悪役令嬢、婚約破棄に「御意」と答えて即帰宅。

ちゃっぴー

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「ヨーネリア。明日は空けておけ」

金曜の退勤間際、書類の束を片付けている私に、アレクセイ閣下が唐突に告げた。

「……はあ。空けるとは、予定を、ということですか?」

「そうだ。明日は土曜日だ。君が契約条件に掲げた『週休二日』を履行する」

閣下は眼鏡の位置を直しながら、真顔で言った。

「つまり、デートだ」

「……デート?」

私が聞き返すと、執務室の空気が一瞬止まった気がした。

聞き耳を立てていた文官たちが、音もなく振り返る気配がする。

「正確には『視察を兼ねたリフレッシュ休暇』だ。君は王都の庶民生活を肌で感じたいと言っていただろう?」

「言いましたね。市場価格の変動を現地調査したいと」

「ならば好都合だ。私も変装して同行する。……護衛をつけると目立つからな。私と君、二人きりだ」

閣下はさらりと言ってのけた。

二人きり。

その言葉に、私の心拍数が少しだけ跳ね上がった。

これは業務命令なのか、それとも……?

「……わかりました。では、動きやすい服装で参ります」

「うむ。十時に迎えに行く」

閣下は満足そうに頷き、再び書類に視線を戻した。

一見クールな対応だが、その耳がほんのり赤くなっているのを、私は見逃さなかった。



翌朝、十時。

ベルンシュタイン公爵邸の前に現れた閣下を見て、私は息を飲んだ。

いつもの堅苦しい宰相服ではない。

上質な素材だがシンプルなシャツに、ラフなジャケット。そして、伊達眼鏡。

前髪を少し下ろしているせいか、いつもの「氷の宰相」オーラが消え、どこかの「知的な若手実業家」といった雰囲気だ。

「……どうした? 変か?」

私が凝視していると、閣下が不安そうに尋ねてきた。

「いえ。あまりにも似合っていらっしゃるので、眼球の保養をさせていただいただけです」

「……君は本当に、直球だな」

閣下は照れくさそうに咳払いをした。

一方の私は、機能性重視のコットンワンピースに、歩きやすい革靴。髪は一つにまとめて、メモ帳とペンを入れたポシェットを斜めがけにしている。

「君も……その、悪くない。いつもの戦闘服(ドレス)より、年相応で可愛らしい」

「ありがとうございます。この靴、全力疾走できるんですよ」

「デートで走る予定はないが……まあ、君らしい」

閣下は苦笑し、自然な動作で私の手を取った。

「行こうか。エスコートさせてくれ」

「……はい」

大きな掌に包まれる安心感。

私たちは繋いだ手を離さずに、王都のメインストリートへと繰り出した。

週末の市場は、多くの人々で賑わっていた。

色とりどりの果物、焼きたてのパンの香り、威勢のいい商人の声。

普通のカップルなら、「わあ、綺麗!」「美味しそう!」とはしゃぐ場面だろう。

しかし。

私たちは違った。

「……閣下。ご覧ください、あの野菜売り場」

私は小声で囁いた。

「キャベツの価格が先週より二割も高騰しています。おそらく、北部の長雨による物流遅延の影響かと」

「ほう。鋭いな」

閣下も眼鏡の奥で鋭い眼光を光らせた。

「だが、隣の店ではジャガイモが投げ売りされている。代替品としての需要予測を見誤り、在庫過多になった可能性があるな」

「その通りです。あそこの商人の顔色を見るに、資金繰りに焦っていますね。今なら安く買い叩ける上に、恩を売れるかもしれません」

「……なるほど。物流ルートの再編が必要だな。帰ったら国土交通省に指示を出そう」

私たちは手を繋いだまま、野菜の価格変動と物流網の欠陥について熱く語り合った。

周囲のカップルが「ねえ、このリボン可愛い?」「うん、似合うよハニー」と甘い会話を繰り広げる中、私たちだけが異質だった。

「ねえ、流通マージンの中抜きが……」

「独占禁止法の適用範囲が……」

そんな単語が飛び交うデートである。

端から見れば美男美女のカップルだが、会話の内容は完全に「予算委員会」だ。

「……ふむ。少し歩き疲れたな」

一通り市場を視察(デート)した後、閣下が広場のベンチを指差した。

「休憩しよう。何か飲み物でも買ってくる」

「では、私はあそこの屋台で串焼きを買ってきます。回転率が良いので、食材の鮮度が高そうです」

「頼む」

数分後。

私たちはベンチに並んで座り、串焼きと果実水を手にしていた。

「……美味いな」

「はい。塩加減が絶妙です。原価率は低そうですが、満足度は高い。勉強になります」

もぐもぐと串焼きを食べながら、私はふと空を見上げた。

青く澄み渡る空。心地よい風。

隣には、この国で一番頼りになるパートナー。

(……悪くない)

