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1巻
1-1
しおりを挟む第一章
「だからさ蓮見さん、食事だけでもつきあってくれないかな」
多分、断られるとは思っていないのだろう。目の前の男からは自信に満ちたオーラが感じられる。しかし依里佳にとってそれは、ただただ息苦しいものでしかない。その圧に耐えられず、思わず目を伏せてしまう。
「すみません、その日は予定が入っていて……」
誰もが目を奪われる印象的な瞳は、憂う様でさえ人目を引く。左の泣きぼくろの上に出来た長いまつ毛の影にすら惹かれる者がいるほどだ。
その男も例外ではなく、彼女の何気ない仕草に見惚れているようだった。
「来週の金曜日は?」
「……その日も無理です」
「じゃあ、いつならいいの?」
「……ごめんなさい、行けません」
依里佳は困ったように笑い、小声で言う。そして軽く頭を下げるなり、目の前の男に背を向けて足早にその場を離れた。
「蓮見さん、また男の人振ってる。しかも技術研の高塔さんだよ」
「自分がモテるって見せつけたいんじゃない?」
「蓮見さんの本性知らないのかねー、技術研の人たち」
後ろの方で、女性たちの好き勝手な言葉が飛び交っている。それを耳にした依里佳は肩をすくめた。
(別に見せつけたいわけじゃないし!)
依里佳は桜浜市にあるIT企業で営業として働くOLだ。書類を他部署に届けに行った帰りの廊下でいきなり呼び止められ、食事に誘われたのだ。言われてみれば彼は技術研究所の高塔――と名乗っていた気がする。その名前は依里佳も聞いたことがあった。社内の花形部署、技術研究所のイケメンらしい。
だからと言って知りもしない相手と二人きりで食事になど行けるわけがない。だから謹んでお断りした。
たったそれだけのことなのに、この言われよう。
(もう慣れちゃったけど!)
依里佳は軽くため息をついた。
二十四年間生きてきて、このように知らない男性からいきなり誘われる経験は初めてではない。そして、同性の同僚たちが自分を見てせせら笑っている場面もまた、初めてではない――というより、依里佳の入社以来、ずっと続いている。
「じゃあ私の本性知ってるんですかねー? あんたたちは」
「ひぇっ」
突然耳元で囁かれ、思わず変な声を上げてしまった。
「――って、言ってやればよかったのに」
「……なんだ、美沙か」
社内では数少ない『依里佳の本性を知っている派』の一人――同期の及川美沙が、とぼけた言葉とともに彼女の顔を覗き込んだ。
「『男を手玉に取って喜んでる尻軽』なぁんて、言わせてていいの?」
「……もう、ほとんど諦めてる」
依里佳はすねたようにくちびるを尖らせた。
「諦めたらそこで試合終了なのにー」
美沙が某スポーツ漫画の名台詞を引用して依里佳を励ます。
「そんなこと言うけどさ、美沙! 私が何を言ったところで、ぜんっぜん信じてくれないんだよ!? あの人たち!」
美沙に縋りつくような勢いで依里佳は言う。
そう、自分が決して彼女たちの思うような女ではないことを理解してもらおうと、依里佳なりに頑張ってはみた。何度か直談判もしてみたけれど、それを素直に信じてくれるような生易しい女性たちではなく。
説得を諦めた依里佳はエネルギー節約のため、以来、多少のことでは自分の弁護をしなくなった。その代わり、彼女たちに中傷されても無視を決め込むだけの図太さが身についた。今では仕事に支障をきたしかねない時に限って、それなりに反論することにしている。
「まぁ、自分たちが普段から敵と見なして蔑んでる女が、実はぜ~んぜん男っ気ない生活を送ってます、って知ったら目玉飛び出るかもね。……あ、そんなことないか、男の子っ気はあるし」
クスクスと笑いながら、美沙が依里佳の脇腹をつついた。
「ちょっ……やめてよ!」
