毒を喰らわば皿まで

十河

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竜の子は竜

竜の子は竜-1

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   プロローグ


 孵化ふかしたばかりの雛鳥ひなどりが濡れた産毛うぶげを震わせ、大きなくちばしを開いて鳴きわめく。
 鉤爪かぎづめを持たない小枝のような脚も、羽根のない形だけの翼も、親の姿とは似ても似つかない。
 それでも時が経てば、雛鳥は親と同じ姿に成長をげ、やがて大空に羽ばたく。


 どんな生き物でも変わらない。


 おたまじゃくしはかえるに育ち、芋虫はちょうに姿を変え、とんびたかを産まない。


 だからそれは、自然の摂理せつりだ。


 蛙の子は蛙。
 ――竜の子は、竜。


   † † †


 悪の宰相アンドリム・ユクト・アスバルとして生きてきた【俺】が、運命をげてから五年ほどの時間が過ぎた。
 この世界で俺は、ヨルガ・フォン・オスヴァインという生涯の伴侶を得ている。
 アスバルの血脈にかけられた呪いはかれ、一人娘のジュリエッタに息子が生まれたことで、異分子であった俺にも存在の証明が与えられた。
 それでもやはり、異端は異端ということか。
 ゲームのシナリオはとうの昔に終わったにもかかわらず、俺の周りには厄介事が次々と舞い込んでくる。俺自身がなんの行動も起こさなくとも、誰にも打ち明けられない秘密を抱えた客人が、オスヴァイン邸に身を置く俺のもとを人目を避けておとなうのだ。仕方なく彼らの言葉に耳を傾け、恩を売れる相手であれば手を貸し、不穏な火種と見做みなせば遺恨を残さず踏み潰す。
 そんな行動が繰り返された結果、俺が水面下に持つ国政への影響力は宰相職にいていた頃と遜色そんしょくないどころか、それ以上とも言える代物しろものになってしまった。以前の俺ならば純粋に喜んだかもしれないが、今となってはあまり好ましくない。
 ――俺に残された時間は、十年を切っている。
 アスバルの血脈をむしばつづけた古代竜カリスの呪いは、オスヴァイン家にとついだジュリエッタの代で解かれた。
 しかしすでに呪いに侵されていた俺自身は、それに当てはまらない。
 アスバルを今代で終わらせることが、今世における『アンドリム』の最後の仕事であると、俺は解釈している。俺が呪いで死ぬと同時にアスバルの名は滅び、この世界は一つ、正しい姿に修正されるのだ。
 それなのに現状、国王であるウィクルムだけでなく、国母たるベネロペや宰相モリノに至るまで、オスヴァイン邸の居候いそうろうにすぎない俺が影響力を有しているという異常な事態を黙認するだけでは飽き足らず、容認してしまっている。
 おかしいだろう。まつりごとに関して、俺は屍人しにんであるべきなのだ。
 俺自身はアスバルを滅ぼす準備をしているのに、アスバルの名前だけが生き延びようと足掻あがいている。これは一体、何を示唆しさしているのか。
 思い悩む俺のもとにまた一つ不可解な異端が転がり込んできたのは、新たな王子の誕生に、パルセミス王国の全てが祝祭の光にいろどられたある日のことだ。
 側妃ベネロペが国王ウィクルムに嫁いで二年あまり。挙式後の披露宴では隣国セムトアからの来賓による異形召喚というハプニングに見舞われたものの、直後に勃発ぼっぱつしたセムトアの内乱は、パルセミスとリサルサロス両国からの干渉かんしょうすみやかに沈静化されている。それからは大きな事件に巻き込まれることなく側妃としての役割を粛々しゅくしゅくと務めたベネロペは、やがてウィクルムとの間に金髪碧眼きんぱつへきがんの男児をさずかった。
 パルセミス王家にとって、待望の嫡男誕生だ。
 吉報はすぐに王国全土を駆け巡り、国民達は喜びの声を上げ、貴族達は祝いの品をたずさえて王城にめかけている。
 俺はといえば、周囲のけんそうをよそにいつものように相談役とは名ばかりの内政実務に当たっていた。そこに早馬で駆けつけた使者がもたらしたしらせは、オスヴァイン邸からのものだ。
 ――帰宅したばかりのヨルガが、意識をくして倒れた。
 全身の血が凍りつくような感覚に、足もとが揺らぐ。
 流石さすがの俺も顔色が蒼白そうはくに変わっていたのか、慌てた使者がすぐに端的な事実の報告の後に、一度は意識を失ったもののすでに目を覚ましていることと、身体面に大きな異常は見受けられないことを付け加える。
 内心胸をろした俺だが、それならば何故なぜ、緊急の用件として報せが届いたのか。
 疑問の答えは、オスヴァイン邸に戻った俺を視界に認めたヨルガから投げつけられた言葉の中に含まれていた。

