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しおりを挟むSTAGE1 脳筋が転生したようです
その日、ウィッシュボーン王国ハイクラウズ伯爵領を治める、ローズヴェルト家の屋敷内は、静寂と深い悲しみに包まれていた。
領主の大事な大事な宝物である一人娘が、生死の境を彷徨うほどの高熱に倒れてしまったのだ。家族と使用人たちが見守る中、腕が良いと評判の医師も、原因不明の症状にただただ首を横にふることしかできない。
――恐らくは、今夜が山でしょう。老いて乾いた唇が、悔しそうに告げた。
「ああ、どうして……どうして私たちのアンジェラが……っ!!」
若く美しい容貌を歪ませながら、伯爵夫人が膝から崩れ落ちる。もはや涸れたと思っていた涙も、大きな粒となって絨毯に染みを残していく。
国教の敬虔な信徒としても知られる伯爵は、幼い娘が倒れてからずっと、寝食も忘れてただひたすらに祈りを捧げ続けていた。
どうか、どうか、娘をお助け下さい。そのためならば、私たちはなんでもいたします、と。
――さて、家族がそんな悲しみに包まれている中、当の一人娘アンジェラがどうしていたかと言えば……夢の中で本来ありえないはずの『記憶』との対面を果たしていた。
人によっては『黒歴史』と呼び、数多の物語で『お約束』として出てくるそれは、すなわち。
(……嘘でしょ? ここ、乙女ゲームの世界じゃない)
――――そう、前世の記憶との邂逅、である。
男もすなる異世界転生といふものを女もしてみむとてするなり。
今世の名はアンジェラ・ローズヴェルト。御年五歳。どうやら、アクション系乙女ゲームの世界に転生して、かつての私……日本人だった時の記憶を取り戻してしまったようですよ。
(いやあ、本当にあるのね。『乙女ゲーム転生』って)
そのテの話は小説やマンガなどでも人気があったし、かつての私も読んでいたような気がしなくもない。しかし、それがまさか自分の身に起ころうとは、夢にも思わなかったわ。
異世界に転生するような人間は、大抵前世でイレギュラーな死に方をしているものだ。今の私は覚えていないけど、きっとその死への対価がこの『アンジェラ』としての人生なのだろう。そう思えばなんとなく得した気がするし、これからの人生に光明が見えそうな気もするわ。
(……しかし。よりにもよって、このゲームの世界に転生しちゃうとはね)
体の感覚は曖昧だけど、周囲を流れていくゲームの情報にはひどく懐かしさを覚える。ついでに言うなら、溢れんばかりの愛しさも。
前世の私が愛したこの作品、実は『乙女ゲーム』と呼ぶには少々異色のものだった。というのも、アクションゲームの大御所として名高いとあるメーカーが、半ばお試しのように世に出したものなのだ。
恋愛要素はかなり薄めで、シナリオの評価もいまいち。逆に、主人公を操作して戦うアクション部分は非常に高評価という、ややカテゴリーエラーな作品だった。かつての私も、そのアクション部分に〝のみ〟惚れ込んでいたプレイヤーだったんだけどね。
操作できる主人公は二人いて、『前衛系の女騎士』と『後衛系の聖女』のどちらかを選べる。攻略対象であり、共に戦う男性キャラクターは全部で八人。
その中から三人を選んで四人でパーティーを組み、各ダンジョンを攻略していく三人称視点のアクションである。
(それにしても、前世の私はあの作品を随分とやり込んでいたようね)
私が選んだ主人公は女騎士のほうで、レベルはもちろん最高値。装備は全て最高レアリティ品でがっちりと固め、女だてらに大剣を担いで戦っていた。もし彼女が実在したなら、女騎士ではなくメスゴリラかメスオークと呼んだ方が相応しいようなガチの戦闘屋だ。
そんな彼女とパーティーを組む攻略対象は魔法使いなどの後衛職のみ。肉壁とアタッカーの両方をこなす主人公に守られていた男たちは、きっと恋愛とかどうでもよくなったんじゃなかろうか。むしろ、あれだけ装備をそろえれば彼女一人で世界も救えただろう。
(そりゃあ恋愛シナリオも薄くなるわよ。だって主人公はゴリラだもの)
いくら二次元のイケメンとて、ゴリラに甘い言葉を囁けるようなメンタルは持ち合わせていないだろう。あったらあったで、趣味を疑いたいところだけど。
ともあれ、周囲を流れる情報を見るだけでも『廃人』と呼べるほどの凄まじいやり込み具合だ。かつての私がこの作品を愛していたのは、痛いほどに伝わった。
それだけ愛と情熱を傾けていた世界に転生できたとなれば、どんなチート転生者にだって自慢できる最高の幸運だろう。
(ふっふっふ……今世の私は勝ち組確定ね!)
