が蚊帳の外なのはそても妬ましい。それを正直に愚痴れるのは……今のところ、ハルトに対してだけだった。こんな気持ち、父親にすら打ち明けられない。
ハルト「何を言ってるのやらお前は……母親に似るのは顔だけにしてくれ」
そんな赤裸々な思いを打ち明けられたハルトはといえば、中学のころから変わらないマリサの悪癖に呆れている。
マリサ「そんな私の誘惑を断れないあたりは、ハルトも父親似なんだけれどね」
ハルト「言うな」
中学に上がったころ、狼人の発情期にあわせて発情を抑える薬は、薬剤師の米良アイリから貰っていたマリサだったが。それでも抑えきれない分は、ハルトが受け止めることになっていた。性欲が最も盛んな年齢なこともあり、内心では大喜びであったハルトだが、気持ちの上ではうれしくても社会的には知られたら大事。今でもそのことは親にも恋人にも打ち明けられていない。
ハルト「……っていうか、そろそろねーちゃんは男の恋人を作れよ」
マリサ「んー……なんかその、男の恋人を作るのって怖いんだよね。結婚する気がない男から求婚されそうで」
突然ハルトから振られた話題に、マリサはまだ誰にも話したことのない気持ちが胸中で再燃する。母親が父親を裏切って、駆け落ちした。中学に上がるころに聞かされた話で、当時は母親のことを許せないと思ったものだが。
今、成人女性となった今、母親のやったことを許せないと思う反面で、自分もどうしようもなく母親に似てしまっているところがあるらしいことは、嫌でも自覚させられてばかりだ。
少しでもいい人を見ると抱き着きたくなってしまう。しかも、男性だけじゃなく女性にまで『そう』なのだから救いようがない。
マリサ「女同士で遊ぶならあとくされがないし、一緒にいてもいろいろ疑われないから楽なんだよね。初めての相手がハルトなのも、絶対に秘密が漏れないし、一緒にいたところで何も言われないからだし。模様がそっくりすぎて、一目で家族だってわかるし。
女の子に手を出すことを辞めたら、多分……それこそ親が泣く事になると思う。だからハルト、たまには付き合ってよー。リコちゃんとマイちゃんが仲良くしてるのを見ると、気分がすごく高まるのに何もできなくって欲求不満でさぁ……」
マリサはハルトの体を、昼が這うようにねっとりと撫でる。
ハルト「明日はデートなんだ……今日やると……匂いが残るから……明日な」
ハルトはマリサの手を払いのけることはせず、撫でられるのに任せて眼を閉じる。
マリサ「じゃあ、今日はハグだけー」
ハルト「お前にとってのハグってなんなんだ……悪いが、デート前に変な臭いはつけられねぇ」
なるべく意識しないようにはしたいのだけれど、脇の下を潜り抜けてくるマリサの執拗なスキンシップには、さすがに逃げる以外の手段は取れなかった。逃げないと、ハルト自身欲求が抑えきれなくなる。
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