「っ……アンドリム・ユクト・アスバル! 何故お前が、俺の屋敷に足を踏み入れている!?」

 鋭い言葉の端々ににじむ、あからさまな嫌悪。
 視線で殺せるのならば、そうしたいとでも言いたげなほど、敵愾心てきがいしんに満ちた眼差し。
 それ以上一歩でも俺が近寄ればすぐにでも抜き払えるようにと、腰に下げた【竜を制すものクイスタシス】のつかを強く握りしめている。

「……成るほど」

 すぐに状況を把握した俺は、慌てるレゼフ達を制しつつ、ゆっくりと腕を組む。
 敵の思惑おもわくか異分子を嫌う世界の調整か、はたまたそれ以外の、何かしらの運命が歯車を回したか。
 目の前にいるは、俺のつがいであるヨルガ・フォン・オスヴァインではない。
 しかしながら、ヨルガ自身であることも、間違いではなかった。

「ヨルガ・フォン・オスヴァインよ。事情を説明する前に、一つ尋ねよう……今、だ?」
「……目的はなんだ」
「事実確認をするだけだ。それとも何かな? 俺に年齢を明かすことで、貴殿に不都合でもあるだろうか?」

 今年で四十七歳になる俺とヨルガの年齢差は、四つ。つまりヨルガの年は、四十三歳であるはずだ。
 挑発的な言葉で返答をうながすと、彼は唇をゆがめ、短く吐き捨てた。

だ」
「……ククッ。予想通りと、言ったところか」

 肩を揺らす俺の顔を、形の良い眉をひそめた美丈夫が忌々いまいましげににらみつけてくる。

「何がおかしい……!」

 いきどおるその表情すらも、何処どこか、懐かしい。

「そんな眼差しで見つめられるのは、久方ぶりだな……面白い」

 翡翠ひすいの瞳をすがめ、唇の端を吊り上げて、俺はわらう。
 これはおそらく、宣戦布告だ。
 俺にとってヨルガは、間違いなく心のどころ
 俺が俺である理由、この世界に俺が存在するための、確かなよすが
 それを消し去ろうと運命がざわめくのならば――俺はその運命ごと、噛み砕いて見せる。
 たとえそれが、愛する男の心を、いためるものであったとしても。


