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第九章 戦役

 幕間 奔走

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 ラングネル公国、最北東部にある村に旅商人が訪れていた。
 馬車の荷台に置かれた商品を吟味していた老婆が、竜の細工が施された木製の腕輪を手にすると言った。

「お兄ちゃん、これおくれ」
「お目が高いね婆さん。これはエゼルのとある工房で作られた物なんだよ。その工房は貴族様とも取引をしているほどの工房だぜ。孫にでもプレゼントするのかい?」

 二十代前半に見える旅商の男が気軽な感じでそう言うと、老婆は頬を緩めて返事をした。

「今度来る孫息子にあげようかと思ってね。ラングネル公国に戻っただろ? だから、娘家族が移り住んでくるだよ」
「へ~、やっぱシーレッドから離れてる人は多いんだな。ここの前に寄った村でもそんな人が何人もいたよ」
「大公様がお戻りになられたんだから、みんな戻ってくるんだよ。それに、シーレッドは負けたんだから、今後は厳しくなるってみんな知ってるのさ」

 老婆の話に耳を傾ける彼は、各地を周り新たな販路の構築をしている旅商人だ。
 そして、それと同時に彼は各地の様々な情報を手に入れるべく、地道に活動をしていた。
 人族の青年に見える彼は、血色の悪そうに見える白い肌をし、黒目がちの瞳を持つシェード族だ。
 今は終戦に向かう旧シーレッド領、現ラングネル領にある村を回っている途中だった。

 老婆との会話も終わり、彼は今日は店じまいだと荷台の整理を始めた。
 荷台自体を小さな店舗としてしているため、整理にはそれほど時間はかからない。
 彼はすぐに今日の宿へ向かうために、御者席に座ると馬の手綱を握った。

 村の広場から少し移動すると、村を囲う外壁の門に人だかりができている事に気付いた。
 少しその光景を眺めていると、村の中から続々と人が集まっていた。どうやら、事が起きたのはついさっきの事らしいと彼は判断した。

「とにかく確認が必要か……」

 先ほど老婆と話していた明るい様子とは打って変わり、彼のその声は低く平坦な物だった。
 ぽつりと一言呟いた彼は、馬車を少し路肩に寄せると、御者席から飛び降りて人だかりへと向かった。

「皆さん、どうなさったのですか?」

 彼が人だかりに声をかけると、先ほどの老婆が振り返り、慌てた様子を見せながら口を開いた。

「あぁ、お兄ちゃん、大変なんだよ! 東の街にねシーレッドの軍が大勢押し寄せたらしいんだよ! それでね、そこで募兵をしているんだってさ!」
「本当にそれは、シーレッドの軍だったんですか!?」

 老婆の言葉に彼は少し大げさな反応で返した。演技半分本心半分だ。

「詳しい話が聞きたいなら、あの人が今してるから聞いてきな! 私は早く逃げるからね、お兄ちゃんもすぐに村を出るんだよ!?」

 老婆は門の近くで警備をしていた村人と話す一人の男を指さすと、シェードを心配しつつも、そそくさとその場から立ち去って行った。

 シェードは言われた通りに、周囲に群がる人に説明をしている男へと近づいた。幸い村の人間はそこまで集まっていなく、人の合間を抜ければ簡単に前に出ることが出来た。

「――から、エゼルを攻めるとか言ってたんだ。経路的にこの村を通るんだから、逃げない方がおかしいだろろ! 俺はすぐに出るんだから、もう邪魔しないでくれ!」

 男は東の街へと買い出しに出ていたこの村の人間だった。彼は周囲に群がる村人をうっとうしそうに手で払うと、自らが乗ってきた汗だくの馬を引いて歩き出した。
 周囲から漂う雰囲気の重さに、シェードは事の重大さを感じた。そして、話が終わってしまっていた事に、シェードは若干の焦りを覚え、思わず立ち去ろうとしていた馬を引く男の肩に手をかけてしまった。

「すまないっ! 最後に一つだけ教えてください!」
「おいっ! 早く家に帰るんだから放せ!」
「お願いします! エゼルを攻めると言っていたのを貴方が直接聞いたのですか!?」
「ちっ、お前人の話を……。たくっ、そうだよ! エゼルに反撃をする兵士の募集をしてたんだ。だから、この後は方向的にこの村を通るってのは、誰にでも分かる事だろ!? もういいだろ、早く放してくれ!」

