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第八章 逆鱗
幕間 ラーグノック攻防戦 一
しおりを挟む「やはり、これは動くのか……?」
レイコック侯爵家に仕える密偵は、隣国であるシーレッド王国国境沿いの街に潜伏していた。
彼の主な仕事は、この街の動向を探る事。兵の動きや物資の状況を探り、それをレイコック侯爵へと逐一報告していた。
その彼が、最近この街の異変に気付いた。ここ数カ月の間で、住民の移動がなされている事を。
だが、それはこのシーレッド王国ではさほど珍しい事ではなかった。
計画的に国作りを進める賢王の下、臣民はそれに従い動く。
前代から国土を広げ続けた実績が王家の力を盤石の物とし、そこから得られた栄華を享受している民は、王の指示を疑う事はない。
また、人族を至上とする傾向が強くなりつつあるこの国で、獣人やエルフなどは段々と棲家を僻地に移している。そこを埋める形で王都から人が送られてくる事も、普通の事だったからだ。
だが、移り住んでくる住人の質が問題だった。
探知スキルを持つ彼には、その兵の大体の質は見えていた。
その彼が判断するに、新たに移り住んできた住人の大半が、精鋭と言ってもおかしくないほどの力を持っている。
前線の地なので、比較的領主軍よりは力をもった兵士が集められる傾向にあっても、それは異常に感じられた。
「レイコック様にはお知らせできたが、まだ何かある気がするな……」
兵士の数自体が増えている事も、彼に不審を抱かせていた。
だが、これには大きな理由がある事も知っていた。
それは、シーレッド王国の北部の森では、最近亜人の動きが活性化していると報告があり、それに対応するための至極当然な動きだったからだ。
「兵器もか……」
高レベルの隠密スキルを持つ彼は、この街の城砦へと忍び込み、そこに揃えられている武器の数を目にする。そこには攻城兵器も並べられ、その数は明らかに何かに備えているのだと予感させた。
「危険を冒して忍び込んだ甲斐があった。これは確実に動くのだろう……あと一歩遅れていたら不味かったかもしれん」
既にレイコックには警戒を要する旨の知らせは出した。だが、確信を得たかった彼は危険を冒して潜入し、それを確実な物とした。
ニヤリと口角を上げた彼が、慎重を期して帰還しようとしたその時、自分の首筋に光る何かが突き刺さった。
「ガッ!」
彼の首には一本のナイフが突き刺さっていた。崩れるように地面に倒れ、一瞬で命を失った彼の背後には一人の男が立っていた。
「ふう、レイコックの所には優秀な奴がいるな。俺以外気付いてねえだろ」
漆黒のマントを身に着け、音もなく現れた男は、軽い調子で呟く。
密偵を殺したナイフを首から抜き取ると、死体をマジックボックスに回収して移動を始めた。
「さて、忍び込めそうな奴は粗方片付けたし、そろそろ帰っか。後は旦那が来るだけだしな」
そう口にした男は、大きく背筋を伸ばすと、マントで体を覆った。
そして、完全に闇に身を隠すと、多くの警備がある城砦を何事でもないように歩き出て行く。
シーレッドに所属する彼ならば、この城砦で顔を出して歩いても誰にも咎められる事はない。
だが、彼は一々兵士に頭を下げられる面倒臭さを避ける為だけに、自身の存在価値である隠密行動を使い行動していた。
街を抜け、近くの森に入った男はマントから身を出した。
すると、黒装飾に身を包んだ男が現れて口を開く。
「お頭、他の村などに潜伏していた密偵の処理は終わりました」
「そうか、予定通り限られた情報だけ通したんだな?」
「疑い程度しか情報は流れていないはずです。後は、レイコックがどれだけ信じるかでしょう」
この男達の集団ならば、情報を完全に遮断する事はできた。
だが、それはレイコックに深い不審を抱かせる結果になると判断し、情報の選別を行っていた。