身をよじって彼女から逃れた依里佳の胸ポケットから、ペンが落ちて転がっていく。それは彼女たちの背後を歩いていた人物の靴に、コツン、と当たって止まった。
「あ……すみません!」
依里佳が慌てて拾おうとすると、大きな手が視界に入りペンを取り上げる。手の行方を辿るように見上げると、そこには満面の笑みを湛えた顔があった。
「どうぞ、蓮見さん」
キラキラをまとった長身の男がペンを差し出してくる。依里佳はそれを受け取ってお礼を言った。
「ごめんね、水科くん。ありがとう」
「いえいえ、失くさなくてよかったですね」
あくまでも笑顔を絶やさないその男は、右手を振りながら依里佳たちの横をすり抜けて行く。
「水科くん、相変わらず愛想いいわね」
美沙が感心したように言った。
水科篤樹は依里佳と同じ二十四歳だが、一年後に入社した後輩社員である。若手俳優のように甘く整った顔立ちで、瑞々しく爽やかな雰囲気をまとった美形だ。入社当時から変わらない愛想のよさを持つ好青年でもある。
その上、平均よりかなり高い身長、有名私立大学出身という頭のよさ、若手ながらやり手と評される能力の高さで、女性社員から人気を博していた。
「水科くん、蓮見さんに何か変なこと言われなかった?」
「気をつけた方がいいよ? あの人尻軽だし」
「あんな人に関わったら、水科くんまで変な噂立っちゃうよぉ?」
声に釣られ振り返ると、さっき依里佳を悪し様に言っていた同僚――佐々木、井上、そして高橋の三女子が水科を捕まえて、あれやこれやとアドバイスしていた。
彼女たちは、依里佳にとってはもはや『天敵』のようなものだ。
一年先輩の佐々木と一年後輩の高橋は、依里佳と同じ部署、そして同期である井上は隣の部署に所属している。年齢はバラバラだが、いつも三人仲良く固まっていることが多い。
依里佳は今の部署に配属された頃にはすでに、何故か彼女たちから目の敵にされていた。三女子曰く、蓮見依里佳とは『何の努力もしていないのに、男にちやほやされて調子に乗っているふしだらな女』なんだそうだ。薄っぺらい悪口だが、当の本人にとっては、それなりに攻撃力の高い言葉である。日々、地味に精神を削られていた。
「ちょっと、あんたた――」
あまりの言いようにさすがの美沙も呆れ果て、口を開きかける。と同時に、水科が急に弾んだ声で、彼女たちに呼びかけた。
「そんなことより、もっと楽しい話しません? ……あ、そうだ。俺この間、友達とすっごい美味いパンケーキ屋に行って来たんですけど。半額クーポンたくさん貰ったんで、お裾分けしますよ~」
「あ、あたしパンケーキ好き~」
「え~、どこどこ? そのお店」
「水科くん、今度一緒に行こうよぉ」
水科が女性たちの背中を押し、依里佳たちから離れて行った。
「上手く話逸らしたわね、ナイス水科くん。露骨に庇ったりしたら、あの人たち余計に依里佳のこと目の敵にしちゃうもの」
後輩のスマートな対応に、美沙が目を見張る。
確かにあれは依里佳のために話を逸らしてくれたのだろう。そういう声色だったのは、彼女にも分かった。でもわざとらしく思われない絶妙なニュアンスで三女子の注意を引いていた。
「いいなぁ……」
依里佳は水科の背中を見つめながら呟く。おそらく美沙にすら届かなかっただろうその小さな本音は、ごくごく自然に口をついて出た。
水科が皆に分け隔てなく愛想を振りまいても、『誰にでも媚を売っていやらしい』なんて言う人はいないのに――依里佳は彼を心の底から羨ましく思う。
そういう意味での『いいなぁ……』だった。
依里佳の所属する営業企画部の十七階フロアの端っこに、その書類倉庫はあった。少し埃っぽい室内の奥に、かなり古い資料が収納された棚がいくつか並んでいる。その棚の後ろに、小さな扉が隠されているのを知る人間は、ほとんどいないだろう。そもそも倉庫に立ち入る社員自体がまれで、古い棚を目指す人間は皆無と言っていい。
