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第八章 逆鱗

一話 激昂

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「スノア急げ!」

 俺の声を聞いたスノアは「畏まりました!」とグルゥと鳴き、大きく翼をはばたかせると、更にその速度を上げる。普段は出す事のない全力の加速は、乗っている俺の身体を押し戻すような風の力を感じさせる。
 人の姿をしてるヴィートは、竜の時とは勝手が違うのか、少し辛そうにしていた。手を伸ばして身体を支えてやる。
 ポッポちゃんは綺麗に空気抵抗の少ない姿勢を取り、スノアの上に立っていた。

「あっ! 見えてきた! あの旗は街で見た奴だよ!」
「兵士の格好も見えるか!?」
「うん! 見た事ある鎧を着てる! 城壁の上も壊れた壁の前もみんな味方だと思う!」

 激しく流れる風に負けないよう、俺とヴィートは大声で言葉を交わす。
 ヴィートの見た物を信じれば、城はまだ落とされていないはずだ。
 本当に僅かな安心感が生まれたが、ここで油断をするつもりはない。
 俺にも段々と見えてきた街の様子を眺めながら、片手には【テンペスト】を握りしめた。

「スノア、城壁の上で一度止まれ」

 ラーグノックの街が一望できる位置まで来た。
 ヴィートの言う通り、城の周りを囲っている多くの兵士は、エゼル王国の旗を持っている。
 そして、城壁にもまだレイコック家の旗は掲げられていた。

 スノアは俺の指示通り急降下をすると、城壁を太い爪で掴んで止まる。
 いきなり降りてきた大きな影に、城壁にいた兵士は驚き逃げた。

「敵じゃない! 俺の事を知っている者はいないか!? このまま行く許可をくれ!」

 とりあえず、急を告げる状態ではなさそうなので、城門を守る兵士に顔を見せる。
 下手に強行突破をして、いらない争いを起こす必要はない。俺はまだそれを考えられるほど、冷静でいられている。

「お通ししろ、あれは魔槍殿だ!」

 この街の兵士の一人が俺を見て叫んだ。俺も彼には見覚えがある。城門で警備をしている男性だ。
 彼は普段俺の事をゼン殿と呼んでいた。多くの兵が集まっているこの状況を考えて、あえて魔槍の名で呼んだのだろう。

「感謝する! 行かせて貰うぞ!」

 普段は俺もこんな口調はしないのだが、やはりこの空気は俺を変える。

「ポッポちゃん、家まで先行してくれ」

 俺の指示を聞き「はいはいなのよ!」とクルゥと鳴いたポッポちゃんが、スノアの背中から飛び上がると一気に加速をして先を飛んでいく。その方角は一直線に家に向かっており、スノアはそれに付いていく。
 眼下に広がる街の様子は、かなりひどい物に見えた。所々で火災の跡が見え、一部が壊れた家が点々としている。まだ、煙がくすぶっている所では、消火活動が続けられ、煙がここまで来ていないのに、焦げ臭い匂いが漂っている。
 街の中にいる兵士は、レイコック家の兵だけではなく、前の戦争でも共に戦った南部貴族の旗が見える。どうやら、援軍として駆けつけてくれたのだろう。

 街の様子を眺めていると、城砦が迫ってきた。
 先行するポッポちゃんが家の庭に降り立つと、スノアもそれに続いて高度を下げた。
 地面に着く前に俺はスノアから飛び降りる。同じくヴィートも飛び降りると、二人して見上げた家の様子に固まってしまった。