「そっ、なら帰ろう。お前らは三日後に大将軍の旦那と姫さんが街に入るのを確認して引け。あぁ、お前一人は戦いの結果を見てこい。俺達からも王に情報を上げた方が良いだろう」
「分かりやした。この後は王都へ?」
「王に呼ばれているからな。大方、樹国の将を暗殺でもしろって話だろう。人使いの荒い御方だ」
部下との会話を終えた男は、再び漆黒のマントに身を包み闇にまぎれる。
その姿は高い探知スキルを持ち、長い間付き合いのあるこの部下にも捉える事はできない。
部下の男は、慣れた事とはいえ、強力なアーティファクトの力を改めて実感したのだった。
◆
「なかなか固そうな街ですわ」
「昔一度攻めましたが、その時は落とせませんでした。確かあれはまだ姫様が小さき頃ですな」
「前々王の時代ね。全くアーネストも我が国が手助けして王にしてやったと言うのに、大して役に立たず死ぬとは」
「あの戦は、我々の予想も外れました。新王は若いながらも信望が厚く、率いた手勢も優秀だったとか。また、我が国にも存在する、暗部のような組織も背後には姿があったらしく、多くの諸侯が消されたようですな」
「それも、この二万の精鋭兵と、小父様が兵を率いていれば、この街もすぐに落ちますわね」
眼前にラーグノックの城壁を見据え、騎乗する二人の人物がいた。
先に発言した一人は、シーレッド王国第二王女、セラフィーナ・エステセクナ。
銀髪を腰まで伸ばし、白い鎧に身を包み、腕を組んでこれから始まる戦いを思っている。その顔には楽しそうな表情を浮かべていた。
その隣には、派手さはないが機能に優れた鎧に身を包み、厳しい瞳で街を睨む男がいた。
シーレッド王国で、軍部の頂点に立つ男、大将軍バイロン。用兵に優れるだけでなく、ダンジョンを攻略するほどの力を持つ、武人だった。
二人の背後には今か今かと指令を待つ、二万のシーレッド王国直属の兵が待機をしている。
皆、一様に優れた武器防具に身を包み、半数以上の兵士が低級だが魔法のアクセサリを身に着けていた。
その中でも精鋭中の精鋭「竜滅隊」と呼ばれる彼らは、多くの者がマジックアイテムを身に着け、中には古竜の白い鱗を材料とした鎧を身に付ける者もいた。
彼らの名前は、その名の通り古竜を撃退した功績から付けられた物だ。
白い鱗を持つ古竜を、僅か100人の竜滅隊と三人の将軍で撃退したのは、シーレッドの王国の歴史に既に刻まれている。
「姫様、そろそろ」
「分かりましたわ、小父様」
バイロンに声を掛けられたセラフィーナは、騎乗するスレイプニールの腹を軽く蹴り、背後にいる兵に向き直る。
「ふふ、士気を上げる必要もないですわね。始めなさいッ!!」
セラフィーナの号令の下、シーレッド王国の兵達が動き出した。
◆
セラフィーナが号令を出す少し前の事。
城壁の上ではラーグノックの領主であるレイコックと共に、シラールドの姿があった。
「二万はいるか……我々の三倍か……」
「レイコック殿、偵察によると兵卒でもなかなかの力を持っていたとか?」
「うむ、シーレッドは国を挙げてダンジョンでレベル上げをしていると情報が上がっていたが、事実のようですな。新しい魔道具の噂も本当なのでしょう」
「なるほど、以前話されていた経験を分配できるというあれですな」
南の事情には明るくないシラールドは、レイコックとの交友で最近は南の情報を手に入れている。
その彼が手に入れた情報の中には、件の魔道具がある。それは、シーレッド王国が近年開発した、経験値の分配を行う事ができるマジックアイテムだ。
常に情報を集めているレイコックでも、本当に僅かな情報しか手に入れられなかった。
「ワシには必要ないが、是非我が国にも欲しいですな」
「問題はありそうですが、シラールド殿のような強者が一人でもいれば、弱者でもレベルが簡単に上げられるのは喜ばしい事です」
二人がそんな会話をしていると、シーレッド軍の前線が動き出した。
今まで整然に並んでいた軍勢は、慌ただしく動き出し、後方からは攻城兵器が姿を現す。
「兵器は南門だけに集めているようだな。各方位に配置している半数のカタパルトとバリスタを南に集めろ!」