これまで「休日は寝るもの」と決めていたが、こうして誰かと外を歩き、同じ景色を見て、同じレベルで議論を交わすのも、案外楽しいものだ。

「……ヨーネリア」

不意に、閣下が私を呼んだ。

「はい?」

「楽しいか? こんな……色気のないデートで」

閣下は少し自嘲気味に笑った。

「周りの男たちは、もっと女性を喜ばせるような振る舞いをしている。花を買ったり、愛を囁いたり。……私は、君と経済の話しかしていない」

「何を仰るのですか」

私は串焼きの最後の一口を飲み込み、きっぱりと言った。

「最高に楽しいですよ?」

「……え?」

「花は枯れます。愛の言葉もお腹は膨れません。ですが、閣下との議論は知的欲求を満たし、国の未来を良くするアイデアを生み出します」

私は閣下の方を向き、にっこりと笑った。

「それに、私にとって一番の『ときめき』は、私の話を理解し、それ以上の答えを返してくれる知性に出会うことです。……つまり、閣下以外に私のデート相手は務まりません」

「…………」

閣下は目を見開いたまま、しばらく固まっていた。

そして、ゆっくりと片手で顔を覆った。

「……くっ」

「閣下? どうしました? 串焼きのタレが服に?」

「違う……。嬉しくて、どうにかなりそうだ」

閣下の耳が、真っ赤に染まっている。

「君という人は……本当に、私の予想を遥かに超えてくる」

閣下は顔を上げ、熱っぽい瞳で私を見つめた。

「ヨーネリア。やはり、君を誰にも渡したくない。一生、私の隣で数字の話をしていてくれ」

「……それはプロポーズの言葉としては、だいぶ変わっていますね」

「文句があるか?」

「いいえ。私には最高の口説き文句です」

私たちは見つめ合い、自然と笑みがこぼれた。

甘い雰囲気ではないかもしれない。

でも、この「同志」のような絆こそが、私たちには心地よいのだ。

「さて、エネルギー補給も完了しましたし、次はどうしますか?」

私が尋ねると、閣下は立ち上がり、再び私の手を取った。

「あそこの裏通りに、古びた書店がある。あそこなら、絶版になった古い法令集が見つかるかもしれない」

「素晴らしい! 行きましょう、お宝発掘ですね!」

「ああ。君なら喜ぶと思った」

私たちは意気揚々と書店に向かった。

普通のカップルなら絶対に選ばないデートコース。

しかし、私たちはそこで埃まみれになりながら「百年前の税制改革案」を見つけ出し、「これこそ歴史的遺産だ!」と二人でハイタッチをして喜んだのである。



夕暮れ時。

私たちは公爵邸に戻ってきた。

足は棒のようだが、心は充実感で満たされていた。

「今日は楽しかったな」

「はい。まさかあの書店であんな文献が見つかるとは」

「来週は港の方へ行ってみよう。貿易船の積み荷リストが見たい」

「是非! 関税逃れの手口を分析したいです!」

玄関ホールで盛り上がっていると、奥から執事長が現れた。

「おかえりなさいませ、旦那様、ヨーネリア様。……おや?」

執事長は私たちの手元を見て、不思議そうな顔をした。

私たちの手には、花束でもアクセサリーでもなく、古びた本と、市場で安売りされていた「大量のジャガイモ(一袋)」が握られていたからだ。

「……デートに行かれたのでは?」

「ああ。最高のデートだった」

閣下はジャガイモを掲げ、誇らしげに言った。

「これは戦利品だ。今夜はこれでポテトサラダを作ってもらおう」

「は、はあ……」

執事長は困惑していたが、私たちは顔を見合わせて笑った。

「ふふっ。ポテトサラダ、いいですね。マヨネーズは多めでお願いします」

「いや、黒胡椒を効かせた方が酒に合う」

「では、半分ずつ作りましょう」

私たちは廊下を歩き出す。

背後で執事長が「……あんなに楽しそうな旦那様は、初めて拝見しました」と呟くのが聞こえた。

恋愛偏差値は低いかもしれない。

ロマンチックのかけらもないかもしれない。

それでも、私たちは間違いなく「相思相愛」だった。

……たぶん、経済学的な意味で。
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