「……ヨルガ・フォン・オスヴァイン。王国の盾にして、最強の騎士団長殿よ。の世界に、ようこそ」



   第一章 十年後の世界


 ヨルガの件が発覚した後、最初に俺がオスヴァイン邸に呼び出したのは、神官長マラキアだ。
 今は平気な顔をしているヨルガだが、一度昏倒こんとうしているのも事実。
 俺の到着前にオスヴァイン家お抱えの医師が呼ばれ、すでに細かい診察と検査を受けている。医師の見立てでは、記憶の退行以外に身体の異常は見受けられないとのこと。
 記憶喪失は精神的な理由によるものと脳の障害によるものが大半を占める。
 しかしおそらくこれは、そういったたぐいのものではない。
 ヨルガは突然意識を失い、すぐに目を覚まし、記憶を失っている。これが病気であれば、もっと前駆的な症状が出ているか、目覚めた時に記憶以外にも障害が起こるはずだ。
 それを踏まえると、考えられる原因はなんらかの外部干渉となる。
 誰かが何かしらの目的を持って、ヨルガから記憶を
 その痕跡を辿ってもらうには、魔術の気配にさといマラキアの助力が必要になる。
 俺は彼の到着を待つ間に更に幾つかことづけをして、騎士団長の不調を誤魔化ごまかす工作をほどこした。
 幸いにして、慶事の最中だ。
 国王ウィクルムとシグルドは旧友の間柄なので、王子生誕の機会に王城の警護を副騎士団長に任せることにしたという名目は、うたがわれがたい。それに加えて、ありもしない極秘調査任務を、国王名義で下ろさせた。騎士団長が王城に顔を出さない日々が続いても、辞令の内容をそれとなく漏らせば、あとは勝手に周囲が理由を想像してくれる。
 その後で俺は改めて記憶を退行させたヨルガに対し、現在は彼にとって『十年後』の世界に当たるのだと説明した。
 最初は「まさか」と疑わしげだったヨルガも、実際に自分の記憶よりも年齢を重ねているレゼフや、おもむきが変化した邸内の雰囲気に、それが真実だと次第に認めざるを得なくなったようだ。
 しかしそれでも、疑問は尽きないのだろう。何よりも、王国騎士団の騎士団長である自分にとって明確な『敵』である悪の宰相アンドリムが、何故なぜオスヴァイン邸に居座っているのか。家令のレゼフを中心とした使用人達がやたらと俺の判断をあおぐのはどうしてなのか。ただしたいと視線が訴えかけてくるが、俺はえてそれを無視している。
 そうこうしているうちに、マラキアが到着した。
 誕生したばかりの王子に祝福をさずけるために登城していた彼は、使者からことのあらましを聞き、護衛として同行していたリュトラと共に急いでオスヴァイン邸に直行してくれたのだ。
 ちなみに息子であるリュトラには、まだヨルガと接触しないよう、先に伝えてある。

「……神官長マラキア?」

 レゼフに連れられて応接間に足を踏み入れたマラキアは、不信感を隠そうともしないヨルガの声色に一瞬驚きの表情を見せた。だがすぐにその動揺を笑顔で隠し、うやうやしい仕草でヨルガに一礼をささげる。

「はい、騎士団長様……神官長マラキアにございます。お招きを受けて推参つかまつりました」

 マラキアは人魚を巡る騒動で肉体の年齢を十年巻き戻しているから、今のヨルガにとって、記憶と相違ない姿ということになる。
 それでも雰囲気の違いに、違和感は否めないだろう。
 お前の息子が変えたのだと教えてやりたいが、今は先に優先すべき事項がある。
 マラキアの挨拶あいさつが終わったところで、俺はヨルガに向き直った。

「騎士団長殿。医師の診断では異常が見受けられなかった点からも、貴殿の記憶混濁には、魔術が使われた可能性が高い」
「……そのようだ」

 状況の理解はできているらしいな。
 同意したヨルガに、俺もうなずかえす。

「諸々と疑問に思う節は多いと思うが、まずは現状を把握するために情報を手に入れる必要がある。神官長は魔術に関する造詣ぞうけいが深い。家令達を同席させたままで構わないので、魔術の痕跡を調べさせてほしい」
「許可する。何をすればいい?」
しばらくの間、手に触れさせていただければ結構です」

 マラキアの言葉に、ヨルガは黙って片手を差し出した。マラキアはヨルガのてのひらを上下から挟むように自分の手を重ね、静かに茜色あかねいろの目を閉じる。

「……やはり、魔術の気配がありますね」

 ややあって、目を閉じたままのマラキアが淡々とした声色でつぶやく。
 彼が得意とするのは治癒魔法で、治療の一環として対象にかけられた魔術の出自を探る。今回は、それを応用してもらっていた。
 ヨルガの記憶を奪ったものが、何処どこから、そしてから、来ているのか。
 痕跡を辿るマラキアの顎先あごさきが、徐々に上向きになってきた。相当遠くを探っているとみえて、白髪に包まれた頭がゆっくりと左右に動く。