「燃えた……のか……」
「ミ、ミラベルは無事かな!?」

 家は半分程度が燃え落ちていた。
 茫然とその様子を眺めていると、家の中から人が出てくるのが見える。

「ゼン兄さん!」
「アルンッ! 無事か! みんな無事なのか!? ア、アルン……?」

 アルンを含め家のみんなが飛び出してきたが、俺は先頭を走ってきたアルンを見て言葉を失った。

「はい、誰も死んではいません。家は焼けてしまいましたが……」
「お前、その目どうした……」
「あ~、斬られちゃいました。後で治してください」

 何という事もないような顔をして、俺に苦笑いを見せたアルンは、片目に大きな切り傷を負い、目が潰れていた。

「分かった、な、治してやるからな。アニ、アニアはどうした……」
「大丈夫です。治療に走り回り疲れて寝ているだけですから、落ち着いてください兄さん」

 分かっている、俺にはアルンを簡単に治療できる事が。
 分かっている、アルンが誰も死んでいないと言ったのだから無事な事は。
 だが、俺が離れていた時に起こった事態に、俺の弟の顔が傷つけられた事に、アニアが姿を見せない事に、俺は動揺が止まらない。

「家のみんなは無事なんだな? 奴隷の子供らも全員無事なんだな?」
「はい、ほら出て来たでしょ? レイコック様の計らいで、城砦に匿われましたから無事です」

 ナディーネ達が姿を現した。一人一人の顔を確認すると、誰も傷一つ負っていないように見える。

「無事ならいい。悪いけど先にアニアに会わせてくれ」
「一階のソファーで寝てます。もしかしたら起きてるかもしれません」
「分かった。みんな悪いけど後で」

 俺は大きくうなずいたナディーネ達の間を抜け、家の中へと入ってく。
 一階のリビングには、ソファーに座るセシリャの姿と、その向かいで横たわり寝ているアニアの姿が見えた。

「久しぶりゼン殿。結構寝たから起こしていいと思うよ」
「お帰りセシリャ。夜間ずっと治療でもしてたのか?」
「そうそう、私も今さっき起きたばっかだよ」

 歩きながら会話を交わし、俺はそのままの足取りで、ソファーに横たわるアニアの前に膝を突いた。

「アニア、起きてくれ」

 今の俺は、目を覚ましているアニアを見ない事には、とてもじゃないが安心できない。
 可愛い寝顔を見せているのに、肩を揺さぶって起こしてしまった。

「……ん? あっ……おはようございます、ゼン様? んッ! ん~~」

 寝ぼけているのか、目を開けたアニアは俺に抱き着いてきた。
 俺がそれを返して強く抱きしめると、アニアはびくりと身体を震わせる。

「あ、あれっ!? 本物!?」

 アニアはやっと目が覚めたのか、慌てて俺の顔を確認しようと体を離した。

「本物だ、無事でよかった。本当に無事でよかっ…………何だ……これ……」

 離れたアニアの手を取って、強く握ろうとしたのだが、その感覚がおかしかった。
 何だと思い、視線をそこに向けてみると、手首から先を失ったアニアの左手があった。

 何だこれは……俺のアニアが何故こんな怪我をしている……

 アニアの可愛い手が無残にも失われているのを見て、俺は自分を視野が狭まるのを感じた。
 心臓が大きく鼓動を始め、呼吸は自然と荒くなり、全身の血が燃えるように滾る。
 そして、体が震えて止める事ができない。

「セ、セシリャ、答えろ……敵は何だ」
「シ、シーレッド……」
「そうか……」

 なるほど……このふざけた事態を起こしたのはあの国か。

「はは……はははは……殺してやる……皆殺しだ……」

「あっ、駄目なのです。セシリャさん、ゼン様押さえて! 速く! アルンもこっち来て!」
「えっ!? う、うん」
「わっ、わっ、兄さん駄目ですって!」

 立ち上がりマジックボックスから地面に落とした鎧を着始めた俺を、三人が全身を使って止めている。

「どけ……お前らをやった奴らを殺してきてやる」
「ゼン兄さん、大丈夫ですから。僕らは兄さんに治して貰えますから!」
「ゼン様、落ち着いて! は~い、ゼン様の好きなおっぱいですよ、やらか~い!」
「えっ!? わ、私もやるのそれ!? や、やわらか~いけど……ちいさ~い……」