日常生活の記憶は全くないくせに、このゲームに関する情報だけは頭にインプットされ続けている。ギミックを知り尽くした戦場など、もはや恐れる必要はない。
神は私に、英雄になれと言っているのだ――!!
――と、盛大な勝ち組宣言をしようとして…………神の犯したミスに、気がついてしまった。
それはもう、たいっっっへん致命的なミスに。
私の今の名前は『アンジェラ・ローズヴェルト』である。
けれど、記憶の中のメスゴリラ……もとい、かつて使い込んだ前衛主人公の名前は――
「……ディアナ?」
そう、月の女神を由来とする彼女の公式名はディアナ。
では、アンジェラとは誰だ? 天使の意味を持つ、この名前を与えられていたのは?
「…………アンジェラって……まさか、後衛主人公のこと!?」
あの作品で操作できる主人公は二人いた。
私が極めたガチムチ脳筋メスゴリラのディアナと、攻撃が苦手な回復特化の聖女――かつての私が一度たりとも使ったことのない、アンジェラという主人公が。
やがて高熱から奇跡的な生還を遂げ、周囲からの祝福の声が飛び交う中、私が『私』になって初めて発した言葉は、
「……転生人生詰んだ」
であった。
* * *
「……参ったなあ。せっかくの転生人生なのに、まるっきり理想と逆だわ」
窓から差し込む日差しが心地よい、うららかな午後の一時。暖色系の調度品でまとめられた、幼女に与えられるにしてはあまりにも広い自室にて、私は深くため息をつく。
――前世の記憶との邂逅から、早数日が経った。
あの日、プレイヤーだった記憶を取り戻した私は『かつての私』と完全な同化を果たしたらしく、考え方もすっかり変わってしまっていた。
それまでの大人しい伯爵令嬢から一転、脳みそまで筋肉でできているような短絡的思考の持ち主……略して『脳筋』になってしまったのだ。座右の銘は、困ったらとりあえず殴れ、である。
しかし、今世の私の容姿は、典型的な儚げ美少女だ。
透けるような真っ白な肌に、さらさらな亜麻色の長い髪。サファイアのような青く澄んだ瞳には、長いまつ毛が影を落としている。
こんな壊れ物のように美しいお嬢様に、荒事は似つかわしくない。
(外見がきれいなのは別に嫌じゃないのよ。五歳でこれだけキラキラ美少女なんだから、将来は絶世の美女確定だろうし)
だが残念ながら、外見の美しさは戦闘には必要ない。かつて操っていた主人公・ディアナがそうしていたように、私も巨大な剣をふるって戦場を駆け巡るつもりだったのだから。
「恋愛要素? そんなものは知らんよ」と苦笑を浮かべて去り行くような、ガチムチゴリラになりたかった。……いや、なれるだけの根性は今も持っているのだ。
――問題は、それを実行する肉体のほう。
「……なんて華奢な体かしら。これぞ正しく『パーティーの一番後ろの回復要員』って感じよね」
私の体は、それはもう華奢で細い。四肢は小枝のようにヒョロヒョロで、もちろんかすり傷一つついていない。こんな細腕では、大剣を担ぐなんて夢のまた夢。短剣どころか食卓でナイフを握るだけでも危なっかしいぐらいだ。
(私もディアナのように男たちを押しのけて、最前線で戦いたかったのに! 色々と特典をくれるのはありがたいけど、そうじゃないのよ神様!)
贅沢すぎる悩みとはわかっていても、どうしても文句が言いたくなってしまう。
実は私、このきれいな外見の他にも〝神からの祝福〟を沢山受けているのだ。
これは前世の記憶を取り戻す前に調べてもらったことなのだけど、この小さな体には膨大な魔力が備わっているらしい。普通の人間ではまずありえない……それこそ、チートとしか言いようがない量の魔力が。
記憶を取り戻した今ならわかる。これが俗に言う『転生者特典』なのだろう。
生家は伯爵位を賜る貴族で、先祖代々国教の敬虔な信徒でもある。そこに生まれたトンデモ魔力持ち、かつ容姿も美しい私を、『神の愛し子』なんて呼ぶ人がいたぐらいだ。
今回、瀕死の状態から生還したことが広まれば、評判はますます良くなるかもしれない。つまり、この歳でもう将来の栄光が約束されているのだけど……そういうのを望んでいたわけじゃないのよね!