 男はそう言うと、シェードの手を払い馬を引いて歩き出した。

「これは不味いぞ……。急がねばッ!」

 シェードはそう呟くと、急いで荷馬車に駆け寄る。そして、慣れた手つきで馬と荷台を切り離すと、ラングネル公国首都を目指して馬を走らせたのだった。



 それから数日後。
 ラングネル公国首都エクターの冒険者ギルドでは、二人の男が机を挟んで会話をしていた。
 その片方、薄いワインを喉に通し、木のコップを机に置いた老人が言った。

「では、子細はまた明日にでも詰めるとしよう。早急にゼン様に報告がしたい」

 老人の渋みのある声を聞いた対面に座る男が、軽食として出された干し肉をかみ切ると、一つ頷いて口を開いた。

「あぁ、そうだな。だが、今は休戦中だぞ。講和も順調みたいだし、ゼンの旦那もそこまで急がないんじゃねえのか?」
「ヴィンス殿、我々はいち早く情報網を構築したいのだ。先日話した通り、本部というべきものはエゼルの西部にある。ゼン様の住むラーグノックにはまだ我々の半数も移り住めていないのだ。だからこそ、この地では早急に情報網を作り上げたい。ゼン様から提案頂いた各拠点を大鳩で繋ぐ方式をだ!」
「わ、分かったよ……。この話になるとシェードの爺さんは本当に熱くなるな……」

 ヴィンスはシェードの長老の勢いに押されて、少し仰け反った。

「すまぬな、つい熱くなってしまう。だが、これも仕方がないのだ。前の主であられたシラールド様は、指示は出されるが我々のやり方に口を出す方ではなかった。一方ゼン様は放任主義なところがあるが、色々と提案をしてくださる。主からの直接の指示なのだ。どうしても叶えたいではないか……」
「シェードの爺さんの気持ちは分かるけどな。あの、各拠点を蜘蛛の巣上に繋ぐ情報網の考え方は、俺も手を出してみたくなったからな。まあ、ゼンの旦那も具体的にどうすればいいかは、顔をしかめてたから、相当時間はかかるんだろうけどさ」

 ヴィンスの話に大きく頷いて見せたシェードの長老は、おもむろにワインを飲むと言った。

「それにしても、ヴィンス殿よ。お主は姿を堂々と出してよいのか?」
「あぁ、それは問題ねえ。俺の姿を見て誰だか分かるやつは、かなり限られるからな」
「なら良いが。とにかく、今後はお主の部下と我々でゼン様をお支えしていこう」
「よろしく頼む。仕事が捗れば、ゼンの旦那から早めに奴隷解放してもらえると言われてる。俺はともかく、部下には家族がいるやつもいる。そいつらの為にも頑張らせてもらうぜ」
「ほう、その事ならゼン様に早急に言った方が良いかもしれん。あの方ならば、家族を全員連れてこいと言ってくださるはずだ」
「……魅力的な提案だがやめておこう。まずは俺達が役に立てるところを見せてからだ」

 ヴィンスがニヤリと笑うと、シェードの長老も片方の頬を上げてワインを口にした。
 その後も情報交換を兼ねて会話をしていると、ギルドに入ってきた髪の短い少女が二人に近付いてきた。

「お爺ちゃんっ! 今日の依頼終わったよ! これ、依頼のお肉!」

 街の一般市民に多少の武装を施しただけの恰好をした十代前半の少女は、シェードの長老へと自分の成果を見せつけるかのように、狩りたてのウサギを見せた。

「ほほ、いつもご苦労様、トリス。だが、ワシのところに持ってきても依頼達成にはならんぞ。ちゃんとギルドの受付で依頼達成を報告してきなさい」
「はーい。でも、毎日仕事受けてるんだから、直接依頼品を渡してもいいんじゃないのかな?」
「うむ、それではいつまでもブロンズクラスのままだな。それでもいいのか?」
「あっ! やだ! 私は早くシルバーになってお金を稼ぎたいからね!」

 トリスはそういうと、駆け足でギルドのカウンターへと向かった。
 その後ろ姿を眺めていたヴィンスが言った。

「あのお嬢ちゃんにわざわざ仕事を回す理由は何かあるんですかい? 爺さんの趣味ってなら、俺はこれ以上聞かないが」
「…………あの娘はゼン様から髪飾りを与えられているのでな。もしかしたら気に入っているのかと思い、手をかけている」
「……今度ゼンの旦那にあったら、子供はダメだろと一言しなくちゃならなくなったな」
「あの方は子供には手を出さん! 不敬だぞ! ワシが勝手にやっておるだけだ!」
「ならいいが……」