「かなりの、距離が……遠くから、特定の相手に、高度な魔術を……これは……っ!」

 ビクリと、マラキアの細い肩が大きく跳ねた。ヒュ、と息を短く吸い込んだ彼は目を見開き、慌ててヨルガの手を離す。

「神官長……?」
「マラキア、大丈夫か」

 いぶかしむヨルガと身を案ずる俺の前で自らの胸に手を当てたマラキアは、心をしずめるようにゆっくりと呼吸を繰り返した。ひたいはすの飾りが揺れる彼の表情は、少し青ざめている。
 ヨルガの身体に残る魔術の痕跡を辿った先で、何を見たのか。

「申し訳ありません。予想外のものが見えましたので……あせってしまいました」

 ややあって落ち着きを取り戻したマラキアは、もう一度頭を下げてから、ヨルガの足もとと応接間にある窓の一つを線で繋ぐように指差した。

「この先に何か大きな建築物がないか、調べていただけますか」
「距離は?」
「少なくとも、パルセミス国内よりも先です。大きな……遺跡のような影が」
「……レゼフ」
「かしこまりました」

 俺の言葉にうなずいたレゼフが、フットマン達に幾つか指示を出す。俺はメイドの一人が持ってきた方位磁石をヨルガに手渡し、マラキアが示した窓の方角を確かめた。

「南南東、だな」

 後で詳細に調べるが、大まかな方角はこの方法で判断しても間違いはない。ローテーブルの上にユジンナ大陸の地図を広げ、パルセミス王国の首都から南南東の方角を指で辿ってみると、まず行き着くのは隣国のサナハ共和国。
 そして、その先には――

「……不毛の砂漠アバ・シウ」

 ヨルガが呟くその地名はユジンナ大陸の南側にある砂漠地帯を指し示すが、地図に地名以外の書き込みはほとんどなく、幾つかの目印となる建造物の位置を除いて、ほぼ空白になっている。
 アバ・シウは国境線を六ヶ国と接する交易に有利な地域でありながらも、そこを領地として所有する国家がない。それは砂漠という過酷な環境にあるという理由だけではなく、アバ・シウの砂漠一帯に危険な魔物が数多く生息していることと、にはフィーダ島に住む魔族が頻繁に出没するという話が影響している。
 歴史を紐解けば、アバ・シウを領地にしようと試みた国家がそれなりにあるようだが、その全てが滅亡した。それに魔族が干渉していたかどうかは、判明していない。
 現在では、代々の経験を重ねたキャラバン隊の幾つかのみが、砂漠を越えてアバ・シウを交易に使うすべを持っている。魔物が異常発生しているとそれらのキャラバン隊から報告が上がった時は、砂漠から魔物があふないよう、各国から兵を出した連合討伐隊が編成されることもあった。
 いずれにしても、アバ・シウは国家として運用するにはリスクが大きすぎるので、手も口も出さないことが国家間において暗黙の了解となっている土地だ。

「実際に目にしたことはないが……アバ・シウには遺跡があると聞いたが?」

 俺の問いかけに、ヨルガは少し記憶を探る表情をした後で、小さくうなずく。

「あぁ、確かにある」
「外観を説明できるか?」
「……なんとなく、しかできないな。騎士館のほうに砂蟲すなむし討伐の前線基地として利用した際の記録があると思うが」
「届けさせよう。マラキアがものと、照会させる」

 頷き合った俺とヨルガが地図から視線を上げた先では、マラキアがもの言いたげな表情をしてたたずんでいた。
 そういえば、根源を探すほうに気を取られてしまったが……のものを見た、と言っていたな。

「マラキア……お前が見たものは、なんだ?」

 俺の問いかけに、マラキアは珍しく逡巡しゅんじゅんを見せる。

「私は、カリス猊下げいかつかえる身です。猊下を主神とあおぐ神官長である私自身が、このようなものを目にしたと口にして良いものか……不安を覚えてならないのですが」
「お前が『見たもの』程度に不安を感じるとは、珍しいな」