水科の後ろ姿を見送った後、廊下で美沙と別れた依里佳は、さも用事がありますと言わんばかりの態度で倉庫に入った。慣れた手つきで棚をどかし、扉をくぐる。配線スペースを少し歩くと、上に向かう鉄骨階段が現れる。依里佳はカンカンと靴音を響かせて二階分を上って行った。一番上にもう一つある分厚い鉄扉を開けるや否や、ビュウッと音を立てて風が入り込んでくる。
その勢いに目を細めた依里佳が外に出ると、途端に視界に広がる、青、青、青。朝の天気予報で今日は快晴と言っていたけれど、まさにその通り。
抜けるような青空が、そこにあった。
――十八階建ての社屋の屋上だ。
高さ三メートルほどのフェンスに囲われたそこは殺風景でもの淋しく、普通の人なら立ち入ろうとさえ思わないだろう。
風を全身に受けながら、フェンスのところまで歩いて行く。端まであと二メートルというところで立ち止まり、足を肩幅程度に開いた。両手を口の両側に添えて深く息を吸い込み、そして──
「バカヤローーー!!」
依里佳は渾身の雄叫びを上げた。
「私は尻軽じゃなぁーーーい!! ごくごく普通の女子なんだからぁああああ!! 男を弄んだことなんて、一度だってなぁあああい!!」
さらに絶叫は続く。
「好きでこんな顔に生まれたわけじゃなぁあああい!! っていうか、あんたたちは私が尻軽だって証拠でも持ってんのかって言うんですよ!! 私のこと、これっぽっちも知らないくせにぃいいい!!」
肩で息をしながら、依里佳は心に溜め込んだ澱を吐き出すように声を張り上げる。ここでは何をさけんだところで、誰にも聞かれないから安心だ。
「……はぁ、スッキリした」
満足げに笑むと、依里佳は急いで元来たルートを引き返す。まだ就業時間なので、あまり長く席を外すわけにはいかない。棚の位置を戻すと、素知らぬ表情で部署まで戻った。
この会社に入ってすでに二年が経っているが、依里佳は入社当時から何かと目立つ存在だった。それは彼女がかなり容姿に恵まれた女性であるためだ。
少したれ気味の大きな瞳。二重まぶたを縁取るまつ毛は濃く長い。そしてその目の魅力を引き立てるように存在する泣きぼくろ。それほど高くはないがツンと尖った鼻、ふっくらとしたくちびる――コケティッシュで、いかにも男好きのする顔立ちだ。ダークブラウンのショートボブヘアは、ともすればルーズになりがちな彼女の印象を引き締めている。スラリとした肢体はほどよい曲線を描き、そこからほんのりと漂っているように感じられるフェロモンも、男を惹き寄せる要因だろうか。
そのためか、依里佳は入社後すぐに男性社員の間で話題となり、アプローチを受け続けてきた。そしてそれを妬んだ一部の女子社員からいわれのない中傷を浴び続けて現在に至る。
けれど依里佳は、今まで一度たりとも社内の男性とつきあったことはないし、ましてや弄んだ覚えもない。
過去に彼氏と呼べた存在だって二人しかいなかった。自分から好きになった人が依里佳を選んでくれたことなど、今まで一度もない。過去に好意を寄せた男性は皆、彼女とは真逆のルックス――決して派手ではない、ふわふわとした綿菓子のような女性を好んだから。
自分に言い寄る男の大半は、依里佳の華やかな見た目だけで中身を判断し『男慣れしていて小悪魔的で自信に満ちた女性』だの『恋人としては最高だが結婚相手には向かない女』だのと思い込んで接してくる。
そして本当の彼女を知ると、決まってこう言うのだ。
『君がそんな人だとは思わなかった』
勝手に『理想の蓮見依里佳像』を作り上げたくせに、まるで騙されたような顔をしてこちらを責めるから、彼女はその度に傷ついてきた。
(私だって、こんな派手な見た目に生まれたくなかった)
何度そう思ったことか。もちろん、そんな台詞を口にしてしまえば、他の女性から要らぬ反感を買うことは分かっているので、黙して語らないでいるけれど。
