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2巻

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   プロローグ


 悪役令嬢に転生する物語のお約束といえば『断罪』。
 どうして突然、私がこんなことを言っているのかといいますと……
 なにを隠そうこの私――はるかが、『王立魔法学園』を舞台にした乙女ゲームの悪役令嬢『レーナ』、現在十三歳⁉ になってしまったからであります。
 つり目がちな緑色の瞳と、金髪縦ロールがトレードマークの公爵令嬢レーナ・アーヴァイン。そんな彼女には、銀髪碧眼の、目を奪われるような美貌を持つジークという婚約者がいた。
 クラエス公爵家の嫡男ちゃくなんで、なんでもそつなくこなせてしまう彼に、ゲームの中のレーナは夢中だった。
 だが、夢中になりすぎてしまったために、彼に近づくゲームヒロインを虐めまくり、挙句あげくの果てにジークの手によって社交界を追放されてしまうのだ。
 せっかく転生したんだし、断罪なんてまっぴらごめん!
『ジークには関わらず、お嬢さまとして楽しく生きる』をモットーに、ヒロインとジークを避けていたのだけれど……
 攻略対象の一人、はとこのフォルトに嫌味を言われたり、もう一人の攻略対象である神官・シオンと森の中で恐怖の鬼ごっこをしたりと、楽しいお嬢さま生活とはほぼ無縁。
 さらには、学園に侵入していた教会の治癒師・グスタフに殺されかけ……私が掲げたモットーとは真逆の異世界生活を送っているのだった。
 でも、夏休みの間はそんな波乱万丈の日々を忘れられる。
 というのも、王立魔法学園には、遠くから来ている生徒が一度領地に戻れるようにちゃーーんと長い夏休みがあるのだ。
 ゲームではヒロインも攻略対象も、夏休みの間は学園都市に留まる。
 まぁ、『攻略対象者全員が夏休みの間、自分の家に帰りました。学園にはヒロインだけです!』ってことになったら、乙女ゲームとして成立しないから当然ではある。
 理由はなんであれ、主要メンバーが学園に残ってくれることは私にとって好都合。
 学園に残らなければ、ヒロインも攻略対象達もレーナに絡みようがない。
 つまり、私が自分の実家であるアンバー領に帰れば、彼らを避けることに神経をすり減らす必要もないし、厄介事に巻き込まれる心配もなくなる。
 領地に帰ったら、レーナの取り巻き兼友人のアンナとミリーとショッピングをしたり、観劇したり、美味しいものを食べたり……今度こそお嬢さまとして夏休みを最大限に楽しむんだから‼
 皆。グッバイ、アディオス!
 待っていてね、私の夏休み……いや、バカンス!



   一 バカンスを楽しんでいる場合ではない


 夏休み初日の早朝。私はレーナの実家があるアンバー領へと、アンナ、ミリーとともに馬車に揺られて向かっていた。
 学園都市をぐるりと取り囲む城壁はあっという間に見えなくなり、私達を乗せた馬車は護衛に守られながらアンバー領へ続く街道を進む。
 馬車の椅子はふかふかでお尻は痛くならないし、簡易なテーブルでお茶もできちゃうし、乗り心地はなかなか快適。
 私はこれまで巻き込まれた厄介事をすっかり忘れて、アンナとミリーと楽しくおしゃべりに花を咲かせていた。

「レーナ様、このスコーンとっても美味しいですわ。どうぞ召し上がってください」

 私がお菓子を食べ終えたことに気がついたミリーが、すばやく私にスコーンを勧めた。
 ミリーは青いふんわりとした髪と、口元のほくろが可愛らしい女の子だ。いつもおっとりとした口調で話し、たまにうっかり失言することがあるけれど、基本は気遣いのできるとてもいい子だ。