「だいたい、記憶を思い出すきっかけが高熱っていうのもよくないわ。ショック療法みたいなものなのだろうけど、本当に死にかけるとかさ……」
私が今の私として目覚めたあの日、体のほうは生死の境を彷徨うほどの状態だったと聞いて、目玉が飛び出るぐらいに驚いた。神様ってば、ちょっとやりすぎじゃない?
前世の私は、どんな死に方をしたんだっけ――いや、考えるのはやめよう。覚えていないということは、忘れたかった可能性が高いもの。
とにかく、あの高熱のせいで両親や使用人はずいぶんと心配性になってしまい、私がどこへ行くにも必ずお供がついてくる。元々体は強くなかったし、貴族の娘なら当然といえば当然だけど、それにしたって過保護すぎるのよね。
「…………今日もいるわよねえ」
ちら、と視線を背後へ向ければ、すぐ見える位置に誰かが必ず控えている。私が少しふり返るだけで『ご用ですか、お嬢様!』と即座に目を光らせる使用人が、酷い時には五人ぐらい控えていたりするのだから、勘弁して欲しいわ。
「自室で大人しくしていてもこれじゃ、体を鍛えるなんて無理よねえ……」
こっそり外出なんてまずできないし、部屋の中で筋トレをしても、当然止められるだろう。恵まれた環境だとわかっていても、ついため息がこぼれてしまう。
……かつての私は、あのゲームを愛していた。そして今の私も、あの脳筋プレイを再現したいと強く思っている。
前世の記憶から得た情報を試したい。そして、戦場を駆け抜けたい。欲求は尽きないけど、現実は無情だ。
「こうなったらいっそ、魔法職を極めるべきか……でも私、攻撃魔法は使えないのよね」
超攻撃型だったディアナに対して、アンジェラは回復などに特化した完全なサポートキャラだった。それは今の私も同様で、この国の赤ん坊が皆受ける教会の魔力適性検査でも『神聖魔法』に向いていると診断された。
神聖魔法とは、神様から特別に力を借りて行う奇跡の魔法であり、癒しの効果がある。反面、今の私に攻撃スキルは全くない。この辺りも悲しいかな、ゲーム通りのようだ。
「……サポートだって大事な仕事というのは、わかっているつもりよ」
一口にサポートと言っても種類は豊富だ。味方の強化や敵の弱体化はもちろん、索敵したり宝箱の封印を解いたりするものも全てサポートになる。
攻撃専門だったかつての私も、その技術には大変お世話になったからね。
それに、アンジェラには『回復魔法』という極めて重要な役割がある。回復用のアイテムはこの世界にも売っているだろうけど、あんなものを大量に使っても平気だったのは、あくまでゲームキャラであり『データ上の存在』だったからだ。
ちゃんと内臓が入った生身の人間に、アイテムがぶ飲みなんて無茶を強いることはできない。下手をしたら、体を壊して死んでしまうわよ。
よってサポートキャラは、とても大事な役割を持つ。わかってはいるけど――それでも、何ごとにも性格との相性があると思うのだ。
「私じゃ、うまくできる気がしないのよね、サポート役」
考えることは苦手だし、敵を見たらすぐ戦いたくなる。そんな脳筋女に、パーティーの生命線でもあるサポート役を任せてもらってよいものか。……いや、だめだろう。私が他のメンバーだったら嫌だ。
「……神様は、どうして私をこの立場に転生させたのかしら」
答えが返ってこないとわかっていても、どうしても聞きたくなってしまう。
もし間違えたというのなら、神よ、今からでも遅くはない。女騎士のほうにチェンジしてくれれば、私は喜んでメスゴリラになろう!
