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事例2 美食家の悪食【事件篇】

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渡部美由わたべみゆです。よろしくね」

 水商売といえば、偽名を使った源氏名というイメージがあるのだが、ママから手渡された名刺には、名前が漢字で――しかもフルネームで記されていた。本名らしい。

「あ、山本縁です。よろしくお願いします」

 本来ならば名刺返しをしたいところなのであるが、まだ0.5係としての名刺は作っていなかった。前の肩書きの名刺ならあるのだが、なんだか身分をいつわるような気がして出せなかった。仕方がなく、口頭にて自己紹介を済ませる。

「自分、尾崎っす!」

 尾崎にいたっては、元より名刺返しという風習が頭の中から抜け落ちているのだろう。わざわざ手を挙げて名乗る辺りが、それを如実にょじつに浮き彫りにしている。

「お、なんだ? 俺にもくれるのか?」

 縁と尾崎が名乗ったことに、改めて「よろしくね」と笑みを浮かべた美由は、常連であろう安野にも名刺を手渡す。もはや互いのことを知っている間柄であろうに。

「えぇ、実は名刺を新調したのよ。デザインが前のと変わってるでしょ? 今日届いたばかりなの。せっかくだから安野さんにも」

 ここで名刺を貰うのは初めてだから、名刺が新調されたことなど分からない。しかし、安野は名刺を見るなり「前のと、かなり印象が変わったなぁ」と呟く。

「でしょう? その名刺――ミサトが作ってくれたのよ。これまで店にお世話になったお礼だってね」

 ママはそう言うと、ほんの少し寂しそうな、それでいて嬉しそうな――そんな表情を浮かべた。

「ん? ミサトちゃん辞めるのか?」

 ミサトという名前は、この店に入ってすぐに聞いた名前だった。この店のスタッフで、今は買い出しに出ているはずだ――。完全なる身内話に耳を傾けつつ、出された水割りを口に含んでみた。焼酎という飲み物は、やはりあまり得意ではない。

「えぇ、今月一杯でね。ミサトが専門学生だったのは安野さんも知ってるでしょう? 通っていたのがデザインの学校で、今年の春に卒業してからは、小さなデザイン事務所で働きながら、まだお店にも出てくれてたのよ。まぁ、本業のほうが忙しくなってきたみたいだし、私も引き留めるわけにもいかなくてね」

「そうか――寂しくなるなぁ」

 安野はそう言うと、水割りを一口。なんだか、重苦しい空気というか、哀愁あいしゅうが店内に漂った。それを払拭するかのごとく、ママは手をパンパンと叩く。

「はい、しみったれるのはここまで。今日はミサトもラストまでいるから、ゆっくりして行ってよ」

 そんな話を聞いた後に、ここで事件の話をするというのは、なんとなく気が引ける。これは安野も想定外だったのか、苦笑いを浮かべていた。
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