「ええ、ありがとう。いただくわ」

 私はミリーからスコーンを受け取り、テーブルの上に置かれていたクロテッドクリームをたっぷりつけて口に運んだ。その様子をミリーはニコニコしながら見つめる。

「レーナ様、スコーンにはこちらのお茶が合います。今ご用意いたしますね」

 ハキハキとした調子で私に声をかけたのは、もう一人の取り巻きアンナだ。彼女はキリッとした目元と、赤いポニーテールが印象的な女の子で、スタイルは抜群である。
 アンナは私に微笑むと、馬車の中ではあるけれど慣れた手つきでお茶を用意し始めた。
 ――なんて最高なのかしら。これよ! こういうのよ! 私がしたかったことは。
 美味しいお菓子とお茶をたしなみながら、この間のサマーパーティーでミリーとアンナがイケメンとダンスをした話を聞いて、三人で笑ったりするのがいいのよ。
 腹黒のサイコキャラクターに追いかけ回されるとかではなく。
 さらわれて自力で塔から脱出する羽目になるとかでもなく。
 生命の危機に直結するような事件に巻き込まれ『誰か私を助けて‼』って展開でもなく。
 私はただ、普通に楽しく過ごしたいだけなのよ!
 いけない。ついつい、心の声が大きくなってしまった……
 レーナに転生してからというもの、もうホント勘弁してくださいの連続だった。
 我ながらツイていないと思うが、そんな生活とはもうおさらばよ。
 攻略対象達が集まる学園都市から離れれば、もう誰も私を厄介事に巻き込めまい。
 ご学友との楽しいおしゃべりと、おいしいお菓子にお茶。私の夏休み、幸先がいい。

「夜の色を閉じ込めたようなあい色の瞳がとても素敵で。ダンスの間、その瞳で見つめられていると考えたら、私緊張してしまって」

 ミリーはダンスを踊った時のことを思い出して、うっとりとした表情でため息を吐いた。

「私も素敵な男性を見かけて、ぜひ一緒に踊りたかったのですが……叶わなくて……」

 アンナもミリーに続いて、サマーパーティーで見つけたイケメンの話をする。しかし彼女は、ミリーのように目当てのイケメンと踊ることはできなかったらしい。口惜しげに唇を噛んだ。

「そんなに素敵な方でしたの?」

 やっぱり乙女ゲームだから、攻略対象以外にもイケメンがいたのかしら。
 思わず私は食い気味に質問してしまう。
 それに、アンナとミリーは真剣な顔で頷いた。
 私、二人が絶賛するイケメン達を見逃した……
 ダンスは踊れなくても、せめて顔だけでも拝見したかった。二人が太鼓判を押すくらいなのだから、相当イケメンだっただろうに。
 サマーパーティーの時は、ジークのせいでイケメンを観察する余裕がなかったからなぁ。
 あぁ……どうしてイケメンが会場にいないかチェックしなかったの? と過去の自分を責めてももう遅い。
 他にも、あの人はダンスもお上手だっただの、容姿はどうだっただの、どのタイプに分類されるイケメンかだの、見逃した私に詳細に話してくれた。

「ダンスという口実がなければ、あの距離に入ることはできませんでした」

 ミリーがいつになく真剣な顔でそう言ったのを聞き、私は決意した。
 ――あぁ、ダンス踊れるようになろう。
 決めた。絶対に夏休みの間にダンスを習得してみせるんだから‼
 ダンスにかこつけて至近距離でイケメンを拝みたい……悪役令嬢でも、そのくらいは許されるはずよ。
 次は私もジーク以外のイケメンと踊る、なんとしても! とよこしまな気持ちから、別の野望が今誕生した。
 馬車は途中で数度休憩をはさみ、夕方には今日宿泊する街に到着した。
 結局話が盛り上がりすぎた私達は、食事とお風呂が終わった後、私の部屋に再集結した。そして、夜通しおしゃべりをしてしまった。
 そのせいで、二日目は馬車の中で、スプリングの利いたふかふかな椅子に全身を預け皆で爆睡だった。
 だって、ふかふかなんだもの。普通寝ちゃうわよ。
 結局次の日も宿に着いたら、今度はアンナの部屋に集まって、夜通しおしゃべりして翌日は馬車の中で爆睡。
 馬車の休憩場所もちょっとした観光地だったし、宿の料理も美味しい。夜はオールでおしゃべりしてって……楽しすぎる、まるで修学旅行のよう。
 そんな風に、ワイワイしながら領地までの移動を楽しんでいた最後の夜、私達はミリーの部屋に集まっておしゃべりをしていた。
 ベッドに寝そべりパジャマ姿で話し込んでいた時、寝室の扉がノックされた。
 もう夜も遅く、就寝していてもおかしくない時間だ。

「どうぞ」

 不思議に思いながら返事をすると、メイドがおずおずと顔を覗かせた。

「このような時間に申し訳ありません。実は、御者ぎょしゃが緊急でお嬢さま方にご相談したいことがあると。寝室に招き入れるわけにはいきませんので、お手数ですがリビングにお越しいただけませんか?」