 俺はアルンに背中から押さえ付けられ、両腕をアニアとセシリャに抱きかかえられた。
 そして、余りにも突拍子もないアニアの行動と、それに続いたセシリャに思わず固まってしまう。

「…………何だよそれ…………くっ、くくく」

 アニアとアルンの二人と、涙目で体を張ったセシリャを見ていたら、笑いが込み上げてくる。

 いや、違う……これは自分の愚かさが笑えるんだ。

 この世界に来て、この体を手に入れてから、俺は元の年齢など殆ど忘れ、自分の感情のまま動いていた。そんな成長しない俺を、育ててきたと思っていたアニアとアルンに止められた事がおかしかったんだ。

 はぁ、駄目だな俺は。そう、やるなら冷静にだ。冷静に敵を殺す。
 俺は今まで優位に立てる事を心がけ、用意できる物は揃え、使える物は何でも使い、それを成してきた。だから今は怒りを封じよう。そして、アニアとアルンをこんな目に合わせた奴を、必ず後悔させてやる。怒りを解放するのはその時だ。

「分かった、分かったから離れてくれ。セシリャ……大丈夫だ、小さくない、柔らかかったぞ」
「ば、馬鹿っ!」
「ぶおっ!!」

 まだ涙目のセシリャを慰めたつもりが、お怒りを買ったようだ。
 全力の平手打ちを食らってしまった。凄い痛い、絶対これ、頬赤いだろ。
 あっ、HP減ってるんだけど……高レベル、アーティファクト持ちの全力ビンタとか、シャレにならん。いや、あれが味わえたんだから安い物か……

「落ち着きました? ゼン様」
「悪かったな、アニアの怪我を見たら頭に血がのぼった。でも、あの方法はどうかと思うぞ」
「でも、結果落ち着いたのです。うふふ、後でそのほっぺは私が治療しますね」
「……ちょっと笑顔が怖いな。アニアが発破を掛けたんだろ?」
「確かにそうですけど、セシリャさんを怒らせちゃ駄目なのです」

 何だ、セシリャの胸を味わった事を怒ったんじゃないのか。

「これ、僕いらなかったんじゃない……?」

 若干アルンが落ち込んでいるように見える。そして、何故自分の胸を押さえているんだ。

「はぁ~~、手以外は大丈夫なんだろうな?」

 脱力しながらソファーに座ると、アニアは自然な様子で隣りに腰を下ろした。

「はい、ここだけなのです。後でゆっくり治してくださいね」

 そう言いながら微笑んだアニアの肩を抱き寄せる。

「もちろんだ、アルンもだぞ。他に俺の治療が必要な者は?」
「レイコック様が足を失いました。でも、アニアの治癒で命に別状はないです。後は、ミラベルが太ももに傷が残る怪我を負いました。後で消えるかやってみてあげてください。他に報告する事では、ニコラス様が敵にさらわれました」
「そうか……ミラベルも後で治そう。前に火傷の跡が治せたから多分いけるだろう。それと、レイコック家の次男なら、人質としての価値はあるから生きてるな」

 人質としての価値はあるだろうから、ニコラス様は生きてるはずだ。
 侯爵様がどう動くかは分からないが、俺が助けられるならいってこよう。
 そんな事を考えていると、アニアが俺の服を引いた。

「あの……ゼン様、後……多くの人が私じゃ治せない怪我を負ったのです。だから……」
「分かってるよ。そんな申し訳なさそうな顔するなって、可愛いアニアのお願いなら全員治すに決まってるだろ」

 治療に奮闘したならば、多くの怪我を負った人を見てきたのだろう。
 前の戦いではその数が多すぎたし、そんな時間もなかったから治療する事はなかったが、アニアにこんな顔をされたら応じない訳にはいかない。
 それに、この街の人達は俺も助けたいんだから。