そもそも依里佳はルックスにこそ華はあれど、性格はそれに反比例している。決して暗くはないが、どちらかと言えば地味だ。注目されることは好きではなく、芸能界にスカウトされたこともあるが、すべて断っている。むしろ某少年漫画に登場するラスボスの口ぐせのように、『普通に、静かに暮らしたいの!』と、常々言っている。
自分の性格にこの器は、とても釣り合っていないと思うのだ。現に、彼女をよく知る友人に言わせると、依里佳は『王室御用達ブランドの高級クリスタルシャンパンフルートに、ペットボトルのお茶を入れたような女子』なのだそうだ。要は『中身は地味である』と言いたいのだと思うが、
『ペットボトルのお茶美味しいし! 私は好きだよ!』
と、的外れな反論をしてしまった依里佳だった。
「え~りか! 今日帰りにパンケーキ食べてかなぁい? パ・ン・ケ・ェ・キ! 水科くんから半額チケットもらったんだよぉ。ありがとねぇ~、水科く~ん!」
水科に向かって大きく手を振りながら、松永ミッシェルが依里佳のもとに小走りで寄って来た。かなり大きな声を出しているのは、おそらく例の三女子に当てつけているためだろう。
(美沙から聞いたのかな?)
ミッシェルは日本人とアメリカ人のハーフだ。依里佳と美沙とは同期入社で、依里佳とともに男性社員の話題をさらった美女でもある。ポーランド系アメリカ人の母親の遺伝子を色濃く受け継いだ彼女は、本来潜性遺伝であるはずの青い瞳が一番の特徴だ。日本生まれ、日本育ちながら、見た目でいろいろな思いをしてきたせいか、依里佳と苦労を分かち合う仲でもある。
社内で嫌な思いをすることがあれば、美沙も含めて三人でフォローし合ってきた。だから、ミッシェルがこうして自分を庇ってくれているのを見て、『そんなミッシェルが好き!』と心で絶賛しながらも、依里佳は申し訳なさそうに手を合わせる。
「あー……ごめん! 今日は翔と一緒に映画観る約束してるから」
「あはは~、そっかぁ。翔くんならしょうがない! よろしく言っといて~」
翔――依里佳の甥の名前を聞いたミッシェルは、納得したとばかりに彼女の肩を叩いた。
「うん、また誘って! じゃあ私、帰るね!」
依里佳はミッシェルに手を振り、職場を後にした。
***
「あれ、蓮見さん、お疲れさまです。蓮見さんも、北名吉駅を使ってたんですか?」
まさかこんなところで彼の顔を見るとは。依里佳は自分の目が信じられず、ぱちぱちとまばたきを繰り返した。
「う、うん……東口なの。水科くんも?」
「そうなんですか、俺は西口なんですよ。今まで会ったことなかったですよね?」
ミッシェルの誘いを断って帰途についた依里佳は、会社のある桜浜駅から各駅停車で十五分の地元駅――北名吉に着き、電車を降りてすぐに水科と出くわした。
彼の言う通り、今まで一度も会わなかったので、依里佳は水科が自分と同じ駅を利用していたなんてまったく知らなかった。
ここにはさすがに例の三女子の目もないので、そのまま一緒に改札口へ向かう。
「あ、水科くん。今日はありがとう。佐々木さんたちの話、逸らしてくれて」
「あぁ……あれ、結構えげつなくて聞くに堪えなかったんで。蓮見さんのためと言うより、自分のためでしたよ」
「でも、嬉しかったから。ありがとう」
本当は、嬉しいというより羨ましかったんだけど――こんなことを伝えたところで水科が困ってしまうと思い、あえて本心は言わなかった。それくらいの気遣いは心得ているし、嬉しかったのも嘘ではない。
「俺も嬉しいです」
「え?」
「こうしてめずらしく、蓮見さんが俺に話しかけてくれたから。いつもは業務連絡以外で、声かけてくれないじゃないですか」
「それはほら、私が話しかけると、水科くんに迷惑がかかるかな、って思って」