兵が集められている情報を得ていたレイコックは、迷うことなく戦いの準備を始めた。
この地での戦は十数年の年月が開くほど前の話だ。だが、昨今の情勢を考えると、シーレッド王国が動き出す事は、あり得ないとは言えないからだ。
その備えの一つが、通常時より多く城壁の上に配置された攻城兵器だ。
本来は城を攻めるために利用されるべきものだが、防御にも使用できるので持ち上げた。
これにはアルンとアニアのマジックボックスが大いに役に立っていた。
「さて、どうなるか……簡単に落とされるつもりはないが、援軍が間に合うかが勝負ですな」
「それか、主が帰ってくるかですな。レイコック殿、主の家人は確保しておいでですな?」
「もちろんですぞ。既に城砦に入れています。アルンとアニアは手伝うと言っているのですが」
「それなら良いかと。あれらが死ぬと貴方の首も危ういですからな。人の狂気はどこに向くか分かりません」
「ゼンに限ってそれはないと思いたいですが……」
「まあ、その時はその時でしょう。一応ワシも止めますが、本気を出されたらまず勝てぬ相手です。期待はせずにいてくだされ。それより、まずは街の防衛ですぞ」
シラールドがレイコックの肩に手を掛けたその時、シーレッドの軍勢が前進を始めた。
「始まったか……」
レイコックはそう小さくつぶやいたのだった。
◆
「流石シラールド……三日掛けても成果が薄いか……」
「小父様、如何なさいます?」
「……後の侵攻が厳しくなるでしょうが、ここは一気にこの街を落とします。残してある攻城兵器を全て出し、大型の魔石弾も全て投入致しましょう」
バイロンは当初の予定では、数日でラーグノックを落とせると考えていた。
だがそれは、事前に準備を怠らなかったレイコックによって、薄い目論みと化した。
街を落とせるのは確実だが、このままでは予定に遅れが出ると考えたバイロンは、今後の攻城戦での使用を考えていた、残りの攻城兵器の投入を決断する。
その次の日、ラーグノックの街に轟音が鳴り響く。
今まで投入されていた全ての攻城兵器に加え、その倍近い数が大型魔石弾を投擲し、城壁の南方に大きな一つの穴を作り出す。
そして、更に投擲された大型魔石弾は、遂にラーグノックの城壁を破り、乗り越えれば人の通れる道を作り出す事に成功した。
「小父様、やりましたっ!」
「消費は痛いですが、この街を攻略すれば、後は比較的容易に事は進むでしょう。さあ、兵たちに号令を」
「はい。貴公ら、城壁は破られた! 堀を埋め兵を進めよ! 兵の質は我らが上! エゼルの弱兵に分からせてやりなさい!」
セラフィーナの声に、周りを固める指揮官たちが呼応して、さらにはその後ろに控える兵たちに波及する。一気に熱の上がったシーレッドの兵たちは、武器を片手に前進を始めたのだった。
◆
「ぬうっ! 破られたか!」
城壁南側が破られたという報は、すぐさまレイコックへと知らされた。
当時、城砦の執務室で作戦を練っていたレイコックの表情は、一気に厳しい物に変わった。
「アルンッ! アニアとセシリャに城砦で守りを固めると伝えてこい!」
「分かりました、城砦に入れます!」
既にレイコックの下を離れていたアルンだったが、自ら申し出てこの戦いに加わっている。
レイコックの護衛として側に付いていたアルンは、命令を受けアニアとセシリャを迎えに部屋の外に出ていった。
「シラールド殿も宜しく頼む」
「承った。主の不在はワシが埋める事にしよう」
先ほどまで城壁の上で【天帝】を用いて、登ってくる敵を屠っていたシラールドは、再びマジックボックスから【天帝】を取り出すと、口角を上げて牙を見せる。
それにレイコックは頷きで応え椅子から立ち上がると、並んで部屋を出た。
廊下を歩きながら、窓の外を眺める。
遠方には土煙を立てて崩れ落ちた城壁が見えた。
「ぐぅ……城壁が崩される感情とは、これほどの気持ちか……」
先代領主の父からこの地を任され、早数十年。