あるいは前世の記憶を忘れたままなら、アンジェラは清く正しい『聖女様』にちゃんと育ったかもしれないのに。何故こんな脳筋な記憶を思い出させてしまったのか。
――――答えは、神のみぞ知る。
「……でもアンジェラの役割を捨ててしまったら、多分私はメンバーに選ばれなくなるわ。ゲームで聖女アンジェラに求められていたのは、戦闘技術じゃなくてサポートだもの」
ゲームで主人公二人と攻略対象八人が所属していたのは、このウィッシュボーン王国の第三王子が各地から有能な人物を集めた、魔物の調査・討伐部隊だった。
アンジェラも優れた神聖魔法の使い手だったからこそ、そこに加わることができたのだ。その適性を捨ててしまえば、きっとサポート役には別の人間が選ばれ、私はただの伯爵令嬢として一生を終えるだろう。いずれ誰かと結婚して子を産んで……ただただ平穏な人生を送ることになる。
「それじゃあ、なんのためにこの世界に転生したって言うのよ!?」
その生き方を否定はしないけど、記憶を取り戻した私は、もうただの伯爵令嬢じゃない。
戦場の地形や敵のステータスなど、必ず役に立つ情報が私の中にはたっぷりとつまっている。これを何にも使うことなく死んだら、転生した意味がないじゃない。
かつての興奮を、今世では生身で感じられるのに! この世界の全てを見られるのに!!
「――――あ」
その瞬間。それは天啓のように、ふっと私の頭の中に浮かんだ。
詰んだと思っていた人生の要素が、別の要素と結びつき――私の求める主人公像を導き出す。
……そう、確か有名なのは、とあるオンラインゲームのプレイヤーたちだ。
人は彼らのような存在を『殴り聖職者』と呼んでいた。
* * *
「お父様、お母様。私に魔法を学ばせて下さい」
翌朝、多忙な両親が珍しくそろった朝食の席で、私ははっきりとそう口にした。
歳の割にはワガママを言わない娘の『おねだり』に、彼らは一瞬喜んだものの、すぐに困ったような表情へと変わる。
何せ、まだ五歳の子どもだ。淑女としての教養を学ぶならまだしも、『魔法』などという貴族にはあまり関係のない分野に手を出すには早すぎる――声にはしなかったけれど、両親の表情は雄弁に物語っていた。
しかし、私にとっては一日でも早く習得しなければならないものなのだ。美しい顔を困惑の色に染めた彼らに、私はなるべく堅苦しく聞こえるよう、とっておきの言葉を告げた。
「主より、天啓を賜ったのです。来るべき時に、私の力が必要になると」
次の瞬間、ガタンと大きな音を立てて両親は立ち上がった。
困惑していたのが嘘のように、満面の笑みを浮かべる二人の目には、歓喜の涙がにじんでいる。
主とはすなわち神様のことで、一神教を国教とするこの国では唯一無二の存在である。そして、敬虔な信徒である私の両親は、その存在にめっぽう弱い。
……いや、別に嘘を言って騙しているわけじゃないのよ? 本当に私、神様から多大な加護をもらったわけだし。後々この力で大活躍する予定だし。
「お父様、お母様。どうか、お許しいただけませんか?」
「もちろんだよ、私たちの可愛い娘! お前は本当に、我がローズヴェルト家の誇りだ! すぐに専門の書物と教師を手配しよう!」
一応遠慮がちに言ってみれば、結果は予想通りの好感触。父は食事もそこそこに、リビングから駆け出していってしまった。
……ちょっと先走りすぎている気もするけど、仮にも伯爵を名乗る人だもの。これは期待ができそうだわ。
(これで魔法を学ぶ環境はなんとかなりそうね。あとは私の努力次第よ)
父を追うように慌しく動き始めた使用人たちを目で追いながら、脳筋な聖女としての第一歩を踏み出せたことに、私はこっそりと笑った。
さて、ここで一つ弁明しておきたいのだけど、脳筋とは『頭が悪い人』のことではない。『頭を使うのが面倒な人』のことである。ただし、頭突きのような物理的な使い方は別ね。
何か難しい問題が起こった時に、話についていけないのが頭が悪い人であり、「めんどくせえ! とりあえず殴ろう!」という短絡的な答えを出すのが脳筋だ。
……何が言いたいのかって? 私は脳筋だけど、本や勉強が嫌いではないってことよ。
このアンジェラ、齢五つにしてすでに文字の読み書きができるのよね! ……まあ、貴族の令嬢なら当たり前の教養なのかもしれないけど、それなりに優秀ではあるのよ。
食事を終えた私は、父の執事によって屋敷の蔵書室へと連れてこられていた。