 話も一段落付くと、ポッポちゃんを抱いたナディーネたちが家の中に入ってきた。

「あっ、ポッポちゃん、悪いけどユスティーナたち呼んできて。竜のまま飛んできていいから」

 とりあえず、敵の姿もないようなので、ポッポちゃんにそうお願いすると「いってくるのよ!」とクゥッと鳴き、ナディーネの手から飛び降りて、走って玄関から出ていった。

「もう……大丈夫だから心配しないの」
「分かったよ。でも、兄ちゃんに早く治して貰おうな?」

 ヴィートが眉間に皺を寄せ、ミラベルに問い掛けつづけながら家の中に入ってきた。
 出会った当初ならば、同い年の男の子と女の子に見えていたが、今では姉と弟だな。

 リビングにはこの敷地内に住む全員が集まってきた。
 俺が見る限りナディーネやマーシャさんら一家は無事だし、職人組もみんないる。
 やはり、自分の目で確かめないと駄目だな。

「みんな生きてるか……良かった……」
「ゼン君、心配してくれてありがとう。私たちは侯爵様が城砦に連れて行ってくれたから平気。でもご近所さんは家を失ったり、亡くなった方もいるわね……」

 ナディーネが悲しそうな顔をしながら状況を伝えてくれる。
 話を聞く限り、俺の知ってる方も亡くなったみたいだ。
 先ほどのような抑える事のできない怒りは湧いてこない。だが、それでも数度会話を交わしただけの人物だろうが、無残に殺されたと聞くと、また俺の中の炎が燃え上がってくる。

「ッ! そうだ、パティはどうした!? って、もうこの街を出たんだった……」

 冷静になったと思っていたけど、それは間違いだったみたいだ。俺らがゴブリン集落を出る前に、パティは旦那さんとなる人と、両親に挨拶しに行く為、この街を出て行ったのを忘れていた。

「えっと、後は……シラールドは?」
「レイコック様の近くにいます。シェードさんたちも情報収集に走らせると言ってました」

 なるほど、だから気配が近くにないのか。シラールドなら彼らをうまく使ってくれるだろう。

「よし、とりあえず俺はレイコック様の下へ行ってくる。悪いが治療は帰ってきてからだ。ユスティーナが帰ってきたらセシリャは慰めてやってくれ。セシリャが帰ってくる事を期待してたからな」
「任せて、全力でがんばる」

 笑って喜ぶと思っていたが、セシリャの表情は真剣な物だった。
 俺はそれを意外に思いながら、アルンを連れてレイコック様の下へ向かう。

 やってきた城砦は平常時とはかなり異なる表情を見せ、多くの兵士が戦いの準備を行っている。
 アルンの顔が通るので、俺らはほぼ素通りでレイコック様の部屋まで通された。

「よく戻ってくれたなゼン、アルンもご苦労」

 部屋に入るとベッドに横たわるレイコック様の姿があり、その脇にはシラールドの姿もあった。
 俺らと入れ替わりに数人の子飼いの貴族や、従者たちが部屋を出る。どうやら、おれたちに時間を与えてくれるらしい。

「離れていて申し訳ありませんでした」
「馬鹿を言え、お前に責など微塵もないわ」
「しかし……」
「勘違いをするなゼン、お前は確かに力がある。だが、この街では一人の民だ。民を守るのは貴族たる儂らの務め。もちろん協力はしてもらうが、責任を感じる事ではない。むしろ、シラールド殿とアルン、そしてアニアにセシリャがこの地にいたから、儂の命は助かり、結果この街は落ちんかった。本当に助かったぞゼン」

 レイコック様は力強く俺を見つめ、そして笑っていた。確かにレイコック様の言われた通りだが、俺はどうしても自分がいなかった所為だと感じてしまう。

「主はまだ責を感じているみたいだな。ならば、この後の戦いで活躍すればよいのではないか?」
「そうだな、シラールド殿。次の戦いに間に合ってくれて助かったんだぞ、ゼン」
「また近く戦いが?」
「何だ、アルンに聞いておらんのか? うむ、簡単に言えば一度追い払ったのだが、また攻めてくるのは間違いないと言う事だ」