 そう言われて、私達は顔を見合わせた後、羽織をかけるとリビングへと移動した。
 リビングには御者ぎょしゃの男性が帽子を抱え、緊張した面持ちで立っていた。
 身分の高い私達を、使用人である自分が夜遅くにわざわざリビングに呼び寄せたのだ。処罰の可能性もあり得るがゆえに、顔色が悪い。

「お嬢さま方、このような時間に申し訳ございません。同じアンバー領に行かれる方の馬車の車輪が壊れたそうで……修理を試みたのですが、代わりの部品の目処めどが立たず」

 あらー、馬車が壊れた人がいるんだ。ご愁傷様しゅうしょうさまである。

「それで、あの。先方に、明日こちらの馬車に同乗できないかと相談されまして……。私一人ではとても判断できませんので、お嬢さま方のご意見を伺いたく。……いかがいたしましょう」

 御者ぎょしゃは手と声をぶるぶる震わせている。
 私達の馬車は大きくて広い。本来六人程度は乗れるところを、三人でゆったりキャッキャッしているのだ。
 アンナとミリーは、当然私の出方をうかがった。
 ん~、どうしよう。でも、普通であれば私達に話を持ってくる前に断るはず。ということは、相手は無下に断われない人物なのかもしれない。

「明日にはアンバー領に着くのですから、乗り合わせてもかまいませんわよ。ただ、あちらに着きましたら、とびっきり美味しいお店を教えてくださいませと伝えてちょうだい」
「かしこまりました」

 御者ぎょしゃは安心した様子で返事をして、そそくさとリビングを出て行く。

「一体どんな方なのかしら。レーナ様の馬車と知って、向こうは同乗をお願いされたわけですよね」

 御者ぎょしゃの姿が見えなくなると、アンナが首を傾げつつそうらした。
 そうなのだ……私が乗っている馬車だとわかっていて頼める人物……って誰だろう。

「気になりますわ。それにしても……明日は馬車の中で眠れませんね」

 ミリーはクスリと笑って、こちらに目線を向ける。

「ホント……今日は夜更かしできませんわね」

 私はミリーに小さく笑みを返した。
 それから私達はミリーの部屋に戻り、早々に一つのベッドの上で眠りについたのだった。


 次の日。お世話になった宿を後にすると、馬車の前に、今日乗り合わせることになった相手が立っていたんだけど……
 あぁ……
 あぁ……
 嘘でしょう……
 私の目がおかしいのかな……。本来ならここに絶対居るはずのない、見覚えのある金髪と黒髪の人物が……私ったら疲れているのかしら。

「ごきげんよう。レーナ嬢、アンナ嬢、ミリー嬢。今日は世話になる」
「おはようございます。レーナ様、アンナ様、ミリー様。本日は馬車に同乗させていただけるとのことで、大変助かりました。馬車の空きが当分ないらしくて、このままだと何日もここに滞在する羽目になるところでした」

 そう言って、金髪と黒髪の人物――フォルトとシオンが私達に深々と頭を下げた。
 どういうこと? なんで? 攻略対象は夏休みの間、学園都市に留まるんじゃないの?
 どうして二人が私の安息の地、アンバー領に来るのよ!
 なにかの間違いじゃないの? ああ、きっとそっくりさんだわ。

「まぁ、ごきげんよう。乗り合わせの相手は誰かと思えば、お二人でしたのね。シオン様、髪を切られました?」

 アンナがニコニコと挨拶したことで、そっくりさん説は消えた。そういえば、シオンの目にかかっていた前髪がすっきりしている。

「ごきげんよう。とびっきり美味しいお店。楽しみにしておりますわね」

 見知った人物だったこともあり、ミリーも二人に向かって気さくに笑う。

「レーナ様?」

 アンナが挨拶をしない私に不思議そうな顔を向けた。

「ちょっと待って。どうして二人がこちらにいるのですか?」
「どうしてって……実家に帰るだけだが……」

 フォルトは怪訝けげんな表情を浮かべながら私の質問に答える。
 そりゃ、夏休みに自分の実家に帰るのはおかしいことじゃないけど。

「僕は、公爵様……っとレーナ様のお父様から、事件や教会のことで聞きたいことがあるからと招待を受けたんですよ~。髪は流石さすがに公爵様の前であれじゃまずいかなって、切っちゃった」