 ヴィンスがどのような人物なのか知らされているシェードの長老は、主に暗殺などを生業としていた男とは思えない発言に、少し驚きながらも声を荒げて自らの主人の潔白を晴らした。
 そんな事をしていると、報告を終えたトリスが戻ってきた。

「お爺ちゃん、また明日もお仕事くれるの?」
「うむうむ、また明日もトリスにお願いするから頼んだぞ」
「うん、ありがとう! でもさー、何で私に毎日依頼してくれるの? 他の子がおかしいって言うんだよ」

 トリスの若干沈んだ表情を見て、シェードの長老は笑みながら言った。

「うむ、トリスは以前会ったプラチナクラスの青年は覚えているか?」
「うん、当然だよ! プラチナのお金持ちお兄さんだろ。そういえば、あの時からだっけ? 毎日依頼くれるようになったのって」
「うむ。実はな、あの青年にトリスは見込みがあると言われてな。今度会った時が楽しみだと言っていたから、お前さんに依頼をしてその手助けをしようと思ったのだ」
「ッ!? それって本当!?」

 トリスが嬉しそうに聞き返すのを見て、シェードの長老は穏やかな表情を見せながら頷いた。

「あの青年はトリスとまた今度食事をしたいとも言っていたな」
「そっかー、嬉しいな。それって事は、あの兄ちゃんまた来るのかー。じゃあ、その時に恥ずかしくないように、頑張らなくちゃね! あっ、私はもうお家に帰るね。お母さんにお金渡さないと!」

 トリスはそう話を締めくくると、バイバイと手を振りギルドから出て行った。

「はは、元気な子だな。髪飾りがなかったら、男の子と勘違いしそうだ」
「うむ、確かに。だがそれは、既にゼン様がやっている」
「旦那……。おっ、何だ? 他のシェードが来たぞ」

 ヴィンスがゼンの行動に呆れた表情を見せていると、トリスと入れ違うかのように一人の男が慌てた様子でギルドに入ってきた。
 ヴィンスにシェードだと探知スキルで判断された男は、ギルド内を見渡すとシェードの長老のもとへと速足で近寄った。

「長老、大変です。シーレッド軍がラングネル領内に進攻中です!」
「何だと!?」

 長老が驚いた様子を見せると、情報を持ってきた若いシェードは更に続けた。

「ここに至るまで、シーレッド軍が通るであろう村には、すぐに逃げるように伝えました。進行速度から考えて、それらの村人は間に合うと思いますが、まだ報が行っていない村は多くあります。これからまた向かいたいと思いますが、北の大森林に近い村は、果たして間に合うか……」

 若いシェードが不安げにそういうと、長老とヴィンスからの質問を受けた。

「ぐうっ……やはり手が足りんのだ……」

 長老がそう嘆くのも仕方がなかった。今回の戦でラングネル周辺に配置されたシェードの数は、十人もいないのだ。全員がゼンから与えられたマジックバッグを所持し、身軽に動けるといっても、行動範囲や速度はたかが知れていた。
 長老が悔しがる姿を見せる中、ヴィンスは椅子から立ち上がると言った。

「シェードの爺さん、事は急を要する。俺は今からゼンの旦那に報告に向かおうと思う。ラングネルが兵を動かせるとは思えないからな」

 講和交渉に向かった大公ギディオンの護衛のため、多くのラングネル兵が同行している。
 そのために、残された半数近くのラングネル兵は首都の防御に割かれている。
 それらの兵は首都防衛だけを考えて集められていた事を知っているヴィンスは、彼らに動く余裕はないだろうと判断した。

「うむ、頼む。ヴィンス殿が我々の中で一番早いだろう。今すぐにでも出てくれ。ゼン様にはお急ぎ頂くようワシが言っていたと告げてほしい」
「分かった。それじゃあ俺は行く」

 ヴィンスはそう言うと、残っていた干し肉を掴んでギルドから出て行った。
 若いシェードは、ここまで休みなく移動し続けて乾いた喉を、机の上にあったワインを飲んで癒すと、厳しい表情を見せている長老に話しかけた。