 詳しい話を聞いてみると、城壁を破られこの城砦の中まで敵が迫ってきたのだが、そのタイミングで援軍が到着し、敵は一度引いたとの事だ。かなりきわどい状態だったらしく、その援軍がもう少し遅ければ危なかったと言っている。

「悪いが詳しい話はアルンに聞いてくれ。今は色々と指示を出さねばならん、シラールド殿は借りるぞ? それとな、本当にすまんのだが、足を治してくれ。これでは身動きが取れず難儀している」

 確かにこの街のトップであるレイコック様が動けないと問題があるだろう。
 この街を守るためにも優先順位は一番だ。

 同席を許されたアルンを隣に、椅子に座ってレイコック様の足を治療する。
 その間は常に兵や事務方に、近隣の領主などが入れ替わり訪れ、戦いの準備を行っていた。

「どうだ、ゼン。特等席で話が聞けたか?」
「えぇ、俺がやる事も大分理解できてきました」
「ほう、まだ考えは纏まっておらんだろうが、どうするつもりだ?」
「敵は殲滅して、ニコラス様をお助けしましょう。そして、その大将軍やら戦姫の首を切り落とし、一人残らずシーレッドの兵は、血の海に沈めましょう」
「ふはは……そうか、冗談に聞こえんから困るな……」
「レイコック殿、あれは真面目に言ってますぞ」

 シラールドの言葉を聞いて、レイコック様がギョッとした表情を浮かべた。
 いや、俺やるよ? やらない訳ないじゃん。

「ゼン、お前やはり魔槍って呼ばれるわ……」

 最後にレイコック様に少し呆れた様子で見送られた。
 酷いな、自分だってさっきまで部下たちに、敵は皆殺しだとか声を荒げてたのに。

 家に帰る道すがら、俺の探知にシェードを捕らえた。

「話を聞くよ」
「ハッ、申し訳ありませんでしたゼン様!」
「貴方たちに落ち度はない。だから、気にしないでもらいたい。俺はあの国の動向を調べろとは言っていないし、多くの者を他国に出させていた。まだこの地では組織は構築途中なのだから、全てを察知しろというのは無理だと分かっているよ」

 情報を集める事を生業としている彼らが、俺同様に責任を感じる事は分かっていた。
 だが、いま言った通り彼らも万能ではないのだから、仕方がないだろう。

「それより、資金の追加を渡すから、シラールドの指示で動いてくれ。その結果は俺とアルンにも頼む。資金の追加はまた行うが、その指示は一戦が終わってから伝える。それまでは定期連絡だけで良い。俺の周りで待機は不要だ。もし、俺の治癒が必要な者がいるなら後で連れて来てくれ」
「ハッ! 畏まりました。寛大なお心遣い、忠義を持ってお返しいたします!」

 俺が大金貨50枚を渡すとシェードは音もなく姿を消した。
 それは、俺から見ても見事な動きで、隣で共に足を止めていたアルンも目を見開いていた。

「見事に隠れますね。それにしても、僕もですか?」
「これからは、俺の部下として動くんだろ? なら、俺の右腕として全ての情報は耳に入れてくれ。むしろ、アルンの方が有効利用できそうだな」

 手の甲でアルンの胸を軽く叩き、それを合図に歩き出す。
 アルンは一瞬困った顔を見せたが、その後の表情を見れば笑みを抑えている事がすぐに分かった。

 家に戻ると、セシリャに後ろから抱かれたユスティーナと、その隣にエリシュカの姿が目に入る。
 俺が帰ってくるのを庭で待っていたらしい。
 教国でも同じ格好をしていたが、ユスティーナは身長が伸びてるので、その内逆転しそうだな。