 有象無象の悪意とも言葉だけで互角に渡り合ってきたマラキアとは思えない、歯切れの悪さだ。

「だが、今のお前には俺がいる」
「……アンドリム様」
「案ずることはない。話してみろ」

 俺の言葉にうながされた神官長は、意を決した表情でそれを口にする。

「……竜の影が、見えました」
「何……?」
「竜、だと?」

 確かにそれは、予想外のものだ。
 驚愕きょうがくする俺とヨルガをよそに、マラキアは胸の前で指を組み、祈るような仕草を見せる。

「騎士団長殿の記憶を奪ったのは……砂漠の遺跡に住む、巨大な竜です」

 マラキアの言葉に、俺とヨルガのみならず、そばに控えていた使用人達も息を呑んだ。
 ユジンナ大陸全土には、森の王グガンディや巨大ムカデのヤヅに代表されるような魔獣が、数多く生息している。
 しかし『竜』は、それらと一線を画す存在だ。
 パルセミス王国に恩寵おんちょうを与える古代竜カリスしかり、ヒノエのササラギ家を呪い続けるヤマタノオロチ然り。
 一頭だけで、国家の存亡を簡単に揺るがす生物。それが、竜。

「アバ・シウに竜がいるという話は……初耳だ」

 騎士団長ということもあり、ユジンナ大陸各国の情勢に詳しいヨルガでも、砂漠に住む竜については覚えがないようだ。俺も宰相職にそれなりに長くいていたが、そんな話は聞いたことがない。調査が進んでいない砂漠であるがゆえに、見逃されていたのかもしれないが。

「……人間に存在を竜がいるとは、思えないが」

 俺は軽く曲げた指の背をあごに押し当て、思考を巡らせる。
 前述した通り、竜の持つ力は、絶大だ。強靭きょうじんで巨大な体躯たいくのみならず、国土の全てをうるおすほどに潤沢じゅんたく魔素マナや、復活を繰り返す永遠に等しい命など、様々な特殊能力を持つ。その竜が存在を隠蔽いんぺいすることが難しい最大の理由は、『食性』にある。

「……アバ・シウには人間が住んでいない」
「その通りだ。それでは、えさの調達に困るだろう」

 竜は、人を喰らう。彼らの主食は必ず『人間』なのだ。
 これは如何いかなる竜であろうとも、変わらない。食べる量にこそ違いがあるものの、現存する竜も記録に残る過去の竜も、等しく人を喰う。おそらく、ユジンナ大陸に生息する竜の持つ性質の一つとして、定義されているのだろう。

「その竜がカリス猊下げいかに並ぶ少食だとしても、竜に喰われた報告は必ず出回る」

 何せ、竜の身体は巨大だ。こっそり人間をかどわかして捕食する行為は難しい。それにそもそも、身をひそめて人を喰らう必要性がない。かといって、アバ・シウを通過するキャラバン隊が竜に襲われたという話も聞かないのだ。

「そうなると……可能性は、一つだ」

 あまり気持ちの良い結論ではないのだが。

「その竜に、が与えているのだろうよ。飼い犬に肉を与えるように……何処どこからか調達した人間を、餌として」

 俺の言葉に、応接間に集まった全員が押し黙る。
 その何かは、不毛の砂漠アバ・シウで密かに竜を飼い、何をたくらんでいるのか。
 良くも悪くも俺が対峙たいじすることの多い『悪意』とは次元の異なる、静かな狡猾こうかつさを感じる。そして何よりも、その竜がヨルガの記憶を奪った意図はなんなのか。

「……何はともあれ、まずは情報を集めたい。いざとなれば、私達が現地におもむくことも視野に入れた計画を立案しよう……レゼフ、陛下と宰相閣下に伝達を。ヨル……騎士団長殿が、現騎士団の構成にうといのは仕方がない。シグルドに連絡をして、砂漠の遠征経験がある団員を中心とした小隊編成を依頼してくれ」
「宰相閣下に、伝達……? それに、シグルドの名も聞こえたが」