幾重に戦いを経験したが、ラーグノックの城壁が崩されたのは初めての経験だった。
「安心なされレイコック殿。援軍は既に送られているはずだ。我々はここから奮闘を見せ耐えれば良いだけの事」
300以上の歳を重ねているシラールドも、これほどの劣勢は経験がない。
だが、歴戦と呼ばれるレイコックをも超える戦いの経験は、まだ諦める状態ではないと告げていた。
「兵を城砦に下がせろ! ここでもう一度籠城じゃ!」
レイコックはシラールドを従えながら檄を飛ばす。
それは、ラーグノックの最後の抵抗だった。
◆
「堀の埋め立ては完了しました!」
セラフィーナと大将軍バイロンの前で、伝令が膝を突き報告を上げた。
「ご苦労、マジックボックス持ちは再度後方に戻し、兵糧のつめ戻しをさせなさい」
「ハッ!」
「小父様、兵を投入しても?」
「ここからは姫様の判断でお動き下さい。何かあればその都度正しましょう」
「分かりましたわ。それでは貴公ら、街に突入しなさい!」
セラフィーナの下した命令は、即座に全軍に伝わった。
だが、流石に二万を超える兵士を、一気に街へと進攻させるのは容易ではない。
まだ残っている城壁の上には、多くの弓兵が残っており、真上から狙撃できる状況は、屈強な兵士とはいえ通過は難しかった。
「あれは仕方がありませんわね。私が行きますわ」
見るに見かねたセラフィーナは、スレイプニールの腹を蹴り、崩れた城壁の瓦礫を登る。
当然それを狙って弓矢は放たれたが、それは全て空中で落とされる結果となった。
「早くしなさい! 私の周辺に矢は落ちませんわ!」
セラフィーナの周囲では、動き続ける一枚の丸盾がある。
その速度は凄まじく、降り注ぐ弓矢全てを受け止めており、残像を残しながら動き続け、一瞬目を離すと何処に行ったか分からなくなるほどの物だった。
【月下の円盾】――装備をする者に迫る飛行物体を防ぐ効果を持つアーティファクト。セラフィーナが複数所持するアーティファクトの一つだ。
「貴様ら! 姫様が道を作ったのだぞ! 迅速に移動しろ!」
ゆっくりとした足並みで移動してきたバイロンは、セラフィーナの隣に来ると、後方で盾を構えてたじろぐ兵たちを一喝した。
その声は不思議と遠方まで響き、進攻する兵達の足取りを速めた。
程なくすると、街の中に入り城壁に登った兵が出始め、降り注いでいた弓矢がやんだ。
それを確認したセラフィーナは、左腕を掲げ自分の真上に浮遊していた盾を回収した。
「さて、小父様。レイコックの顔を見に行きましょう」
戦場においても、涼し気な表情を浮かべたセラフィーナは、バイロンと複数の護衛を連れ、街に放たれた兵の波に乗りながら城砦へと歩みを進めていく。
途中途中で民家の影からエゼル王国の兵や冒険者などが飛び出してくるが、それらは全てセラフィーナとバイロンが手を下す前に、護衛の手によって薙ぎ払われる。
「あら、冒険者も多いみたいですわね。この国は人族以外も多いみたいですし、見る分には面白いですわ」
「我が国から逃げ出した者達が多くいるのでしょう。敵兵にも人族以外が多く混ざっておりましたな」
近年、人族至上主義を掲げ始めたシーレッドでは、選ばれた他種族以外は大分数を減らしている。
領土を広く移動するセラフィーナは、それほど感じていなかったが、王都に住む子供達は人族以外を目にする機会が少なくなるほどだ。
「抵抗が少ない。城砦に兵を集めているな」
バイロンは襲いかかってくる敵兵の数と、人の流れから判断して、敵は城砦に籠るのだと判断した。
「まあ、いい。そこを落として終わりだ」
バイロンは前方で兵を鼓舞するセラフィーナの背中を見ながら、そんな呟きを見せた。
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この続きは10日の12時に更新します。
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