社内の男性社員と気軽に会話しようものなら、三女子が目ざとく見つけては『媚を売っている』だの『色目を使っている』だのと言ってくるため、女子社員に人気な彼には下手に声などかけられないのだ。おまけに彼女たちは、管理職の前ではあからさまに罵ってくることがない分、タチが悪い。
「あははは、そんなこと気にしてくれてたんですか? 大丈夫ですよ、俺はそんなの全然気にしませんし、彼女たちの発言についても何とも思ってませんから。だからどんどん声かけてください。俺も蓮見さんと仕事の話とか、いろいろしたいです」
依里佳と水科は部署こそ一緒だが、グループが違うので仕事の内容も若干違う。直接関わることはあまりないが、お互いの業務について把握するための情報交換も、時には必要だ。
「あ……りがとう。うん、これからは話しかけるようにするね」
「是非是非そうしてください」
そう言って水科が笑う。
「……?」
その笑みに少し違和感を覚えた。いつものぱぁっと輝くような笑顔ではなく、しっとりとしていて、どこかほんのりと色気が漂っているというか。
花で例えるならば、いつも会社で見ているのは開花したばかりのピカピカなひまわり。そして今の表情は、咲きかけの白い牡丹といったところか。繊細な花びらが幾重にも重なったつぼみがゆっくりと開いていくような、そんな笑みだ。とても色っぽく、見ていてドキリとする。
水科のこんな色づいた表情なんて初めて目にしたので、依里佳は思わず息を呑む。仕事の後でやや疲れた感じがそう見せているのだろうか。でもその割には妙に弾んでも見えるような、なんだか不思議な雰囲気だ。
「もしかして、水科くんは今からデート?」
改札を出て東口と西口の分岐点まで来た時、依里佳は尋ねた。ところが水科は何を聞いているのだろう? という表情で首を傾げる。
「え? どうしてですか?」
「えっと……水科くん、どことなく楽しそうだから、そうなのかな、って」
「いやいやいや。……それは、蓮見さんとこんなところで会えたからですよ。今日の俺すげぇついてる、って。あー……俺、これで一週間分くらいの運、使い果たしちゃったかも」
ふうわりとして、それでいて艶っぽい笑みから淀みなく放たれたその言葉に、依里佳はくすぐったい気持ちになった。
(こういうこと、サラッと言えちゃうのってすごいなぁ)
「水科くんって……女性を立てるの、上手だよね?」
「そうですか?」
「今日だって、全然角を立てずに佐々木さんたちの話を流してて……だから人気があるんだね」
水科は入社時、まずその見た目で社内の話題をさらった。スラリと高い身長、スタイルのよさを損なわない程度に鍛えられた身体つき。黒檀色の髪は自然な感じにスタイリングされ、おしゃれな印象をもたらしている。顔も芸能人だと言われてもおかしくないほどに甘く整っており、かと言って彫刻のように冷たい雰囲気はない。
その上、誰に対しても嫌な顔を見せたことのない人の好さなのに、なめられない。
これはもう、生まれ持った才能ではないかと依里佳は思う。
こうしてほんの数分話しただけで、水科が社内の女性に慕われている理由がよく分かった。
「蓮見さんだって人気あるじゃないですか」
「え、私は……」
男性からは多少そういう風に思ってもらえているかもしれないけれど、女子には嫌われている自覚があった。
「あの三人が妙に絡んでくるから、女性社員には疎まれてるって蓮見さんは思ってるかもですが、実は女子にも人気あるんですよ。俺の同期の女子なんて、蓮見さんに憧れてる、って言ってましたし。きれいなのに全然驕ってなくて親しみやすい、って。……あれ、なんだか俺、上から目線になってますかね?」
「う、ううん、全然!」
「佐々木さんたち、いつも蓮見さんについてあれこれ忠告してくれるんですけど。俺、蓮見さんをそんな風に思ったことないですし……こっそり援護しますんで。だから、もっと自信持ってください。味方はたくさんいますよ?」