 俺の指示を聞いたヨルガが、眉根を寄せて聞き返す。……そうだな、人物関係の変遷も、そろそろ教える必要があるか。
 十年前といえば、記憶を取り戻す前のが、宰相の権威と権限を存分に悪用していた時期だ。宰相配下の貴族達と王族を守護する騎士団との対立はいちじるしく、本来はそのどちらの勢力にもくみしないと定められていた神殿すら、神官長マラキアを通じてアンドリムの影響下にあった。
 それでも騎士団には将来を有望視される若者達が多く在籍しており、アンドリムの嫡男であるシグルドも、その一人だ。
 父の敷く圧政をいとうた彼は、十歳でアスバル家を飛び出したその足で、騎士団の門戸を叩いている。騎士見習いの期間を経て、十三歳からは従者を務め、十六歳で正規の騎士となるのだが、ヨルガの記憶ではシグルドはまだ十五歳。従者の段階だろう。
 さて……どの辺りから説明したものか。
 ちなみに、俺とヨルガの関係は、まだ明かすつもりはない。言ったとしてもどうせ信じないだろうし、変な勘ぐりで余計な警戒をされても厄介だ。
 俺はまずヨルガに、十年後のアンドリム・ユクト・アスバルがすでに宰相職を辞し、国政には相談役としてだけ関わっていることを教えた。
 一番に俺の失脚を想像したであろうヨルガに、自分から希望して辞職したことも、先んじて伝えておく。

「……それでは、今の宰相は?」
「五年前から、モリノ・ツェッツオが宰相を務めている」
「モリノ……あの、神童モリノか。まだ、子供だったはずだが」
「あぁ、確かにそう呼ばれていたな……貴殿の予想するモリノで、間違いない」

 俺から押し付けられるままに宰相の座にき、五年余り。昨今のモリノは、国家間は言うに及ばず、地下組織相手にも駆け引きを楽しむ実力を身につけてきた。
 便宜上は相談役である俺としても、その成長を見守るのはなかなかに楽しい。残念ながら、息子のシグルドは実父譲りの直情型で駆け引きを得手としてないから、尚のことでもある。

「それと……レギヴァン陛下とイルミナ妃は、六年前に事故でお亡くなりになっている」
「っ! ……それでは、現在の国王陛下は……!」
「五年前に戴冠された、ウィクルム陛下だ。ちょうど、ご子息が誕生されたばかりだ。騎士団長殿の気持ちが落ち着いたら、挨拶あいさつに伺うと良い」
「……必ずや」

 あまり一気に情報を詰め込むと、いくらヨルガでも思考が混乱する可能性が高い。
 人物関係を糸口に、十年の歳月がもたらした変化を、一つ一つヨルガに伝達している最中のこと。
 応接間の外に繋がる廊下が何やら騒がしくなってきた。
 首をかしげた俺が声を掛ける前に、部屋の入り口近くに足を運んだレゼフが観音開きの扉を薄く開き、顔だけを出して外の様子を確かめようとする。
 しかし、まさかそのわずかな隙間をけて応接間に侵入する者が現れようとは、俺でも予想できなかった事態だ。

「わーい!」
「っ!?」
「アルベール様!?」

 とてとてっ、と、まだ上手ではない走り方で応接間に侵入してきたのは、俺とヨルガの初孫であるアルベールだった。
 慌てるレゼフと扉の外を尻目に部屋の中をぐるりと見回したアルベールは、大きな瞳で俺達の姿を見つけて満面の笑みを浮かべる。

「じーちゃぁ!」

 膝を折ってしゃがみ込んで迎えるように広げた俺の腕の中に、かなりの勢いで飛び込んできた。
 歩行距離そのものは順調に伸びているとはいえ、幼児の歩行は不安定だ。それなのにジュリエッタや使用人達の目を盗み、すぐに何処どこかに逃走するのは、オスヴァイン家の血筋ゆえか。
 ふくふくとした身体を腕に抱え上げ、そのまま頭をでると、人懐っこい笑顔が遠慮なく振りまかれる。
 ひとしきり俺の抱っこを堪能たんのうしたアルベールの視線は、当然のように、近くで呆然としていたヨルガに注がれる。
 俺とヨルガは、共に行動していることが多い。駆け寄ってくるアルベールを受け止めた後は、それぞれが代わる代わるに抱っこをして、二人で順番にでる行為が習慣化していた。