 シオンはシオンで私の父からの招待……
 レーナの中身が私と入れ替わり、いろいろあったことでシナリオが大幅に変わってしまっている⁉
 フォルトは、公爵家直系の令嬢にもかかわらず、好きな男のあとを追い回し、我が儘放題しているレーナのことをよく思っていなかった。
 直系であるレーナが子供らしく遊び、恋にうつつを抜かす一方で、傍系のフォルトの両親は厳しい教育を彼に強いた。レーナが他領に嫁いだ後、フォルトはアンバー領の領主になる可能性があるからだ。
 そこから生まれた不満が、レーナだけでなく両親にも向き、ゲームではアンバー領に夏休みに帰らなかったのだろう。
 ところが、婚約者であるジークから酷い扱いを受けようとも、自身が政略結婚の駒であることを理解し気丈に振る舞い、少ない魔力で懸命に努力するレーナの姿を見て、フォルトは考えを改めたようだ。
 その結果、ゲームのように夏休み中実家に帰らない理由がフォルトになくなってしまった⁉
 神官として学園にいたシオンは、所属していた教会から抜けて私の下についたため、学園都市に残って治療を行い、お金を稼ぐ必要はない。
 また、先日のグスタフ事件のせいで教会の規模はかなり縮小したらしく、シオンを引き戻すだけの力はもう残っていないだろうとのこと。
 私がアンナとミリーと楽しい旅をしている間に、攻略対象二名が学園都市にいないという、とんでもない夏休みが始まっていたのだ。
 ゲームでは絶対にあり得なかった展開になってしまっている!
 どうなる……私のバカンス⁉


「あの……レーナ様、そろそろまいりましょうか?」

 アンナは、魂が抜けたみたいに呆けている私の顔色をうかがいながら、馬車に乗るよう声をかける。私はコクリと頷いて、ふらふらとした足取りで馬車に乗り込んだ。
 アンナ、私、ミリーの順に椅子に座る。その向かいには、フォルトとシオンが座った。

「フォルト様はてっきり学園に残られるものかと思っておりました」

 アンナがそう切り出す。すると、フォルトが少し困った様子で口を開いた。

「学園であのような事件が起こって父も母も心配していたから、帰ることにしたんだ」
「シオン様はやはり公爵様と事件のことを話されるのですか?」

 ミリーがおずおずとシオンに質問した。

「んー事件の報告もそうですが、僕はもう教会の神官じゃないので、公爵様から新しい後見人の件で話を聞きに来るように言われて。それでフォルト様の馬車に一緒に乗せてもらっていたのですが、車輪が壊れちゃって困ってたんですよ。レーナ様の馬車がちょうど同じ街にいるなんてツイてました」

 アンナ、ミリー、フォルトがいるせいか、シオンはお行儀よく、天使のような笑みを見せた。
 まったくこっちはアンラッキーである。これから不安しかないわ。
 どうか、楽しい夏休みになりますようにと、私はLUCKYネックレス様を握りしめ、ひっそり祈りを捧げた。
 シオンはアンバー領に行くのは初めてだそうで、領内に入ってからそわそわと窓の外を気にしている。会話には入ってくるけれど明らかに上の空だし。

「そろそろだな」

 そんなシオンを見ながら、フォルトはにっと白い歯を覗かせて笑う。

「そうですわね。ミリー、窓を開けて差し上げて」
「ええ、もちろん。第一印象が大事ですものね」

 アンナが言うと、ミリーはクスッと笑いつつ馬車の窓を開けた。麦わら帽子が飛ばされないよう、両手でしっかりと押さえる。
 一体なにが起こるの?
 私が興味津々に窓を見ていたことに気づいて、ミリーが場所を変わってくれた。
 私とシオンが一緒に外の様子を覗くと、開けた窓から風と共に潮の香りが入ってきた。