「長老、私は今から城に行って、ラングネルの協力を得てきます。得られ次第そのまま村へ向かおうと思います」

 若いシェードが話しかけるが、長老は厳しい表情のまま何か考え事をしていた。

「長老、何かお考えが?」
「うむ……果たして上手くいくかは分らんが、やってみるだけの価値はありそうな案はある……」
「何とっ!?」
「だが、どうなるかは本当に分らんのだ。お前は出来る限り村や町を回ってくれ。ラングネルにはワシからもすぐに報を出す。早い馬を用意してもらえ」

 若いシェードは長老の言葉にうなずくと、急いでギルドから出て行った。
 それを見守っていた長老も椅子から立ち上がる。

「さて、ワシも今すぐ動くか……だが、ワシの言葉で動くか……」

 長老は一抹の不安を抱えながらも、味方ではあるのだろうが未知の存在への接触を図るため、エクターの街から立ったのだった。



 シェードの若者が急を告げるために村をたってから数日後。
 普段はのどかな風景が広がる村は、空を染める夕焼け以上に赤く燃え上がっていた。
 その光景をどこか冷めたような目をしながらも口角を上げた男が言った。

「姫様、予想以上に兵が集まってしまったのは失敗でしたな。これでは燃やし甲斐がない」

 シーレッド王国の王都で王軍を統括する、裏ではカエルに似ていると称される男、リンチがそう言うと、話を振られた彼の姫セラフィーナが口を開いた。

「民が逃げて既に数日経っている様子だとか。次の村でも同じような事が起きるのでは?」

 多少の苛立ちを見せるセラフィーナに、リンチは笑みを見せながら返した。

「姫様、落ち着きください。万に近い兵が集まってしまったのですから、致し方ありません」

 王都から出発したセラフィーナと、リンチが率いる兵士の数は、当初三千程度だった。
 村を焼き払うだけであれば、この数で十分すぎるぐらいだ。
 しかし、立ち寄ったシーレッド領内の街で募兵をしたところ、予想以上に志願してくる者が多かった。
 それは、ラングネルに近付くたびに志願してくる人数が増えた。
 シーレッドから逃げる民が多かった一方で、近隣に敵国が出来る事を嫌った民や、エゼルとの戦いに敗れ逃げた兵などが、王都に戻れずに多くいたからだ。

 リンチの独断で、途中で募兵を止めても良かった。
 だが、今回王都から連れてきた多くの兵士に賛同を求めるためには、エゼルへの反撃を掲げていた。その建前がある以上、自分たちの力を増す行為を止めさせる事は、兵士の不満に繋がるため受け入れていたのだ。
 リンチはさらに続けた。

「確かに、この村の様子を見れば、周辺の村からは既に民が逃げている可能性は高いでしょう。しかし、これから通る予定だった北部の開拓村であれば、きっとまだ残っている裏切り者の民はいるはずです。何せあの地は情報が伝わるのが極端に遅いのですから」
「そうですか、ならば急ぎましょう。分かっていますね、私はとにかくあの男が悔しがる姿が見たいのです。そう……あの男が無残に殺された民を見て、どう思うのかと思うと私は……ふふっ……」

 心ここにあらずといった様子で笑うセラフィーナを見て、リンチは眼を細くして微笑む。
 以前はつけ入る隙を見せなかった彼女が、落ちれば落ちるほど自分に近付いていると思えたからだ。
 リンチは視線をセラフィーナから外さずに、そばに控える側近に言った。

「すぐにこの村を出るぞ。どうせこの周辺の村は無人だ。そこは無視する。目指すは北部の村……何と言ったか、コーソック村だったか?」
「畏まりました。ラングネルの兵も出てくる様子がないですから、数日でたどり着けると思います。……裏切り者の民を殺すとのことですが、その前に楽しんでも良いのですよね?」
「ふんっ、それはお前らの好きにしろ。だが、決して生かすな。そうでなくては、姫様はお喜びになられまい。厳命だ、ラングネルに従った民はすべて皆殺しだ」
「ハッ! 今すぐに兵を動かします!」

 万の数に膨れ上がったシーレッド軍が動き出した。
 いや、彼らはもうシーレッドの名前を背負う軍ではなくなっていた。
 一人の女の歪んだ復讐心と、一人の男の数十年貯め込んでいた劣情の前には、もうそんな事は関係なかったのだ。
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