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事例2 美食家の悪食【事件篇】

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「あぁ、そうだ。乾杯がまだだったな。せっかくなんだから、ママも一緒にどうだ?」

 縁はもう焼酎に口をつけてしまったし、安野もついさっき口をつけてしまった。それでも、この妙にしみったれてしまった空気を拭うには、乾杯も悪くないかもしれない。結局、後で事件の話をするのだろうし、別の意味でしみったれてしまうわけだが。――それにしても、やはりお客はいなくとも、店の人間がいる前で事件の話をするのはよろしくないように思える。

「えぇ、せっかくだから頂こうかしら」

 ママはそう言うと、手早く自分の水割りを作る。便宜上、全員の手元に飲み物が行き渡ると、安野が咳払いをしてグラスを手に取った。

「えー、それでは。わざわざこんな僻地へきちまでやってきてくれた山本さんと尾崎君の歓迎と、ミサトちゃんのこれからに幸多きことを願って――」

 安野が言っている途中で「ミサトのことは、本人がいる時のほうかいいんじゃないの?」と、美由が口を開く。正しくその通りであり、安野も言葉を詰まらせたが、そのまま強行するという荒技を見せた。

「かっ、乾杯っ!」

 あまりにも締まりのない乾杯に苦笑いを浮かべつつも、安野達と乾杯をする縁。ママはグラスを合わせた後、小声で「頂きます」と呟いてからグラスに口をつけた。縁も改めて口をつけてみるが、やっぱり焼酎の味は好きになれなかった。尾崎にいたっては、ロックであるのに一気に飲み干す始末。飲むなとは言わないが、自分達には本分があるわけだし、少しは考えて飲んで欲しいものだ。

 心配する縁をよそに、尾崎が三杯目のロックを飲み干した頃のことだろうか。来店を知らせるベルが鳴り響き、梅雨時期前の湿った空気が店内に流れ込んでくる。

「おぉ、遅かったな」

 振り返って口を開いた安野につられて振り返ると、そこには一組の男女がいた。男性のほうは髪の毛にウェーブのようなパーマをかけており、歳は縁より少し上といった感じだろうか。女性のほうは縁なしの眼鏡をかけており、長い黒髪を真ん中から綺麗に分けている。化粧はやや派手であるが、これまた縁より歳はやや上といった印象だった。

「思ってたより道が混んでたわけ。それと、先生のどうでもいいような仕事を、なんだかんだ手伝わされてさ――。タダ働きなんて俺の主義じゃないのに」

 男性のほうが言うと、それに対して女性が「進んで手伝ってくれたわけじゃないの? まぁ、何事も勉強よ、勉強――」と呟く。
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