「ただいま、みんな無事だったのは聞いたな?」
「うん、あっ……アルンお兄さんの目……」
「大丈夫だよ、ユスティーナちゃん。すぐにゼン兄さんに治してもらえるからね!」

 出迎えてくれたユスティーナはアルンの目を見ると、悲しそうに表情を崩した。
 だが、アルンはユスティーナの下へ駆け寄ると、膝を突いて安心させている。
 良かったなアルン。その若さで叔父さんって呼ばれなくて。

 俺もこんな事を考えられるほど落ち着いてきて、二人の姿を見て微笑む事もできた。だが、この中で一人、普段と余り変わらない表情をしているが、明らかに怒気に満ちた存在がいる。

「エリシュカ、どうしたんだその顔は……」
「…………巣が、壊された。楽しいを壊した奴がいる」
「それは俺がどうにかするから、ユスティーナを頼むな。この子にはまだ人同士の戦いはなしだ」

 この世界の倫理に当てはめれば、ゴブリンなどの亜人を殺す事は、動物を殺す事に似ている。むしろ、人間に対して敵対する存在であるため、褒め称えられるほどだ。
 だが、人族や獣人にエルフなどは違う。場合によっては仕方ないが、進んで子供が殺しを行うのはやはり忌避される事だ。
 俺独自の考え方があるとはいえ、俺もこの世界に既に染まっている。
 だから、ユスティーナは人同士の戦いには出したくない。
 彼女が成人したならば、それをどうするかは自分で決めて貰おう。

「…………ゼン、何故力を貸せと言わないの。貴方の敵は私の敵」
「その可愛い姿を見ちゃうと躊躇するけど、エリシュカは俺よりお姉さんなんだよな……その言葉を口にするなら、お前の力を遠慮なく借りるぞ?」
「…………ふ、ふふ、私は結構怒ってる。ヴィートと私を好きに使いなさい」

 エリシュカもこの環境に愛着を持ってくれていたのだろう、笑いながら怒るという、結構おっかない表情をしている。
 何とか怒りを収めて貰おうと、頭に手を乗せて撫でてやると、少しだけ表情が和らいだ。

 三人を連れて家に入り、アニアとアルンを治療しながら話を聞いていく。

「は、ははっ、そうか……そいつがアルンの目を奪ったのか。その女がアニアの手を飛ばしたのか」

 アルンを中心に何が起きたか話を聞いた。
 またも燃え上がってくる怒りに、おかしくもないのに笑いが出てしまう。

「…………ゼン、笑いながら怒るとか、怖い」
「エリシュカも、さっきしてたの気付いてないのか?」

 俺の右に陣取ったエリシュカは、俺の返しに眉を寄せて俺を見つめた。

「反対の手を出してください」
「あぁ、器用に切るもんだな」
「練習しましたから。……セシリャさんで」

 既に手を治療し終わったアニアが、先ほどから俺の爪を切っている。
 リハビリを兼ねてとか言っているが、どう見てもやりたいだけだろ。
 しかし、嫌に上手いと思ったら実験台がいたのか……セシリャ可哀そうに。

「アニア、真剣な話してるんだけど……」

 そんな様子の俺らなのだが、体面に座り、今さっき目を取り戻したアルンは気になるようだ。

「もう大分説明は終わったんだから良いでしょ? ゼン様も怒ってないのです」
「いや、そうだけどもう少しあるだろ。まだこの後に戦いの話もあるのだし」
「はぁ~、ゼン様が帰ってきた時点で、敵の何を恐れるの? 何時の間にアルンはゼン様を疑うようになったのです?」
「それは違う。ゼン様がいれば、もう負けはないのは分かってる。僕が言ってるのは、ゼン様に嫁入りするなら、こういう場ではちゃんとしろって事」
「……それは一理あるのです。でも、久しぶりなんだから目を瞑って欲しいの」