「じーじ!」
「……っ!?」
「ん! じーじ! んん!」

 動揺するヨルガに向かって、紅葉もみじのような幼児のてのひらが懸命に伸ばされる。アルベールが抱っこをせがむ時の、いつもの仕草だ。
 それが何故なぜ、自分に向けられるかが分からないヨルガは、咄嗟とっさに反応できないでいる。

「じーじ、う……? じーじぃ!」

 いつもはすぐに抱き上げてくれるヨルガが動けないでいるせいで、アルベールがぐずり出しそうだ。
 俺は硬直しているヨルガの足を靴底で踏みつけ、ビクリと身体が揺れた隙に、アルベールを抱えて近づいた。一応俺のほうでも支えたまま、ヨルガの腕に小さな身体を乗せかけてやる。
 彼の太い腕は自然に動いた。アルベールの身体を安定させるように抱きかかえ、大きな掌がその背中を優しくる。
 ……こういう行動は、記憶がくとも身体が覚えているのだろうな。

「んふふ!」

 希望通りにヨルガの腕に収まったアルベールは、がっしりとした肩に頭をこすけ、ご満悦だ。
 ヨルガのほうは、抱き上げた幼児が持つ白銀の髪と榛色はしばみいろの瞳に何かを察したのか、俺の顔とアルベールを交互に見遣って愕然がくぜんとした表情になっている。
 まぁ、ちょうど良い頃合いか。

「二人とも、入ってくるがいい」

 マラキアに同行していたリュトラには予め部屋の外での待機を言いつけてあるし、アルベールが来ているのならば、ジュリエッタもそこにいるはずだ。
 俺が応接間の外に向かって呼びかけると、すぐに扉が開き、くだんの二人が姿を見せた。
 白銀の髪に翡翠ひすいの瞳を持つ乙女と灰色の髪を短く刈り込んだ背の高い騎士は、部屋の入り口で軽く会釈えしゃくをしてから、静かに俺達のそばに歩み寄る。
 青年騎士の髪色と顔立ちには見覚えがあるとみえて、ヨルガは成長したリュトラをまぶしそうに見つめた。

「リュトラ……か……?」
「はい、父上」

 うなずくリュトラの隣にそっと並んだジュリエッタも、ヨルガに笑いかける。

「お義父とう様」
「……きみは?」

 特徴的な髪と瞳の色から彼女がアスバルの血脈者だと推察できても、それが誰なのかまでは分からないらしい。
 十年前のジュリエッタは厚化粧で素顔を隠していたから、仕方がないことか。
 ジュリエッタは少し俺のほうを見て俺が頷くのを確認してから、ヨルガに向かって美しい所作でカーテシーを披露する。

「ジュリエッタ・オーシェイン・にございます」
「っ……ジュリエッタ様!?」

 ヨルガの記憶している中では、ジュリエッタは神殿に仕える『竜巫女りゅうみこ』だ。竜巫女は名目上、騎士団長よりも身分が上になるので、ヨルガも敬語を使っている。
 しかしそんなことよりも、彼女が口にしたファミリーネームのほうが衝撃的だったことだろう。思わずといった様子でアルベールを抱えたままこちらを凝視するヨルガに、俺はクツクツと肩を揺らして笑う。

「ジュリエッタ様、は……アスバル殿。貴方の……」
如何いかにも。ジュリエッタは私の愛しい娘……そして今では、貴殿の義理の娘でもある」

 俺が口にした肯定の言葉に、ヨルガは息を呑む。

「ジュリエッタ様は、その……殿下の婚約者ではなかったのか。しかし殿下……いや、陛下にはお子様が……」
「五年前に竜神祭があった。その際に、色々とあったのだよ……ジュリエッタは竜巫女の役目を他の娘に譲り、同時に、ウィクルム陛下との婚約は解消になった。陛下の正妃は元は贄巫女にえみこになっていた平民出の娘で、今は離宮で静養している。此度こたび陛下の嫡子を出産されたのは、側妃のベネロペ様だ。彼女は陛下の従姉妹いとこにあたる」


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