部屋の中央にはやたら立派な樫の長机と、座面にビロードを張った高そうな椅子が鎮座している。そして机上には、ひとまずこの屋敷にある分だけの魔法書が積まれていた。どれもこれも、辞書のような分厚い本だ。
……うちの両親、本気出しすぎよ。もともとこれだけの蔵書があったのなら、わざわざ頼む必要はなかったかもしれない。
「と、とにかく、目当てのものは手に入ったわ。これで魔法が習得できるわね。えーと、強化魔法のページはどこかしら……」
一冊でも私の細腕で抱えるにはかなり厳しい重さだけど、内容は実に興味深い。ええ、こんな難しい文章も読めるわよ! 記憶を取り戻す前のアンジェラなら童話集が関の山だったけど、前世の私は攻略本も設定資料集もノベライズも読破していたからね。
……さて、魔法を学ぶと決めたのは、決してサポート役の運命を受け入れたからではない。いかにもな聖女様ではなく、私らしい『アンジェラ』になるための答え。それが、サポート魔法を学ぶことにあると、先人の知恵によって気付けたのだ。
殴り聖職者。これは、とある有名なオンラインゲームのプレイヤーの呼称である。
回復やサポートを専門とする後衛職を選びつつも、ソロプレイ……つまり守ってくれる仲間なしでダンジョン制覇をしていた猛者たちだ。
普通に考えればありえない。後衛職はパーティーの一番後ろで守られながら、仲間を生かすのが仕事なのだから。しかし彼らは〝ぼっちプレイ〟の底力を見せてくれた。
「本来、仲間にかけるはずの強化魔法を自分にかけて戦うなんて、よく考えたわよねえ」
別にそこまでしなくても、仲間を集めればよかっただろうに。彼らが孤高のプレイにどんな価値を見出していたのかは、今の私にはわからない。
けど、その先人の知恵こそが、今の私にとって最良の選択であることは確かだ。
幸いにも、私の魔力は溢れんばかりに豊富。筋力強化の魔法を究めれば、この細腕で重たい武器をふり回すこともきっと夢じゃない!
最前線に立って戦いながら、味方の回復もできる聖女様だなんて、素晴らしいじゃない!
「ふふふっ、チート上等よ! この私が、全ての敵を薙ぎ払ってみせる!!」
ともすれば悪役めいた高笑いでもしてしまいそうな高揚感。魔法の勉強を許可された時点で、もうこの人生は勝ったも同然だわ!!
待ってなさいダンジョン! 待ってなさいボスモンスター!! 最高の敗北をくれてやろうじゃないの!!
こぼれそうな笑いを無理矢理押し込めつつ、分厚い書物を舐めるようにじっくりと読んでいく。さすがに五歳児の頭には難しい言い回しが多いけど、理解できないわけではない。一文一文を頭に刻むように、神経を集中していく。
――――ゆえに、気付くのが遅れてしまった。
「……アンジェラは、なんだか雰囲気が変わったね」
「――ッッ!?」
おっとりというか、のんびりというか。そんな表現が似合いそうな優しい声で呼ばれて、魔法書にのめり込んでいた私はビクッと肩を震わせた。
ちょうど私の背後、少しだけ開いた扉の隙間から、一対の瞳が遠慮がちにこちらを見つめている。真っ黒なその目は、私の家族のものではない。
「あ、ごめん。驚かせちゃったかな」
目が合ったことに気付いたその人物が、ゆっくりと室内へ入ってくる。
仕立ての良い白のシャツとサスペンダー付きのハーフパンツという、いかにも良家のお坊ちゃんなスタイルで現れたのは、私とそう歳の変わらなそうな少年だった。
「――あ」
その姿に、私ははっと息を呑む。……同時に、失敗したと思った。
記憶を取り戻す前のアンジェラなら、ここはにこやかに笑って彼を迎えるところだったから。
「……ジュード」
恐る恐る名前を口にした私に、少年は困ったように微笑んでくれる。
……ああ、やっぱり私は考えが少し足りないらしい。強くなることばかり考えていて、ここが一応『乙女ゲームの世界』だってことをすっかり忘れていたわ。
――ジュード・オルグレン。彼は〝攻略対象〟だ。
ダブル主人公モノの恋愛ゲームといえば、わかる人にはわかるだろう。男性向け女性向け問わず、これには必ず『特別なキャラクター』がいる。
それは、〝片方の主人公でしか攻略できないキャラクター〟だ。
どちらの主人公も使ってもらえるようにと開発者が仕込むもので、隠しキャラだったり真相解明ルートのキャラだったりと、その存在は大抵が重要だ。
応援ありがとうございます!
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