「あ……ありがとう。そう言ってもらえると、気持ちが軽くなる」
水科に噂だけで判断されなかったのが嬉しい。
同時に、水科が女性にモテる美形というだけで、心のどこかで身構えている自分がいたことに気づいた。噂だとか見た目だとかで相手を判断していたのは自分も一緒だったのかもしれないと、少々反省する。
「じゃあ、俺こっちなので」
「うん、お疲れ様です」
水科と別れ自宅に向かった依里佳の心は、ポカポカと温かかった。
「ただいまぁ」
玄関を開けた依里佳が家の奥に向かって声をかける。その数秒後、ドタドタと家の中を走り回る音が聞こえてきたかと思うと、足音の主が依里佳の首に抱きついた。
「おっかえりぃ、えりか!」
「っと、ただいまぁ、翔……ちょ、苦しいから降りなさい」
両腕両足を自分の身体に絡ませてくる四歳児を、ギブギブ、と言いながらなんとか剥がす。
「えりか! あのね! きょうアニーがたまごうんだよ!」
瞳にキラキラと星をちりばめながら、ペットのカナヘビの産卵を報告する甥っ子に、依里佳は目元を緩ませた。
「ほんと? すごいね!」
「翔~、『りゅううさ』始まるよ! あ、依里佳ちゃん、おかえり~」
「ただいま、陽子ちゃん」
ダイニングから顔を出した義理の姉に応えた後、依里佳は自分にまとわりつく翔の手を取り、廊下を歩いて行く。
「えりか、『りゅううさ』のえいが、いっしょにみて?」
今夜放映される子供向けアニメを一緒に観てほしいと、翔は依里佳の服を摘んで引っ張り、彼女を見上げた。その視線には『おねがい♪』という可愛らしい意思がたっぷり込められている。
(可愛いっ……天使は地上にいる……!)
依里佳はデレデレと顔の筋肉を緩ませた。その愛らしい姿を見るだけで、今日一日の疲れが吹き飛んでしまう。
「もっちろん、そのつもりで早く帰って来たんだよ? 荷物置いて手を洗って来るから、先にテレビ観てて?」
依里佳は実家住まいだ。ただし、現在の世帯主は八歳年上の兄・俊輔なので、彼女は兄家族と一緒に暮らしている。というのも、両親は依里佳が高校二年生の時に、交通事故でそろって他界してしまったからだ。それ以来、実家で兄と二人暮らしをしていたのだが、それから一年半後、依里佳の大学入学が決まるのと同時に、俊輔と陽子の結婚が決まった。
『お兄ちゃん、私、家を出るね。新婚さんの邪魔はしたくないし』
と、一人暮らしを決意したのだが、依里佳を止めたのは他でもない、義姉の陽子だった。
陽子は俊輔の大学時代の同級生だ。よく家にも遊びに来ていたため依里佳とも顔なじみで、二人は俊輔抜きでも一緒に出かけるほど気が合った。
『だめだめ! 依里佳ちゃんみたいな美人で可愛い子を、一人暮らしなんてさせられない! お嫁に行くまではこの家で一緒に暮らしてもらいます! いいわね? 俊輔、依里佳ちゃん』
ちゃきちゃきの江戸っ子である陽子に反対出来る人間など、その場にはいなかった。
陽子はさっぱりとした性格を反映したような、くっきりとした目鼻立ちをした美人である。怜悧な瞳と、賢そうな薄いくちびるが印象的だ。
俊輔自身も依里佳の兄だけあって結構な男前だ。彼女とよく似たたれ気味な目は大きく、おっとりとした人の好さをより際立たせている。背も水科ほどではないものの、平均よりは高い方だ。
そんな二人は、妹の目から見てもお似合いのカップルで。そして当然、翌年生まれた彼らの息子である翔も、生まれた時から将来が楽しみになるほど、可愛らしい赤ちゃんだった。
こんな天使のような子がいていいのか、と思わず天に問うてしまうほど愛らしい甥っ子に依里佳は心を奪われ、それはそれは可愛がった。
応援ありがとうございます!
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