「潮の匂い……」

 思わず私はそう呟いていた。

「この香りを嗅ぐと、帰ってきたと感じますね」

 ミリーは柔らかな顔で微笑む。その目には少しだけ涙がにじんでいた。
 アンナとフォルトも帰ってきたことを確かめるように、目を閉じ、潮の香りを吸い込んでいる。
 私達はたった十三歳で親元を離れ、学園で寮生活をすることになった。
 やはり、親元を離れたことによる不安や寂しさは当然あったのだと思う。
 ゲームでは夏休み、アンナとミリーだけでアンバー領に帰ることはなかった。
 おそらく、帰省するかどうかの選択権は二人にはなく、立場が上のレーナにあったのだと思う。
 二人は、常時私をサポートしてくれる。それは有事の際だけではなく、学校の勉強や、私生活でのマナーや振る舞いまで事細かに。
 だからこそ、私がレーナと入れ替わった後も、二人のさりげないフォローとやんわりとした指摘のおかげで恥をかくことなく過ごせたのだ。
 表立って言わないが、二人はレーナのただの友人としてだけでなく、レーナを補佐する使命を常に感じているのだろう。だから本当は夏休みに自宅に帰りたくても、自分達からは、はっきりと言えない。
 二人は大切な友達なんだし、私が察してあげないと。
 そんなことを思っていると、馬車はずっと走っていた林の中を抜け、目の前の景色が一変した。
 白く美しい砂浜に透き通る美しい海。海外のリゾート地のような文句のつけようのない美しい海岸線が眼下に広がっていた。
 潮の香りがしていたから、海が近いとは思っていたけど……想像していた景色よりずっときれいじゃない!

「なにこれ、すごい!」


 先ほどまでのお行儀のよさはどこへやら……シオンは素の言葉遣いで、窓から身を乗り出さんばかりに外を眺めだした。

「シオンたら、そんなにはしゃがなくても」

 レーナは一応ここ出身の設定のため、そう言ってシオンをたしなめる。
 ぶっちゃけ、私はこの美しすぎる景色にものすごく感動していた。
 美しいのは海と砂浜だけではない。海辺の建物も壁は白、屋根は濃い青に統一されていて、まるで一枚の絵のように調和が取れている。
 観光客と思われる人々は、美しい景観を眺めながら海岸を優雅に歩く。
 私はたった今理解した。
 アンバー領、それも私の家があるエリアは屈指くっしの観光地であることを……


 あれから馬車を走らせること十分。私はついにレーナの実家に辿り着いた。
 馬車が屋敷の大きな門の前に停まると、その扉がゆっくりと開けられる。
 門を入ってすぐは玄関ではなく、白色のレンガが埋め込まれた小道。手入れの行き届いた庭や彫刻、噴水を横目に馬車は玄関へと進む。
 玄関ポーチの前で馬車を降りると、そこで控えていた執事の手によって、両開きの重厚な造りの扉が開かれた。
 現れた広い玄関ホールにずらりと並ぶメイド達が、私が前を通り過ぎるタイミングに合わせて、順番に『おかえりなさいませ、お嬢さま』と頭を下げていく。
 玄関は吹き抜けで、天井には空調のためにシーリングファンが回り、バリ風の家具がセンス良く並ぶ。
 二階建ての建物だったけれど、サイズがどう見ても民家のそれじゃない。
 家の周りも高い塀に囲まれているし。家まで続く小道や噴水……今いる場所も家の玄関というより、ホテルのエントランスという言葉がぴったりだ。

「おかえりなさいませ、お嬢さま。すぐにクリスティーが参ります。しばらく椅子におかけになってお待ちくださいませ」

 執事はそう言って私に頭を下げると、高そうな椅子に私を案内する。クリスティーって誰? とか聞く余裕はない。
 私が着席するとすぐに、控えていたメイドが冷たいおしぼりと飲み物をさっと準備してくれた。
 なにこれ……なにこれ、これが家なの? これがレーナの日常なの?
 予約したホテルに実際に着いたら、想像していたよりもずっと高そうなところで、財布の中身が心配になる現象が起きていた。
 動揺が顔に出ないように気をつけながらおしぼりで軽く手を拭いて、ほんの少しだけ飲み物をいただく。
 おいしいっ……飲み物、クオリティー高すぎ……
 飲み物を半分くらい飲んだ頃、お部屋の準備が整いました、と部屋へ案内される。
 レーナの部屋は子供部屋だろうし、この豪邸の二階にあるのかしらと思っていたんだけれど……案内されたのは意外なことに、エントランスから少し歩いた一階の一室であった。
 部屋の前で待機していた若いメイドは、私の姿に気がつくと、一礼して両開きの扉を開けた。
 私の視界に最初に飛び込んできたのは、吹き抜けの広いリビングと二階までぶち抜きの大きな窓だった。


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