悪役令嬢、婚約破棄に「御意」と答えて即帰宅。

ちゃっぴー

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「――以上が、今回の遠征における補給物資の消費報告です」

宰相執務室。

私のデスクの前で敬礼しているのは、近衛騎士団の副団長、グレン卿だ。

爽やかな金髪に、鍛え上げられた肉体。そして何より、提出された報告書の数字が完璧に合っている。

「素晴らしいですわ、グレン卿。予備費の計算も正確ですし、無駄な記述が一文字もありません」

私は報告書に『優』のスタンプを押し、彼に微笑みかけた。

「貴方のような有能な方が現場を指揮してくださると、こちらの事務処理も非常にスムーズに進みます。感謝しますわ」

「い、いえ! 勿体ないお言葉です!」

グレン卿は顔を赤くして頭をかいた。

「ヨーネリア様こそ、以前は王太子殿下の陰に隠れておられましたが……こうして連携を取らせていただくと、その采配の鮮やかさに驚かされるばかりです。部下たちも『戦いの女神だ』と噂しておりますよ」

「あら、女神だなんて。私はただの『数字の鬼』ですわ」

「ははは、ご謙遜を。……今度、よろしければ兵舎の視察にいらっしゃいませんか? 部下たちも貴女に会いたがっていますし、旨いコーヒーも淹れますので」

「まあ、魅力的なお誘いですこと。現場の声を聞くのは効率化の第一歩ですし――」

私が手帳を開こうとした、その時だった。

バキッ。

乾いた音が室内に響いた。

私とグレン卿が同時に振り返ると、そこには――へし折れた万年筆を握りしめた、アレクセイ閣下の姿があった。

「……あ」

閣下の手の中で、あの最高級万年筆が無残な姿になっている。

そして、閣下の周囲には、真冬の吹雪のような冷気が漂っていた。

「……閣下? どうなさいました? ペン先に不具合でも?」

私が恐る恐る尋ねると、閣下はゆっくりと立ち上がった。

その瞳は、深海の底のように暗く、光がない。

「……グレン副団長」

「は、はいっ!」

「報告は終わったな? ならば即刻立ち去れ。騎士団の練度が落ちるぞ」

「えっ? あ、はい! 失礼いたしました!」

グレン卿は野生の勘で「ここにいては殺される」と悟ったのだろう。脱兎のごとく部屋から逃げ出した。

バタン、と扉が閉まる。

あとに残されたのは、私と、明らかに機嫌の悪い「氷の宰相」だけだ。

(まずい。何か粗相をしただろうか?)

私は記憶を高速検索した。

書類の不備? お茶の温度? それとも、グレン卿との会話が長引いて業務効率が落ちたことへの叱責か?

閣下は無言のまま、私のデスクへと歩み寄ってきた。

コツ、コツ、という足音が、私の心臓を圧迫する。

そして――。

ドンッ。

私の逃げ場を塞ぐように、両手が机につかれた。

いわゆる「机ドン」の体勢だ。

至近距離にある閣下の顔。整った顔立ちが、苦悩に歪んでいるようにも見える。

「……閣下?」

「ヨーネリア。相談がある」

「は、はい。なんでしょうか。予算の件ですか?」

「いや。……私のシステムに、未知のエラーが発生しているようだ」

「エラー?」

閣下は眉間に皺を寄せ、真剣な眼差しで語り始めた。

「先ほど、君がグレン副団長と会話をしている間、私の胸の奥に黒いノイズが生じた。思考回路が乱れ、書類の内容が頭に入らなくなり、手元のペンを破壊してしまうほどの握力が発生した」

「それは……カルシウム不足では?」

「違う。もっと複雑な情動だ」

閣下は私の瞳を覗き込んだ。

「君が彼に『素晴らしい』と微笑んだ瞬間、私の心拍数は通常の1.5倍に跳ね上がり、彼を窓から放り出したいという衝動に駆られた。……この現象を、君はどう分析する?」

「…………」

私は瞬きをした。

分析も何も。答えは一つしかない。

「閣下。それは一般的に『嫉妬』と呼ばれる感情です」

「嫉妬……?」

閣下は意外そうにその単語を復唱した。

「馬鹿な。嫉妬とは、自分より優れた他者を羨む感情だろう? 私は彼より地位も能力も資産も上だ。羨む要素などない」

「恋愛における嫉妬は、優劣ではなく『独占欲』から来るものです」

私は冷静に解説した。

「つまり、閣下は私が他の男性と親しく話しているのが面白くなかった。自分だけを見ていて欲しかった。……という解釈でよろしいですか?」

言った自分が恥ずかしくなってきた。

なんで私がこんな、乙女ゲームの解説みたいなことをしなきゃいけないんだ。

しかし、閣下はハッとした顔をした。

「……なるほど。論理的だ」

「論理的ですか」

「私が感じた不快感の原因が『独占欲の侵害』だとすれば、全ての辻褄が合う。……そうか、私は嫉妬していたのか」

閣下は納得したように頷いた。

そして、再び私を見た。今度は、獲物を狙う肉食獣のような瞳で。

「原因が特定できたなら、対策は簡単だ」

「た、対策?」

「リスク要因の排除だ」

閣下はさらに顔を近づけてきた。鼻先が触れそうな距離だ。

「今後、業務上やむを得ない場合を除き、私以外の男と笑顔で会話することを禁止する」

「はいぃ!?」

「特に『素晴らしい』『感謝します』といった好意的な単語の使用を制限する。それらは全て、私専用のコマンドだ」

「独裁者ですか! 業務に支障が出ます!」

「構わん。君が他の男に笑いかけるたびに、私の業務効率が30%低下するのだ。国益を守るためにも、君は私だけを見ていればいい」

無茶苦茶な理論だ。

でも、その無茶苦茶さが、なぜか私の胸をときめかせてしまう。

「……非効率ですわ、閣下」

私は精一杯の抵抗を試みた。

「そんなことで効率を落とすなんて、宰相失格です。もっと理性的になってください」

「理性など、君の前ではバグだらけだ」

閣下は私の頬に触れた。その指先が熱い。

「ヨーネリア。責任を取りたまえ。私をこんな風にしたのは君だ」

「……っ」

反論できない。

この男は、論理で武装しながら、感情で殴ってくる。一番タチが悪いタイプだ。

「……わ、わかりました。善処します」

私が白旗を上げると、閣下はようやく満足そうに微笑んだ。

「よろしい。契約更新だ」

チュッ。

今度は額ではなく、瞼にキスが落とされた。

「ひゃうっ……!」

「顔が赤いぞ、氷の華(クール・ビューティー)殿」

「うるさいです! 仕事に戻ります!」

私は真っ赤になって閣下を突き放し、書類の山に顔を埋めた。

心臓がうるさい。

これでは私の業務効率も低下してしまうではないか。

「……あーあ。ご馳走様ですぅ」

部屋の隅で、気配を消していたミーナ様が、虚空を見つめながら呟いた。

手にはスケッチブックがあり、今の「机ドン」の様子が克明に描かれている。

「ミーナ様、それ没収」

「嫌です! これは国宝級の資料です! 後で『萌え語り』の同人誌にしますから!」

「なんですかその不穏な本は!」

こうして、私たちのオフィスラブ(?)は、着実に、そして非効率的に進行していくのだった。

それにしても、閣下の嫉妬があんなに可愛いものだなんて。

……いや、窓から人を放り出そうとするのは可愛くないか。

私は心の中で「グレン卿、ごめんなさい」と謝りつつ、少しだけニヤけてしまう口元を書類で隠した。
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