 二人の会話は昔から変わっていないのだが、内容の規模だけが何だか大きくなったって感じだな。
 しかしまあ、ここまで信頼さるのも少し困り物ではある。俺だって無敵じゃない。古竜や悪魔の力を知った今なら、結構簡単に死ぬってのは分かってるからね。

 それはそうと、一つ確かめたい事がある。俺はミラベルに張り付いているヴィートを呼び出した。

「さて、改めて聞くがエリシュカとヴィートはこの戦いに加わるんだな?」
「…………私は言った。貴方の敵は私の敵。巣を荒らした敵は討つ」
「俺も戦うよ。戦わない理由がないでしょ?」

 二人ともやる気らしい。俺はそれを遠慮する気はないのだが、人間ではない彼女らが果たして参戦して大丈夫なのかという疑問が出ていた。

「古竜の決まりとか大丈夫なのか?」
「…………そんな物ない」
「爺ちゃん達は人間と戦う気はないだろうけど、俺らは関係ないもんね」
「…………そう。それに、私はゼンの下で戦うから古竜は関係ない」
「そうそう、兄ちゃんの配下扱いで戦えば誰も文句言えないから」
「それ、俺には文句が来そうなんだけど……」

 明らかにヨゼフさんらに何か言われそうだが、それは終わった後で考えよう。

「なら、俺は二人に遠慮する事なく使わせてもらうよ」
「…………それでいい。巣を守るのに躊躇なんて不要」

 いつもは虚ろなエリシュカの瞳に珍しく力が入っている。
 お菓子を狙っている時だけ俊敏に動く竜ではなかったか……

「二人には後で指示を出すとして……あぁ、スノアに炎竜も連れてこさせよう。食べ物を報酬にすれば手伝ってくれるだろ」

 竜といえば炎竜の事を思い出した。どうみてもスノアにベタ惚れの奴ならば、良い所を見せようと手伝ってくれるはずだ。

「…………ゼン、何日後に戦い?」
「アルン、予想はどうなってる?」
「敵の動き的に三日は準備が掛かると思います。ですが、向こうも早期にこの街を取りに来るはずなので、準備でき次第攻めてくると思います」
「って事だ。それまでは何も起きなそうだな」
「…………分かった。数日街を出る。ヴィートは山脈の西に行きなさい。私は北へ向かうから」
「おっ! そうか! そうだね、姉ちゃん」

 エリシュカは急に立ち上がり、ヴィートに声を掛けた。
 すると、ヴィートは良い笑顔でそれに応え、二人して家から出ていこうとする。

「お前ら、まさか竜を捕まえてくるんじゃないだろうな」
「…………当然捕まえてくる」
「そうそう、この一帯の動ける竜を集めてくるから待っててよ」
「……分かった。でも、無理矢理は止めてやれ。せめて報酬を出すって話を通せよ。肉とかなら幾らでも出すし、財宝もある程度は用意する。足りなきゃ侯爵様に融通してもらう」

 幾ら何でも無理やりはまずい。彼らは普通に知恵や感情のある存在だ。戦いに勝っても恨みを持たれて、俺がいない時にこの街を襲われでもしたら目も当てられない。
 俺がそう言うと、エリシュカは怪訝な表情を浮かべた。

「…………ゼン、分かってない。私は古竜。竜の頂点。人間で言えば王族。そんな物いらない」
「あはは、連れてきたら兄ちゃんがあげればいいよ。喋れるんだし大丈夫でしょ」

 そう言いながら二人は家から出ていってしまった。まあ、後から俺が交渉をしよう。
 大量の竜を連れてきてくれるなら、それだけで勝ちは揺るがなくなる。

 二人はスノアに乗って庭から飛んでいった。炎竜の件も伝えてくれただろう。

「さて、アルン。この後の戦いの事と、お前の見解を聞こうか」

 こうして俺は、空いた右隣にアルンを座らせて、敵をどう殲滅するかを話し合ったのだった。
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